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2012年6月

捨て子養育院美術館・幼きマリアの微笑み

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 フィレンツェ旧市街の北側、サン・ロレンツォ地区のサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に建つ捨て子養育院美術館に出かけた。

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 入口に不思議なスペースがある。ここにある台に匿名で赤ん坊を預けることの出来る“捨て子用回転扉”になっている。

 この建物が出来たのは15世紀。金融と織物産業の発展によってフィレンツェはヨーロッパ有数の大都市となっていた。都市は人口の増加と貧富の差の拡大を生む。ルネサンス文化が花開き隆盛を極めた一方では、生まれた子供を育てることのできない貧困層も出現し、教会や富豪の家の前に赤ん坊を捨てて行くケースもみられたという。

 そんな現実を改善するために始められたのが、この捨て子養育院制度だ。発展の一翼を担った絹織物商組合が出資した民間の救済システム。ヨーロッパ最古の孤児院だった。人間が人間らしく生きることを尊重するルネサンス思想が、こうした制度の実現に反映していることがみてとれる。

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 ブルネレスキ設計のこの建物のアーケード部分には青地に白い赤ん坊が描かれたレリーフがずらりと並んでいる。養育院のイタリア語名称はspedale degli innocenti 。この innocentoは無垢な、という形容詞だが、複数形になると捨て子という意味の名詞に変化する。

捨て子=無垢な子供たち。言葉に感情を込めて表わされた単語のように思える。

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 入ってすぐ、中庭に面した回廊の天井に美しい絵がある。中心にはメディチ家の紋章が入っている。

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 女神?華やかな雰囲気がいい。

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 壁にあるのはアンドレア・デッラ・ロッビア作の「受胎告知」のテラコッタ。イタリアの夏空を思わせる鮮やかな青の背景。沢山の天使たちが舞っている。

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 そこへ大天使ガブリエルが白百合を手に、マリアの受胎を知らせに来る。

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 その知らせを聴くマリアの、何とも幼く優しい表情が実に印象的。

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 テラコッタなので、脇によればマリアの横顔だけでなく正面の顔まで見ることが出来る。この顔はどうみても少女に見えてしまうほど可憐だ。

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 回廊の円柱配列はとてもリズミカル。音楽が聞こえてきそう。この建物の中にはユニセフの事務局もあった。

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 2階が美術館になっている。その目玉がギルランダイオの「マギの礼拝」。

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 この養育院の依頼で描かれたものだが、左奥の背景はコロッセオが見えるなど、ローマの風景になっている。また、中央部左から4番目にこちら正面を向いたギルランダイオ本人がいる。

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 こちらはP・ディ・コジモの「聖母と聖人たち」。

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 ルカ・デッラ・ロッビアのテラコッタ「聖母子像」もある。先ほどのアンドレアの叔父で、テラコッタの土でレリーフを造り、これに釉薬をかけて焼く「彩色テラコッタ」を発展させた功労者だ。ロッビア一族がフィレンツェ地方の彩色テラコッタを一手に引き受けて発展させた。

 この像も初めからここ養育院のために制作されたもので、不幸な運命を背負った子供たちを元気づけるかのように優しさたっぷりの表情をしたマリア様がここにいる。

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 ほら、優しい眼差しでしょう!

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 こちらは聖母子の人形。1700年代の制作だ。こんな人形が暗い部屋に何体も置かれあり、ちょっと怖い空間だった。

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フィレンツェ復活祭の祭り「山車の爆発scoppio del carro」

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 4月の復活祭の朝、フィレンツェのホテルで目覚めた。毎年復活祭(イタリアではパスクワと表現する)の日にここで行われる伝統行事を見るためだ。窓の外には青空。前日から降り続いていた雨が止んでくれた。ほっと一安心。早速行列のスタート地点に向かった。

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 行列の出発は市の西側、ドゥオモから約1キロ離れたプラート門だ。到着したのが9時10分ほど前。もう、先導の騎馬警官もスタンバイしていた。

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 この催しは、磔となったキリストが復活したことを記念する宗教行事。春分の日の後の最初の満月の直後に来る日曜日=パスクワに行われる。ちょうど冬を通り過ぎて訪れる春の喜びとリンクして、フィレンツェでは非常に大きな節目のイベントになっている。イタリア各地で行われるパスクワの催しの中でも、最も有名なものの1つだ。

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 中世の衣装を身につけた女性たちが談笑している風景は、すっかり時代がタイムスリップしたようだ。

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 さあ、まもなく出発。握手して気持ちを新たに。

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 午前9時。ドラムロールとともに行進がスタートした。

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 ぽかぽかの日差しが行進する人たちに優しく降り注ぐ。

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 実は行列の主役はこの山車。高さ5mもの立派なもので、京都祇園祭の山鉾を連想させるような形をしている。

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 その山車を、花飾りをした2頭の白い牛が引いている。

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 立派な髭をたくわえた老騎士。貫録十分。

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 大半は年配の騎士だったが、この人は若そう。

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 女性たちの数は少なかった。でも一番リラックスしていたように見えた。オンニサンティ教会通りからゴルドーニ広場を過ぎ、共和国広場を通ってドゥオモ広場まで行進する。

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 途中、唯一川岸を通るのが、カッライア橋付近。アルノ川を挟んで奥に見える鐘楼はカルミネ教会のものだろうか。この辺で行進とは離れ、ドゥオモ広場に先回りしよう。

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 共和国広場では別のグループが旗振りの芸を披露して観客を沸かせていた。

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 ドゥオモ広場に着いた。物凄い人垣が出来ていた。押し合いへし合いする中、しばらくして行進が到着したが、こんな具合でかすかに垣間見えるだけ。

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 しかし、山車は大きいので、群衆の頭越しでもその模様は何とか見えるだろう。火薬を積んだ山車と教会の祭壇をワイヤーで繋いでいる。このワイヤーを通じて紙製の白鳩型ロケットに点火し、山車の火薬が爆発するという仕組みだ。消防隊がワイヤー繋ぎをしている。

 そんな時、急に黒い雲が湧いてきて空を覆ったかと思うと、すごい勢いで雨が降り出した。まさにバケツをひっくり返したような豪雨が襲い、全身ずぶぬれ。そんな状態なので傘のバリアーが出来てしまい、完全に前方は何も見えなくなってしまった。これではもうダメ!急遽広場をあきらめてホテルに戻った。ホテルは屋上にテラスがあるので、そこからなら少しは見えるかも。

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 テラスに昇ってみると、こんな具合。火花と煙だけはどうにか見ることが出来た。

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 そして、爆発音と歓声。終盤は散々なことになってしまったが、なんとか雰囲気だけは味わうことが出来た。

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チヴィタの夜景、薄紅色の月

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この小さな町に泊まったのには、一つの理由があった。天空に孤立した絶壁は、闇に沈んで行くときどんな姿に変化するのだろうか、それを目の当たりにしてみたいという思いだった。

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 この時期の日没は午後7時30分ころ。その30分ほど前に、チヴィタを一望できるバンニョレッジョ地区の展望所に出かけた。

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 あいにく空の大半を雲が覆い、夕陽は見えない。遠くの空の一部だけがわずかに赤く染まっていた。

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 次第に宵が迫ってくる。チヴィタは静寂の支配する場所だ。昼の一時期だけはちらほらと観光客が訪れるが、夕方になるともう人影はぱったりと途絶えてしまう。そして目の前に広がるのは、まるでこの世の果てのような茫漠とした原野。むき出しの自然に放り出された自分の存在の、あまりの小ささに愕然とする。

 人はどこから来て、どこへ行くのだろうか・・・などと、まるでゴーギャンの絵のタイトルそのもののテーマにぶち当たってしまいそうになる。

 おっと、あぶない。出口のない思索の迷宮に入りこんでしまう前に、ホテルに戻ろう。

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 ああ、薄紅色に彩られた月が出ている。温かい月だ。

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 西の端では雲間からかすかに夕陽が顔を半分だけ見せていた。

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 橋を上りながら岩壁を見上げると、夕日の残光が切れ切れになった雲に色を添え始めていた。

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 集落の屋根たちが複雑なシルエットを形造っている。

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 サンタマリア門を入ると、聖ドナート教会越しにようやく夕焼けの空に出会うことが出来た。

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 教会の屋根のアーチが優しいカーブを描いて、夕陽に懐かしさを加えていた。

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 街灯に明かりが灯った。こちら側の空は、明日の晴れを教えてくれるかのように澄み渡り始めている。

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 振り返ると、サンタマリア門に照明が。古代ローマ時代の町を連想させる石造りの街並みだ。

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 教会のライトアップは、ほんのりとして美しい。救いのオレンジ。ホテルに戻る前にもう一度夜の町の全景を確認したくなった。

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 サンタマリア門の入り口まで戻った。そびえ立つ門。

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 橋の中腹から眺める夜のチヴィタ。門だけを除いて、後は濃いブルーの闇に沈みこんで行こうとする町。

 空の色は、聖母マリアの服の色=マドンナ・ブルーとも称されるラピス・ラズリの輝きに似ていた。

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 翌朝目覚めて部屋の窓を開けると、爽やかな青空が広がっていた。さあ、今日でチヴィタともお別れ。次の目的地はルネサンスの花開いたフィレンツェだ。

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チヴィタの町散歩・コンクール入賞「モンサンミシェル」

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日が差してきた。ちょっと街中を散歩してみよう。この道はドゥオモ広場から奥に行く一本道。荘厳の聖母通りというとてつもなく立派な名前が付いている。

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民家の玄関にあったピエタ。小さな町全体がまるで旧約聖書にでも出てきそうな古代の集落を連想させる場所だ。

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 こちらの家の壁には今まで見たこともないような可愛い聖母子像。親しみやすいマリア様だ。背景の、教会のある風景はまさにチヴィタの風景だから、地元の人が制作したのだろう。

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 数分も歩くと、もう行き止まりになってしまった。奥の山肌も荒涼としている。

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 南側の外れにはしゃれたテラスのある家があった。こんなところに住んでみたい。ただし、ずっとは飽きてしまいそう。1ヶ月くらいかな。

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 門の先端が空を突き刺しているみたい。

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 北側の谷の先には別の集落がみえる。バスで来る時はその町を経由してきたが、あちら側から見るチヴィタの景観はまた違った断崖の印象を与えてくれる。

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 夕陽の色を強調したイメージショットを試してみた。

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 一回りしても20分ほどか。すぐドゥオモ広場に戻ってきてしまった。

 お知らせです。JALが主催する第一回世界絶景フォトコンテストという催しに試しに写真を送っておいたのですが、先ごろJALから、ネット投票の結果6位入賞したという連絡が届きました。1000点近い応募があったようなので、素直に喜んでいます。

 応募写真はモンサンミシェルの風景です。ブログではまだモンサンミシェルはアップしていませんので、この機会に少しだけ掲載しましょう。

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 これが受賞作の「モンサンミシェルの夕景」です。

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 昼の晴天の時はこんな風にくっきりと美しい姿を現します。

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 早朝、まだ日の昇る前は、島は青いかすかな霞みの中にあります。

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 朝日は上ろうとする時間帯、先ほどとは対照的に周辺全体が赤く染まります。こんな変化に富んだ風景がモンサンミシェルの素晴らしさでしょう。

後日、ここの特集も考えています。

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慈しみ深い空間・チヴィタの教会

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 この町でただ一つの教会・聖ドナート教会に入ってみた。

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B&Bの部屋に荷物を置いて、窓から広場を見下ろしたら、神父さんが教会の前で何やら立ち話をしていた。さっきは教会の入り口が閉まっていたが、今なた開いている。さあ、出かけてみよう。

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B&Bと教会との位置関係はこんな風。まさにお隣り。

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 カフェはテーブルを広場に出して、ゆったりとくつろげるようになっている。

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 そのすぐ先に、橋に続く門が見える。

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内部は清冽な空気が漂う、温かく慈しみ深い空間になっていた。

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 中には何体もの愛らしい聖母像が飾られていた。こちらは王冠をかぶった母子像。

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 濃い紺のマントをかぶったマリア様。物思いに沈んでいるかのよう。そんな中にも聡明さが滲み出ている。

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 最初の写真の母子像。全身で見るととても大きなマリア様だ。それに、なぜか足元に子供が・・・。よく見ると説明文が置かれていたようだけど、その時は気付かなかった。

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 主祭壇。これまでオルヴィエートの大聖堂を始めとして大きくて豪華な教会を見てきたので、その質素さがかえって好ましく、気高ささえ感じられた。

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 礼拝堂の祭壇の中心には素朴な聖母子像。

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ロマネスク様式で窓が小さいため光は少なく、中は暗め。誰もいないため教会そのものを一人で独占したような気分になっていた。

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 よく見るとシャンデリアもあり、住民は少なくともしっかりと教会を整備し、守ってきていることがよくわかる。

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 そして、夜ともなれば、この教会と広場は温かいオレンジの照明に包まれる。こうして何百年にもわたってこの教会は、住民に安らかな1日の終わりを提供し続けてきたのだろう。

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チヴィタの町に泊まろう

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 チヴィタの町にたどり着くまで、もう少し・・・。

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 橋の終点付近で来た道を振り返ると、橋はこんな風に細長く続いている。

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 町の入り口であるアーチ型の門が見えてきた。

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 ここが最後の心臓破りの坂。

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 やっとサンタマリア門にたどり着いた。この門の壁には2頭のライオンのレリーフが据えられている。町を守る役目があるのだろう。それとも日本でいえば神社の狛犬のような存在かもね。

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 ここからだと、橋の全体像が見渡せる。

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 門をくぐるとすぐに教会の建物の一部が見えてきた。

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 正面に建つのは聖ドナート教会。高い鐘楼を持ち、小さいながらも風格のある建物だ。その昔、2500年前のエルトリア時代から人が住んでいた場所で、ずっとこの広場が町の中心だった。小さな窓のロマネスク風の教会になっている。

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 その隣りの建物がレストランとB&Bになっていた。この宿に泊まることにしてチェックイン。2階がレストランになっており、入っていくとオーナーがワインを御馳走してくれた。居合わせたイタリア人カップルと一緒に町の話を聞いた。今年の冬は例年になく寒く、特に2月には大雪が降ったという。雪に覆われたチヴィタの写真を見せてもらったが、幻想的な光景だった。

 ちなみに私の部屋は3階の一番右端。客用の部屋は3つしかなく、隣りにはアメリカ人家族が泊まり、夕食時は一緒に旅の話をしながら盛り上がった。

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 1階では昼はこんな風に土産物を売っていた。

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 広場全体でもこのくらいの狭いスペース。でも、町唯一の広場で、夏にはここで賑やかな祭りが行われるという。

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 街中はきれいに整備されており、観光客も増えているようだ。広場奥から老紳士がステッキをついて現れた。住人だろうか。

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 現在ここの住人は二桁いるかどうかといったところだそうだが、猫だけはあちこちに出没していた。

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 ちゃんとエサは確保できているのだろうか?

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 断崖にも桜が咲いていた。

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 これは高山植物?

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 きれいに整備された階段式花壇。イタリアの街ではよくいたずら書きがあったりするが、ここは本当に注意深く清掃がなされて、清潔な町だ。

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天空の孤島=チヴィタ・ディ・バンニョレッジョ

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 イタリアに「死にゆく町」(il paese che muore)と呼ばれる町があると聞いた。何と忌まわしい名前だろうか。でも、「沈みゆく街」と称されるヴェネツィア好きの人間にとってはちょっと心そそられる名前でもあった。

 その町はチヴィタ・ディ・バンニョレッジョ。オルヴィエートからcotral社のバスに乗ってチヴィタに向かった。

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 途中には羊が放牧されているのどかな風景も。約1時間後、バンニョレッジョという町のガリバルディ通りの広場に着いた。ここがバスの終点だ。

 オルヴィエート鉄道駅構内にあるバルで切符を買い、駅から乗車したが、オルヴィエートのバス始発は丘の上にあるカヘン広場。切符は往復で2・4ユーロ。実に安い。

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 ガリバルディ広場からチヴィタまではミニバスも出ているが、本数が少ないので、歩くことにした。東に真っ直ぐ歩いて行けば迷うことはない。約20分でこんな教会が見えてきた。聖金曜日の催しの告知の垂れ幕がかかっていた。

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 向かい側に鐘楼があり、ここまでくればもうすぐチヴィタだ。少し歩いたら行き止まりになり、そこにあるバルの敷地を通り抜けると小公園に出る。正面に、写真で見た絶景が姿を現した。

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 四方は絶壁。深い谷に囲まれた荒野の中に、1つの岩の塊だけが取り残されたように屹立している。

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 良く見るとその岩の頂きには石の建物がひしめき合っている。

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 ちょうど陽が差し込み始めた。

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 今見つめている場所がバンニョレッジョという町の外れ。そことチヴィタとは約300mの1本の橋だけで繋がれている。この橋以外にはチヴィタを訪ねるルートはない。まさに命綱。

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 この地方はエルトリア時代から古代ローマにかけて丘の上にいくつもの城塞都市が造られた。敵から町を守るためには丘と岩壁という自然の城壁が格好の砦となった。オルヴィエートもその代表例だ。しかし、土地はトゥーフォと呼ばれる崩れやすい凝灰岩で出来ているため、自然の浸食を受けやすかった。

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 また、チヴィタの場合はそれに加えて17,18世紀末の2回、大きな地震に見舞われて周囲の土地が崩落してしまった。さらに、第二次世界大戦時には橋が爆破され、1964年の橋の再建工事の失敗などで、この地は廃墟同然になってしまった。ただ、1988年以降、新たな崩壊防止技術の開発や橋の再建などで景観が保持されているという。

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 こうして岩壁の町を見ていると、世界の果てにいるような錯覚さえ覚える。たまたまバスで一緒になったamyという女性はあの「天空の城ラピュタ」の映画を見て、それ以来映画とそっくりな風景にみえるこの土地に来ることを夢見ていたのだという。彼女はつぶやいた。「この世に私たちしかいないみたい」。

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 小公園から細い下りの小路を降りて橋のスタート地点まで行くと、チヴィタの入口になる。ここの看板には「イタリアのとても素晴らしい地域の一つ」と書いてある。

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 橋は最初下るがすぐに上りになってだらだらと続いて行く。時折谷底から吹き上げる風が体をよろけさせる程に強かったりする。

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 遠くから見る時はそれほどとは感じなかったが、上り坂になると町はまさに見上げる形になり、険しい表情の岩壁が人間たちを見下ろしているかのようだ。

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 左側の丘にも集落が見える。よく見ると谷底にも人家が散在しているようだ。

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 目の前の急坂を越えるとようやくチヴィタの町にたどり着ける。

 この日のブログをアップする少し前にテレビを見ていたら、綾瀬はるか主演の映画「ホタルノヒカリ」の予告編最後に、彼女がウエディングドレス姿で走って行くその先にチヴィタの岩壁が映っていた。映画はローマロケをしたようなので、ローマからもそれほど遠くないチヴィタでもロケをしたのかもしれない。

 

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彫刻の受胎告知 緊迫のマリア

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 オルヴィエートのドゥオモ美術館は3つに分かれて美術品を収蔵していた。その中で最も強く心に訴えかけたのは、旧サンアゴスティーノ教会美術館にあった「受胎告知」の作品だった。

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 この美術館はドゥオモのある中心街から外れた、街の西端にあった。教会だった空間の一番奥、本来なら主祭壇であるべき場所に、その作品はあった。

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 向かって右に、天を指差した手を高く上げ、聖なる命を授かったことを告げる大天使ガブリエル。

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 その言葉の意外性に、たじろぐように体をひねりながらも、天使を凝視するマリア。

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 二人の視線がぶつかり合って火花を散らすかのように凍りつく瞬間が、そこにあった。

いくつもの「受胎告知」を見てきた。フラ・アンジェリコはほのぼのとした受容の心をその画面に漂わせた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、気高さで空間を支配した。また、驚きを前面に出した絵もあった。

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 しかし、これほどの緊迫感で空間を凝縮させた作品に出会ったのは初めてだった。

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 作者はフランチェスコ・モーキ。イタリア中部のアレッツォ出身。オルヴィエートからもそう遠くない場所だ。ローマに出てバロック彫刻を追求し、その頂点を極めたベルニーニに道を拓いた先達者だ。

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 大理石の作品なので、かえって白黒写真の方が迫真性が増すかもしれない。この像を見ることが出来ただけでも、オルヴィエートに来た甲斐があったと思えた。

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 また、彫刻という三次元を表現するジャンルを活用して、最大限に空間のメリットを生かした構成が、その迫力を生み出しているのかもしれない。

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 ドゥオモ隣りの付属美術館には、大聖堂ファザードに掲げられた聖母子像の本物(現在のファザードの作品はレプリカ)がある。正式名称は「天蓋の聖母子と6人の天使たち」。

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 聖母の端正な顔立ちを間近で見ることが出来る。

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 この他、多分中世の可憐な聖母のモザイク画が印象的だった。

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 もう一つ、付属美術館1階にはエミリオ・グレコ(1913~1995)美術館となっているスペースがあった。カターニャ生まれ、現代イタリアの具象彫刻界の第一人者。1960年代に大聖堂扉口の彫刻を制作した後、オルヴィエート市にブロンズ32点、グラフィック画70点を寄贈し、1991年にオープンした新しい美術館だ。

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 扉口の彫刻と合わせて見ても、これらの作品は体をひねったマニエリスム的な表現が多いようだ。

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 若い女性の顔。強い意志を感じさせる。

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 こんな作品もあった。

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 彼の作品は日本でも箱根彫刻の森美術館にコーナーが設けられており、仙台市定禅寺通りには「夏の思い出」という作品が設置されている。

これでオルヴィエートは終了です。次回は“天空の孤島”に出かけよう。

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