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2012年2月

ルネサンス絵画の原点・ブランカッチ礼拝堂とアルノ川の夕暮れ

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 フィレンツェ・アルノ川に架かるカッライア橋を渡って少し歩くと、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会が右手に見えてくる。その教会の右隣にある小さな礼拝堂が、実は大変な場所だ。ブランカッチ礼拝堂。これが、ルネサンス絵画の幕開けを告げた貴重な空間なのだ。

 中に入って礼拝堂を見上げると、珠玉の絵画で壁面全体が埋めつくされている。

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 最初に息をのんだのが、向かって左端上の「楽園追放」。禁断の実を食べてしまったイヴとアダムが、エデンの園を追放される場面だ。両手で顔を覆うアダムと天を仰いで絶望のため息をつくイヴ。これほどの悲嘆の表情を表現した絵画が、中世以前にあっただろうか。まさに、喜怒哀楽に翻弄される感情の生き物に変化してしまった瞬間だろう。この作品を描いたのはマザッチョ。絵画の中に初めて、情を持った血の通う存在として人間を登場させた瞬間だ。

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 左壁面の上部の作品もマザッチョの「貢の銭」。キリストの一行に徴税人が税を要求すると、キリストはペテロにガラリア湖に行くよう命じる。ペテロがそこで魚を獲ると、その口から銀貨が出てきて、それで税を払うことが出来た。そんなエピソードを1つの画面で描いている。青い服に黄色いガウンをまとったペテロが、右端、中央、左端と3回登場して、時系列を超えてストーリーを形成している。

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 この絵画では背景の山々と近くの人物との距離を区別する遠近法が使われている。キリストの顔を消失点(中心)としており、自然がキリストに集まるように工夫されている。この絵の制作が1427年。前に紹介したダ・ヴィンチの「受胎告知」にも遠近法が使われていたが、あの制作は1472~75年なので、約半世紀前にこの絵が描かれていたということになる。

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これもマザッチョの「己の影を投じて病者をいやす聖ペテロ」。正面中央のペテロの眼差しが他を圧する鋭さだ。

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こちらもマザッチョの「施しをする聖ペテロ」。いずれも強い表情の描写が印象的だ。

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 向かって右側の壁面は、主にマゾリーニが担当している。右端上、「楽園追放」と向かい合わせに飾られている「原罪」は、伝統的な後期ゴシック様式で描かれており、感情のあまり感じられない顔つきになっている。

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マザッチョはわずか27歳で急死し、依頼元のブランカッチ家も没落するなどの結果礼拝堂は未完成で一時放棄されたが、15世紀後半になって、マザッチョの仕事を見ていたフィリピーノ・リッピがその画風を継いで全体を仕上げた。そのリッピの作がこの「天使に解放される聖ペテロ」

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ヴァザーリの芸術家列伝には、ミケランジェロが何度もここに通って模写をし、ダ・ヴィンチやラファエロも足を運んだと記している。まさに「ルネサンスのアトリエ」がここだった。

 あまり先入観もなく入場したのだったが、中の雰囲気は荘厳な緊張感に満ちているように感じられ、けっこう疲れてしまった。係官に聞くとノーフラッシュなら撮影OKだったので撮影させてもらったが、かなり暗めの照明なので、鮮明度は十分とは行かなかった。

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 こちらは隣りのカルミネ教会。礼拝堂に比べて人っ子一人いない気楽な空間だった。

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 壁面を飾るシャンデリアの形がユニークだったので1枚。

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 外に出たら、もうアルノ川は夕暮れになっていた。雲の形が面白い。

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 夕陽そのものは隠れてしまっていたが、川を染めるオレンジが何となくフィレンツェらしい色だった。

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 ドゥオモとヴェッキオ宮殿の塔がしるえっとになりかかっていた。

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 日も暮れて、絵画も満喫した。さあ、後はおいしいリストランテに出かけよう。

気付かないうちに、2月26日にアクセス件数が15万件を突破していました。皆様有難うございます。

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雨上がりのフィレンツェ ヴェッキオ宮殿

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 シニョーリア広場から正面のヴェッキオ宮殿に入って見た。厳重なセキュリティ・チェックの後中心のホール「五百人広間」に入った。共和国時代、500人で構成される市民会議を開くために設定されたホールだ。

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 両サイドにはヴァザーリ工房によって制作された戦いの絵が掲示されている。

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 これはこれで、とても華やかな絵画。

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 でも、実はこの絵が掲示される前、歴史的なイヴェントがここを舞台に繰り広げられたのは有名だ。

 1503年、フィレンツェ政庁はダ・ヴィンチにこの宮殿の壁画を依頼した。テーマはフィレンツェ軍がミラノ軍を撃破した「アンギアリの戦い」。政庁は一方でミケランジェロにも反対側の壁に、対ピサ戦の「カッシーナの戦い」を描くよう要請した。2人の天才は制作を開始したものの、ダ・ヴィンチは新しい壁画の手法に失敗して制作を中断。ミケランジェロもそれを見て制作をやめてしまった。結局天才の競作は幻に終わってしまったが、この壁面のどこかに彼らの作品の一部が残っているとの説が有力だ。

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 宮殿の列柱回廊にはこんな可愛らしい像があった。これはダ・ヴィンチの師匠だったヴェロッキオの作品「イルカを持つ少年」。

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 街に出たら、急にスコールのような雨が降ってきた。瞬く間に路面がぬれ、傘を持たない人たちは右往左往していたが、そんな中を双子ちゃんが相合傘で通って行った。

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 30分ほどすごい勢いで降り続いた雨がさっと上がり、石畳に水たまりが出来た。その水面にジョットの鐘楼が浮かび上がった。なんかとても良い感じの写り具合だったので、急いでシャッターを切った。

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 ドゥオモと青空もこんな具合に。

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 ヴェッキオ宮殿の塔もぼんやりと浮かび上がる。

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 鐘楼とドゥオモの先端が一緒に映る場所もあった。

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 こちらはサンタ・クローチェ教会のファザード部分。多分ミケランジェロ達も歩いたであろう歴史を刻んだ石畳とのコラボレーションが面白かった。

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 やっぱりフィレンツェはどこを眺めても絵になる街だ。
 

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フィレンツェの野外彫刻劇場 シニョーリア広場

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 再びフィレンツェに戻って、この街の一つの中心となる広場を見てみよう。ウフツィ美術館の横の広場、シニョーリア広場は、いつも観光客でにぎわっている。

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 ここは昔も今もフィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。

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 その入り口にある2つの像は、向かって左がミケランジェロの「ダビデ像」(レプリカ)、右側はバンディネッリの「ヘラクレスとカクス」。

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 16世紀初め、ミケランジェロがこの像を造った時、像設置委員会委員だったダヴィンチは横のロッジアに設置するよう意見を述べたが、ミケランジェロは絶対政庁正面を主張して譲らなかったという。そんなこんなで、2人の天才はずっと仲が悪かったらしい。

本当なら素晴らしいダビデが立っているのだが、100年ほど前アカデミア美術館に移されて、今はレプリカとなり、ちょっと迫力不足気味。

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 そのロッジアに、こちらは迫力十分の青銅像がある。これはチェッリーニの「メドゥーサの首を持つペルセウス」。

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 ペルセウスはゼウスとダナエの子供(ダナエの体内に黄金の雨となって入って行くゼウスを描いたクリムトの絵が思い出される)。直接その顔を見ると石になってしまうという妖怪メドゥーサに対して、青銅の盾に映ったメドゥーサを間接的に窺いながら後ろ向きに接近して退治したというエピソードを見事に表現している。

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 この作品でも、ペルセウスはメドゥーサの首は見ていない。すっくと立った姿の美しさはどっちの角度から見てもほれぼれしてしまう。

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 ロッジアのもう1点の傑作は、ジャンボローニャの「サビニ女の略奪」。サビニの女たちをローマの男たちが奪ってしまうという話だが、まさに彫刻的。超3次元で360度の変化を楽しめる。バロックの先駆けのような作品だ。

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 「ケンタウロスを倒すヘラクレス」もジャンボローニャの作品だ。何という躍動美!

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 広場の中ほどにあるのは「ネプチューンの噴水」。アンマナーティ作だが、市民にはあまり評判が良くないとか。

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 小鳥を頭に乗せた「コジモ1世の騎馬像」もジャンボローニャ作。

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 この作品も迫力があっただけど、作品名は不明。

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 こんなに沢山の彫刻があふれる広場だけに観光客はいつも一杯。

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 子供たちも楽しそう。

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 でも、そんな広場の中に、こんな碑文が埋まっている。これはサヴォナローラがここで処刑されたことを記したものだ。

彼はフェラーラ生まれの修道士。1491年にサンマルコ修道院長としてフィレンツェに赴任した。当時のフィレンツェ人の享楽生活を厳しく批判、禁欲を説いた。そんな中ルネサンス文化の擁護者だったロレンツォ・ディ・メディチが死去、世紀末の暗い影を感じた人々はサヴォナローラの教えに傾いた。次第に権力を得た彼は絵や書物を焼き捨てる「虚飾の焼却」まで突き進む。厳しすぎる改革には、市民の心もついに離れ、1498年5月23日、シニョーリア広場で火刑となった。命日にはここに花輪が供えられるという。

サヴォナローラを語る時、私はいつもボッティチェッリの運命に思いが行く。彼も次第にサヴォナローラに傾倒して行ったが、それにつれて、あの「春」や「ヴィーナスの誕生」のような輝かしい華やかさがどんどん失われて行き、暗くメランコリックな色調の絵画に落ち込んで行った。そして最後は何の注目もないままに寂しくこの世を去ってしまった。

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 最後にダビデ、ヘラクレス、ペルセウス3人のコラボでシニョーリア広場を締めくくろう。

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ヴェネツィアは今、カーニヴァルの真っ最中

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 ふと気がつくと、今、ヴェネツィアではカーニヴァルの真っ最中です。(今年は2月11日から21日まで)。去年のカーニヴァルの写真でまだ使っていない分が結構残っていたので、それを紹介しちゃいましょう。まずは、可愛らしい少女の仮面姿から。

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 初日のイベントの模様ですが、今年も同じような舞台が出来ているようです。

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 春を迎えるのにふさわしいパステルカラーが爽やかだった。

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 こんな不思議な帽子の人も。

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 何をそんなに怒っていらっしゃるのか?

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 このくらい朗らかにしていてほしい・・・。

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 こちらは、これからドラマが始まるような予感が・・・。

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 カフェ・フローリアンの店内にも中世の人々が集まっている。

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 誰がこんな長手袋を身に付けるのだろうか。

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 笑顔の目が優しい。


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 遠目からはグロテスクにさえ見えたが、近づいてみると美しい目をしていた女性。

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 このおじさんは名物おじさんのようで、毎年カーニヴァルには登場しているようだ。

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 ちょっと寒いけど、飲むんならやっぱりビールだね。

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 いろんな変装もあるけど、子供の可愛さには到底かなわない。

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 夜に入ってもカーニヴァルは終わりを知らない。

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 おじさま、おばさま達もみんな元気。

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 でも、若者たちの恋の語らい(?)がいちばん様になる。

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ウフィツィ美術館 フィレンツェのイルミネーション

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 今回はウフィツィ美術館作品再現展示の残りと、クリスマスシーズンのフィレンツェの風景をご覧頂こう。

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 ウフィツィにある数少ないカラヴァッジョの作品「バッカス」。酒の神とはいっても神は神。でもカラヴァッジョは決して美化しない。赤っぽくむくんだような顔、汚れた爪、ちょっと見えにくいが手前の果物のいくつかは腐りかけている。そんなリアリズムに徹して描かれた作品だ。ただ、カラヴァッジョ特有の強烈なコントラストは、ここでは目立っていない。

 製作年はカタログによってまちまちだが、16世紀末、彼が20代後半に手掛けたものとみられる。その後次第に明暗の特徴が際立ってくるが、それと相前後してけんかで殺人を犯してしまい、ナポリに亡命することになる。シチリアやマルタにまで流浪の旅を続け、38歳で死亡する流転の人生は、自画像とも言われるこのバッカスの、物憂げな表情にも予感されているかのようだ。

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 「エレオノーラ・デイ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」。ブロンズィーノ42歳の時の作品。メディチ家のコジモ1世は1569年にトスカーナ大公の称号を獲得するが、その彼と結婚したナポリ総督の娘エレオノーラと息子を、ブロンズイーノに描かせた。

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 豪華な衣装は結婚式の時に着用したものとされる。実際彼女の墓からこの衣装の断片がみつかっているそうだ。抜群の描写力と洗練された色使いが持ち味のブロンズイーノの特徴が出ている。それにしても、ふと気付くのは、彼女の伸ばした左手。あの手は多分生まれてこの方水仕事などは一切したことがなさそうに見える。それもまた、ブロンズイーノの描写力だろう。

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 ピエロ・デッラ・フランチェスカの「ウルビーノ公夫妻の肖像」。この絵で誰もが見入ってしまうのは、右のフェデリゴ公の鼻だ。戦争で右目を失い鼻を折ってしまった公爵の肖像を、右目の見えない左サイドから描き、しかし、折れてしまった鼻の形はリアリズムで描写するという、配慮と徹底のバランスが面白い。よく見ると、背景の風景はとても細かい。また、美術館で見た人は御承知のように、この絵の裏側にも絵が描かれている。

 絵を見て回るのも結構疲れます。この辺で、街に出てみよう。

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 この風景は12月のフィレンツェ中心部。クリスマスシーズンには通りにイルミネーションが飾られ、賑やかになる。

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 流れ星のイルミネーションも。

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 こちらはもっとかわいいささやかなイルミ。

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 少し脇の通りに入ると、古い街並みの良い雰囲気が味わえる。

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 東に歩いて行くと、サンタクローチェ教会前の広場でクリスマス市が開かれていた。

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 教会横に建つダンテ像も、市の賑わいを眺めていた。

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 イタリアのイルミネーションは、最近の日本のように派手派手でないのがうれしい。

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 翌日、街で出会ったサンタ嬢。快くカメラに収まってくれた。

 

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ウフィツィ美術館 横たわるヴィーナスたちの系譜 ティツィアーノ、ゴヤ、マネ・・・

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 ウフィツィ美術館にはティツィアーノの代表作の1つである「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)がある。

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 赤いベッドに白いシーツが敷かれ、ゆったりと横たわるヴィーナスがいる。この写真では見えにくいが背後の垂れ幕は濃い緑色で、イタリアの国旗のようにカラフルな室内だ。真珠のイヤリングと腕輪、右手に持つのは愛のシンボル・薔薇の花束。

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 足元に眠る子犬は忠誠を意味する。

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 背後では召使が、夜会服か何かうぃ取り出そうとしている。

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 高貴な装飾品を身につけ、召使を従えた高級な邸宅に住んでいるらしいが、決して高潔には見えない。なぜだろうか。

 それはひとえに、この誘うような眼差しにあると思う。どう見てもボッティチェッリが描いたヴィーナスとは全く異質の表情だ。女性の魅力をたっぷりと漂わせた官能的な姿に映る。そう、このヴィーナスは、もうあのリンゴをかじってしまったイヴなのではないだろうか。

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 ティツィアーノの師であるジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」(1510年)を見てみよう。ほとんど同じポーズで横たわるヴィーナスだが、田園の優しい静けさに溶け込んで行くかのような透明感で満たされている。

 ジョルジョーネはこの絵を仕上げる直前で急死したため、弟子であるティツィアーノが部分的に筆を入れて完成させたという。ティツィアーノはその28年後に、今度は自らの考えるヴィーナスを生み出した。モデルは娼婦だったともいわれる。当時のヴェネツィアは成熟した国際都市として栄えており、万を超える娼婦たちがいたという。そんな時代をも反映したヴィーナスだったのだろう。そして、その後の絵画にも大きな影響を及ぼした。続々と“横たわる裸婦”の系図が続くのだ。

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 こちらはスペインの画家ゴヤの「裸のマハ」(1797~1800ころ)。「着衣のマハ」はつい最近まで東京に来ていたが、それと対になるこの絵はゴヤの代表的な作品だ。この強すぎるほどの視線がティツィアーノのヴィーナスと同様の強烈さで迫ってくる。

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 アングルの「グランドオダリスク」(1814年)。こちらは古典的な画風で仕上げている。ただ、「脊椎が3つ多い」と揶揄されたように、極端に胴長なのだが、それが逆に不思議な魅力をかもしだしている。

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 マネの描いた「オランピア」(1863年)もまた、ティツィアーノの絵を前提としてこの絵を描いている。こちらは意図的に逆立つ尻尾の猫を描いたりと、エロスのイメージを正面に押し出し、当時の画壇からも激しく非難された。

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 20世紀に入って、モジリアニの「髪をほどいて横たわる裸婦」(1917年)。モジリアニは何枚もこのようなポーズの裸婦を描いているが、この絵が最もティツィアーノに近い感じだ。実はこの絵は大阪にある。大阪市立近代美術館の所蔵だが、肝心の美術館が一向に完成しない。いつになったらこの絵が自由に見られるようになるのだろうか。

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 最後に藤田嗣治(レオナール・フジタ)の「眠れる女」(1931年)。フジタが独自に編み出した美しき乳白色の裸婦は、彼の4番目の妻マドレーヌ。ここにも猫が寄り添っている。

こうして、ジョルジョーネがポーズの先鞭をつけ、ティツィアーノが官能に火をつけた「横たわる女性」の流れは、多分これからも絶えることなく受け継がれて行くことだろう。

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ウフィツィ美術館 ルネサンスの2人の巨匠 ダヴィンチとミケランジェロ

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 ルネサンスといえばまず思い浮かべる芸術家は、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロだろう。ルネサンス美術の殿堂であるウフィツィ美術館だけに、ちゃんとその二大巨人の作品も所蔵されている。

ダ・ヴィンチの作品は「受胎告知」。歴代の画家たちがこぞって取り組んできたテーマだが、やはり彼の作品がトップクラスにランクされるのは間違いないだろう。画面は三つに区切られている。マリアと大天使ガブリエルが向かい合う前景、糸杉の中景、そして空気遠近法によってぼかされた遠景。

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 マリアの表情は、威厳に満ちている。同じテーマでも、フラ・アンジェリコは、受け入れなくてはならない運命に対する受容の表情が浮かんでいるし、ロレンツォ・ロットだと、両手を広げてビックリ仰天といった感情が描かれている。

しかし、ダ・ヴィンチの場合は全く人間的な表情は読み取れない。というより、「そのくらい、わかってるわよ」といった感じ。超越しちゃっている雰囲気だ。

それにしても、何と右手だけがこんなに長いのだろう?

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 ガブリエルの翼の立派さには圧倒される。ダ・ヴィンチは絶対翼好き。飛行機の試作までしているように、飛ぶ物に対するこだわりは相当あったことは間違いなく、こういう部分は特に念入りに描いたんだろうと想像できる。

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 白大理石の書見台は、サン・ロレンツォ教会の旧聖具室に設置したメディチ家の墓碑レリーフにそっくりだ。そのレリーフはヴェロッキオ工房作だが、ダ・ヴィンチはヴェロッキオの弟子だったので、その影響を受けるのも当然だろう。

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 美術館の回廊柱にはダ・ヴィンチの彫像も飾られてあった。

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 一方、ミケランジェロの作品は「聖家族」。30代後半の作品で、板絵としてはミケランジェロ唯一のものであるとともに、フィレンツェにある彼の唯一の絵画作品だ。ドーニ家のために描かれた円形画(トンド)ということで、トンド・ドーニとも呼ばれる。

この絵は3つの時代を表わしているという解釈がなされる。後方の裸体の人々は律法以前の異教の人たちの時代、預言者の系譜の最後に位置する聖ヨハネ(画面右端の少年風な上半身)のいる時代、そして前景のヨセフ、マリア、キリストのいる時代。

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 それにしてもこのマリアは、とても一見して女性とは見えない筋肉隆々ぶり。ミケランジェロの作品はすべて男性の肉体が基本となっているようだ。メディチ家礼拝堂の「夜」やバチカンのシスティーナ礼拝堂壁画にしても、女性が描かれていたとしても彫刻的な立体的表現がまず強調されている。「彫刻こそがすべての美の最上位にある。私は彫刻家だ」と公言していたミケランジェロらしい表現法といえそうだ。

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 もう一度、見てみよう。キリストの二の腕。こんな幼子でさえも見事に筋肉が盛り上がっている。

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 こちらはミケランジェロの彫像。

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 ウフツィ美術館のポルティコは、通常は入場者の列が続いているが、休館日などは、待ち合わせの場になったり、道化師たちの舞台になったりする。

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 ある日はこの大道芸人が記念写真を撮らせていた。

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 お嬢さん、うれしそう!

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 こんな、ローマのコロッセオにいるような剣闘士も。見物している女性の左肩には日本語の文字が。

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 夜になると、にぎわった美術館界隈も静かさを取り戻す。

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ウフィツィ美術館 二人の聖母 ボッティチェッリとラファエロ

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 ウフィツィ美術館の絵画展示に戻ります。今回の展示でボッティチェッリの絵がもう1点あった。それがこの「マニフィカートの聖母」。なんとまあ、美しい聖母だろうか。若々しく、まるで少女のようにも見える。

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 全体を眺めると、円形(トンド)に描くために両側の天使がアーチに沿った形で聖母の頭上に手を差し伸べるなどの工夫がなされている。

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 左側の天使たち。これまた何という美形ぞろいなんだろうか。

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 この絵の製作は1482年。ほぼ「春」と同時期に描かれた。このころはメディチ家のロレンツォ豪華王が健在で、ボッティチェッリ自身も38歳と気力充実の時期。自身の絵を成熟させてゆく上り調子の勢いを感じさせる。

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 これに対して、同じ聖母を描き、「マニフィカート」と一緒の場所に飾られてある「ざくろの聖母」を見てみよう。こちらのマリアはメランコリー。不安に満ちた表情にみえる。

 この絵は「ヴィーナスの誕生」を完成させた2年後の1487年の作品だ。ヴィーナスとよく似た面差しだが、あの夢見るような視線は影をひそめてしまった。最大の庇護者であるメディチ家が次第に衰退して行き、よき理解者ロレンツォが後に急逝するという時代の流れをどこかで予感していたのだろうか。

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 以前フィレンツェを訪れた時は、ストロッツィ宮でボッティチェッリの特別展が開催されていた。その特別展のポスターになっていたのが、「パラスとケンタウロス」の絵から抜き出されたパラスのアップだった。

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 知恵と理性の女神パラスが、暴力と欲望の象徴である半人半馬のケンタウロスを抑えつけている。理性の勝利を示しているのにもかかわらず、女神の表情はメランコリーだ。

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 この時は5月2日に美術館に出かけたが、臨時休館になっていた。理由を聞いたところ、元々5月1日はメーデーで休み、3日は月曜で定休日なので、館の職員たちが3連休を取りたいと主張して休みになってしまったとのこと。真偽のほどは不明だが、いかにもイタリアらしいといった理由だった。そんな訳でフィレンツェはあふれた人たちで、街中人だらけ。

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 絵の話に戻ろう。もう一つの聖母の作品はラファエロの「ヒワの聖母」(1507年)。37年の生涯で約50点もの聖母子像を描き、「聖母の画家」とはラファエロの代名詞にもなっている。その代表作の1つがこれだ。

聖母を頂点として右にキリスト、左に洗礼者ヨハネを配した安定感抜群の構図となっている。ラファエロの聖母の一番の特徴は、眼差しの柔らかさではないだろうか。先ほどのボッティチェッリの聖母と比べれば、よくわかる。

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 ウイーンの美術史美術館にある「牧場の聖母」(1506年)

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 パリ・ルーブル美術館にある「美しき女庭師」(1507年)

ほとんど同時期に描かれたこの2点と同様に、聖母の姿に深い安堵をおぼえる気がする。

 ヴァザーリは「この高貴な画工が死んだ時、絵画という芸術もまた死に絶えた」と、最大級の賛辞を贈っている。

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 この絵のタイトルになっているヒワとは、ヨハネが持っている小鳥のこと。

 ルネサンスの時代は激しい芸術の革新が行われ、劇的な構成の絵も多く見られるが、ラファエロの聖母像は安定した構図に優美な色彩で、安らぎの情景を提供してくれる。信者たちは、心のどこかに弱さを抱えて教会を訪れる。そこで出会うことのできる安らぎの聖母子像は、大きな救いの存在となったのではないだろうか。ラファエロが愛されたゆえんなのだろう。

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 研究者たちによれば、ラファエロは「実際に美しい女性は稀なので、心に浮かぶある理想を基に描く」と語ったという。「心に浮かぶある理想」とは恋人だったフォルリーナなのだろうか。でも、彼女をモデルとしたといわれる「ヴェールの女」と聖母とは全く違った印象だ。

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 とすれば、思い浮かぶのは、8歳の時に永遠の別れをした母のイメージ。思い出の母親像を、自らの中で昇華して理想のマリアに到達したと考えれば、いつまでも若く清らかなその聖母像の訳が見えてきそうな気がする。

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フィレンツェの姉妹都市・京都の冬 2012  東寺五重塔の夜景

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 先日久しぶりに京都に行く機会があり、少しだけ自由時間が出来たので、大急ぎで市内何か所かを回ってきました。冬の京都の風景をちょっとだけですがご覧ください。

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 ちゃんと拝観時間内に入場できたのは金閣寺だけでした。でも、ずっと続いていた曇天と小雨でしたが、この時だけはすうっと日が差して、金閣寺の金箔が輝いてくれました。

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 舎利殿(金閣)の屋根に取り付けられた鳳凰が、今にも飛び立ちそう。

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 ここの入場券は、こんな護符でした。しゃれていますね。早速自宅に飾ってあります。

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 日没時間が迫ってきて、高台寺の境内に急ぎました。友人から、八坂の塔の向こうに沈む夕陽が見られるポイントだと聞いていたからです。夕陽は隠れて見えませんでしたが、ほんのりピンクに染まった黄昏は垣間見ることが出来ました。

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 この日は八坂の塔がライトアップされました。地元の人も、特にライトアップの話は聞いていないとのことで、これは幸運でした。右側の白い塔は京都タワーです。

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 高台寺の売店。招き猫がいます。

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 石塀小路の狭い通り。情緒ありますね。

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 小路近くの菓子屋さん。店のレイアウトがしゃれています。

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 八坂神社に着きました。朱色の神門が本当に鮮やかです。

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 この提灯の列がすごい。

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 神門の内側から祇園の通りを眺めると、その賑やかさがうかがわれます。

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 そのまま北へ歩いて行くと知恩院。ここは真っ暗でしたが、参道の道路灯が面白い光の列を作っていました。

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 南座の提灯をかすめながら、今度は東寺に向かいます。

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 最後はやっぱり京都の風景を代表する東寺の五重塔。このころには空の雲もかなり消えて星が見え始めていました。迫力十分ですね。

 京都は1965年、イタリア・フィレンツェと姉妹都市になっています。フィレンツェシリーズの連載中に京都を訪れたのも何かの縁でしょうか・・・。

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