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ヴァーツラフ広場 プラハの春と崩壊、ビロード革命

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 今日は8月20日。43年前のこの日、世界の歴史に刻まれる、ある事件が起きた。その現場はプラハ・ヴァーツラフ広場。

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 ヴァーツラフ広場は、華やかな演劇の舞台のように目の前に広がっていた。

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 両側に建ち並ぶ宮殿とみまごう建築群に挟まれた縦長の広場は、750mの先に国立博物館が偉容を見せる。1348年に造られたこの広場は、チェコを揺るがす様々な歴史的事件を見つめてきた。

 1968年、共産主義時代のチェコで民主的改革を唱えたドプチェク政権は、検閲廃止、集合・結社の自由など人間の顔をした社会主義を進めようとした。しかし、これをソ連への反抗とみなしたワルシャワ条約機構軍は、このヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、チェコ全土を制圧した。「プラハの春」がもろくも崩壊した瞬間だ。そのソ連侵攻が43年前の8月20日だった。P3075114


 その時、市民たちは非武装での抵抗を続けたが、圧倒的な武力の前には空しかった。ただ、チェコ人が言葉の民であることを象徴するこんなエピソードがある。侵攻に対して、市民たちの抵抗は戦車の兵士たちに語りかけることで説得を試みた。そんな中、「反革命分子の一斉摘発」(ソ連の意向に反する人間狩り)の情報が流れると、一夜にして街路名、番地、アパート名などの標識や文字が一斉に撤去された。地理に疎い外国人たちの摘発を極力遅らせるための非暴力の抵抗だ。そして、この広場への「自動車進入禁止」の標識が「戦車侵入禁止」に替えられ、残った標識は「モスクワへ1800キロ」だけだったという。したたかな国民性を表わす話だ。

 こうした記録は、先日まで恵比寿の東京都写真美術館で開かれていたジョセフ・クーデルカの写真展「INVASION PRAGUE 68」でも見ることが出来た。

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 広場の一角に小さな碑が作られている。武力侵攻に抗議して焼身自殺した若者の記念碑だ。

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 青年の名前は大学生ヤン・パラフとヤン・ザイーツの二人だ。パラフは遺書に「絶望の8月を忘れるな」と書いた。

 また、ドプチェクを始めとした改革派は大使から医師まで公職追放され、掃除人夫に身をやつした。その当時の様子を克明に描いたのがミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」だ。これはフィリッピカウフマン監督によって映画化されたが、当時のヴァーツラフ広場の実写が使われている。

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 不屈の精神は脈々と受け継がれ、1989年11月には、一滴の血も流さないビロード革命によって共産主義政権は崩壊、この広場を30万人の市民が埋めつくした。この像は聖ヴァーツラフ。

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 その市民たちの前で、新大統領に就任することになるヴァーツラフ・ハヴェルが高らかに勝利を宣言した。ハヴェルは軍人でも政治家でさえなく、当時は劇作家だった。

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 そんな広場で一際目につくのが、ホテル・エウローパ。

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 屋上部分には浮かぶように立つ女性たちの像、半円形に仕切られたスペースにはHOTELの文字が入り、至る所にアールヌーヴォーの装飾が施されている。

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 繋がっているHOTEL MERANの壁面にも天国の自然を表現したという優雅な装飾が広がる。ちょうど陽を浴びる時間帯だったので鮮明な姿を見ることが出来た。

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 その少し南にある「ペテルカ館」は、建築家ヤン・コチュラの最初の本格作品だ。プラハのアール・ヌーヴォーの中でも指折りの名建築。

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 最上階の窓に素晴らしい群像が据えられ、その下の階の彫刻と共に劇的空間を見事に演出している。コチュラは次第に合理主義建築に移行して行くが、この建物は装飾的要素を盛り込んで、初期の傑作として評価されている。今はこのビルにH&Mの店が入っていた。

 そんな訳で、ヴァーツラフ広場は今、市民たちの集いの場になっている。

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コメント

私は観光旅行ですら訪れたことはないのですが、その場所の歴史を予習していくと、見え方が全く違ってくるとよくわかりました。地理や文化、服装なども勉強してみたくなります。

投稿: Lisa | 2011年8月20日 (土) 23時17分

Lisa様

 コメント有難うございます。そうですね、行く場所の歴史を少しでも知ると、また興味が深まり、その土地への愛着も湧いてきますし、住む人への関心も出てきたりしますよね。もちろんにわか勉強の部分も多いのですが、旅を何倍にも楽しめる要素になると思いますよ。

投稿: gloriosa | 2011年8月21日 (日) 11時19分

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