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2011年11月

パリに光と風を!  オペラ・ガルニエとオスマン大改造

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 今回はパリ・オペラ座、オペラ・ガルニエの紹介ですが、その前に当時の時代背景を振り返ってみましょう。

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 19世紀半ばのパリは、今では想像もできないくらいの不衛生な街だった。セーヌ川に汚物が流され、生ゴミも通りに溢れた。日当たりは悪く、中には街中で豚を放し飼いにしているところさえあって、コレラなどの疫病が蔓延するという惨状だった。

 こうした状態を見かねたセーヌ県知事オスマンは、ナポレオン3世の同意を得て大規模な都市再開発に乗り出す。そのテーマは「パリに光と風を」。無計画に建てられていた住宅の区画整理をして中心部に幹線道路と広場を造る。上下水道を整備し、衛生状態を改善する。建物の高さを一定に保ち、景観を一新する。--こうした改造によって、今の凱旋門からの12本の大通りや主要建築物の更新がなされた。

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 中でも、中心となる広場の核として計画されたのが文化の殿堂・オペラ座だった。1860年のコンペで選ばれたのが、当時35歳のシャルル・ガルニエ。斬新な建築物が着工された。しかし普仏戦争の勃発や資金難などに見舞われ、完成・開場したのは15年後の1875年。すでにその年には、発注者のナポレオン3世はこの世にはいなくなっていた。

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 それでは正面から見て行きましょう。屋根の上にある金色の像は「ハーモニー」の寓意像。その上に見えるのが、竪琴を捧げる音楽の神アポロンです。

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 正面ファザードにもう少し近寄って見ると、7人の人物が並んでいます。この写真だと左がベートーヴェン、右がモーツアルト。つまり偉大な音楽家たちの像です。意外にこの人物群には気付かないのですが、こんな場所での小さな発見もうれしいものです。

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 さあ、中に入りましょう。自由見学は9ユーロで、午前10時から午後5時まで開放されています。入ってすぐに圧倒されるのが、大階段。白い大理石で造られた階段は、一瞬自分が劇の主人公になったかのような高揚感を味わえます。

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 中央階段を上って行くと、光のブーケを持った2体の女性像が出迎えてくれます。

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 広々と開かれた大階段は見事。モーパッサンは、ガラ公演の夜を次のように描写しています。「有名な大階段一杯に妖精の世界が立ち上る。王女のような着飾った婦人たちの列が絶え間なく続き、その首と耳にはダイヤモンドが光を放ち、長いドレスのすそが階段をなめて行く」。

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 天窓の周りには音楽の寓意画が描かれ、ロウソクの光が全体を柔らかく照らしています。

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 正面玄関側の2階にあるのがホワイエと呼ばれる大広間です。壁には金箔が張られ、10個のシャンデリアが広間全体に吊り下げられたネオバロック様式で床もピカピカ。この豪華さはヴェルサイユ宮殿の鏡の間よりも凄いくらいです。

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 天井画は音楽の神アポロンと学芸の神ミューズたちが舞い踊っています。

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 シャンデリアと天井画のコラボに加えて、双子柱がさらに立体感を増す効果を出しています。

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 朝10時のオープンと同時に入館したせいか見学者はそれほど多くなく、ゆったりと豪華さを堪能できました。

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 このホワイエの横にあるベランダに出るとこのようにオペラ広場が真下に見えます。パリ大改造によって造られた、光と風が存分に行きわたる空間です。

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 ファザードの向かって右側にあるガルボーの群像彫刻「ダンス」。今は実物はオルセー美術館に納められ、ここにあるのはレプリカです。

次回は自由見学の目玉シャガールの天井画を見て見ましょう。

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パリ最大のデパート、ギャラリー・ラファイエットから街を見る

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 パリ中心部で、無料で街を見下ろせる場所が、もう一つあります。それがギャラリー・ラファイエットの屋上。買い物は後にしてまずは身軽な時に屋上まで上がりましょう。そこではこんなサクレクール寺院の偉容を間近に見ることが出来ます。ただ、この教会は北側にあるので、南側と違って別のビルが近くにあり、ビルとビルとの隙間から見る形になります。

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 南側のすぐ前には、オペラ・ガルニエ、つまりオペラ座があります。正面側ではわからないこんな屋根の姿が見られます。

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 その横にあるクーポラもすぐ目の前。

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 ちょっと先にはエッフェル塔がそびえています。やはりどこから見てもこれが一番目立ちますね。

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 と、そんなパリらしい風景をバックに、若いカップルは楽しげな語らいの最中です。

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 右手の金ぴかのドームはアンヴァリッドでしょうか。

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 頭を半分だけ出しているのが凱旋門。

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 あれでは欲求不満になるでしょうから、凱旋門の正面からの写真もご覧いただきます。コンコルド広場からの景色です。この通りも、今年はおととい、11月23日に年末用のイルミネーションが始まったようですね。

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 室内に戻って、ラファイエット名物のガラス天井をどうぞ。デパートの屋上とは思えませんね。

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 売り場の中心にある吹き抜け部分は、まるで歌劇場の観客席のように華麗な設計です。

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 1階部分にはディオール、シャネルなど一流ブランドの店がずらりと並んでいます。でも、私には縁遠い場所です。

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 毎週金曜日にはミニファッションショーが開かれます。ちょうど金曜日で、ちょっと覗いてみました。さすが、パリのモデルさんは美人です。

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 ただ、ちゃんと見るためには事前予約が必要です。

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 本店の前の通り。毎日10万人もの買い物客が出入りする老舗デパートは店舗自体がエンターテインメントの要素をしっかり持っていました。

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エッフェル塔と日没、アラブ世界研究所屋上から見たノートルダム

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 前回に続いて、モンパルナスタワーの屋上からパリの夕暮れを見ています。19世紀は産業革命の時代。7300トンの鋼鉄を使ったエッフェル塔は1889年に完成しましたが、まさにその時代を象徴する建造物でした。そして、今も光の都パリを象徴する輝きを発していました。

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 その前の時間帯。西の地平に太陽が沈んで行きます。この日の日没は午後7時37分。こんな光景はちょっと珍しいかも。

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 エッフェル塔は次第に空の茜色に包まれてきました。

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 ライトアップが始まりました。まだ周囲が薄明るいので、ライティングは目立ちません。

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 完全に日が沈みきって、ようやくエッフェル塔が浮かび上がります。

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 午後8時になり、日没後の毎正時に5分間だけ行われるフラッシュライトがキラキラ輝きました。

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 翌日、ポンピドーセンターの近くにあるアラブ世界研究所に出かけました。アラブ問題に関心があるわけではなく、ここの屋上から街を眺めるためです。10階建てのビルは、セーヌ河岸に総ガラス張りのモダンな姿で迎えてくれました。

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 壁面を見ると、全体に丸窓が付いており、それが開いたり閉じたりしています。実は裏側に光電管が取り付けられており、直接日光が当たったところはカメラの絞りのように窓が閉じられ、影になったところは開きます。つまり、人間の瞳と同じような働きをして、室内の光量を一定の保つという、画期的なビルになっています。

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 これが、裏側から見たところ。光とのやり取りを差して付けられたニックネームは「対話するビル」です。

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 その10階にはエレベーターで上ります。モンパルナスタワーと比べるとさすがに高くはありませんが、セーヌ川を間近に見下ろせる楽しい空間です。ここの良いところは研究所が開いている時間帯なら無料で自由に上れることです。しかも、エレベーターに入る時も職員が愛想よく挨拶してくれました。

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 ここの1番の見どころは、何といってもノートルダム大聖堂。正面からの優雅な姿とは全く違った、裏側の豪快なフライングバットレスの全容を見ることが出来ます。

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 ゴシックの大聖堂と、それ以前のロマネスク式の教会建築との決定的な違いは、内部空間の広さと明るさにあります。ロマネスクだと、建物の重量を支えるための厚く頑丈な壁が必要になり、大きな窓も造れず高さも制限されていました。

 しかしゴシックでは、その重さを支える支柱を外に出してしまいました。その支柱が円を描くようにガーブするフライングバットレスです。

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 これによって、壁は薄く出来る上に、イラストを描いた大きな窓も造ることが出来ました。ステンドグラスの誕生です。こうして大聖堂の室内は光の空間に変化して行きました。ノートルダム大聖堂のフライングバットレスも見事ですね。

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パリを見下ろす モンパルナスタワーから見る市街

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 街を知るには高いところから見晴らすのが一番。それでモンパルナスタワーに昇ってパリの街を見下ろしてみた。このタワーは56階まではエレベーターですっと上がれ、そのさらに上の59階までは歩いて上れる。ここまで来ると高さ210m。パリ市内では最も高いビルです。従って324mのエッフェル塔もそれほど高く感じません。

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 タワーは南に位置しているので、ここから見下ろすと、パリのおもな名所はだいたい北から西にかけて見つけることが出来ます。北側から見て行きましょう。まずはノートルダム大聖堂。パリ発祥の地シテ島に建っています。1163年着工の、初期ゴシックの代表的建築物です。

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 まるで建築途中のような大胆なデザインの建物が、ポンピドー芸術文化センター。コンペで、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの2人の建築家が選ばれ、1977年に完成しました。20世紀芸術の殿堂となった国立近代美術館が入っています。

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 手前の大きな教会はサン・シュルピス教会。この教会は知りませんでしたが、上から見るとノートルダム大聖堂にも負けないくらいのスケールを誇っています。大ベストセラー「ダヴィンチ・コード」では、この教会に聖杯のありかを示すキーストーンが隠されていることになっており、本のファンが近年多数訪れているそうです。教会では小説の中身は事実無根としているとか。

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 タワーのほぼ真下くらいに見える緑地がモンパルナス墓地。サルトルとボーボワール、モーパッサン、ボードレールなど著名人の墓がいろいろあります。

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 ぽっかりと北に向けて深い溝のように通っている道がレンヌ通り。前回紹介した路線バス95番はここを通ってルーブルに向かいます。通り突き当たり右側の塔はサン・ジェルマン・デ・プレ教会。パリでは珍しいロマネスク様式です。

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 そのずっと奥(北側)にあるのがサクレ・クール教会。独特の姿はビザンチン様式です。でも、完成は1919年とかなり新しい。

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 少し西側に目を移すと、コンコルド広場が手前に見えます。エジプトから贈られたオベリスクが目印です。タワーに昇ったのが午後7時ころだったので、かなり建物が西日を浴びて赤みを帯びています。

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 金色に輝く4つの柱を持つアレクサンドル3世橋が手前、その先にドーム式の屋根を持つグラン・パレが見えます。どちらも1900年のパリ万博の時に建てられたものです。

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 手前側の金色クーポラはアンヴァリッド、左奥には凱旋門が見えます。

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 アンヴァリッドは、ルイ14世時代の建物ですが、今ではナポレオンの墓のある場所として有名になりました。軍事博物館も併設されています。

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 凱旋門はこうして見下ろすと小さく見えますが、ナポレオンの「世界最大の門を造れ」との命令で1806年に着工されたものです。ただ、完成したのは30年後。ナポレオンはそのずっと前に失脚してセント・ヘレナ島に流刑となり、死亡。それから19年も経っての遅すぎた完成でした

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 長い線路が見えます。はっきりとはしないんですが、多分地下鉄6号線の地上露出部分かと・・・。

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 やっとエッフェル塔まで回ってきました。その後ろに連なるビル群はラ・ディファンス地区の高層ビルです。新宿副都心を連想させる雰囲気ですね。

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ルーブル美術館のある風景  内から外から

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 パリの街を見下ろすと、美しい風景が広がりますが、中でもセーヌ川沿いに一段と豪華な宮殿が認めることが出来ます。それがルーブル美術館のあるルーブル宮殿です。

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 通常は地下鉄駅のあるリヴォリ通り側から美術館敷地に入りますが、今回は逆のセーヌ川方面のカルーゼル橋を渡って入りました。その入り口にはこんな立派な彫刻が飾られてありました。モンパルナス方面からモンマルトルまで行く路線バス95番に乗れば、バスに乗ったままこの入口を入り、敷地内を通過して行きます。地下鉄との共通切符で乗れます。

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 敷地に入るとすぐ、カルーゼルの凱旋門が目に入ります。

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 ドゥノン翼側からリシュリュー翼を見ると、こんな風にピラミッドが2つ重なった形になります。美術館の総合入口となる大ピラミッドは有名ですが、その周りに3つの小さなピラミッドがあるのは、意外に気付かない人も多いようです。高さ21m、底辺面積33平方mの大ピラミッドは完成当時は景観論争が巻き起こりましたが、今では定着したようですね。

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 リシュリュー翼にはカリアティード(女像柱)が刻まれています。ピラミッドとのコラボもちょと面白い。

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 アップしてみました。とても上品な女像ですね。

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 エスカレーターに乗って美術館に入ります。

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 ここには階段もあります。もともとは12世紀に造られた城塞だったルーブルですが、今ではこんなモダンな螺旋階段が客を迎えてくれます。

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 館内に入ってドゥノン翼1階で野球選手発見! と思ったらヒュドラを退治するヘラクレス像でした。

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 2階に上がる階段。こちらはクラシックな感じ。踊り場の半円形のレリーフはチェッリーニ作「フォンテンブローのニンフ」。フィレンツェ・シニョーリア広場ロッジアにある、生首を持ったペルセウス像も彼の作品でしたね。

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 階段を上がって、サモトラケのニケ像が奥に見える部屋にはダヴィッドの大作「ナポレオン1世の戴冠」があります。この絵の前もいつも人だかりがしています。この宮殿が正式に美術館になったのは1789年のフランス革命以後で、ナポレオンによって一時は「ナポレオン美術館」と命名されたこともありました。ルーブルの歴史の中で、ナポレオンは欠かすことのできない人物です。

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 あちこち見て回っているうちに、外はすっかり暗くなっていました。シュリー翼3階からの見晴らしです。遠く中央付近にライトアップされているのがカルーゼル凱旋門。左奥にはエッフェル塔も光っています。

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 ルーブルは英仏100年戦争によって英国軍が占領した時代は牢獄に使われたりしました。その後1546年、フランソワ1世がルネサンス風に新築して大変革が行われましたが、その当時の姿が残っているのが、ここカリアティードの間。女像柱が素晴らしい。

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 閉館時間になってしまいました。ピラミッドから外に出るとき撮ったガラス越しのリシュリュー翼。雰囲気ありますよね。

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 外に出て、見上げる角度でもう一度。昼の建物とはまた違った風格が漂っていました。

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ルーブル美術館の美女たちベスト10 ② 独断と偏見編

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 ルーブルの美女シリーズの2回目は、個人的にいいと思った「独断と偏見」で選ぶベスト10です。

 1位 フランソワ1世の聖家族  ラファエロ (1518年作)

 やはり個人編でもラファエロは欠かせません。彼の聖母子像は数多く描かれましたが、この絵の輝く衣、それにも増してまぶしいほどの肌をした聖母に出会える作品です。この絵はフランソワ1世の家族を描いたわけではなく、当時のローマ教皇レオ10世がフランス王フランソワに贈った絵ということで、こんな名前がつけられています。ラファエロ晩年の作ですが、彩色などは弟子がアシストしたと言われています。

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 アップしてみると、聖母の優しさが際立ちますね。ラファエロの聖母では、このほかフィレンツェ・パラティーナ美術館の「小椅子の聖母」、ウイーン・美術史美術館の「牧場の聖母」が私的トップ3になります。

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 2位 娘ジュリーを抱く自画像 ヴィジェ・ルブラン (1786年)

 何とも美しい母親です。ヴィジェ・ルブランは18世紀の女流画家。マリー・アントワネットの肖像画を引き受けて一躍画壇のスターになりましたが、1789年のフランス革命でアントワネットは命を落とし、彼女も外国を転々とする流浪の画家になってしまいます。この絵は、その革命の3年前、彼女が31歳の時の作品です。ラファエロの聖母子像に影響を受けており、そういえば角度を変えれば小椅子の聖母に似ていませんか。彼女の肖像画は、モデルの姿を肯定的な感受性で表現する画家だったと思います。

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 3位 フィレンツェの婦人 デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(1450~60年)

 額を大きく開けた髪型と洗練された表情で、じっと前を見つめる婦人の胸像です。ルネッサンスという世界の先端を行く芸術革命が進行していたフィレンツェの、知性的女性を代表する風貌なのではないでしょうか。ただ、ガラスケースに入っており、光線の関係で正面からの写真が撮れなかったのが心残りです。

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 作者のデジデリオは、ドナテッロに続く彫刻家で、繊細で知的な作風で知られています。この作品は木彫です。日本の木彫の代表的作家、舟越桂さんが「この像になら、彫刻相手に恋することだってできる、と思った」と語っています。

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 4位 若い婦人に贈り物をするヴィーナスと三美神 ボッティチェリ (1483~85年頃)

 待望のボッティチェリがやっと登場しました。とても好きな画家なのですが、やはり特別な作品はフィレンツェにありますから、ルーブルに限定するとタイミングが難しい。このフレスコ画は、フィレンツェ郊外のレンミ荘にあったもの。1873年、漆喰の下から発見されましたが、かなり傷んでおり、この絵でもヴィーナスの顔付近が剥がれてしまっています。同荘の所有者トルナブオーニ家の結婚を祝して描かれたらしく、右の赤い服を着た花嫁ジョヴァンナにヴィーナスから贈り物が渡される場面です。

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 ただ、個人的にはヴィーナスや花嫁より、後ろに控えている三美神の方が魅かれます。特にこのアップ画面の右の女性、彼の代表作「ヴィーナスの誕生」に見られる憂いを帯びた表情が、ここにもありますよね。

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 5位 無原罪の聖母と6人の人々 ムリーリョ (1665年)

 無原罪のお宿りという、キリストだけではなく母マリアもまた原罪なしに生まれてきたというテーマを、絵画において確立した代表的な画家です。それだけに何枚もこのテーマで作品を描いていますが、どれも清楚で限りなく慈愛にあふれた聖母が印象的です。これはセビリアのサンタマリア・デ・ラ・ブランカ聖堂の再開に伴って製作されたものです。

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 6位 花を持つ少女 ヘンリー・レイバーン (1798~1800年)

 この絵は全く予備知識なしで、ルーブルで初めてであった作品です。閉館時間が迫って早足で回り出した頃に出会い、何と愛らしい少女がいるのかと、立ち止まってしまいました。花を抱え、かすかに微笑んだ表情は無垢な美しさに満ちています。作者はスコットランドの画家で40代の時期の作品だということはわかりましたが、詳しい背景までは調べきれませんでした。

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 7位 神妻カロママ像 エジプト (紀元前850年頃)

 神妻というのはエジプト帝国の守護神・アメン神の妻として生涯処女のまま神なる夫に奉仕する役割を負った女性。ブロンズに金銀の象嵌が施された華やかな像です。しかも高貴なたたずまいで、表情も素晴らしい。忘れ難い美女でした。

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 8位 エステルの失神  ヴェロネーゼ (1570年代)

 これは旧約聖書のエピソードの1つです。ペルシャの王は妃にユダヤ人のエステルを選びました。しかしユダヤ民族を憎むある重臣が民族を滅亡させる陰謀をたくらみました。これを止めるために王にその陰謀を告げようと思いましたが、王への直訴は死罪に相当する時代でした。でも、エステルはまさに決死の覚悟を決め、一世一代の勝負服を着て直訴に及びます。それが成功して王は重臣を逮捕、エステルには無罪を告げます。この時、緊張の糸が切れたエステルは王の前で安心のあまり失神してしまいました。その瞬間をヴェロネーゼは見事に描いていますね。

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 9位 三美神像 ギリシャ時代 (紀元前2~1世紀)

 カリアティード(女像柱)の間に飾られている三美神の像です。三美神とは、愛欲、純潔、美を表わすと考えられました。愛欲と純潔とは対立する性質ですよね。でも美によって和解し、バランスを取りながら生きているとされるそうです。いずれにせよ、女性のフォルムは紀元前の時代から美しいものだったんですね。

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 10位 アタラの埋葬 アンヌ・ルイ・ジロデ (1824年)

 シャトー・ブリアンの小説「アタラ」の1場面を描いたものです。キリスト教信者として立てた、処女を守るという誓いと、若いインディアン、シャクタスへの愛との間で心が引き裂かれ自殺した女性がアタラです。悲しみに沈むシャクタス青年と修道士がアタラを埋葬しようとしています。

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 強い明暗のコントラストはカラバッチョを連想させる感じですが、死んだアタラの表情には耽美主義的な雰囲気も漂います。いずれにしても光を当てられたこの女性の美しい横顔は見事です。

 こんなわけで、独断と偏見編は知名度編とはかなり違った形にしました。もちろん人によってラインナップは千差万別でしょう。ご意見は承りますが、非難中傷の類はどうかご容赦を願いますよ。

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ルーブル美術館の美女たちベスト10 ① 知名度編

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 今回はちょっと気楽にルーブル美術館に住む美女探しをしてみましょう。ただし、ただ単に美女といっても館内には世界中の美女が集まっている状態なので、まず一回目は超有名スターたちのベスト10を極力客観的に選んでみました。

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 1位 モナ・リザ  レオナルド・ダ・ヴィンチ(製作年 1503~6年)

 何といっても絵画界では世界一のスーパースター。説明の必要もないと思います。描かれたのはダ・ヴィンチがフィレンツェ滞在時代。彼がフランス国王に招かれてフランスに行った時に持参していたものです。ヴァザーリは彼の「ルネサンス画人伝」の中で、「この絵はすべての作家、いかなる才人をも戦慄させ、恐れさせてしまうだろう」と絶賛しています。実はこの絵が1度だけフィレンツェに戻ってきたことがあります。それは1911年に発生したモナ・リザ盗難事件。犯人がフィレンツェの骨董店に持ち込んで発覚しました。その時が約400年ぶりの里帰りということになったわけです。フランスに戻される時、わずか1か月だけイタリアで展示会が催されました。

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ルーブルの展示場所の前はこんな具合。私は夜間開館を利用して午後6時過ぎに入館したのですが、それでもここの前だけは全く人垣が途切れませんでした。そんな訳で写真もちゃんと撮れませんでした。

 盗難以外にルーブルから外に出たことが3回だけあります。1回は第二次世界大戦時に空襲から逃れるための疎開。2回目はアメリカのワシントンギャラリー、メトロポリタン美術館での展覧会、そして1974年の東京国立博物館での展覧会です。もうこれからは館外に出る可能性はほとんどないでしょう。

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 2位 ミロのヴィーナス (紀元前2世紀後半)

 これもまた超有名なお方。1820年にギリシャ・メロス島で発見された人類の宝。ギリシャ神話の愛の女神アフロディーテを表現したものです。メロス島はフランス語でミロと呼ぶためにミロのヴィーナスとされていますが、出自を考えればメロスのアフロディーテと呼ぶのが正解でしょうかね。これも日本に来たことがありますね。

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 美術の本などでは前からしか見られないでしょうから、バックショットをお見せしましょう。お尻の割れ目!はヘレニズム期のエロスの特徴なのだそうです。

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 3位 聖母子と幼き洗礼者ヨハネ(美しき女庭師) ラファエロ(1507年)

 聖母の画家と言われるラファエロの作品の中でも3本の指に入る有名な聖母を描いた作品です。ふくよかで美しい聖母とあどけないキリストの組み合わせに、洗礼者ヨハネを配して、三角形の安定した構図が完成しています。ここで、母子が直接目と目を合わせているという例はとても珍しいですよ。

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 4位 岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ヴィンチ (1483~86年)

 本来なら1画家1作品にとどめたいのですが、ダヴィンチに関してはそうも行きません。なぜ岩窟なのか、なぜ天使が左のヨハネを指差しているのか、キリストの出した2本指は何なのか、など謎だらけの絵画は長年にわたって論議の的になってきました。これだけの話題性のあるものを外すわけにはいきませんし、「美女」と言うテーマでも、ここの聖母の美しさは比類ないですよね。

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 5位 グランド・オダリスク アングル (1814年)

 オダリスクとはハーレムの女を意味する言葉。アングルはフランス古典派の巨匠ですが、何とまあすごい胴長の女性でしょうか。ある評論家は「この絵の女は脊椎が3本多い」と評論したそうです。それに表情にはどうも優しさ、親しさが感じられない。でもどこか魅力的なんですね。アングル自身は「真実ということについて言えば、私はほんの少しそれを超えるほうが好きです」と語ったとのこと。この絵も真実を超えているんですね。

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 6位 ガブリエル・デストレとその姉妹 フォンテーヌブロー派 (1594年頃)

 作者不明なのにとても有名なこの絵。右がフランス王アンリ4世の愛人ガブリエル・デステレ、その乳首をつまんでいるのが妹のビヤール公爵夫人とされています。アンリ4世には当時正妻のマルグリットがいましたが彼女は子供に恵まれませんでした、そんな時ガブリエルが懐妊、王の初子を宿したという寓意として乳首をつまみ、ガブリエルは左手に婚約指輪をちらつかせるという形が描かれたそうです。ただ、ガブリエルは正妻の地位を得る前に、わずか28歳という若さで急死してしまいます。

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 7位 マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸 ルーベンス(1621~25年)

 この絵はマリー・ド・メディシスの生涯を描いた24枚の大作のうちの1枚。マリーはフィレンツェのメディチ家からフランスに嫁入りした王妃ですが、その相手というのが先ほどのアンリ4世です。最初の妻マルグリットと別れ、ガブリエルが急死した後、メディチ家の財産目当てにマリーと政略結婚したのですが、この王も間もなく死亡、幼い息子を王としたマリーが政治に口出しをしだして、後日息子との確執が起こるといった、波乱万丈の生涯でした。そんなマリーの人生を絢爛豪華に描いたルーベンスの作品群はものすごい迫力です。女性たちの姿も迫力十分!

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 8位 いかさま師 ラトゥール (1635年)

 本来は一般的な美人という範疇には入らないのでしょうが、何とも憎々しげなダチョウ卵顔の女性のインパクトはタダならぬ強烈さです。ラトゥールの真作は約40点といわれ、大半が光と闇の中に浮かび上がる人物画ですが、とても珍しい、明るい光の中の絵がこれです。

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 こうしてアップしてみると、一層この女が憎たらしくなりませんか?それが又凄いところで、忘れられなくなります。数年前日本で開かれたラトゥール展で、上野の西洋美術館前の大きなポスターがこの絵でした。

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 9位 真珠の女 コロー (1868年頃)

 タイトルは真珠の女なんですが、この絵のどこにも真珠などはありません。一説には女性の額にあるものが真珠と誤解されたというのですが、これは草の冠の影です。コローは風景画の大家ですが、数少ない人物画でもずば抜けた才能を発揮しています。この絵を見れば見るほど今回1位に掲げたモナ・リザのポーズにそっくりなのが分かりますよね。偉大な天才、ダ・ヴィンチへのオマージュなのでしょうか。

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 10位 鏡の前の女  ティツィアーノ (1512~15年)

 この回の締めはヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品です。これは彼の20代半ばという初期の作品で、まだ師匠ジョルジョーネの影響がありますね。でも妖艶な女性像を数多く残した画家の才能が随所に見られると思います。このすぐ後にヴェネツィア・フラーリ教会の祭壇画「聖母被昇天」を完成させて「画家の中の画家」としての地位を上りつめて行くのですが、そんな話はまた後日、させてもらいたいと思います。

 次回は独断と偏見で選ぶ美女編です。

 


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フジタ礼拝堂 情念がほとばしるフレスコ画

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 9月末とは思えないとても暑い午後だった。ランス駅からフジタ礼拝堂を目指して歩いた。

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 途中の目印の大きな古代の門はすぐ見つかったが、そこから1度道を間違え、20分ほどかかってようやく礼拝堂にたどり着いた。

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 フジタ礼拝堂、正式にはノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂は、本当に小さな、村の祠のような建物だった。

 日本人画家としてはほぼ唯一、エコール・ド・パリの画壇で認められた藤田嗣治が、晩年にその心血を注いで築き上げた礼拝堂だ。

 藤田は、初めは乳白色の輝くような肌色の女性像を見事に描き上げる画家として名前を覚えた。しかしある不幸な時期を過ごしたことは後に知った。第二次世界大戦時に祖国に帰った彼は、従軍画家として日本軍の戦いの姿を暗い筆致で描いたことがある。それが、戦後になって翼賛画家の汚名を着せられることとなり、追われるようにして日本を離れ、フランスに戻って行った。

 彼がランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受けたのは、そんな経緯のあった後、1959年、73歳の時だった。それから彼はレオナール・フジタとなる。その洗礼名はレオナルド・ダ・ヴィンチへのオマージュでもあるという。

F1のシャンパン掛けに使われるシャンパンのメーカーG・H・Mumm社の資金援助を受けて手掛けた礼拝堂は、同社の敷地内にひっそりと建っている。小学校の教室1つ分くらいの広さだろうか。小じんまりした空間の入り口で、マダムが受付をしていた。どう見ても貴族階級の令夫人風、受付係には不似合いのノーブルな雰囲気のお方だった。

簡単な説明を受けて、周囲を見渡すと、ほぼ4面の壁すべてに聖書の物語に基づいたフレスコ画が描かれている。マダムから「写真撮影は禁止」と強調されていたので、カメラをしまって絵をみつめる。ほどなく子供連れの客が帰り、堂内は私とマダムだけになり、物音一つしない静寂に包まれた。

正面祭壇にはイエスを抱くマリア。フレスコ画なので彼特有の乳白色の肌ではないが、マリアを始めとした女性たちはいずれも清楚で美しい。それだけではなく、キリスト磔刑などの絵は80歳という年齢を全く感じさせない、画家として最後の情念の炎をメラメラと燃やしてぶつかったことをほうふつとさせる迫力に満ちている。凄い。

堂内右側の小さな祭壇に折り鶴が置かれていた。「そこにフジタが眠っているの」。マダムが口を開いた。「そういえば、夫人もここに?」「そう。君代さんもそこにね」。そんな会話の後、マダムは入口側壁を指差し、キリスト磔刑図の右端にフジタ自身が描かれていることを、また祭壇画には君代夫人もいることを教えてくれた。

「メルシー」。覚えたてのフランス語で礼を言い、礼拝堂を出ようとすると、マダムから呼び止められた。「ムッシュ、あなたの今立っているところまでは礼拝堂の中だから、写真禁止よ。でも、そこから1歩出れば建物の外。私には禁止する権限がなくなるの」。ウインクと共に、そんな言葉をかけてくれた。とても暑い午後。入口の扉は全開状態だ。私はもう一度心からの感謝の言葉を言い、写真を撮らせてもらった。

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 中央祭壇の聖母子。1966年、彼が80歳の時に8月から3カ月で描き上げた。フレスコ画は漆喰が乾かないうちに描かなくてはならない。総面積100平方mにもなる面積を埋め尽くす絵画を、真夏の時期に手掛けることは相当の体力を必要としただろう。

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 完成後体調を崩し、入退院を繰り返したのち、1968年1月29日、チューリッヒの病院で天に召された。

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 右側壁にはキリストの、ゴルゴダの丘への道行きが描かれた。2003年、この壁の側にある小さな祭壇の下に、フジタの亡骸が移された。また、2009年には君代夫人もここに埋葬された。

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 外からの撮影なので見にくい角度だが、迫力は伝わってくると思う。

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こちらはキリスト誕生の場面。人物の表情はフジタ独特の特徴が表れており、色彩面では青の使い方が美しい。

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 ステンドグラスにもマリアが描かれていた。これを手掛けたのも、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを仕上げたシャルル・マルクだという。

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 フジタに酔った帰り道、この地の名物であるシャンパンを一杯。のど越しを快く刺激する瞬間が今でも忘れられない。

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サン・レミ・バジリカ聖堂

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 うららかな日曜の朝、ホテル近くのバス停からサン・レミ聖堂に向かった。この聖堂もランス大聖堂、トー宮殿と並んで世界遺産に登録されている。

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 堂内に入ると、ちょうどミサの最中だった。とても広い空間なので、邪魔にならないように後方から写真を撮りながら終了を待った。

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 聖堂の建設が始まったのは1007年。以後何度も修復を重ねて、ロマネスクとゴシックの共存した様式になっている。頭上のシャンデリアが豪華だ。

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 エコール・ド・パリの画家藤田嗣治は1959年、この聖堂を訪れた。

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 祭壇のロウソクを灯そうとした時、辺り一帯に神秘的な光が広がるのを体験したという。その経験を機に、彼はカトリックに改宗し、この地に礼拝堂を建設することになるが、その話は次回に。

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 この教会には、名前の通りサン・レミ(聖レミ)の遺体が安置されている。彼は初代フランフ国王クローヴィスに洗礼を授けた司教。これによってフランク王国はキリスト教の国となるわけだ。また、この儀式の最中に聖霊を意味する白い鳩が現れて聖油をクローヴィスに運ぶという奇蹟が起こった。つまり、フランス建国に際し、神の意志が働いた教会とされ、後に国王の戴冠式はランスで行われる決まりとなったという。

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 そのクローヴィスの洗礼の場面が身廊の奥に再現されていた。

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 そんな訳でここは洗礼がキーワードとなっているらしく、こちらにはキリストの洗礼のレリーフがある。

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 祭壇には立派な金の箱のようなものがあった。reposeと書いてある。休息、あるいは永眠という意味もあり、これは聖遺物が入っているのかも。

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 随分と意匠を凝らしたものになっている。

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 南袖廊に回ると、こんな群像に出会った。横たわったキリストを囲んで悲しむ聖人たちの構図は「ピエタ」。バチカのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ像とはまた違った表現になっている。後方のステンドグラスからの青い光が神秘的な感じを演出しているようだ。

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 地下に通じる階段の鉄柵に日が当たって、その変化に富んだ模様がシルエットになって映っていた。

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 まるでレースのような細やかさが面白かった。

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