海底の青のきらめき シャガールのステンドグラス
ランス大聖堂の最も奥まった東端の壁に、3枚のステンドグラスが掲げられている。 西正面を入った時、138・7mの距離を隔ててうっすらと青い光が網膜に届いていたはずだが、空間の巨大さに圧倒されて、その青い光の源が何であるかなどという思いには至らなかった。
いくつもの礼拝堂、彫像を通り過ぎてそのステンドグラスにたどり着いた時、それまで感じていた中世の感覚とは全く違った、懐かしい優しさに包まれている自分に気付いた。それが、シャガールのステンドグラスだった。
ベースは青。というより藍に近い。海の底から水面を見上げた時に見えるであろう、濃いけれども決して暗くはない、キラキラした青。
このステンドグラスを製作したのは、1973~74年にかけて。シャガールは80代半ばだった。ちょうどその10年ほど前、アンドレ・マルローからの依頼でパリ・オペラ座(パレ・ガルニエ)天井画を手掛け、その頃から油絵以外の壁画、ステンドグラスなどの新しい作品分野への進出を始めていた。
この大聖堂に描かれた基本テーマは聖書の物語。これはキリスト磔刑図だ。
こちらは聖母子の姿をクールな色彩で表現している。
ただ、ここの土地に関連した題材も織り込まれており、この右下の場面はクローヴィスのキリスト教改宗・洗礼を描いているようだ。
ステンドグラスはまさにガラス工芸なので、専門のガラス職人が必要になる。そんなパートナーとしてコンビを組んだのがシャルル・マルクという熟練の職人だ。シャガールのフルネームはマルク・シャガール。彼はシャルルのことを「もう一人のマルク」と親しみを込めて呼んでいたという。
この作品の製作時期に住んでいたのは南仏・ニースの近くサン・ポール・ド・ヴァンスという小さな村だった。1985年、97歳で亡くなった場所もその地。数年前そこを訪れた時、小さな発見があった。
シャガールの墓を探して、丘の上にある村を歩いていたら、麓の方から子供たちの歓声が聞こえてきた。ちょうど放課後で小学生たちが学校の校庭に出ていた時間帯だった。「シャガールの墓はどこにあるか知ってるかい?」子供たちは、墓は知らないが、シャガールの絵ならいつも見ているよ、と言う。
どういうことかと思ったら、実はこの学校の玄関にシャガールの壁画が置かれていたのだ。自らの終の棲家と定めてこの地に住んだシャガールが、この地とここの人たちをいかに愛していたかを容易に知らしめる壁画の存在だった。
シャガールは語っている
「芸術が伝えるべきものは、愛である」
また、ランスはシャンパーニャ地方の中心都市だ。その名の通り、シャンパン製造の中心地となっており、あのドンペリのメーカーのワインセラーも近い。その歴史を伝えるステンドグラスもあった。これはブドウの収穫が描かれている。
こちらにはシャンパン造りの工程が。とても楽しい図柄になっている。
さらに今年6月、創建800年記念としてシャガールの両側に新しいステンドグラスが取り付けられた。ドイツ人アーチスト、イミ・クネーベルの作品で、青・黄・赤の3色をベースにした抽象画だ。個人的にはあまり調和していないように感じられた。パリ在住のジャーナリストの友人によれば、このステンドグラス設置の是非について論議を呼んでいるとのことだった。
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コメント
シャガールの青のステンドグラスはかなり幻想的ですね。この様なステンドグラスは見た事がありません。このHPで初めて知りました。シャンパン製造の工程を描いたものといい、最後にあった抽象画を描いたものといい、今までのステンドグラスとは趣が違いますね。ミラノのデュオモとは違った魅力があります。
パリからランスまでTGVに乗ってでも出かける価値はありそうです。
投稿: おざきとしふみ | 2011年10月26日 (水) 21時15分
おざき様
ゴシックの大聖堂はヨーロッパ各地にありますが、ランスの大聖堂はこのステンドグラスも含めて独特の魅力にあふれています。機会があれば是非足を延ばしてみてください。
投稿: gloriosa | 2011年10月26日 (水) 22時08分