ロダン美術館上 カミーユとの愛と葛藤
パリ7区、地下鉄13号線のヴァレンヌ駅を降り、地上に出るとすぐにロダン美術館が現れる。ロダンの死から2年後の1919年に開館したこの美術館は、パリで最も心魅かれる個人美術館だ。
まず目を奪われたのは手の作品。斜めに差し込む外光によって複雑な陰影をつけられた2つの手は、まるで祈りを捧げようと組み合わす一人の人間の思いを表出した姿と感じた。
しかし、よく見ると手の大きさが違う。そして両手とも右手。二人の人間がお互いの右手を組み合わせようとしていることに気付いた。タイトルは「カテドラル」。大聖堂の空間、パリならノートルダム大聖堂だろうか。あの壮大な空間では人間はちっぽけな存在にしか過ぎない。さらにその一部分でしかない片手と片手が組み合わさることで、一つの宇宙をさえ表わしているかのように見えるのは、私だけだろうか。
窓際に立つ男がいる。「ジャン・デール」。カレーの市民の一人だ。百年戦争時、1347年のフランス。港町カレーを包囲したイギリス国王は、市の主要メンバー6人を差し出せば、町の破壊を留保すると提案した。これに応じて6人の男たちが自ら名乗り出た。英雄自己犠牲、死の恐怖、家族を残し、命を捨てる覚悟。決してすっきりと決断したわけではないだろう。苦悩の末にようやく一歩を踏み出したその痕跡を、固く結んだ唇に刻み込んで立ちあがった姿だ。戸外の明るさ、枯れ木の斜線、室内の漆黒の像との対比が、心の奥底に通じるようで美しい。
この女性像もまた、戸外の風景、頭上のシャンデリア、裸像のシルエットとが三位一体の空間を形成している。張りつめた緊張。
誰もが知っているこの像。1880年、ロダンはフランス政府から「地獄の門」の製作を依頼された。ダンテの神曲から着想を得たこのタイトルの作品は40年近い歳月を費やしながら未完に終わったが、その中からいくつかの個別の作品をも生み出した。その一つが「考える人」。地獄の門の製作を始めたころ、セーヌ左岸にある彼のアトリエを訪れたうら若き女性がいた。カミーユ・クローデル。当時19歳。ロダン43歳のパリだった。
優れた才能と麗しい容姿とを併せ持ったカミーユに、ロダンは夢中になった。「永遠の青春」はそんな時期に創られた。激しい情熱がぶつかり合う愛の姿。全身全霊をゆだねた女の恍惚感と、みなぎる自信を、振り上げた左手の先まで満たした男の高揚感とが、叫び声となって響き渡るような作品だ。
同じ室内にカミーユの傑作も並ぶ。「ワルツ」。寄り添う二人。ワルツのスロウなリズムが流れる中、二人だけの世界に浸っているかに見える。でも、女の背は不安におののいているかのようだ。足取りは乱れ、崩れかかる女を、男はかろうじて支えている。この作品の完成は1893年。ロダンとカミーユの関係は悪化の一途をたどっていく。ロダンにはローズ・ブーレという内縁の妻がいた。カミーユを愛しながらもローズと別れようとしないロダンに、カミーユはヒステリックな怒りを募らせていた。才能も容姿も若さも。どれをとってもローズに負けるはずのない自分が、どうして彼を独占できないのか。元々自己主張の強い性格だっただけに、行き場のない怒りを抱えたまま苛立ちの時間が過ぎて行った。(二人を描いたフランス映画でカミーユを演じたイザベラ・アジャーニの、怒りの演技が思い起こされる)
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