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2012年3月

ピサ・アルノ川の昼下がり、ドゥオモ広場の夜

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 ピサの午後から夜にかけての光の変化は劇的な風景を演出してくれる。そんな変化を眺めてみよう。

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 フィレンツェから流れてくるアルノ川は、ピサを経由して地中海に注いでいる。川のほとりに散歩に出かけた。この日はほとんど風のない好天で、川面も鏡のよう。

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 近くの通りでは、地元の人たちがベンチに座って雑誌を読んでいたり談笑したりと、のどかな昼下がりだ。

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 橋のアーチと建物とが川面で融合して、別の風景を描き出していた。

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 水面を眺めるだけで、面白い。

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 ソルフェリーノ橋付近では市民たちものんびりとパッセジャータ。

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 そうこうするうちに日が傾いてきた。先ほどの橋のたもとにあるスピーナ教会の鐘楼まで夕陽が落ちてきている。

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 ドゥオモ広場では斜塔がオレンジ色に装い始めていた。

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 ゆっくりと沈む夕陽によって洗礼堂の円錐形がくっきりと浮かび上がった。

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 近づくと改めてその大きさを実感する。

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 ああ、夕陽が沈んで行く。

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 東側に移動して斜塔と大聖堂とを一緒に見られる場所に来た。シルエットになると、一層傾きが強調されるような気がする。

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 日が沈み切り、広場がライトアップされ始める。

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 ほぼ同じアングルで見た大聖堂と洗礼堂。昼と夜では全く印象が違うことが分かる。

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 斜塔もライトアップ。ピサはフィレンツェから近いせいか、多くの観光客は日帰りでここを訪れるようだ。そのためライトアップされる頃には極端に人が少なくなる。個人的にはゆったりできてうれしいのだが、こんな美しい夜景があるのに、とんぼ返りでは本当にもったいないような気がする。

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 最後に夜のドゥオモ広場の全景をご覧頂こう。深い青と白く輝く大理石の建築群が見事に調和して、まさに「奇跡の広場」がそこにあった。

 600年以上も前に完成したこの優雅な空間を、今も体験できることに感謝!!

これからイタリアに行ってきます。それで、3週間ほどブログはお休みしますが、来月後半には新しいイタリアの風景をお届けできるかと思っています。ではまた、arrivederci !

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意外?にも盛りだくさんの掘り出し物 カンポサント、付属博物館

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 ピサのドゥオモ広場にある建築物には共通入場券が便利だ。ドゥオモ、洗礼堂、カンポサント、ドゥオモ付属博物館などが、すべて1枚の切符(10ユーロ)で入場できる。それで、入る予定のなかったカンポサントにも入場してみた。

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 外から見ると単なる平屋建ての大きすぎる長屋といった感じだったが、中は広々とした開放的な空間。

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 長方形の中庭には、パレスチナのゴルゴダの丘から運んだという大量の土が敷き詰められていた。

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 回廊の各所にいろいろな彫像が飾られているが、特に目についたのが石棺の上に置かれたこの像。18~19世紀に活躍した彫刻家バルトリーニの作「ウラーニア」。ギリシャ神話に登場する文芸の女神だ。

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 こんな魅惑的な表情の女神が自分の棺の上に横たわっていては、とてもその下で安眠など出来そうにもないと思えるのだが・・・。

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 こちらは見事に白い大理石が人物をノーブルに見せている。

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 こちらも目鼻立ちのくっきりした女神?

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 カンポサントは1944年7月、第二次世界大戦末期に連合軍の砲撃にあって壊滅的な被害を受けた。壁にあったほとんどの壁画が破壊されてしまったが、今も地道な修復が続けられている。

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 なかでも有名なのは「死の勝利」と題されたフレスコ画。14世紀に蔓延したペストの惨状を記録したという。緻密な描写が素晴らしい。

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 こちらは何の戦いだろうか。

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 最後の審判で地獄に落ちた人々?

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 これは説教壇の浮き彫りに似ているような。

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 今度は斜塔の奥にある付属博物館に入った。こちらには大聖堂などに飾られていた物を移して展示している。

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 ファザードに飾られていた浮き彫りだろう。

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 木彫りの聖母子像。聖母はちょっといかついお顔をしている。ロマネスク時代の作なのだろう。

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 磔刑像。非常に悲しい場面なのだが、この木彫りの素朴さがとても身近で温かい感覚を与えてくれる。

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 この聖母もふっくらとして親しみやすい。

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博物館の中庭に面した回廊からも、斜塔の姿がしっかりと見えた。

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ピサ・ロマネスクの代表建築 ピサ大聖堂

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 奇跡の広場の外観を見たら、今度は大聖堂の中に入ってみよう。まずは1063年に建設が始まり12世紀初頭に完成した大聖堂へ。この時期に発達したロマネスク建築の代表ともいえるもので、当時トスカーナ地方の聖堂建築のモデルとなっていた。

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 面白いのは、使われている柱に何やら文字が入っていたこと。古代ローマ時代の石材を再利用したという。上の方の石にはADRIANO、などという文字も見えて興味深い。

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 扉には新約聖書の20の物語が彫りこまれている。これはキリスト誕生かな?

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 室内は広々。68本の太い列柱がずらりと並ぶ。これらの柱の多くはパレルモ沖海戦でイスラム教徒から奪い取ったものという。

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 1595年の火災の後に再建された天井は、凹凸のあるパネルが敷き詰められた格子天井になっている。

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 ジョヴァンニ・ピサーノ作の説教壇。丹念に彫りこまれた人物群像が印象的だ。

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パネルの仕切りにも人物像を用いて装飾性の強い造りになっている。右横のランプは、ガリレオがこれを見て振り子の等時性を発見したとして「ガリレオのランプ」などと言われたりしたが、等時性発見が1583年、ランプ制作が1587年なので、物理的におかしいとされている。

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 中ほどの天井に描かれた聖母被昇天の絵が素晴らしかった。真下から見上げることを計算に入れて、本当に浮き上がって行くかのような飛翔感を感じさせてくれる。

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 中央祭壇にどんと位置する「玉座のキリスト」。とにかく巨大で、教会に入ったとたんにこのキリストと正面から相対する格好になる。ビザンチンの匂いを持つフレスコ画で、圧倒される存在感だ。また、下に細く映っているキリスト磔刑像はジャンボローニャの作品。

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 キリストの右横に控えめに立っているのは聖ヨハネ。これはチマブーエの最晩年の作とされている。

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 燭台を持つ天使像はジャンボローニャ作。豪華な背景に黒い像は異色な感じ。

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 ありゃりゃ、中世オンパレードの空間に、なにやら現代風な彫刻が・・・。しかも左端の人は全然威厳なし。ユーモラスで、ほっと一息つける場所。

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 隣りの洗礼堂にも入ってみた。ロマネスク建築特有の階上席があり、そこまで昇ることが出来た。上からの眺めがこれ。中央部分にある8角形がビガレッリ作の洗礼盤だ。大理石で出来ている。こうして見るとがらんとした空間になっている。

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 その中で存在感たっぷりなのが、1260年、ニコラ・ピサーノ作の説教壇。大聖堂にあった説教檀作者のジョヴァンニ・ピサーノの父親だ。息子より約半世紀前に造られたもので、こちらの方が素朴な感じがする。

 次はカンポサントに入ってみよう。

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ピサ 奇跡の広場 斜塔

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 フィレンツェから電車でピサを訪れた。ICで約1時間。日常の通勤時間程度であっという間にピサ駅に着いてしまう。ただ、旧市街中心地はアルノ川を越えて少し離れた場所なのでバスを利用しようと思ったが、乗り場がわからなかったので歩いてみた。それでもローマ通りを北上すると20分ちょっとでドゥオモ広場に到着してしまった。

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 広場を囲む城壁入口のサンタマリア門から、いきなり傾いた塔が目に入った。

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 そして、大聖堂の白い姿も飛び込んできた。

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 緑の芝生に覆われた広場に、手前から洗礼堂、大聖堂、鐘楼(斜塔)、カンポサント(墓所)と、4つの白い建築物が並んでいる。「奇跡の広場」と呼ばれる、イタリアでも有数の美しい広場が広がっていた。

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 ピサは13世紀後半までは海に面した海洋国家だった。十字軍遠征に参加し、商圏を拡大して莫大な富を蓄積した。ヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィと肩を並べる交易都市となり、その財源を基にしてこの壮麗な建築を次々と完成させた。

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 1番手前にあるのが洗礼堂。高さ35mの白大理石が映える円形の建築で、下層はピサ・ロマネスク様式と呼ばれる造形だが、14世紀になってから進められた上層部は高さを強調するゴシックの特徴もみられる。こちら側の屋根は化粧板がある。

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 でも、逆側は屋根がむき出し状態で残されていた。頂上の像は青銅製の聖ヨハネ像。

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 大聖堂(ドゥオモ)はピサ・ロマネスクの代表建築だ。ファザードに太い列柱がずらりと並ぶ特徴的な造りが目を引く。

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 そして斜塔。正式には鐘楼なのだが、傾いてしまったことにで世界中でも最も有名な鐘楼となってしまった。1173年に着工し、当初は100m以上の高い塔にする予定だったが、軟弱な地盤のために着工12年後くらいから傾き始めてしまった。工事は一旦中断されたが、再開後はまたさらに傾きを増し、上層部の中心軸をずらしながら建設が続けられた。

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 なので、よく見ると途中から傾きが中央部に戻るような形になっている。

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 直径17m、高さ55m。地面と最上階とで4m近くのずれがあるという。

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 根本の部分をアップするとこんな具合の傾きだ。

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 怪しげな雲が突然湧いてきて、わずかの時間だったが不思議な光景が見られた。

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 宿泊したホテルは奇跡の広場のすぐ近くだった。屋上に昇ったら大聖堂や斜塔をこんな風に一望することが出来た。大聖堂は建物が十字に交差し、その交点に円蓋が載せられている。下から見てもわからなかった形態がここだとよくわかった。

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 そして、斜塔の向こう側にはトスカーナの山々が広がっていた。清々しい気分。

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サンマルコ修道院の「受胎告知」、天使のごとき修道士・フラ・アンジェリコ

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 今にも一雨きそうな曇天の朝だった。600年にもわたってドメニコ会の修道士たちが修行を積んできた祈りの場所・サンマルコ修道院の門をくぐった。

 ひっそりと静まる回廊を抜けて2階への階段に足を伸ばした時、前方に差し込む光を感じて頭を上げた。そこにあったのは、あの「受胎告知」だった。手前の階段は仄暗さの中にある。そこから浮き上がるかのような浮遊感とともに、その絵はふんわりと光を湛えて輝いていた。

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 まるでこの階段が天国への道ででもあるかのように、一段一段上る度に「幸せ」が近づいてくる。突然の受胎の知らせに、驚きと喜びとを同時に受け止めるマリアの表情を、一刻も早く確かめたいという気持ちと、接近する度に変化する高揚感をいつまでも味わいたいという相反する感情が交差して、足元が少しふらついてしまう。

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 そしてやっと、何度も図録や写真で見てきた受胎告知の本物と対面することが出来た。何という清冽さ、何という透明感!

 フラ・アンジェリコがこの絵を描いたのは1450年ごろ。フィレンツェ郊外の街で生まれたフラは生涯を通じてキリストにまつわる物語を誠心誠意描き続けた画僧だ。本名はグイード・デイ・ピエトロ。でもその姿からフラ=修道士・アンジェリコ=天使のような、というぴったりの敬称で呼ばれるようになり、敬虔な信仰心に満ちた絵をこの修道院に描き続けた。なかでも代表作「受胎告知」は、清らかな空間描写で、全く華美ではないマリアと、慎み深く受胎を告げる大天使ガブリエルとの緊張の瞬間をあざやかに切り取った。

 修道院の中の絵ということで、この絵は修道士たちに向けて描かれたもの。従って衣装も簡素になっている。また、絵の下にはラテン語で「この前を通って汚れなき聖処女の御姿を仰ぐ時、アベマリアを唱えることを忘れぬように」と書かれている(上の写真の最下部にかすかに文字が見える)。

 彼の性格を反映するこんなエピソードもある。時の教皇ニコラウス5世から「食事に行こう。肉でも食べようか」と誘いを受けたが、彼は「修道院長の許可なしに、肉は食べられません」と断ったという。また、磔刑図を描くときにはしばしば涙でほほを濡らしながら描いていたとのことだ。

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 ふと、フィリッポ・リッピのことを思い出した。ウフツィ美術館の名画「聖母子と二人の天使」など、匂うような美しいマリアを描いた、フラと同時代の著名な画家だ。ただ、彼の場合はフラとは全く対照的な人生を送った。僧侶であったにもかかわらず、さんざん浮名を流した末、50歳のときには修道女ルクレチアと駆け落ちしてしまった。本来なら重罪となるところをメディチ家のコジモのとりなしで罪を免れるといったこともあった。そのとき生まれた子供が後に画家となるフィリピーノ・リッピだ。上の絵のモデルはルクレチアとフィリピーノだともいわれている。

 全く異なるキャラクターの二人が、ほぼ同時期に同じフィレンツェに生活し、二人とも聖母の絵で後世に名を残す画家になったという偶然。当時お互いをどう思っていたのか、聞いてみたい気がする。

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 修道院には43もの小さな僧房があり、それぞれにキリスト伝の場面が丁寧に描かれている。これは最後の晩餐?

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 回廊の壁面にもフレスコ画が沢山あった。

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 こちらも静かな空間になっている。

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 午後は早く閉まってしまうので、この美術館は午前中早めがお勧めだ。

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 このところずっと室内が続いたので、少し屋外の雄大な風景をご覧頂こう。このパノラマがフィレンツェの典型的な観光写真風景。

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 空の大きさも実感できるのがミケランジェロ広場の良い所だ。

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 ヴェッキオ橋もすぐ近くに見える。

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 ダビデ像のレプリカが青空に映える。

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脇の女性像はメディチ家礼拝堂の彫像のレプリカだ。

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 少し上のサン・ミニアート・アル・モンテ教会広場からの景観。

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 やっぱり最後はフィレンツェの象徴・ドゥオモの写真で締めくくりましょう。

これで今回のフィレンツェ特集は終了します。次回はピサに行ってみましょう。

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ボッティチェッリの眠るオンニサンティ教会 フィレンツェ「最後の晩餐」比べ

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 ドゥオモなどのあるフィレンツェ中心部からアルノ川に沿って西に歩いて行くとウエスティンエクセルシオールホテルとグランドホテルという2つの5つ星ホテルが向かい合ったオンニサンティ広場に到着する。この広場の奥にあるのがオンニサンティ教会だ。

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 薄暗い室内の正面奥に明かりの灯った主祭壇があった。ほとんど観光客が来ない場所だけにこの時も私一人。静謐な空間だ。

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 壁面に素晴らしい2枚の絵画がある。こちらは「聖ヒエロニムス」。ギルランダイオの作品。15世紀末に南米大陸に到達して新大陸だと主張(コロンブスは新しい大陸とは認識していなかった)、「アメリカ」という大陸名の基になったアメリゴ・ベスプッチの一族であるベスプッチ家の依頼でここに描かれたフレスコ画が今はパネル化されて飾られている。学者らしく感情を抑えた冷静沈着な表情に描かれた。

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 その対面に飾られているのが「聖アウグスティヌス」。ボッティチェッリの作品だ。鋭い眼光が象徴するように劇的な人物表現で対照的な2枚となっている。いずれも1480年頃に描かれた。

 この絵を見ていると、神父様が近寄ってきて「ボッティチェッリはお好き?」と声をかけてくれた。「とても」と答えると、「彼の墓所はこちらですよ」と案内してくれた。

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 主祭壇から右手に進むと、すっきりとした礼拝堂があり、そこがボッティチェッリの眠る場所だった。サンタクローチェ教会のミケランジェロのような大きなモニュメントがあるわけではなく、普通の礼拝堂。ボッティチェッリがサボナローラに傾倒して絵にも華やかさを失い、注目もされずに死んでいった晩年の境遇を反映しているかのような気がして、少しさびしい気持ちになった。

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 一旦教会を出て左横の扉から中庭に入った。この回廊にも壁画が描かれている。こちらに来たのは教会の食堂にあるギルランダイオの「最後の晩餐」をみるためだ。

 ギルランダイオを含めて、フィレンツェにはいくつも教会に「最後の晩餐」が描かれているが、私が見た4枚の「最後の晩餐」をここでまとめて紹介しようと思う。それぞれに微妙な違いがあるので、その違いも見てみよう。

 この絵はイエスが12人の使徒たちと食事をする時の光景だ。着席したイエスが「はっきり言っておく。あなた達のうちの1人が私を裏切ろうとしている」と発言する。動揺した弟子たちが「誰のことか」と聞くと、「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」と話し、パン切れをユダに与えた、という聖書のエピソードだ。

注目点は①イエスの姿②ユダの姿③ヨハネの姿④背景⑤描かれた時点。順を追って確認して行こう。

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 年代を追って行くと、最初はサンタ・クローチェ教会食堂のタッディオ・ガッティ作。1340年の作品。①右手を挙げて正面を向いている②イエスの向かい側に小さな体に描かれており、右手で鉢のパンを取っているようだ③イエスの向かって左にうつぶせになっている

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 ④背景には生命の樹という大きな絵があり、中心にはキリスト磔刑の図もある⑤ユダの姿から見て、この絵はイエスが、裏切り者がユダであることを知らせた後の状況にみえる。

 ガッティの最高傑作と言われるが、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品より150年も前の作品で、まだ人物にあまり個性を盛り込まない時代だったことが推定される。

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 2番目の作品はカスターニョ作。サンタアッポローニャ修道院。1450年の作品。①ヨハネをみている②イエスの手前。右向きに座り、パンを持ち、帽子をかぶっているようだ③イエスの右でうつぶせになっている。

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 ④背景にはイエスの受難の3場面、磔刑、十字架降下、復活が描かれている⑤これもパンを持つユダの姿から、裏切り者が判明した時点の絵だと推定される。

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 3番目はオンニサンティ教会の作品。ギルランダイオの1480年作。①少し上を向いて右手を上げようとしている②イエスの手前に座り、膝に手をついて堂々とした感じにも見える③イエスの右隣でイエスに寄り添うようにしている

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 ④背景は建物のヴォールトの形をうまく利用して丸窓のように装飾し、外が見える。おおざっぱにいえば2人1組にしてそれぞれの姿をまとめているようだ。⑤ユダの姿から、イエスはこれから重大な発言をしようとする所で、まだ裏切り者の存在を他の使徒たちは知らない時点のよう。

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 こちらもギルランダイオ作だが、描かれた場所はサン・マルコ修道院小食堂。1482年ころ。①手前のヨハネに目を落としている②もう右手にパンを持っており、すぐ後ろに、オンニサンティの絵にはいなかった裏切りの象徴とされる猫が座っている③完全に眠り込んでいる

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 ④こちらも丸窓のある背景。オンニサンティでは一直線だったテーブルがコの字型になった⑤こちらはユダが裏切り者と判明した時点を描いているようだ。

 それでは参考に、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの絵(1494~1498年)を見てみよう

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 ①イエスは裏切り者の存在を告げている②ユダはそれまでの絵がキリストの手前に1人だけポツンと置かれていたが、これは他の使徒たちと同列に並び、リアリティがすごくなっている③イエスの左側でうつぶせになったりせず、体を傾けている。ヨハネの姿は、聖書の記述が「もたれかかっていた」となっていることから、画家たちが表現に苦労していた所を、ダヴィンチはこんな形に表現した

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 ④背景には外の景色を取り入れ、それまでイエスとユダ以外の使徒たちにかぶせていた光輪をやめた代わりにイエスの頭に外光を光らせた。消失点をイエスの額にした線遠近法で、注目をそこに集めた。⑤まさにイエスが裏切り者の存在を告げた瞬間を切り取った絵。3人一組のセットで使徒たちを描き、その驚きと困惑とを劇的に描いた。

 こんな風に同じテーマの絵がいくつもあるのがフィレンツェ、イタリアの教会。自分の好きなテーマを選んで比べながら訪ねてみるのも楽しい。

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バルジェッロ国立博物館 ダビデ比べ ドナテッロの恍惚

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 バルジェッロ博物館は、数あるフィレンツェの美術館の中でもトップ3に入るお気に入りだ。というのも、ここにはドナテッロの「ダビデ」があるから。

 ダビデとは、紀元前1000年頃のイスラエルの若者。敵国ペリシテとの戦いの際、敵の巨人ゴリアテと1対1で戦って、小石で巨人を倒した英雄だ。後にイスラエルの2代目の王となった。

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 ドナテッロのダビデは、戦いを終えた後の姿を再現した。

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 緊張の名残を残しながら、口元にはかすかに安堵の微笑みが浮かんでいる。勝者としての誇りを滲ませながら。

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 一方、同じフィレンツェ(アカデミア美術館)にあるミケランジェロの「ダビデ」はどうだろう。こちらは敵ゴリアテを射すくめるような眼光で睨みつけ、燃え上がる闘志を抑えきれずに発散する炎の姿だ。そう、こちらはこれから戦いに挑む挑戦者としてのダビデが描かれている。(この写真は修復前で、撮影OKだったころの写真なので、体がだいぶ汚れています)

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 フィレンツェにはもう一つ有名な「ダビデ」がある。同じバルジェッロに置かれているヴェロッキオの作品。これも戦いの終わった後だが、戦いのプレッシャーを引きずっていて表情に余裕は浮かんでいない。この作品は弟子であった少年時代のダオナルド・ダ・ヴィンチがモデルになったといわれている。(借り写真です)

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 この3体それぞれに素晴らしい作品だが、個人的にはやはりドナテッロが好きだ。ブロンズの黒光りを計算に入れたであろう逞しさの表現。

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 しかし、垂れ気味のお尻のリアリスティックな描写、少年にはあり得ないほどぴったりと似合ったつば広の帽子。瞑想するかのような横顔。官能的とさえ思わせるほどの「美」の追求を、ドナテッロは少年ダビデに対して行っている。

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 その極め付けはブーツ。これほど華麗に装飾されたブーツなど、未だかつて見たことがない。

 当時フィレンツェには同性愛が横行していた。「ああ、何と多くの男色者がいることか。いや、彼らは一人残らずこの悪徳につかっている」と、説教師が嘆き、フランスでは男の同性愛を「フィレンツェの悪徳」と呼んでいたほど。ミケランジェロは有名だが、ドナテッロにも美少年趣味があったと伝えられる。そんな背景の下で生み出された理想の美少年がこの作品だったのかもしれない。決して私にはそんな趣味はありませんが、突き詰めた美の極致には魅かれてしまう。

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 ドナテッロの別の作品、両手を挙げた少年像。

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 この博物館には中庭があり、その壁面には貴族の紋章や石板などが沢山張り付けてある。

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 石板を見つめる少年が・・・。

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 この少年はヴィチェンツォ・ジェミートの「魚釣り」。

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 まさにゴリアテのような巨人像も。

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 美しいプロポーションを誇っていたのはジャンボローニャの「彫刻の寓意」。ジャンボローニャといえば、シニョーリア広場のロッジアにあった「サビーニ女の略奪」の作者だが、あのマニエリスムの典型といった感じの作品に比べるとこちらは優しい。長い手足の理想の女性像を造り上げたのかも。

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 このほか、ミケランジェロの作品も何点もあり、ここは彫刻を楽しむには絶好の場所だと言えそうだ。

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サンタ・クローチェ教会 フィレンツェのパンテオン

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 今回は、フィレンツェでドゥオモに次いで大きな教会であるサンタ・クローチェ教会を訪れよう。

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 シニョーリ広場からグレチ通りを真っ直ぐ東に向かって300mほど歩いて行くと、細長い塔と白いファザードの教会が見えてくる。

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 広い広場を持つサンタ・クローチェ教会は、フィレンツェのパンテオンと呼ばれている。でも、教会の形はローマのパンテオンとは全然似ていない。どうしてだろうか。

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 中に入ってみて初めて、そう呼ばれる意味がわかった。大きな堂内には沢山の礼拝堂と、沢山の墓碑があった。つまり、ラファエロやエマヌエールⅡ世など多くの著名人の眠るお墓としてのパンテオンの役割を、フィレンツェではこの教会が担っているというわけだ。

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 これはミケランジェロの墓碑。中央に彼の胸像があり、その下の段には彫刻、絵画、建築と、業績を象徴する3体の像が並んでいる。どことなくシスティーナ礼拝堂に描かれた人物像に似ているような。ヴァザーリの制作したものだ。

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 こちらはガリレオ・ガリレイ。この他カノーヴァ、マキアヴェッリ、ロッシーニなどの墓碑が並んでいる。

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 ダンテの碑もあることはあるが中身は空っぽ。実は彼の遺骸はラヴェンナにある。フィレンツェが何度か引き取りたいと申し出たものの、ラヴェンナは引き渡しを拒否して現在に至っている。フィレンツェから追放されて流浪の旅をしたダンテだけに、本人も今更フィレンツェに帰りたいかどうかは微妙なところだろう。教会の前には全身像が建っている。

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 壁画で有名なのは、ジョットの描いた聖フランチェスコ伝。バルディ礼拝堂にあるとても大きなフレスコ画だ。14世紀、ジョットはこの教会の4つの礼拝堂に多くの壁画を描いたが、今は2つの礼拝堂しか見ることはできない。

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 この「聖フランチェスコの死」は、まるで劇場の舞台を見るかのような、感情あふれる人たちの模様が面白い。

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 こちらはドナテッロの受胎告知。フィレンツェにはドナテッロ作品が沢山ある。

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 いくつもの礼拝堂が美しい壁画で飾られている。

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 こんなキリスト磔刑像も。

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 教会に続く付属美術館に入ると、大きな絵画がどんと飾られてあった。

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 修復を終えたばかりなのか、非常に鮮明な画面で女性達の肌は輝くようだ。

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 作者をチェックし忘れたが、そのタッチなどから、多分「愛の寓意」などで有名なブロンズイーノの作品だろう。

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 こちらはサルヴィアーティの「十字架降下」のようだ。

 一番奥のスペースにタッデオ・ガッティ作の「最後の晩餐」があるのだが、後でフィレンツェにある「最後の晩餐」比べをしたいと思っているので、少々お待ち下さい。

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 この教会はフィレンツェにおけるフランチェスコ派の拠点として、最初の聖堂はゴシック時代の13世紀前半に建てられたので、ファザードはちゃんと西を向いている。夕陽が当たる時間帯はそのファザードがオレンジに輝く。

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 そのファザードが、夕闇に沈むころにはライトアップされて優雅な白い壁面に変身する。非常に美しい瞬間だ。

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ドゥオモ付属美術館 ミケランジェロのピエタ

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 フィレンツェ・ドゥオモの裏手にわりとひっそりとした感じで付属美術館がある。以前ドゥオモに飾られていた美術品を中心に展示されているが、ここの最大の目玉はミケランジェロが手掛けたピエタ像だ。

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 処刑され、十字架から降ろされたばかりのキリストを、後ろからニコデモ、向かって左にマグダラのマリア、右に聖母マリアが支えている。やせ細った上半身、不自然に折れ曲がった右脚が痛々しい。しかし、3年ほど続いた制作が完成を見ずに中断されてしまった。

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 右側から見ると、聖母マリアの左ひじ付近に穴があいており、左脚制作がここで中断されていることがわかる。この像は弟子に預けられ長い間放置された後1721年から大聖堂に展示された。そしてここの美術館に移されたのは1981年と、実に最近のことだ。

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 ミケランジェロは生涯のうちにいくつかのピエタ像を制作している。その最初のものは、ローマ・サンピエトロ大聖堂の「ピエタ」。1498年から1500年にかけて造られたもので、ミケランジェロ23~25歳という才気活発な時期のものだ。

 ピエタという言葉はキリストが磔刑となり、命を落とした時、母マリアが受けた底知れぬ悲しみの表現として使われるもので、日本語にすれば「悲哀」がよりフィットする単語だと思う。

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 この像には、あまりに美しすぎるマリアがいる。死んでしまったが、実にたくましいキリストがいる。最初にズシンと胸に響いたのは、哀よりも美だった。

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 しかし、ドゥオモのピエタには、哀の字が実にふさわしいように思える。この像の制作開始は1550年前後といわれる。ミケランジェロ75歳前後ということだ。サンピエトロのピエタから50年もの歳月が流れていることを思わざるを得ない。彼はキリストを支える背後のニコデモに、老いた自らの姿を刻み込んだといわれる。そして、この像を自分の墓にしたいと考えていた。

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 同じフィレンツェのアカデミア美術館には、1555年ごろから制作されたという「パレストリーナのピエタ」像がある。ただ、この像はあまりにも粗削り過ぎて別人の作という説も根強い。

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 ミラノ・スフォルツァ城の市立博物館にあるピエタは、間違いなくミケランジェロの作だ。1559年頃に制作開始され、死の2日前までのみを入れていたというが、これも完成をみることなしに終わってしまった。ドゥオモのピエタではそばにいたニコデモも、マグダラのマリアも、もういない。そのうえ、キリストを背後で支えているはずの聖母マリアは、支えているというより、もうキリストにもたれかかって、共に崩れ落ちようとしているかのようだ。

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 脇から見ると、もう2人はほぼ一体化してしまった。人生の最終盤でキリストとマリアが溶け合うようにして天に昇って行く姿をここに表現したかったのだろうか。

 すでにミケランジェロは88歳。この20年も前から結石、痛風、熱病など様々な病魔に侵され続けてきた。その間に絶えず取り組んできたのがこれらのピエタ像たちだった。(上の3枚の白黒写真は、アウレリオ・アメンドラ写真集「ミケランジェロ ピエタ」からお借りしました)

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 この美術館のもう一つの目玉が、ドナテッロの「マグダラのマリア」だ。先ほどのミケランジェロ作品にも登場し、聖書ではみだらな生活から悔い改めてひたすらキリストに尽くした女性として描かれている。また、ティツィアーノは何度も、このうえなく美しい女性として描いた。

 しかし、ドナテッロは違った。老いさらばえた姿、それでも射るような厳しい目、徹底したリアリズムでマリアの実像に迫った。彼女はキリストの死後30年にもわたって苦行の生活を過ごしたといわれる。そうした別の一面を見事に表わしている。

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 今は展示の形が変わっているようだが、私が行った時はこのようにキリスト像(ジョヴァンニ・ヴァルドォッチョ帰属)を見つめるように配置されていた。とにかく凄い衝撃的な作品だ。というより、個人的にはうなされそう・・・。

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 同じドナテッロでも、すっきりした作品もある。この「ハバクク」像は、カボチャ頭を意味する「ズッコーネ」という愛称が付けられている。ドナテッロ自身もお気に入りだったようで、なにか絶対的なことを言うときには、「神に誓って」という代りに「私のズッコーネに誓って」という言い方をしていた。

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 聖歌隊席も、ドナテッロの作品。若者たちの躍動の模様が楽しい。

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 また、ブルネルスキによるドゥオモ円蓋の精密な木製模型も展示されている。

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 こちらは以前紹介したサン・ジョヴァンニ洗礼堂外壁の彫像の本物。脇には天国の門レリーフの本物もあった。

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 ドゥオモに取り付けられていた装飾の一部。この美術館は、意外に知名度が低いようだが、実は印象的な作品の宝庫だと思う。

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