« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

ウイーン オペラ座舞踏会生中継、ハプニング?

P1018721

 3月3日の夜10時、夕食を終えてホテルに戻ると、ちょうどオペラ座舞踏会のテレビ中継が始まるところだった。冬のウイーンは300もの舞踏会が市内各地で開かれるが、ハプスブルク皇室行事として200年もの伝統を誇るこの舞踏会は、その頂点に位置する。当日の午後からはオペラ座付近は交通規制が敷かれ、トラムも折り返し運転になっていた。

P3044325

 テレビは、司会者による舞踏会のゲスト紹介などからスタート。(テレビ画像なので、絵が荒くなっているのはご了承を!)

P3044331

 オペラ座の壮麗な舞台は、すっかりダンスの会場に変身していた。そのためか、舞踏会前後の1週間は建物のガイドツアーがお休みになる。

P3044341

 今夜社交界デビューするデビュタントたちが映し出された。純白のイブニングドレスがまぶしい。

P3044344

 テレビカメラは会場のかなり高いところにも設置されており、視覚的にも面白かった。

P3044348

 初々しいお嬢さん。

P3044358

 バレリーナたちのダンスが披露された。奥のバレリーナは東洋人?

P3044360

 結構派手なダンスで、会場も盛り上がる。

P3044363

 今年のディーヴァとして招待されたのは、歌手のエリーナ・グランチャ。見事な歌唱力で場内を魅了した。

P3044369

 デビュタントたちのダンスが始まった。ウインナワルツの演奏に合わせて踊り出すと、会場から割れんばかりの拍手が響いた。

P3044372

 テレビはあらゆる角度からの映像で、舞踏会を華やかに演出。

P3044386

 カメラマンたちがしきりにフラッシュをたく場所があり、テレビカメラも近寄った。そこに居たのはベルルスコーニ・イタリア首相の買春問題で話題を集めたルビー嬢(左端)。毎年スキャンダラスなタレントを招待することで有名なオーストリアの富豪が、今年は彼女を連れてきたんだそうだ。

P3044396

 このアンナ・ネトレブコさんという女性もインタビューを受けていた。何をする人かは不明。

P3044393

 デビュタントのお披露目が終われば、一般の人たちによるダンスが始まる。朝方6時ころまで延々と踊り明かされるという。この一般客として参加することは、日本人でもチケットを買いさえすればOKとのこと。ちなみに値段は最低で250ユーロ以上とか。テレビでも十分楽しめました。

4月27日、このブログへのアクセス数が8万件を突破しました。このところコンスタントにアクセスしていただく方が増えているようで、本当に感謝です。今後ともよろしくお願い致します!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ウイーン アルプス山脈の終着地、マジョリカハウス

Pc200510

 南フランスのニースに行ったのは3年前の冬だった。トリノから山越えの路線があったので電車に乗ったら、豪雪のため途中でストップ、結局ジェノヴァから海沿いに迂回してようやく行き着いた。ニースはアルプス山脈の麓の町なのだ、と実感したのがその時だった。

2010_0422_010355p4227407

 アルプスは、コート・ダ・ジュールの海岸付近から徐々に高度を増して北に進み、4807mのモンブランで方角を変えて東に向かい、スイス・チロルを貫く。そしてなだらかな丘へと姿を変えながらウイーンの森に入り、ドナウ川に沈みこんで終点を迎える。その数千キロにわたるアルプスの東端にウイーンは位置している。せっかく一方の端のニースの経験があるのだから、もう一方の端にも足跡を残そうと、ウイーンの森の高台・カーレンベルグに出かけた。

P3044428

 市内から地下鉄U4に乗ってハイリゲンシュタットまで行く。この駅前に建つ異常に長い建物は、1929年の労働者用集合住宅だ。全長1キロもあり、託児所や病院も付属した「赤いウイーン」当時の最先端建築だった。

 そこから38Aのバスに乗り換える。合計1時間もあればカーレンベルグに到着する。

P3044441

 到着したとき、付近の林は霧氷となって枝先を白く輝かせていた。さすがに高台は市内とは温度がだいぶ違う。

P3044440

 全く冬のたたずまいだ。でもこんな白い樹林を見ることが出来たのも良い思い出になるだろう。

P3044444

 雲一つない抜けるような青空。林の中の民家とのコントラストも素晴らしかった。さあ、アルプスが吸い込まれるドナウの風景を見てみよう。

P3044474

 が、見えない。何と下界には濃い霧が立ち込めていた!せっかくなので本来なら絶景が見えるはずの、カフェの端の席に座ってメランジェを飲みながら1時間ほど待った。

P3044452

 しかし、ほとんど霧は晴れてくれない。仕方なしに、霧さえなければ見えたであろうパノラマを頭で想像しながら、この地を後にしたのだった。

P3044494

 帰りは一気にリンクの南側まで移動した。ケッテンブルッケンガッセ駅を出ると、目の前にオットー・ワーグナーの代表的集合住宅2棟がどんと現れる。右からメダリオンハウスとマジョリカハウスだ。

P3044481

 マジョリカハウスは壁面一杯にあふれるほどの花模様が描かれている。マジョリカ焼きのタイルを張り付けたものだ。100年も前の建築だが、全く古さを感じさせない華やかさ。タイルなので色がはげないのもメリット。

P3044498

 たまたまドアが開いていたので、入口にあるエレベーターも垣間見ることが出来た。ゴージャスな雰囲気だ。

P3044479

 隣のアパートはコロマン・モーザーの手になる金細工のメダルが9つはめ込まれている。ウイーンの金といえばクリムトの絵画が思い浮かぶが、いずれも同時代に活躍した芸術家だけに、相互に影響し合っていたのだろう。

P3044485

 金細工のメダルに描かれた人物像を眺めていたら、9つがそれぞれに微妙に違った表情をしていることに気付いた。これは向かって左から2番目。上向きで、今風にいえばドヤ顔の男性?

P3044487

 4番目は真横を向いた澄まし顔の女性?

P3044490

 7番目はうつむき加減の、こちらは完全にうら若い少女の横顔。角度と表情の違いを見ているだけでも結構楽しい時間を過ごすことが出来た。

P3044476

2つの建物のつなぎ目には、道路に向かって何かを叫ぶ人物像も。屋根上の人物像は、オットー・ワーグナーの別の建物・郵便貯金局にもあった。マジョリカハウスの1階に、日本語で「くいしんぼ」と書かれた看板をみつけた。何かと近づいてみると日本の田舎の町にある食堂のような小さな店だった。そこで、今回の旅で初めて日本食(といってもカレーライス)を食べた。思えば、外国でカレーライスを食べたのは完全にここが初めて。うまかった!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウイーン シュテファン大聖堂、モーツアルトの葬儀

P3034037

 朝早く目覚めた。ガイドブックを眺めていると、シュテファン大聖堂は朝6時から開いていると書いてある。それなら、と地下鉄に乗った。ホテルは市庁舎すぐ裏手の「グラフ・シュタディオン」。ここからだと2駅で大聖堂前のシュテファンプラッツ駅に着いてしまう。

 駅を出ると137mの高さを誇る南塔が目に飛び込む。遥かな高さを仰ぎながら、出発前に読んだ大聖堂の歴史が頭をかすめた。ウイーン経済はドナウ川という重要な交易路を軸として栄えてきた。その収益が、この大聖堂を造る基となったのだろう。

P3033958

 南入場口の扉彫刻は聖パウロの宗教体験を描いたものだという。きめ細かい細工にも、当時の職人の心意気が伝わるかのようだ。

P3033927

 重々しい扉を開けると、聖書を朗読する司祭の声が堂内に響いていた。ミサの最中だ。奥行き107mの堂内はひんやりと冷気が漂い、主祭壇は霞むほどに遠くに感じられる。

P3033929

 邪魔にならないように、そっと側廊を進む。

P3033942

 ミサが終わり、主祭壇に近寄って見た。バロック様式の絵画は、石を投げられて殉教してしまった聖シュテファンを描いたもの。雄大な構図だ。ここにはハンガリーからもたらされたというイコンの聖母子像も祭られている。

P3033955

 聖堂のほぼ真ん中あたりに、ローマ法皇の胸像などが彫られた立派な説教壇がある。面白いのは、その壇の下の部分に、この作者アントン・ピルグラムが、自分自身の姿をちゃっかり残していること。こんな遊びが許されたというのがすごい。

P3033938

 右側廊に移動すると、「歯痛のキリスト」と呼ばれるキリスト像があった。本当に痛そう。例えキリストといえども歯痛はきつかったんだろう。

P3033952

 主祭壇右の礼拝堂きらびやかな聖人たちの群像が納められた多翼祭壇・ノイシュタット祭壇がある。ここの空間だけは華やかだった。

P3034038

 一旦外に出て、モーツアルトの記念碑を探した。ザルツブルグ生まれのモーツアルトは、1781年にウイーンに移り住んだ。翌年、コンスタンツェとの結婚式はまさにこの大聖堂で行われた。ただ、晩年は有力者たちの支援を失い、1791年12月5日、35歳の生涯を終えた。翌日、葬儀もここで行われたが、嵐の中を埋葬に向かう馬車に付き添った人は皆無だったという。そんなわけで、モーツアルトの墓は未だに確定されていない。

P3033965

 ほぼ一回りして、北東の角付近にある鉄格子で仕切られた地下への出入り口で、やっと記念碑を見つけた。

P3033964

 中の十字架の下にある銘板に「1791年12月6日、不滅のモーツアルトの葬儀が執り行われた」と、記されている。

P3034043

 帰り際、もう一度大聖堂を見上げた。大きな屋根にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が、大きく翼を広げていた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ウイーン夜歩き  リンク周辺の夜景を見下ろす

P3033901

 夕方、水曜の夜に行われる屋上ガイドツアーに参加するため、自然史博物館に出かけた。P3033869

 博物館と美術史美術館とはマリア・テレジア広場を挟んで対照的に建てられている。まずは美術館の建物を1枚。

P3033864

 マリア・テレジアの像も。従者をしたがえた堂々とした像だ。

P3033857

 こんな形に美術館と像とが位置している。曇り空だったので空の色がにごり気味。

P3033921

 ガイドツアーは午後6時30分からスタート。自然史博物館入り口ロビーでは始祖鳥(?)のような鳥が舞っていた。

P3033874

 ドイツ語で説明される館内の自然標本より建物のほうに興味があった。ちょうどこの夜は特別のディナーの会があるらしく、2階ホールで晩餐の準備が進んでいた。上から見下ろす会場の床の模様が面白い。これは後に行った美術館の方にも同様な床模様がある。

P3033872

 天井の装飾もすっきりした美しさ。

P3033897

 屋上に上がってみると、意外にウイーンの夜の街は暗いことを実感する。ライトアップされているのは、中央奥にある市庁舎、その右に2本の塔が見えるヴォティーフ教会、右側に白く光るブルク劇場くらいのもの。クリスマスシーズンだともう少し華やかなのだろうか。それでも、シュテファン大聖堂など市内の高い塔は夜間はクローズされるので、市街地の夜景を高いところから間近に見下ろせるのは、ここぐらい。ある意味貴重な場所だ。

P3033907

 少しアップしてみると、市庁舎前に造られたスケートリンンクの赤っぽい照明がわかる。手前の建物は国会議事堂だ。

P3033916

 上から見る向かいの美術史美術館とマリア・テレジア像。こちらの珠玉の美術品の数々は、改めて後日アップする予定です。

P3044269

 せっかく上から見た市庁舎とブルク劇場を、今度は横から見てやろうと、リンク沿いに歩いた。せいぜい5分もあれば移動できる。ブルク劇場は白く輝いていた。ここあるクリムトが描いた天井画は必見!

P3044284

 道路を挟んで向かい側が市庁舎。下の地面が白くなっているのは、3月6日までオープンしていたスケートリンクのせい。

P3044294

 107mの高さを誇る市庁舎の塔は、さすがに立派。建設当時、教会でもないのに100m超の高い塔は必要ないとの抗議が出たのに対して、設計者フォン・シュミットは塔そのものを98mにとどめるかわりに、3・4mの騎士像に6mの旗を持たせて合計107mにしたという。

P3044307

 この市庁舎、ブルク劇場、国会議事堂などのリンク沿いのきらびやかな建築群はほとんどが、19世紀後半に行われた旧市街地の城壁取り壊しに伴って新しく造られたもの。バロックあり、ゴシックありの、さながら建築見本市のような具合だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ウイーン ハプスブルクの皇帝たちが眠る教会

P3033826

 午後遅く、王宮近くのカプツィーナー教会を訪れた。妙に愛想のよい切符売りに見送られて地下に一歩足を踏み入れると、息苦しいほどの濃密な緊迫感に包まれた。それも道理、ここには1633年以降ハプスブルク家12人の歴代皇帝を始めとした146体もの棺が納められた納骨所になっているのだ。ちなみに、ハプスブルク家の人々の心臓はアウグスティーナー教会に、内臓はシュテファン大聖堂に納められている。

 最初に目につく大きな棺は、頭がい骨に王冠をかぶせた像を持つ、15代皇帝カール6世。マリア・テレジアの父だ。

P3033833

 そして一段と巨大な棺が、マリア・テレジアとその夫フランツ1世の合葬棺。「戦いは他のものにさせよ。汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ」とのハプスブルク家の家訓を見事に実践したマリア・テレジア。16人の子供を産み、その子らと周辺諸国の王家との結婚によって戦わずして版図を広げて行った、最も有名な女帝だ。棺の上に、語り合うように顔を向き合った2人の像が置かれている。

P3033850

 棺の脇の面にも繊細なレリーフが。宮殿の模様だろうか。

P3033836

 フランツ2世の棺を経て別室に入ると、ハプスブルク帝国の最後の栄光と滅亡への道をたどりながら没したフランツ・ヨーゼフ1世が、その顔の浮き彫りのついた棺に眠っている。

 この皇帝ほど死の命運に取りつかれた人も珍しい。彼の皇太子ルドルフは愛人と心中、皇妃エリザベートは旅先で暗殺され、弟マクシミリアンも銃殺された。さらに甥のフェルディナントはサラエボで暗殺され、第一次世界大戦の引き金となってしまった。そしてこの大戦での敗戦がハプスブルク帝国の終焉を告げることになる。クリムトやシーレ、オットー・ワーグナーなど世紀末を華やかに彩ったウイーン文化の爛熟期は、ハプスブルク家にとっては死の香りに包まれた時代でもあった。

P3033838

 そのエリザベートの棺には、いつも花束が絶えない。

P3033843

 一方、息子ルドルフの棺は十字架が飾られただけの簡素なもの。もちろん、心中の相手マリー・ヴェツェッラの遺体は、ここにはない。

P3033846

 3つ並ぶ棺は、ぐるりと四方から見渡せるようになっている。

P3033844

 この地下には、ハプスブルク家の怨念が立ち込めているようだった。

P3044411

 この後王宮正面にあるミヒャエル教会を訪ねた。1本だけ細長くそびえる塔は高さ78m。国会議事堂辺りから見ると、シュテファン大聖堂の塔の右横にしゅっとした姿を見せている。

P3033819

 祭壇後方、堕天使の彫刻が印象的だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ウイーン街歩き ナーグラー小路 優雅な女性像

P3023721_2

 コールマルクトを歩いて行くとグラーベン通りと交差する。そこから西に延びるナーグラー小路は、路地歩き好きにはたまらない通りだ。そんな小路を歩いてみよう。

P3023695_2

 その前に、一度後ろを振り返ってみよう。王宮のクーポラが通りの真ん中に浮かび上がる風景は、ウイーンならではの風情が感じられる。

P3023709_2

 角に建つ高級スーパー「ユリウス・マインル」の入り口柱には、何とも素晴らしい女性像が6体。ウイーンには多くの建物の柱に人物像があしらわれているが、ここの群像の完成度はトップクラスだと思う。この高級スーパー、日本でいえば、東京青山の紀伊国屋といったところかも。ウイーン土産になるものも沢山売っている。

P3023712_2

 1体をアップしてみると、こんなに優雅な表情だ。ここのオーナーは、日本の歌手で映画女優だった田中路子さんと結婚したことでも知られている。

P3023706

 また、その隣のビルにも同様に2体の女性像があった。こちらもユリウスマインルと同じ雰囲気に仕上げており、この一帯には女性像の官能的な華やかさが漂っている。

P3023733

 この通りを歩いて行くと、左側の家並みに沢山の天使や聖母の像を見つけることが出来る。13番地には三位一体像と聖母戴冠のレリーフが、飾られている。

P3023728

 こちらは天使に背負われた地球と聖母像。

P3023734

 これは両側に天使を配した聖家族。

P3023735

 こちらも聖母と天使たちのレリーフ。

P3034025

 こんな家々を楽しみながら進むと、左に曲がる下り坂の路地を発見する。昼間だと、よく新聞売りのおじさんが声を枯らしている。

P3023732

 小路の上の空間に突き出ている鉄製看板が、味わい深いムードを醸し出している。ワイン蔵を改造したホイリゲ酒場「エステルハージーケラー」の看板だ。1683年の創業なのだろうか、1683の数字が刻まれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウイーン街歩き  カフェ、現代建築

P3054544

 夜行列車が到着したのはウイーン西駅。改修の進む近代的な駅舎には、とても明るい日差しが差し込んでいる。冬の陰鬱さを引きずった、重苦しいハプスブルクの残滓を思い描いていた私の先入観を、一気に吹き飛ばす陽光だった。

P3023635

 地下鉄とトラムを乗り継いでホテル近くの停留所に降り立ったが、まだまだチェックインタイムには早すぎる。そこで市庁舎近くのカフェ・スルッカで時間をつぶすことにした。

P3023632

 ウイーンのカフェは伝統を誇る。アインシュペンナーを注文すると、やはりちゃんとスプーン、水の付いたセットで、貫録十分のマダムが運んでくれた。決して広くはないが、朝の新鮮な光の粒子がこぼれる室内に、コーヒーの香りが立ち昇る。なんとも贅沢な時間だ。

P3023691

 ようやくチェックインを済ませ、さっとシャワーを浴びてから中心部の散策に出かけた。王宮近くのコールマルクトを歩いていると、道路左側に変わったデザインの店を見つけた。現代建築のハンス・ホラインが手掛けたものだ。完成当時は蝋燭店だったらしいが、今では高級宝飾店になっている。

P3023718

 彼の作品で最も刺激的なファザードを持つのは、この先のグラーベン通りの宝石店だ。

P3023719

 亀裂の入ったようなショッキングなデザインが、とても面白い。

P3034042

 彼の作品で最も有名なのが、シュテファン大聖堂前のガラスビル「ハースハウス」。「大聖堂前なのに、なんという違和感のある建物か」と論議を呼んだが、今では定着しているようにも思える。

P3023683

 コールマルクトに戻ろう。ここには王室御用達のドルチェの店「デーメル」が店を構える。

P3023685

 ここのショーウインドウは時期に合わせて工夫を凝らすので有名だ。覗いてみると何やら王冠が。

P3023688

 その隣ではダンスをする人形が並んでいた。この日は翌日に控えた王室公認のオペラ座舞踏会に合わせてのショーアップがなされたいたというわけだ。

P3054573

 なお、こことトルテの本家争いをしたことでも有名な「ザッハー」は、オペラ座の裏手に立派な店を構えている。

P3033994

 カフェついでにもう一つのカフェを紹介しよう。「ツェントラル」は、デーメルから200mほど北西側にある宮殿のビルの1階にある。

P3033987

 高い天井と豪華な内装は文学カフェとしての伝統をそのまま残している。入口に座る人形は、常連だった作家ペーター・アルテンベルク。彼は自分の住所を「ウイーン1区 カフェツェントラル」と称していたという。

P30339891

 シュニッツラー、フロイト、亡命中のトロツキーなどもここに出入りしていたという。第二次政界大戦後一時閉鎖されたが1980年代に復活した。こういう場所でゆったりと時間を過ごす贅沢をするというのも、旅の楽しみの一つだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウイーンへ 夜行列車の失敗、ある出会い

P3034030

 先月、ヴェネツィアからウイーン、プラハを巡る旅をした。

2011_0226_023422p2262505

 時折、仮面をつけた旅行者が行き交う。島全体が劇場空間と化したヴェネツィア・サンタルチア駅のプラットホームに立った。カーニヴァルは始まったばかり。未練を引きずりながらも、新たな異国に向けて心を整える。

P3044399

 夜9時にヴェネツィアを出発して翌朝8時30分にウイーンに到着する夜行列車「ドン・ジョヴァンニ号」。いよいよ音楽の都への旅立ちだ。

P3044405

 ゆっくりと国境越えをする旅を味わいたいと思ったのだが、一つの失敗をしてしまった。列車に乗り、座席を探してみると、私の席は3段ベッドの最上段。

P3044408

 昇ってみると肩幅よりわずかに広いだけのスペースしかないうえ、落下防止の柵も何もない。

P3044414

 それで、落ちはしまいかとの恐怖と緊張とで一晩中眠れないという最悪の夜になってしまった。

P3044413

 下段ならゆったりと過ごせたはず。チケット購入時に、座席の確認をしておくべきだった。

P3044406

 朝7時。パンとコーヒーの簡単な食事が提供された。だが、座高分の高さもない上段席ではコーヒーを飲むのもままならない。困っていると、車掌が、たまたま空いた別の場所の下段座席に案内してくれた。

P3044420

 コーヒーを飲んでいると、日本人の女性が通路を通りかかった。何気ない会話から、彼女は日本画を専攻する学生だとわかった。イタリアからオーストリア、チェコを経由してオランダまで行く途中だという。

P3054652

 クリムト、エゴン・シーレの絵の話題などで盛り上がり、ウイーンに着いたことも気付かずに1時間以上も話し込んでしまい、彼女の同僚が迎えに来て初めて「ああ、ウイーンに着いたんだ」と、荷物をまとめにかかった。

P3054584

 進取の気風に富み、気負いもせず、新しいことに軽やかに挑んで行く女性との出会い。

P3044422

 「わが日本でも頼もしい若者が育っているんだな」などと、妙にうれしい気持ちになった、ウイーン初日の朝だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴェネツィアのカーニヴァル2011 イベント編

2011_0226_234259p2263134

 ヴェネツィアのカーニヴァルというとただ仮面の扮装の人たちが街をうろうろするだけ、と思っている方が多いようですが、一応イベントもあります。その代表的なものが「マリエの祝祭(FESTA DELLE MARIE)」。

 これは10世紀の出来事に由来するものです。リド島に嫁入りする花嫁が海上でダマルチアの海賊に襲われ、花嫁と持参品がそっくり奪われてしまった。それに怒ったヴェネツィア市民はその海賊を追跡、見事花嫁と持参品を取り戻した。その勝利を記念して貧しい階層の娘12人に対して富を分け与えた。そのエピソードを基に、毎年カーニヴァルの初日に12人のマリエ(女性たち)がパレードを行います。

2011_0226_231329p2262956

 パレードは島の東端にあるサン・ピエトロ教会から出発します。先頭はブラスバンド。

2011_0226_231444p2262966

 中世の兜を着けた兵士たちが続きます。相当思いそうですよ。

2011_0226_231518p2262973

 その後、マリエたちがゴンドリエーレたちに担がれて行進してきます。

2011_0226_231530p2262975

 それぞれのマリエたちはカーニヴァルの2週間ほど前に選ばれるそうです。

2011_0226_231745p2263020

 この女性は、まるで人形のような顔立ちですね。

2011_0226_231925p2263039

 さらにその後にも中世の衣装の市民たちが並びます。

2011_0226_232723p2263089

 パレードはスキアヴォーニ河岸に差し掛かり、すごい混雑状態の中を行進して行きます。

2011_0226_233836p2263131

 ため息の橋のあたり。もう全く身動きがとれません。

P2273157

 やっとサンマルコ広場に到着して、特設舞台に上がったところです。3年前はこの後いろいろなスペッターコロが展開されたのですが、今年はあまり見るべきものはありませんでした。

P2273419

 こちらは、翌日に行われた「天使の飛行(IL VOLO DELL‘ANGELO)」。高さ約100mの鐘楼から広場に天使が舞い降りるというイベントです。今年は女性がぶら下がっていますね。

P2273434

 おっと、空中に飛び出しました。

P2273444

 どんどん鐘楼から離れて行きます。

P2273451

 かなり地上に近くなりました。若い女性ですね。

P2273463

 見事地上に着地。この女性は去年マリエに選ばれたシルヴィア・ビアンチーニさんでした。

 今年のカーニヴァルはあまりにも人が多すぎて、サンマルコ広場では身動きが出来ないような状態でした。また、イベントも3年前の経験からすると、簡略化されてしまったような感じ。広場周辺は企業広告が景観を損ねてしまっているし、カーニヴァルも曲がり角に来ているように思われました。

 次回からはウイーン編をお届けします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »