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2009年8月

ベルリン2

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 1989年11月9日、28年ぶりに東西ベルリンを分断していた壁がこわされた。最大で155キロもの長さでベルリンを覆っていた壁も現在ではごく一部しか残されていません。その一部に描かれた旧ソ連ブレジネフ共産党書記長とホーネッカー旧東ドイツ国家評議会議長のキスシーン。

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 壁で分断されていた時代に、5000人以上の東ドイツ人が逃亡に成功。しかし3000人以上の人が逃亡に失敗して逮捕され、200人以上が逃亡の際に死亡した、と記録にあります。

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 東西ベルリン統一後に、かつては壁際にあったポツダム広場周辺に競って高層ビルが建築されました。左側のガラスの円形ビルはドイツバンクの本社。右側はコルホフビルで上層階には展望台もあるそうです。

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ベルリン1

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 先日終了した世界陸上を見ていて懐かしくなり、少しだけベルリンの風景を掲載しようと思い立ちました。最初はやはりブランデンブルグ門ですね。

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 18世紀終盤に、プロイセン王国の凱旋門としてアテネの神殿の門を手本に作られたのが、この門。ここから東に延びる大通りがウンター・デン・リンデン(菩提樹の下)という。真っ直ぐ進むと博物館や美術館が集まり、世界遺産にも指定されている「博物館島」につながっている。世界陸上のマラソンはこの付近がゴール地点でしたね。

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 門の上部にある勝利の女神と四頭立ての馬車は、迫力十分。ただ、1806年に戦争で勝利したナポレオンがパリに持ち帰り、空白になったことがあるそうです。ナポレオンはイタリアでもいろいろ戦利品を持ち帰りましたよね。

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 門のすぐ近くにある建物がドイツ連邦議会議事堂。東西ドイツの統合でベルリンが首都に返り咲いたときに、連邦議会の場とされた。後方に見えるドームは全面ガラスで出来ており、展望も抜群とのことでしたが、私が行ったときは行列が出来ており、見学は断念しました。

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広島・原爆投下の日4

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 夕闇に青白く浮かび上がる原爆ドーム。見つめていると、自然に「人類とは・・・」といった複雑な思いが胸の中に立ち上がってくる瞬間でした。

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 元安川の対岸から眺めたドームと灯篭流しの風景。多くの人たちが暑さも忘れて岸辺に集まっています。

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 一時雨がぱらつきましたが、かすかに青空ものぞいて胸騒ぎを覚えさせるような雲の動きが印象的です。

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 最後に、翌日の朝もう一度訪ねた公園の花のある風景です。第二次世界大戦関連で、「負の遺産」として世界遺産に登録されたのは、この原爆ドームとポーランドのアウシュビッツ強制収容所の2つです。どちらも決して忘れてはならない人類の傷跡・・・。

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広島・原爆投下の日4

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 午後7時を過ぎ、ライトアップが始まりました。ドームの姿も元安川を挟んで平和記念公園側からの、見慣れた角度ではなく、反対側から見ると、このような広がりのある形が浮かび上がります。向かって右側の輪郭は、ローマのコロッセオを思い出させるようなフォルムに・・・

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 灯篭流しが始まりました。昭和23年、原爆投下から3年後の8月6日に手作りの灯篭を流したのが始まりとのことで、現在は地元市民だけでなく誰でも色紙にメッセージを記入して参加することができる。年に1回の祈りの催しです。

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 暗くなるにつれて、川面を流れる灯篭の列が光を増して、長く長く続いて行きます。

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 ドームを囲むように、もう一つの光のイベントが展開される。牛乳パックで作ったメッセージ入りのキャンドルが、ぐるりと光の輪を描く「ピース・キャンドル」。これも今年で13回目だとか。「平和」の文字がいくつも見受けられます。

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広島・原爆投下の日3

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 慰霊碑とドームを結ぶ線上に「平和の灯」と題された灯火台があります。この灯は地球上から核兵器がなくなるまで燃やし続けるという願いを込めた灯だという。

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 平和記念資料館に入ってみました。原爆投下の8時15分で止まった時計の大きなパネルが目を引きます。

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 この中にも原爆ドームの模型が展示されていました。

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 前回紹介した佐々木禎子さんが折った折鶴の実物が、ここに展示されています。

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 資料館の南側にある「嵐の中の母子像」。ここにも平和を願う折鶴が捧げられています。

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広島・原爆投下の日2

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 平和記念公園の一角に「原爆の子の像」があります。この像のモデルは佐々木禎子さんという少女です。彼女は2歳のときに爆心地から2キロの自宅で被爆しました。その時は外傷もなく、元気に成長しましたが、10歳で白血病を発病、8ヶ月の闘病の末に亡くなりました。病床で回復を願って毎日、薬の包み紙や包装紙などで鶴を折り続けました。その数は1300以上にもなったということです。懸命に生きようとした彼女の物語は、ヒロシマの悲劇の象徴として今でも語り継がれています。

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 この日も公園で禎子さんの物語を語る催しが行われていました。その後方で当日の新聞を読む女性の姿もありました。

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 かすかに赤味のさす夕空に向かって、折鶴を掲げた少女の像が浮かび上がります。

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 平和記念資料館の壁面には式典の名称が大きな文字で掲示されていました。祈りの泉と名付けられた館手前の噴水が、その文字を霞ませていました。

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広島・原爆投下の日1

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 日本人として一度は行かなくてはと思っていた広島に、やっと行ってきました。あの原爆投下から64年目の8月6日。平和記念公園を歩きました。慰霊の式典は終了した後でしたが、平和への願いのこもった濃厚な空気が支配していました。

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 公園に入る手前には、旧広島球場があります。ここは無料開放されており、中の部屋のいくつかには無数の折鶴が飾られてありました。三塁側スタンドの上方から原爆ドームが望めます。

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 丹下建三設計による原爆死没者慰霊碑の前には、式典終了から数時間経っていたが、それでも慰霊の列が出来ていました。この一年間に亡くなった原爆死没者の名簿がこの慰霊碑に納められ、死没者は合計26万3949人。

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 式典で秋葉広島市長は、今年4月にオバマ米大統領がチェコで行った「核兵器のない世界」提唱を受けて、核兵器廃絶を支持する多数派を「オバマジョリティ」と表現していました。碑文には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この祈りの場所から、一直線で原爆ドームの建物が見通せます。

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ドロミテの山々3

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 コルティナ・ダンペッツオを過ぎて、ミズリーナ湖に向かいます。途中も雄大な山々の姿が迫ります。

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 湖に着きました。この辺りで標高2000m、リゾートホテルの黄色い建物が夏の光に映えています。奥の山はモンテ・カレベッレ?

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 周辺の山の赤い岩肌が印象的です。

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 ふもとの町、アウロンツォに戻ってきました。このあたりがドロミテ登山の出発点のようです。いつか、雪に覆われたドロミテにも会いたいと密かに願っています。

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ドロミテの山々2

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 コルチナ・ダンペッツォの町周辺で見かけた動物たち?を紹介しましょう。これはレストランの看板にあしらわれた馬のデザイン。こうした金属製の手の込んだ看板はチロル地方やオーストリアなどでよく見かけました。特にモーツアルトのふるさと・ザルツブルグのゲトライデ・ガッセが印象的でした。イタリアではあまり見かけませんが、この辺に来るともうオーストリアもすぐ近くですからね。

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 こちらはクロネコの看板。ここはパン屋さん。影になってしまいましたが、下に丸い輪の形をしたチロル地方のパンの模造品が下がっていますね。

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 これは本当の犬。案内してくれた友人の「ああ、犬だ」と言う声に振り返ると、みやげ物店の屋根に2匹も登っていて、悠然とドロミテの山を眺めていました。

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 こちらは以前「不思議な雲」の欄で紹介しましたが、コルチナを過ぎてミズリーナ湖のレストランで昼食を摂って外に出たとき、まるで鳥が羽ばたくかのような雄大な雲がかかっていました。

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