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ゲーテ そしてモーツアルト

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 PONTE DEI FUSERI (フゼリ橋)のたもとの家

 モーツアルトの家からバルカローリ通りを進み、すぐに交差するフゼリ通りに左折すると、すぐにフゼリ橋がある。この橋から左の建物を見ると「GOETHE」という文字の入った銘板を見つけることが出来る。そこには「1786年9月28日から10月14日まで滞在した」と記されている。つまり、ゲーテは、モーツアルトより15年後にヴェネツィアを訪れたことになる。

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 ゲーテの「イタリア紀行」には「イギリス女王というホテルに気持ちのよい宿を取っている。サンマルコ広場から程遠からぬところにあるが、これがこの宿の一番の取り柄である。私の部屋の窓は高い家並みの間にある狭い運河に面しており、窓のすぐ下には虹型の橋が架かっていて、その向こうには一本の狭い賑やかな小路がある」と描写されている。

 確かにサンマルコ広場までは5~6分で行ける場所で、利便性は高い。ただ、それだけにうるさいこともあったようだ。10月4日の記述では「窓の下の運河で人々が何やら大騒ぎをしている。もう真夜中も過ぎているのに、彼らは良いことだろうと悪いことだろうと、いつも一緒になって騒ぎ立てるのだ」と、陽気なイタリア人の気性に、ドイツ人としての批判を漏らしている。

 地図を見ると、モーツアルトの宿とはバルカローリ通りを挟んで向かい合わせる形になるほどすぐ近くだ。ちょっとどちらかの訪問時期がずれていれば、二人がヴェネツィアで鉢合わせする可能性も十分あったのでは、と空想がふくらむ。ゲーテの宿は「ホテル・ビクトリア」というところだったようだが、今では高級そうな婦人服を売る店に変身していた。

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 ヴェネツィア滞在中、ゲーテは満潮時と干潮時の2回サンマルコ広場の鐘楼に昇っている。その感想は「類無い眺望だ」と絶賛している。彼の滞在時期は秋なので、こんなアルプスの雪の風景は見られたかどうかはわからないが、冬の晴れた朝などは、鐘楼からでも雄大な風景に接することが出来る。さらに、演劇も何度も鑑賞し、市場やキオッジャへも足を延ばしている。

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 また、もちろんゴンドラにも乗り、「アドリア海の支配者の一人であるかのように思えた」と、感嘆の言葉を残している。さらに「真昼の陽光を浴びて潟の上を舟で渡りながら、私は華やかな服装をして舟端に立ってゴンドラを漕ぐ舟人が、薄青い水面からくっきりと青空にその姿を描き出している様を眺めたとき、ヴェネツィア派の最も優れた最も鮮やかな絵を見る思いがした」とし、光の鮮烈さには「影に相当する部分でも、場合によっては光の部分として通用するくらいに明るかった」と感動している。北国の人・ゲーテにとって約半月のヴェネツィア滞在は、とても大きな思い出として印象付けられたと思われる。

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 なお、1763年、ゲーテが14歳のとき、当時7歳のモーツアルトがパリへの旅の途中フランクフルトに立ち寄り、演奏会を開いている。この演奏会をゲーテははっきりと覚えている。「あの小さな少年は手入れのよい髪をして刀剣を提げていたのを、今でもありありと思い浮かべるのだ」(エッカーマン「ゲーテとの対話」)。

 ゲーテのフルネームは「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」、対してモーツアルトは「ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト」。二人のヴォルフガングは、同時代に生きた偉人だった。

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