ゴンドラ 1
ヴェネツィアの運河を華やかに彩るのは、ゴンドラの存在だ。トーマス・マンはその光景を「櫂の水音、硬く黒々とまるで槍のようにラグーナの上に切先を突き立てている軸先の飾りにたわむれる、かすかな波の音・・・」と描写し、ゲーテはその感想を「アドリア海の支配者の一人のように感じた」と記している。
初めてゴンドラに乗ったのは、もう10年ほど前のことだった。前日にエンジンで動くバポレット(乗合船)で運河を走っていたので、「まあ、話のたねに乗ってみようか」といった軽い気持ちだった。
しかし、ゴンドラから見るヴェネツィアはバポレットとは全く別世界の光景だった。まず、視点が低い。ゆったりと背もたれに体を預けて座ると、水面が自分の目の高さとあまり変わらない。波頭をなめるような感触と言ったらよいだろうか。そして前方には、光を取り込み、またはじき返す止むことのない営みが、鮮やかに展開されるのだ。次第に自らがたった一人で運河に漂っている気分になっていく。
その気分は、ゴンドラの揺れによってさらに増幅される。カナルグランデでも大きな波はほとんどない。幅の狭いカナルに入ると、その揺れは音楽用語で言う“ラルゴ”のような、さらに微妙でゆったりとしたものになる。それは遠い昔の記憶、揺り籠の揺れを思い起こさせるものだった。
記憶は次々と蘇る。少年の頃初めて聞いた潮騒の思い出、友と歌ったわらべ歌のリフレイン、反抗期に母にぶたれたほおの痛み・・・。カナルの只中に漂い、櫂と水音だけの静けさに包まれた時、人はいつしか時空を遡ってしまうのだろうか。
ふと思い当たることがあった。ゴンドラのスピードは、大人が歩く速さに限りなく近い。人が物事を考えるスピードは、歩く速さに似ているという。まさにゴンドラは、物思いにふけるために用意された至高の乗り物であるかのようだ。見上げれば、千年の歴史を物語るパラッツオの街並み。目くるめく空間と繊細な振動の共鳴によって、私は時の旅人になっていた。
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