« サン・レミ・バジリカ聖堂 | トップページ | ルーブル美術館の美女たちベスト10 ① 知名度編 »

フジタ礼拝堂 情念がほとばしるフレスコ画

P9251915


 9月末とは思えないとても暑い午後だった。ランス駅からフジタ礼拝堂を目指して歩いた。

P9251929


 途中の目印の大きな古代の門はすぐ見つかったが、そこから1度道を間違え、20分ほどかかってようやく礼拝堂にたどり着いた。

P9251917


 フジタ礼拝堂、正式にはノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂は、本当に小さな、村の祠のような建物だった。

 日本人画家としてはほぼ唯一、エコール・ド・パリの画壇で認められた藤田嗣治が、晩年にその心血を注いで築き上げた礼拝堂だ。

 藤田は、初めは乳白色の輝くような肌色の女性像を見事に描き上げる画家として名前を覚えた。しかしある不幸な時期を過ごしたことは後に知った。第二次世界大戦時に祖国に帰った彼は、従軍画家として日本軍の戦いの姿を暗い筆致で描いたことがある。それが、戦後になって翼賛画家の汚名を着せられることとなり、追われるようにして日本を離れ、フランスに戻って行った。

 彼がランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受けたのは、そんな経緯のあった後、1959年、73歳の時だった。それから彼はレオナール・フジタとなる。その洗礼名はレオナルド・ダ・ヴィンチへのオマージュでもあるという。

F1のシャンパン掛けに使われるシャンパンのメーカーG・H・Mumm社の資金援助を受けて手掛けた礼拝堂は、同社の敷地内にひっそりと建っている。小学校の教室1つ分くらいの広さだろうか。小じんまりした空間の入り口で、マダムが受付をしていた。どう見ても貴族階級の令夫人風、受付係には不似合いのノーブルな雰囲気のお方だった。

簡単な説明を受けて、周囲を見渡すと、ほぼ4面の壁すべてに聖書の物語に基づいたフレスコ画が描かれている。マダムから「写真撮影は禁止」と強調されていたので、カメラをしまって絵をみつめる。ほどなく子供連れの客が帰り、堂内は私とマダムだけになり、物音一つしない静寂に包まれた。

正面祭壇にはイエスを抱くマリア。フレスコ画なので彼特有の乳白色の肌ではないが、マリアを始めとした女性たちはいずれも清楚で美しい。それだけではなく、キリスト磔刑などの絵は80歳という年齢を全く感じさせない、画家として最後の情念の炎をメラメラと燃やしてぶつかったことをほうふつとさせる迫力に満ちている。凄い。

堂内右側の小さな祭壇に折り鶴が置かれていた。「そこにフジタが眠っているの」。マダムが口を開いた。「そういえば、夫人もここに?」「そう。君代さんもそこにね」。そんな会話の後、マダムは入口側壁を指差し、キリスト磔刑図の右端にフジタ自身が描かれていることを、また祭壇画には君代夫人もいることを教えてくれた。

「メルシー」。覚えたてのフランス語で礼を言い、礼拝堂を出ようとすると、マダムから呼び止められた。「ムッシュ、あなたの今立っているところまでは礼拝堂の中だから、写真禁止よ。でも、そこから1歩出れば建物の外。私には禁止する権限がなくなるの」。ウインクと共に、そんな言葉をかけてくれた。とても暑い午後。入口の扉は全開状態だ。私はもう一度心からの感謝の言葉を言い、写真を撮らせてもらった。

P9251915_2


 中央祭壇の聖母子。1966年、彼が80歳の時に8月から3カ月で描き上げた。フレスコ画は漆喰が乾かないうちに描かなくてはならない。総面積100平方mにもなる面積を埋め尽くす絵画を、真夏の時期に手掛けることは相当の体力を必要としただろう。

P9251911


 完成後体調を崩し、入退院を繰り返したのち、1968年1月29日、チューリッヒの病院で天に召された。

P9251914


 右側壁にはキリストの、ゴルゴダの丘への道行きが描かれた。2003年、この壁の側にある小さな祭壇の下に、フジタの亡骸が移された。また、2009年には君代夫人もここに埋葬された。

P1011138


 外からの撮影なので見にくい角度だが、迫力は伝わってくると思う。

P1011142


こちらはキリスト誕生の場面。人物の表情はフジタ独特の特徴が表れており、色彩面では青の使い方が美しい。

P1011139


 ステンドグラスにもマリアが描かれていた。これを手掛けたのも、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを仕上げたシャルル・マルクだという。

P9251904


 フジタに酔った帰り道、この地の名物であるシャンパンを一杯。のど越しを快く刺激する瞬間が今でも忘れられない。

|

« サン・レミ・バジリカ聖堂 | トップページ | ルーブル美術館の美女たちベスト10 ① 知名度編 »

フランス・ランス(reims)」カテゴリの記事

コメント

美術ファンや名前を知っている人は知っているけど、もしかしたら知らない日本人が多いかもしれない藤田嗣治、晩年はフランスに住んでいる時期が長かった事を考慮すると、日本人よりフランス人の方が知名度が高いかもしれません。
どこかの観光地の様に、日本人観光客がひっきりなしに訪れる事も無く、ひっそりと佇んでいるのも礼拝堂がランスという地方都市にある事、会社の敷地内にあるという事が理由なのでしょうけど、日本人の知名度が低いのも理由の一つかもしれません。まぁ、そのお陰で静寂が保たれている訳ですが。
それにしても、晩年にあそこまで描き挙げた藤田嗣治の執念には恐れ入ります。じっくり見るなら最低は1時間は居ないとダメかもしれません。

投稿: おざきとしふみ | 2011年11月 6日 (日) 15時47分

おざき様

 フジタの礼拝堂は、本当に静かな祈りの空間になっていました。ここは5月から10月までしか開館していないということも、知名度の低さの理由かもしれませんね。彼の作品は、日本では東京竹橋の東京国立近代美術館で見ることが出来ます。

投稿: gloriosa | 2011年11月 7日 (月) 23時56分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フジタ礼拝堂 情念がほとばしるフレスコ画:

« サン・レミ・バジリカ聖堂 | トップページ | ルーブル美術館の美女たちベスト10 ① 知名度編 »