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2011年9月

ヴェネツィア散歩  やっぱりゴンドラ

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 前回に引き続いてヴェネツィアを歩きます。今回はゴンドラのある風景を追いかけてみました。

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 最初はサンマルコ小広場から。午前の明るい日差しの中、ゴンドラがラグーナを行き交います。

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 リアルト橋付近で、4艘のゴンドラが一列に並んでいるのを見つけました。こんな形に横一線に並ぶのはあまり見たことがありませんでした。

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 前方の建築群も美しく、つい何枚も写真を撮ってしまいます。

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 夕方、カフェから出てリアルト橋の上に来ました。ちょうど夕陽が沈み始める時間帯。ゴンドラの船体側面が黄金色に輝いています。

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 そんな中を、中世の衣装を着た家族が通って行きます。これが全く違和感がないのがすごい。

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 夕焼けが水面に反射して、幻想的な舞台を演出してくれます。

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 なかには、こんなイケメンのゴンドリエーレも。ファッションが決まっていますね。

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 夕陽が沈んだ直後の方が水面は赤く染まります。

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 すっかり日の沈んだリアルト橋周辺。このころには橋の上にも人が減り、ゆっくり夜の風景を見ることが出来ました。

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 少し時間は溯って、サンマルコ広場前のゴンドラ。こうしたアングルの光景はバポレットに乗らないと巡り合えません。

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 税関の上にある女神像は、すっかりオレンジのヴェールに包まれてしまいました。

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 カナルグランデを行くゴンドラは、ぴったりとヴェネツィアの風景に溶け込んでいます。

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 最後の2枚は、ちょっと変わったゴンドラ。カーニバルの期間中に行われた仮装レガッタ。その練習中のゴンドラと出会いました。衣装がとてもカラフル。

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 中には日本風な衣装の2人組も。いかにも着なれていないといった感じですね。こんな不思議な場面にも出会うことがあります。

 来週、ちょっとフランスに行ってきます。それで今月いっぱいはブログ更新をお休みします。また来月早々には再開しますので、少々お待ち下さい。

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夜明け前のヴェネツィア サンマルコ、カンナレージョ、ドルソドーロ

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 「イタリアの誘惑」というタイトルなのに、随分長い間イタリアから離れて別の国に行っていました。久しぶりにヴェネツィアに戻って、また本島の夜明けを歩いてみましょう。

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 まだ春浅いある日、晴れそうな予感に誘われてサンマルコ広場に出かけました。日の出にはまだ早く、広場の街灯がその光の強さを誇るように輝いています。ここの街灯のランプを支えるカーブが魅力的で、いつもシャッターを押してしまいます。

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 ゴンドラは、昼の大活躍とは対照的に、まだ深い眠りについているようです。その向こうに見えるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は、アンドレオ・パラーディオの傑作。この教会がなかったら、広場からの景観度は何十パーセントもダウンしてしまうと思います。

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 ようやく日の出が近づきました。東の空が赤く色づき、サンマルコ広場も眠りを覚まします。

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 広場の街灯が消えるほんの少し前のショットです。

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 別の日にはサンマルコとは反対側、本島北の端にあるカンナレージョ地区の行きました。フォンダメンタ・ヌオーヴォの海岸から対岸にあるサン・ミケーレ島を正面に臨む場所で、夜明けを待ちました。島の東端から色づいてきます。

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 サン・ミケーレ島の東方にはラグーナが広がっています。

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 サン・ミケーレ島の昼の風景。ここはお墓だけの島で、なかなか見ることのできない不思議な光景があります。この日は、まるで画家が空に向かって絵筆をさっと一振りしたかのような薄い雲がかかっています。

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 海岸から歩いて数分のところにサンティ・ジョヴァンンイ・エ・パウロ教会があります。本島の中でも1~2を争うくらいの大きな教会。その広場に据えられたバルトロメオ・コッレオーニの騎馬像が夜明けの空に飛び上がるかのよう。

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 すぐ脇の市立病院とのコラボレーションもなかなかに美しかった。

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 そして、また別の日の、アカデミア橋からの夜明け前。

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 この日は晴れそうもないような雲行きでした。

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 でも、そのせいか一層濃いブルーが運河やサルーテ教会の周囲を包み込んでいました。

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 それもまた、ヴェネツィアの別の顔。

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チェコ最後の夕、そして旅立ちの朝

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 カレル橋を渡り切ったとき、チェコ初日に見た勝利の女神・ニケ像にもう一度会いたくなってルドルフィルムのある広場に向かった。

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 19世紀後半に出来た比較的新しい建物だが、ルネサンス様式を踏まえており、周囲にもしっかりなじんでいる。この玄関の両側にニケは建っている。

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 その像越しに西を見ると、遠くに聖ミクラーシュ教会の塔が見えた。

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 教会のクーポラ、鐘楼などを浮かび上がらせて、夕陽が静かに沈んで行こうとしている。

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 ルドルフィヌムの玄関前に座って、しばらくはその光景を眺めていた。そのうち、無意識に「遠き 山に 日は落ちて・・・」という歌詞が浮かんできた。まさにドヴォルザーク(ドヴォジャーク)の交響曲「新世界より」のイメージにぴったりの瞬間だった。

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 それもそのはず、目の前にはドヴォジャークの肖像が建っている。ここはドヴォジャークホールのある音楽堂なのだから。

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 日が沈み、ミクラーシュ教会の背景の空も柔らかいピンク色に変わって行く。

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 聖ヴィート大聖堂もゆっくりと夕闇に溶けだした。

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 次第にブルーの世界が支配し始める。カレル橋に戻りながら、川のさざ波に合わせて、今度はスメタナの交響詩「我が祖国」のメロディを口ずさんだ。

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 暮れなずむプラハをゆっくりと歩きながら、ここで出会ったさまざまな歴史の痕跡やたくましく生きる人たちを、思い出していた。

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 そして旅立ちの朝、荷物をまとめてちょっとだけカレル橋に出向いた。初めは曇り空だったが、見る間に雲が途切れて行く。

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 その後に、ふんわりとピンクの明かりが広がった。

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 今日もプラハはさわやかな朝を迎える。滞在中見事に予想を裏切って暖かい日差しを注ぎ続けてくれた“プラハの春”に、心からの感謝を込めて、覚えたてのチェコ語を呟いてみた。「ジェクユ ヴァーム(ありがとう)」。

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 カレル橋の入り口・クレメンティヌムの屋上にある彫像たちの姿は、赤みを帯びた東の空を背景に、神々が楽しい語らいをする光景のように見えた。

 さようならチェコ、またいつか来る日まで。

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スメタナ博物館、カレル橋の石像

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 明日は帰国という日の午後、もう一度プラハの風景を目に焼きつけておきたいと、街歩きに出かけた。

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 春の陽光の中で清らかに輝き

 明るく 音高く 厳かに まろやかで 楚々とした 

 あの青春の乙女のような姿を

 または 黄昏時のプラハへ注ぎこむ 限りなく明るく 誇らしげなプラハの

 灯を映して 繻子のような ブロケード織りのような 

 燃えるような輝きを見せるその姿を

 すべての景観をしのぐ景観 美の中の美 プラハの空や宮殿 庭園

 この地の美しい景観のすべてを伴った 

 プラハ全体の中でも最高の魅力を

    カレル・チャペックは彼の著書の中で、ヴルタヴァ川をこのように記している。

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 スタートはやはりヴルタヴァ川岸。カレル橋のたもとには大きなスメタナの像のあるスメタナ博物館がある。

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 1863年から6年間、実際に彼が住んでいた建物だ。壁面にはスグフラットの装飾が施されている。

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 高台に上り、カレル橋を見下ろす。この写真では橋の中央付近の奥の建物がスメタナ博物館だ。

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 俯瞰すると沢山の橋が見える。手前のカレル橋から、チェコ軍団橋、イラーセク橋、パラツキー橋と続いている。

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 旧市街地側の橋塔がそびえる。結局この塔には上らないでしまった。



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 丘を下ってマラーストラナ側のカフカ記念館横から川岸に出た。今度はカレル橋を見上げる感じだ。

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 橋の上には30体の石像が並ぶ。この写真は、手前が聖ノルベルト、ヴァーツラフ、ジギスムント像、奥が聖ボルジャ・フランシスコ像。双方が何か話し合っているような和やかな風景に見えてしまう。

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 こちらは手前が聖ヤン・ナポムツキー像、奥が聖ルドミラとヴァーツラフ像。ネポムツキー像は一番人気。唯一のブロンズ像になっている。

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 カレル橋に入った。とても美しいポーズをとっている聖ヴィート・ヴィトウス像。

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 このように似顔絵や音楽の演奏など商売も盛んで、いつもにぎわっている。

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 聖フランシスコ・ザビエル像がこれ。夜明けの撮影時にはこの像の付近に居た時間が最も長かった。お世話になりました、ザビエルさん。

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 橋の上の像の中でも最も美しい表情をしていた聖アンナ、聖母とみどり児像。

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 一番旧市街側に建つブロンズの十字架像。この橋が出来た当時は橋の上で公開処刑が行われた。罪人はこの十字架に最期の祈りを捧げてこの世を去って行った。 つまり、以前はこの橋もかなり血なまぐさい場所だったわけだ。




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聖キリルと聖メトディウス教会 ナチの虐殺

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 ヴルタヴァ川に架かるカレル橋にある彫像の一つに、聖キリルと聖メトディウス像がある。スラヴ語訳の聖書を完成させ、キリスト教をモラヴィア地方に広めた功績者で、聖ヴィート教会のムハのステンドグラスにも描かれている。

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 その2人を祀った教会が、現代建築の典型ともいえるダンシングビル近くの坂道にひっそりと建っている。

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 道路沿いの壁を見ると、いくつもの砲弾の跡が残り、その上方に弔いの銘板が据えてあった。

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 一見すると、特にどうということもない普通の教会。だが、この教会は約70年前のある事件の現場として脚光を浴びることとなった。

 1939年、第二次世界大戦の最中、ナチスドイツがチェコに侵攻、支配下に置いた。ヒトラーは金髪の野獣と呼ばれるラインハルト・ハイドリッヒを副総督としてチェコに送り込む。彼は即、戒厳令を出してチェコ首相を死刑にするとともに圧政を敷いた。

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 これに対して、チェコの亡命政府は7人の特攻兵を送りこんで、ハイドリッヒの暗殺を実行した。1942年の6月10日のことだった。

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 7人は、この教会の地下に隠れた。しかし、ナチの追及は苛烈を極めた。

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 ついに6月18日、800人ものナチ部隊がこの地下に突入し、7人全員が惨殺される結果となった。

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 ナチの“復讐”はそれだけでは終わらなかった。彼らをかくまった教会修道士やユダヤ人らを殺害したうえ、実行者の出身地であるリディツェ村など5つの村を襲い、成人男子全員を射殺、女子供は強制収容所に送ってしまう。総勢1万3千人の虐殺劇だった。 その犠牲者たちの名前が教会前の小さな広場の碑に刻まれている。

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 地下の現場には7人の像や写真などが公開されていた。

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 中には当時の新聞なども掲示されており、アメリカ海軍長官F・D・ノックスの言葉も掲載されていた。彼は「我々の子供たちが私たちに、なぜこの戦争を遂行したかを問うたならば、我々はリディツェ村の物語を、彼らに語ることになるだろう」と話している。

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 訪れる人は少なかったが、たまたま一緒になった家族は、関係者なのだろうか、地下室で長い長い黙とうを捧げていた。

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 この事件は後に「暗殺」「暁の7人」などの映画にもなったが、私はこの旅の準備中に初めて知った。日本ではあまり知られていないことではないだろうか。

 ナチの狂気が吹き荒れた時代から約70年の歳月が経過しても、この地下室には、まだ濃密な憎悪の匂いが立ち込めていた。

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