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2011年7月

ホテル装飾、カフカの肖像

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  午後は市民会館付近の街歩きを再開した。会館のすぐ裏側に回ると、「ホテル・パジーシュ(パリ)」がある。正面入り口を縁取る装飾は、他に類をみないほどのファンタジックなものだ。まず、色彩の鮮やかさ。青と緑を基調とした配色は、まるで宮殿を飾るようなあでやかさ。よく見ると、これは絵の具で描いたものではなく、モザイクだった。道理でいつまでも退色しないわけだ。

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 広い通りに面した最上階付近の壁には中世の貴族の絵が3枚はめ込まれている(向かって左の建物。絵を狙って摂るのを忘れていました)。こちらの角はすっきりとしたスタイルが心地よい。国の文化財に指定されている建物だ。

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  作家フラバルは自分の小説の中でこのホテルについて「頭からひっくり返るほど美しい」と書いた。

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 すこし東側にある「ホテル・ツェントラル」も、小さいながらピリッとインパクトの効いたビルだ。

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 2階に女性の顔のレリーフがあり、その頭付近から伸びた木の枝が冠になっている。玄関屋根のアーチもしゃれている。

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 入口にはアールヌーボー風の植物の浮き彫りがあしらわれていた。

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 さらに東に進むと、第一次世界大戦の帰還兵のために設立されたチェコスロバキア義勇軍銀行ビルがある。

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 設立の趣旨に沿って彫られたのであろう、2階部分の義勇軍兵士たちの群像が4か所に配置されている。ヤン・シュトゥルサ作。

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 上半身をクローズアップした造形は迫力十分。その上部には兵士たちを暖かく迎える市民たちの模様も。

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 ガスマスクをした兵士の姿もあり、時代を反映したものとなっている。

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 入口もアール・デコ風。といってもどこか土臭さを残しているところがチェコらしい。現在はチェコ商業銀行になっている。

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 もう一か所、「ホテル・オールドタウン」ロビーに入った。このビルにはかつてフランツ・カフカが勤務していたチェコ保険会社が入っていた。つまり、1900年代前半に彼が毎日通っていた場所だ。ロビーにカフカの像が置かれていると聞いていたので、「写真を撮らせてほしい」とフロントにお願いすると、快く承諾してくれた。

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 ロビー奥に、頭だけの小さな像がひっそりと置かれていた。

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 が、その脇から伸びている階段の鉄製手すりが、カフカを包み込むようにしてらせん状に上昇している。そのコラボが、何ともいえぬ調和を感じさせてくれた。

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 礼を言って帰ろうとしたら、フロントの女性が呼び止めた。何かと思ったら、プラハにあるカフカの記念館など、カフカゆかりの場所を記したパンフレットをプレゼントしてくれた。こんな、ちょっとした心遣いに触れると、旅が思い出深いものになって行く。



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キュビズム・黒い聖母の家、現代建築

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 プラハには伝統的な建物だけでなく、世界でも珍しい建築様式のものを目にすることが出来る。例えばこんな超現代的なビル。ダンシングビルと呼ばれる。ダンスをしているような姿に見えることからそう名付けられたそうだが、一見すると、地震で破壊されたようにも見えてしまう。

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 また、世界でもここだけというキュビズムの建築も存在する。20世紀、新しい芸術運動としてブームとなり、絵画の世界ではピカソやブラックなどによって一大センセーションを巻き起こしたが、建築分野でそれが実践されたのはチェコだけだった。代表的なものの一つが市民会館の近くにある黒い聖母の家。ヨゼフ・ゴチャールによって完成したのが1912年、市民会館完成の翌年だ。

 外観はそれほど奇異な感じは受けないが、よく見ると異なった大きな箱を重ねたような造りで、斜めのラインを立体的に組み合わせて独特の姿を形成している。

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 建物の名称は、キュビズムとは無関係で、北側角に飾られている黒い聖母に由来している。

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 この建物で最もインパクトがあるのが、キュビズム博物館になっている上階に昇る階段のフォルムだ。

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 下から見上げると、緩やかな弧を描くような曲線だが、

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 上から見下ろすと、龍が荒々しく体を渦巻状にして迫ってくるかのような迫力が感じられる。

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 そんな変幻自在な形の面白さを堪能することが出来た。

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 一階ではキュビズムの日用品を売っていた。これはコーヒーカップセット。

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 角ばった灰皿。

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 宝石箱。この建物の2階にはグランドカフェ・オルエントというカフェも営業している。

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 とてもわかりやすいキュビズムの建物としては、プラハ南部・ヴィシェフラド地区にあるリプシナ通りの邸宅がある。これも1912-13年の建築。幾何学的構成の具合はこちらの方がよくわかる。

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 ちょうどここに住んでいる人が買い物か何かから帰ってくるところだった。

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 そして、この現代建築。ヴルタヴァ川岸、イラーセク橋のたもとに建つダンシングビルは、1992-96年に保険会社ビルとして造られた。最上階には高級レストランも入っているという。

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 ちょっと川の方を見ていて、こちらに目を戻したら、トラムが通り過ぎようとしており、一瞬この車両がビルにぶつかってゆがんだのでは、という錯覚にとらわれた。建築時にもかなり議論となったようだが、今でも街に完全になじんでいるかどうかは、論議の分かれるところだろう。

 

 こうした近代建築だけでなく、バロック、ゴシックも含めた建築群で埋め尽くされたプラハの街について、プラハ出身の詩人ライナー・マリア・リルケは「建築という巨大な抒情詩の街」と評している。

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プラハのアールヌーボー 市民会館、火薬塔

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 プラハ本駅から市民会館までは10分も歩けば到着する。まず目につくのは装飾に満ちたファザードだ。

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 黄色を基調とした明るい色調が華やかさを演出する。ここは歴代の王が住む宮廷があった場所だが、取り壊された後、1911年に今の市民会館が建造された。歴史的建築物があふれるプラハの街では比較的新しい。ここもオズワルド・ポリーフカとバルシャネークの共同設計によるアールヌーボーの館だ。

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 正面バルコニーの半円形の壁面には「プラハへの敬意」と題されたスラヴの民話がモザイクで描かれた(カレル・シュピテル作)。またアーチ状に「プラハに栄光あれ 時の流れをものともせず すべての紆余曲折に耐えてきたように」とチェコ語で刻まれている。チェコが積み重ねてきた忍耐の歴史を改めて思い浮かべさせるとともに、言葉の民として、言葉で語り継ぐチェコ民族の伝統が、ここにも表れているようだ。

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 このバルコニーの奥が市長室になっており、ムハの作品が飾られているはずだが、ガイドツアーでないと入れず、今回は見送った。

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 各所に配置された彫刻の大半はシャウロンの作。手の込んだ作品に仕上がっている。

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 いくつものカーブの組み合わせが面白い。

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 エントランスで振り返ると、ここにステンドグラスが使われていることに気付いた。

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 正面入り口のドアも魅力的な曲線で構成されている。この時は中でモジリアニ展を開催していたらしく、右下にポスターが見えている。この奥にはスメタナホールがある。有名なプラハの春音楽祭は、スメタナの命日である5月12日に、彼の代表作である「我が祖国」の演奏がここで行われて、祭りの幕が開けられる。

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 少し遅めの昼食は、同会館入り口左側のカフェ「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」という舌をかみそうな名前の店にした。会館内にはいくつものレストランやカフェがあるが、ここが一番リーズナブルな値段だったため。でもアール・ヌーボーの装飾がなされ、ゴージャスな雰囲気。客層も様々な国籍が入り混じって大賑わいだった。

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 また、助かったのは支払いにチェココルナだけではなくてユーロも使えるということだった。チェコ滞在はそれほど長くないので両替は最小限にしていたので、これは有難かった。チェコがEUに加盟したのは2004年だが、通貨は依然としてコルナのまま。まだ当分ユーロになるという見通しはないそうだ。カフェの壁にはこんな女性の浮き彫りも飾ってあった。

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 隣にある黒い建物は1475年完成の火薬塔。かつては城壁を守る門の一つだったが、17世紀に火薬庫として転用され、その名前が残った。市民会館と並ぶと、その年代の差が実感できる。

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 最後に夜景を一枚。後日、夜の街歩きをした時の模様を掲載する際に、改めて紹介しよう。

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プラハ本駅 アールヌーボーの空間

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 少し歩き疲れたので、市民会館までトラムで移動しようと思った。ところが、乗ったトラムの路線番号を確かめなかったため、市民会館とは違う方向に行き、鉄道駅近くに来てしまった。それなら到着日にちゃんと見ていなかったプラハ本駅をゆっくり見ようと下車した。

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 ヨゼフ・ファンタ設計のこの駅舎は、1,2階は近代的に改装されているが、3階は全く趣を異にしたアールヌーボーの丸天井が出迎えてくれる。

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 壁面から飛び出している立体的な彫刻像が。上部に「1918」の数字が見える。この年は第一次世界大戦にハプスブルク帝国が敗戦して帝国が崩壊、それに伴ってチェコの独立が宣言された年だ。

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 このようなムハ風の女性を描いたポスターも展示されてあった。このスペースはカフェになっており、装飾は素晴らしいが、着席する椅子が少なく照明も暗めで、あまり居心地はよさそうに見えない。それでここでのお茶はパスした。

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 すぐ横からプラットホームに出られる。ウイーンやドイツ、ポーランドの都市などほとんどすべての国際電車はここから出発する。屋根付きで哀愁を感じさせる場所だ。

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  外に出て見ると、壁の沢山の顔が並んでいる。これはおとなし目の女性の顔。

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 こちらは憂いを含んだ表情が印象的。

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 かと思えば、こんな怒りの表情をあらわにした像も。

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 2つ上の像とかなり似ているが、微妙に違う。瞑想中といったところかも。

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 事務棟入口にあったのは、上から覆いかぶさるかのように見下ろす女性像2体。

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 この2人もまた、なんとも哲学的な表情で、忘れ難いイメージを見る側に植え付ける像だった。このような群像が、乗降客がほとんど行き来しない駅の裏側部分にあるというのは、もったいない気がする。

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 群像のある壁面の前はこのような自動車道になっていた。さあ、改めて市民会館に向かおう。


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プラハ 壁面装飾の面白さ 国民劇場からナロードニ通り

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 プラハほど街歩きが面白い都市も数少ない。あちこちの街並みは無数の彫刻や装飾で飾られ、それぞれに魅力的な工夫が凝らされている。まずは国民劇場から始まるナロードニ通りからスタートしよう。

 チェコがハプスブルクの支配下にあった時代はドイツ語が公用語として強制されていた。そんな中、自らの言葉を民族の証として大切に思うチェコ人たちは「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」と資金集めを始め、1881年に完成したのが国民劇場だ。それも落成直前に火事で焼け落ちるという不幸に見舞われたが、改めての募金開始と同時に再び寄付が寄せられ、2年後にはちゃんと再建されたという歴史を持つ。ここで上演される劇はすべてチェコ語で行われる、文字通りの「国民劇場」なのだ。

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 日の光を浴びて輝く姿、ライトアップされた姿、いずれも風格を感じさせる。20世紀のチェコを代表する文学者カレル・チャペックはその著書「チェコ巡り」でこう書いている。「プラハには、プラハの美と名誉を抱えた3つのシンボルがある。フラッチャーニの城、旧市街広場、そして国民劇場だ」

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 ここから東に延びるナロードニ通りを進もう。すぐ斜め向かいにあるビルはプラハ保険会社。

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 最上階の窓枠をよく見ると、「PRAHA」という金色の文字で出来ている。

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 2階には踊る女性の躍動的な像があり、

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 全体として、民話をテーマとした壁画が描かれている。建築家オズワルド・ポリーフカの手になるものだ。彼はプラハのアール・ヌーボースタイルを確立した人として知られる。ネオ・バロック、ネオ・ルネサンスなどの様式をも踏まえながら、装飾的要素をふんだんに盛り込んで、プラハの街並みを世界でも稀な華やかな空間に仕立て上げた功績者だ。

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 隣はトピッチ館。ここもポリーフカの作品だ。

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 3階の壁に、向かい合う男性像が見つかる。その上のリング状の装飾も印象的だ。

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 進んで行くと、ユングノヴァ通りとの交差点にキュビズムのアドリア宮殿が建つ。半円や長方形などを組み合わせた幾何学的な立体を強調した壁は、屋上の女神像とともに強烈な存在アピール。P・ヤナークの設計。

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 キュビズムは、ピカソなど絵画の世界では大きな勢力となったが、建築にその姿が残るのはプラハだけだ。

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 入口には3体の像が出迎える。

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 2階窓には映画スターたちの写真に挟まれるようにして女性像が並んでいる(実際は女性像のほうが写真のスターたちよりずっと早くからここにいただろうけどね)。

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 少し東側のヴォデッツオコーヴァ通りに出ると、全体が淡い緑を使った優雅なモザイク画で覆われたビルが現れる。ウ・ノヴァック館。これもポリーフカの建物だ。絵はヤン・プライスレル。

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 入口はこんなしゃれたアール・ヌーボーの意匠とステンドグラス。

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 内部は2つのビルが繋がっており、きれいな商店街になっている。

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 隣のルツェルナ館のパサージュには奇妙な像があった。これは聖ヴァーツラフの像だが、逆さに吊るされた馬に乗っている。政治には常に批判的な目を向けようという意図を込めた現代彫刻なのだそうだ。






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プラハ 旧市街広場の華やかな空間

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 旧市街広場は、プラハの商業地区であるヴルタヴァ川右岸の中心地として発展を続けてきた。その広場へ行こう。

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 プラハ城からカレル橋を渡って続く王の道と呼ばれるカレル通りを進んで行くと、曲がり角の建物の壁にこんな素敵な女性像が飾られていた。

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 さらに進むと、いくつもの建物がくっついたような旧市庁舎が左側に目に入る。この建物は14世紀の建設以来何度も拡張されてきた。

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 第二旧市庁舎、元商人の館、スグラフィット装飾の壁を持つ一分の家など5つの建物の集合体だ。スグラフィットというのはルネサンス期の装飾技法で、まず壁を黒く塗り、ひっかくようにその上に絵を描いて行く技術。ここの壁はその代表的なものの1つだ。プラハではスメタナ博物館の壁にもこの技法で描かれた絵が残っている。

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 旧市庁舎の時計塔の斜め左側に、馬に乗った騎士が描かれたクリーム色の建物がある。石の聖母の家。出版社のビルで、19世紀に改築して聖ヴァーツラフの絵が加わったという。このヴァーツラフは笑顔を浮かべて優しい顔をした若者として描かれている。

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 ここで旧市庁舎の塔に昇って広場を見下ろしてみよう。まず目につくのはティーン教会だ。2本の尖った塔がそびえており、市内の多くの場所から見つけることが出来る。尖塔はそれぞれ8本の小塔を持っている。先端に金色のポールがついていて、ライトアップ時にはそれが光って一層鮮やかになる。高さは80m、中央の三角屋根の部分にはフス派の王イジーの彫像があったのだが、フス派が追放された後はキリストを抱く聖母像に替えられたのだという。

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 お隣のあでやかな建物はゴルツ・キンスキー宮殿。ロココ様式で、赤を使った装飾模様が一際目立っている。今は美術館になっている。右隣のちょっと茶色がかった壁一階最上部の角に何やらぶら下がっているのは、石の鐘で、ここは石の鐘の家と呼ばれる。

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 広場全体を眺めると、中心にヤン・フスの像が建っている。40歳でカレル大学の総長を務めるなど市民の敬愛を集めた人物だ。15世紀、免罪符の乱発などカトリック教会の堕落を激しく糾弾した宗教改革の先駆者。マルチン・ルターの宗教改革よりも1世紀も前のことだった。ローマ教皇から呼び出されて異端尋問に掛けられたが最期まで自説を曲げず、1415年結局火あぶりの刑に処せられてしまった。

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 その後、フスの信奉者たちはフス派を名乗って長い戦いを展開することになる。この像は没後500年を記念して1915年に彫刻家シャウロンによって造られた。碑には「真実を愛し、真実を語り、真実を守れ」と刻まれている。

 フスの名誉回復は実に600年もの時間がかかった。バチカンの時の法王ヨハネ・パウロ2世は1999年、ヤン・フスを火刑にしたことに対して深い哀悼の意を表して、名誉が回復された。

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 広場を囲む建築群はどれもほぼ同じ高さでパステルカラーの華やかな色調で統一され、広場全体が晴れやかな雰囲気に包まれている。

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 広場の北西角にあるのが聖ミクラーシュ教会。バロックの典型といった外観に白壁が映える。

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 中に入ると、ドームの天井と周囲の壁が絵画で埋め尽くされ、広場にも負けない華やかな空間にびっくりさせられる。聖ミクラーシュの生涯が展開されている。内部は決した広くはない。

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 2階の柵の様子が意外に美しく、ちょっと見とれてしまった。

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 天井からつり下がるのは特製のボヘミヤガラスで造られたシャンデリア。一昨年にスペイン・マヨルカ島の大聖堂で見たガウディ作のシャンデリアとよく似た王冠型の豪華なものだ。

 この広場は夜遅くまで にぎわうが、教会のオープン時間は10時から16時までと意外に早いので、のんびりしていると閉館してしまうので要注意だ。

 

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プラハ ストラホフ修道院 街を見下ろす

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 プラハ城の後は北側を通るトラム22番に乗って、ストラホフ修道院に向かった。修道院入口の手前が小さな広場になっており、ここからの眺めが素晴らしい。

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 正面を見ると左手に聖ミクラーシュ教会の鐘楼があり、奥に2つの尖塔を持つティーン教会が見える。そのほかさまざまな塔が林立し、まさに百塔の街のイメージそのままの光景が見渡せる。

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 手前をアップしてみると、カレル橋が。早朝は無人だった場所だが、昼近くのこの時間帯には沢山の人でにぎわっている。

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 広く見渡せば、聖ヴィート大聖堂の塔が空に突き刺さるように伸びている。朝日の昇る時間帯なども素晴らしいだろうと、ここで風景画を売っていたおじさんに「この広場は早朝や夜も開いているのか」と聞いてみた。彼は「いつでも開いているよ」と答えながら、広場入り口のカギを指差した。なるほど、そのカギは壊れており、閉鎖できない状態になっていた。納得。時間があれば来てみようかな。

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 この修道院は図書室の天井画が有名だが、敷地内にいくつもの建物があり、間違って最初に入ったところは美術展示スペースになっていた。よく知らない画家たちばかりだったのでさっと見ただけだったが、ある一室の天井画がとても美しかった。

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 迷ってみるのも意外な発見があって面白い。

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 こちらが図書室。ここも聖ヴィート大聖堂と同じく写真撮影料として50コルナを徴収された。神学の間は白を基調としたバロック装飾。十三万冊の書籍を納めた棚の上に17枚の絵が描かれていた。威圧感がすごくて、ここで本を読む気にななれそうもない。

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 隣の哲学の間は、天井画も華やかだし開放的で落ち着けそう。

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 蔵書で埋め尽くされた書棚と「真の知恵の認識を求める人類の戦い」と題された天井画が配置されている。絵はアントン・マウベルチ。

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 敷地内にはこんな可愛らしい建物もあった。

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 帰りがけ、もう一度プラハの街並みを見下ろしてから、旧市街広場に向かった。

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聖ヴィート大聖堂3 旧王宮 聖イジー教会

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 聖ヴィート大聖堂を含むプラハ城内の施設見学には2つのコースがあり、城内のほぼすべての施設を見られるロングツアーと大聖堂、イジー教会などの選択されたショートツアーに分かれる。私はショートツアーで料金は250コルナ、それに写真撮影が認められるカメラ料50コルナを支払った。

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大聖堂内のバラ窓には天地創造をテーマとした絵が描かれている。

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 主祭壇の奥にあったステンドグラス。こちらも華やかな色遣いだ。

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 ムハ以外のステンドグラスでもかなり完成度の高いものがあった。ただ、ムハ作品を見た直後となると、やはり、、ね。

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 外に出た。外壁に金色に光るモザイク画を見つけた。これは最後の審判の場面だろうか。

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 第3の中庭には、聖ゲオルギウス(聖イジー)の竜退治の騎馬像があった。チェコの人たちはこの聖イジーが好きなようで、あちこちでこの名前を聞いた。

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 プラハ城に入ろう。ここは現在は大統領府として使われている。この玄関のバルコニーではしばしば大統領の演説が行われたりするという。

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 広々とした空間はヴラディスラフホール。高さ13mの天井の梁は、這いまわる植物の茎のような独特な形をしている。16世紀に完成し、戴冠式などの公式行事が行われてきた。1989年、ビロード革命によって大統領に就任したヴァーツラフ・ハヴェル大統領も、ここで就任式を行った。

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 その奥には万聖人礼拝堂があった。

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 一旦外に出ると、東方向、イジー広場の先に聖イジー教会が現れる。よく見ると、2本の白い塔のうち向かって右側が微妙に太く左側が細いことが分かる。こげ茶色のファザードが特徴的だ。

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 920年完成と、城内でも一番古い建物。内部にはグラチスラフ1世の墓がある。

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 脇にあった控えめな祭壇。

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 アーチ状の天井と壁に、聖リュドミラの生涯を描いたフレスコ画がある聖リュドミラ礼拝堂が、なかなか美しかった。

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 イジー広場に戻ると、聖ヴィート大聖堂の巨大な後ろ姿が正面に見えた。ゴシック特有のフライングバットレスが張り出す豪快な姿は、パリのノートルダム大聖堂を連想させる雄大なものだった。

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聖ヴィート大聖堂 2  ムハのステンドグラス 圧倒的な感動

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 この大聖堂で、思わず呼吸することも忘れて立ち止まってしまった場所がある。ムハのステンドグラスだ。(彼はフランスで名声を勝ち得たことでフランス語読みの「ミュシャ」が一般的な呼び方だが、チェコ語ではムハと発音する)。

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 全体は青を基調としながら、中央部分に暖色系の色彩を使って、色のバランスも素晴らしい。またそれぞれの人物の表情は、達人ならではの深い描写がなされていた。

 主テーマは聖キリルと聖メトディウスの物語。36枚のパネルにムハの精魂込めた絵画が展開されている。少し細かく見て行こう。

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 最上部にはキリストの像。両手を広げ、慈悲深く世界を見守る。

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 その下には女神か天使か、3人の女性らしき姿が。

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 中でも青色に包まれたこの少女の射抜くような視線が印象的だ。

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 そのまま中央部分の絵を上から下に進むと、向かって右の王冠のような帽子をかぶったメトディウスと左の修道服姿のキリウスが布教をしている場面が現れる。2人はギリシャ生まれの兄弟で、860年代に聖書のスラヴ語訳を完成させ、モラヴィア地方にキリスト教を伝えた人物。カレル橋にも像があり、新市街地には2人の名前を冠した教会が建てられている。この教会に関しては歴史的な事件があるが、それは改めて後日に。

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 下に進むと、チェコの守護聖人である聖ヴァーツラフの少年時代の姿が描かれている。横で手を広げるのは祖母の聖ルドミラ。このヴァーツラフは、ムハの息子イジーがモデルだといわれている。このステンドグラスを見たのは東日本大震災前だったが、震災後に改めて見直していると、無心に祈りを捧げる少年ヴァーツラフに、より強い感動を覚えてしまう。

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 中央部分の一番下には、チェコの民族衣装を着た女性2人。ムハはパリから祖国チェコに帰った後、民族的なテーマに沿った数々の作品を残した。民族の自由の擁護者だった彼はナチスのチェコ侵略後厳しい尋問を受け、その直後に衰弱死してしまった。そんな背景を抜きにしても、女性たちは何と心の奥まで沁みとおるような深い表情なのだろうか。

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 次に両サイドの物語を見て行こう。聖キリルと聖メトディウスの生涯を描いている。左側の一番上は、2人が東ローマ皇帝からモラビアに派遣されてキリスト教の布教を進めている所。そして聖書のスラヴ語訳に打ち込んでいる様子だ。

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 867年、2人はローマに来て、教皇ハドリアヌス2世と謁見した。モラビアでの活動を報告したが、一部の嫉妬深い聖職者から執拗な反対にもあった。

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 最終的には活動が認められ司教に任じられた。そんな中、キリルは病に倒れ、42歳で命を落としてしまう。

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 右サイドに移る。メトディウスはモラビアに戻り、再び布教に専念した。

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 メトディウスは礼拝でのスラヴ語使用を擁護しボヘミア公爵までもキリスト教に改宗させた。そんな功績を讃えて、教皇は彼を大司教に任命する。

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 大きな足跡を残してメトディウスはボヘミアに戻り、惜しまれながらその地で眠りについた。

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 こうしたドラマチックな生涯を描いたこのステンドグラスは、1931年にチェコのスラヴィア銀行からの資金援助を受けて製作された。

 ムハはパリ時代に、ひょんなことから当時のトップ女優サラ・ベルナールのポスター「ジズモンド」を手掛けたことで一躍評判をとり、アールヌーボーの旗手となったが、後年は母国でチェコをテーマとした作品に没頭した。このステンドグラスもその一環だ。ここに掲載した少女の表情も、長年他民族の支配下となりながら、不屈の精神でそのアイディティンティと魂とを持続させ続けた民族の誇りを表現しているように見えた。

 後年の代表作の1つである「スラヴ叙事詩」は昨年までブルノ近郊の町モラフスキークロムロフ城で展示されていたが、プラハ市に返還された。だが、どこで展示されるかは春の時点では決まっていなかった。

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