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フィレンツェ美の祝祭1 麗しの我がサン・ジョヴァンニ

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 今回からしばらくはフィレンツェの美術巡りをしたいと思います。第1回目はサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。

 今はフィレンツェの中心と言えばサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂だが、実はその大聖堂よりずっと前から町の中心にあり続けたのが、サン・ジョヴァンニ礼拝堂だった。

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 そもそも紀元前1世紀に、ローマ人たちがアルノ川沿いに新しい都市を建設する際、軍神マルスに捧げる神殿を建設したのが、この場所だった。5世紀にはキリスト教の教会として建築され、現在のようなロマネスク様式の建物となったのは1059年のことだ。

 都市として発展し、より大きな教会を、と新しい教会が出来たのが1128年。これが現在の大聖堂となり、これまでの教会は洗礼堂に衣替えしたというわけだ。

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 この洗礼堂が美術史の舞台に登場したのが1401年の「北の扉のコンペ」だ(写真手前・洗礼堂左側に見える扉が北の扉)。世界の美術史上初めてというコンペによって、新進彫刻家たちの腕が競われた。それは、自由な芸術の振興というルネサンスの幕開けを予感させる1つのエポックだった。テーマは聖書にある「イサクの犠牲」をどう表現するか。最終審査にまで残ったのが、ブルネルスキとギベルティの2人。

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 その作品は現在、バルジェッロ博物館に保管されている。右がブルネルスキ、左がギベルティの作品だ。ダイナミックに仕上げたブルネルスキと落ち着いた風格を漂わすギベルティと、甲乙つけがたく、結局共同制作となったが、ブルネルスキはそれを嫌って辞退した。彼はその後ローマに旅立ち、建築の修業を積んだ末、後にあの大聖堂の大クーポラを完成させるというドラマが用意されていた。

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 一方、ギベルティは北の扉を完成させた後、新たな構想に基づいて現在の東の扉を製作した。これは、ミケランジェロが「天国の門」と称賛したことでもよく知られている。扉は10の区画に仕切られ、これもまた聖書の世界が描かれている。

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 そのうちの1つ、「ヨゼフと兄弟たち」。扉のレリーフというより、もう完全な彫刻だ。人間たちが3Dのようにボンボン画面から飛び出している。

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 そうした外観も素晴らしいが、個人的には洗礼堂内部にある天井のモザイク画に圧倒された。

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天窓を囲むように14人の天使が配置されている。

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 その1段下には大きな円形の中で両手を差し出すキリストが描かれ、周囲には天地創造を始めとした新旧の聖書の物語がきらびやかに展開している。

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 このモザイクは13世紀後半に制作された。サンマルコ大聖堂のモザイク画を仕上げた伝統を持つヴェネツィアから職人が呼ばれたが、チマブーエらフィレンツェの人たちも参加したという。

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 天井を見上げているうちに、黄金のきらめきに体中が包み込まれていくような、幸せな錯覚を味わえる瞬間があった。それは、降り注ぐ黄金の雨に満たされたダナエを描いたクリムトの作品を連想させるひとときでもあった。

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 詩人ダンテはその代表作「神曲」の中でこの洗礼堂を、「麗しの我がサン・ジョヴァンニ」と讃えた。

 彼はこの洗礼堂で洗礼を受け、この街で成長した。しかし、当時のフィレンツエは皇帝派と教皇派の抗争、さらに彼が属していた教皇派の内部抗争がもつれて、フィレンツェ追放を宣告され、流浪の旅に出ざるを得なくなった。その旅先で書かれたのが神曲だった。

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 2度と帰ることの出来なかった故郷。それでも、愛してやまなかったのが、故郷に建つ、このサン・ジョヴァンニ洗礼堂だった。

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コメント

フィレンツェ、とても美しい街ですね。
以前お話しした気がしますけど、サンマルコ修道院には、
私にとって世界で最も好きな絵のひとつ、
フラ・アンジェリコの「受胎告知」があります。
洗礼堂内部のモザイク画、本当に圧巻で素晴らしいですね。
フィレンツェの美術巡り、これからが楽しみです!

投稿: hanano | 2012年1月23日 (月) 19時27分

hanano様

 コメント有難うございます。フィレンツェは以前から気にかかっていたんですが、テーマがあまりにも大きすぎて後回しにしていました。でも、フィレンツェが出てこないイタリアの誘惑ではしょうがないということで、とにかくスタートすることにしました。
 一回目は、写真もコンパクトカメラで撮った古いものが多く、鮮明度が今一ですが、徐々に質を上げて行きたいと思っています。フラ・アンジェリコの受胎告知も2月にはアップする予定です。いずれにしても見切り発車状態なので、まとまりが悪いかもしれませんが、我慢してご覧ください。

投稿: gloriosa | 2012年1月24日 (火) 22時37分

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