カフェ文化と文化人たちの言葉 トリエステ
オーストリア帝国の支配下にあったトリエステは、ウイーンのようなカフェ文化が花開いた。伝統は今もなお「カフェ・ストリコ」(歴史的カフェ)として残っている。その一つ、イタリア統一広場のすぐ近くにあるカフェ・トンマーゼオに入った。
カフェを頼むと、コーヒーはもちろん、生クリーム、スプーン、コップ入りの水、キャンディがセットで出されてくる。まさにウイーンの老舗カフェそっくり。イタリアではどこのレストランでも水は有料で、無条件で出されることはないので、このセットだけで感激してしまう。
ゆったりと落ち着いた雰囲気のこのカフェは、1830年開業で、200年近い歴史を持っている。この日はあまり良くない天候だったせいもあってか、店内はとても静かだった。
19世紀半ばには、もともとのイタリアの土地をイタリアに復帰させようという運動が、このカフェに集う文化人らによって沸き起こった。そのことを伝えるプレートが、建物の外壁に張られていた。
「1848年 このカフェがナショナリズム運動の中心となって 自由に向けての共感の火がともされた」
また、別の日に、少し山の手のバッティスティ通りにあるカフェ・サンマルコにも立ち寄った。店に入ると、その暗さに一瞬足が止まる。入口部分にだけ点灯されたシャンデリアは、そうした内外の明度の違いを緩和するための配慮だろうか。目が慣れてくると、今度は室内のアール・ヌーヴォー風のインテリアに引き付けられる。例のカフェセット、金髪のカメリエーレ、落ち着いた雰囲気。ここはウイーンかと勘違いしてしまうひとときだった。
サンマルコには詩人ウンベルト・サーバもよく通ったという。そのサーバが経営していたダンテ通りの古書店に足を向けた。今は「ウンベルト・サーバ書店」として営業していたが、あいにく休業日。
ただし、すぐその近くに銅像が立っていた。今にも語りかけてきそうなごく自然な散歩姿。親しみやすい像だった。
碑文にはこう書いてあった。「岩の多い山ときらめく海に挟まれた美しい街があった」
この街には別の像も立っている。大運河に架かるローマ通りの橋には、帽子をかぶった紳士がいた。ジェームス・ジョイスだ。
イギリス人のジェームスは英語教師としてこの土地を訪れた。故郷ダブリンにも似た運河の風景を愛した彼はこの近くのアパートに10年間住んだという。その間、彼の代表作「ユリシーズ」の一部も執筆している。
碑文の文章は「わが魂は、トリエステに在り」
もう一つの像には、統一広場から西に入った通りで出会った。この時は日が隠れて風が出てきた午後の時間帯で、人通りが途絶えていた。老紳士らしき後ろ姿を見つけたが、動く気配がない。
近づいてみて初めて銅像だとわかった。イタロ・ズヴェーヴォ。トリエステ生まれの国民的作家で、「トリエステの謝肉祭」などの作品が有名だそうだ。都市によくある銅像は、たいてい威風堂々として周囲を威嚇するかのようなものが多いが、この街では周囲の風景に溶け込んだ何気ない姿をしているのが心地よい。
ここの碑文はちょっと訳すのが難しかったが「人生は辛いものでも素晴らしいものでもない ただ独創的なものだ」といった感じです。
その通りを真っ直ぐ西に進むと、ラザレット・ヴェッキオ通りがある。ラザレットとは、かつて伝染病患者などを収容する施設を指していた言葉。つまりここは「古い伝染病患者収容所通り」といった近づき難い名前になる。そこにサーバの詩の一部が掲示されていると聞いて訪れた。
それは通りの角に掲げられてあった。
トリエステには
閉ざされた悲しみの長い日々に
自分を映してみる道がある
ラザレット ヴェッキオという名の
すぐ前のバルでもう一杯カフェを頼んだ。店の横を通る老人と、ふと目が合った。目じりに刻まれた深いしわ。
それが彼の年輪とするならば、被支配の長い年月によって刻まれたトリエステの年輪とは、何だろうか。
決して主役にはなりえなかった歴史の中で、悲しみを心の奥に閉じ込めて生きてきた長い時間の怨念が、海も見えず、山にも登りきれない、この狭間の通りから立ちあがってくるかのような瞬間が、あった。
| 固定リンク
「トリエステ」カテゴリの記事
- 災難の鐘が平和を告げた時 トリエステの教会(2012.01.18)
- カフェ文化と文化人たちの言葉 トリエステ(2012.01.15)
- イタリア統一広場のライトアップ トリエステ(2012.01.11)
- 多くの悲哀と美しさ トリエステ (2012.01.08)
- イタリア最果ての街 トリエステ 血の色の海(2012.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ウィーンを訪れたのは一度だけですが、
写真の様子からも、ウィーンのカフェかと思うような
雰囲気が伝わってきますね。
ジェームス・ジョイスの碑文の文章も印象的です。
異邦人の彼の、「わが魂は、トリエステに在り」。
何十年も先、自分の魂はどの街にあるのかなぁ・・・
などと、考えてしまいました。
投稿: hanano | 2012年1月15日 (日) 14時20分
hanano様
続けてのコメント有難うございます。
そうですね。異邦人だからこそ、異国の地に強い思い入れを持つことってありますよね。特にその場所で、人生にとってのある種のターニングポイントを迎えたりしたら、その地に魂が宿ってしまうかもしれません。
素晴らしいような、恐ろしいような・・・。
投稿: gloriosa | 2012年1月15日 (日) 19時36分
とっても歴史を感じるカフェに町並み・・
いいなぁ~!
私も今年こそは海外へ行こう!
投稿: Lisa | 2012年1月17日 (火) 23時57分
Lisa様
コメント有難うございます。トリエステのカフェは、イタリアとは思えない雰囲気を持っています。いつか機会があればどうぞお試しを!
それにしてもLisaさんはすごい読書家なんですね。尊敬してしまいます。
投稿: gloriosa | 2012年1月18日 (水) 22時19分