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2012年7月

フィレンツェの街を中世のイメージで

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 フィレンツェはルネサンス文化の花開いた15~16世紀の面影を色濃く残している。それで、この街の風景を白黒写真に置き換えて眺めてみた。まずはミケランジェロ広場から見下ろす花の聖母大聖堂(ドゥオモ)。定番の眺めだ。

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 旧市街に降りて見上げるドゥオモ。

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 ジョットの鐘楼。84mと、東京スカイツリーの7分の1程度しかないが、周辺に高い建物がないためとても高く崇高にさえ見える。

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 そしてヴェッキオ宮。旧市街のランドマークベスト3がこれらの建物だ。

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 ドゥオモ広場とヴェッキオ宮のあるシニョーリア広場をつなぐカルツァイウオーリ通り。ジェラートのおいしい店がある。ルネサンスの時代もジェラートは売られていたんだろうか。

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 フィレンツェも意外に暑い土地だ。太陽の光がまぶしい。

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 捨て子養育園院美術館の中庭。15世紀に建造されたルネサンス建築だ。

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 庭を囲む円柱と壁面のアーチがリズミカルな旋律を伝えてくれる。

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 地下にもこんなアーチのある部屋があった。

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 養育院とアンヌンツィアータ教会とに囲まれた広場には、不思議な形の噴水があった。

 
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 この広場からは一直線にドゥオモの雄姿が見渡せる。

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  ドゥオモ広場にはいつも馬車が待機している。

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 ドゥオモと鐘楼の一体となった風景は、旅人の心を踊らさずにはおかない。

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 フィレンツェに来るといつも会いに行ってしまうペルセウス像。

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 最後はヴェッキオ橋の夜景で。

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アルノ川に日が沈み、ドゥオモが輝きを増す

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 フィレンツェは昼の美しさもさることながら、夕方の水辺の佇まいは何とも言えない情緒にあふれている。そんな瞬間を追ってみた。

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 ある教会から出たところ、遠くの西の空が赤くなっているのに気付き、アルノ川岸に急いだ。

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 たどり着いたのがサンタ・トリニータ橋。ここの橋げた付近には四季を象徴する女神像が建っている。

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 空全体が赤く染まるというわけにはいかなかったが、うっすらと水面も色づいていた。

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 川岸の街灯が点灯し、夕陽だけではなく人工の光もまたアルノ川を染めだした。

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 橋の上を望遠で追ってみた。春の暖かさに誘われて街に出た人たちが、何事か話し合う光景が、そこここに繰り広げられる。

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 後方にある教会のクーポラが、いかにもフィレンツェの橋の上らしさを強く印象づけてくれる。

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 もう、すっかり日は沈んだ。アルノ川は深い藍色に変化して行く。

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 ホテルに戻って、また例の屋上に昇った。ドゥオモのライトアップが始まる。

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 ファザードが美しい。まだ遠くの山々がドゥオモの奥にかすかに見える。

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 大理石で形成された建物の装飾は、ライトを受けて輝きを放つ。居並ぶ聖人たちの表情も見えそうだ。

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 ジョットの鐘楼のスレンダーな直線が、青くたそがれ行く空のバックから抜け出るかのように浮き上がってきた。

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 そして、ドゥオモのクーポラ。やっぱりこれに勝るクーポラはないかも、と唸ってしまった。

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シニョーリア広場再び。大道芸人も大騒ぎ

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今年2月にもシニョーリア広場を紹介したが、4月に訪問して改めてこの広場を楽しんできたので、重複も含めて再度掲載して見よう。

なお、前回の内容は、以下のURLからご覧ください。

http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-4712.html

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 まず、ミケランジェロのダビデは、とりあえず押さえておこう。

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 前回紹介しそこなったのが、このドナテッロ作「ユーディットとホロフェルネス」。イスラエル軍がバビロンの軍隊に包囲された時、ユーディットは単身で敵軍の将ホロフェルネスの許へ出向く。着飾った美人の到来にメロメロになった司令官はすっかり心を許して酔い潰れてしまう。その隙を見て、彼女はすかさずホロフェルネスの首をはね、自軍を逆転勝利に導いた。そんなエピソードを作品に仕上げた。このテーマの作品は数え切れないほどだが、個人的にはクリムトの作品がお勧めだ。

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 一方、チェリーニの作品は「メデユーサの首を持つペルセウス」。ゼウスの息子ペルセウスがメデューサという女の首を切って掲げている。この作品は、少し距離はあるがドナテッロ作品とほぼ向かい合うかのように置かれている。つまり、この広場には、男の首を切る女と、女の首を持つ男とが向かい合っているという、何とも血なまぐさい場所でもある。そういえばサボナローラが絞首刑になったのもこの広場だった。

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 ダビデ像の隣り「ヘラクレスとカクス像」の、カクスの部分。牛を盗んだところを見つかって、ヘラクレスに成敗された巨人。何とまあ情けない表情にされてしまったことか・・・。

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 こちらは広場中ほどにあるネプチューンの噴水の、白馬たち。あまり目立たないが、よく見るとなかなかたくましい馬たちだ。

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 改めてランツィのロッジアを見てみよう。まさに、野外彫刻博物館!

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 「ケンタウロスを倒すヘラクレス」。ヘラクレスがいろいろと登場する空間になっている。

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 ジャンボローニャの代表作の一つ「サビニ女の略奪」。体がこんがらかって、見ているこちらの頭もこんがらかってくる。

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 前回、調べきれずに作品名が不明だったこの彫像。「ポリュクセネの強奪」とわかった。ポリュクセネはトロイア王の娘。ギリシャの英雄アキレウスはトロイア戦争で敵のポリュクセネに一目惚れ。それで、彼女に唯一の弱点がアキレス腱であることを教えてしまい、そこを付かれて毒矢で殺されてしまう。アキレウスの息子オプトレモスは父の霊の命によってポリュクセネを生け贄にするため彼女を強奪するシーンだ。下で追いすがっているのはポリュクセネの母親だ。それにしても、アキレウスも先のホロフェルネスにしても、美しい女性にかかるとすぐ無防備になってしまう。まあ、わからないでもありませんが・・・。

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 もう一度ペルセウス像の後ろ姿を。こうして見る限りでは、凄惨な部分が隠れてしまうので、とても美しいんだけどね。

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 そのうちに、ロッジアの後方、ウフツィ美術館との通路で歓声が上がった。何だろうかと振り向くと、大道芸人がストリートパフォーマンスを始めていた。この場面は、ベビーカーを押して通り過ぎようとした若いお母さんを呼びとめて、いきなりあいさつのキス!お母さん、びっくりしながらも笑顔でした。

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 観客達もびっくりしたり、笑ったり。

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 通りかかった太目のおじさんに対して、シャツをまくったかと思うとチョークを取り出してあっという間に腹に顔を描いてしまった。

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 お嬢さんもにっこり。

今朝、通算のアクセス数を見たら20万件を突破していました。皆様のお蔭です。有難うございます!!!

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フィレンツェの街で建物巡り

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 次の日には建物ウオッチングに出かけた。スタート地点はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅。この駅から正面に見える高い建物はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だ。もちろん教会が先に出来て、その名前を駅の方が貰ったことになる。駅側からは教会の裏の方が見えている。

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 表に回り込んで行くと、フィレンツェ・ゴシックの華麗なファザードが見えてくる。10世紀からここには教会があったが、1246年に教会新築工事が始まり、今の形になった。ドゥオモと同じく色大理石が使われている。

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 14世紀、フィレンツェでは人口の半分が死亡するというペストの大流行に見舞われた。その時代、恐怖におののきながらミサに出席した女性たち7人が、郊外に脱出して少しでも死の恐怖から逃れて暮らそうと話がまとまった。そして、毎日各々が物語を創作して披露して行く。

 ボッカチオの代表作「デカメロン」は、まさにこのノヴェッラ教会でのミサから話が始まっている。

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 すぐ近くにもう一つ同じ名前を持つ店がある。サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局だ。1612年に開店。大公国の香料調整所としてスタートし、以来400年に渡ってフィレンツェ市民の健康と美容を支えてきた薬局。中は重厚な作りになっており、伝統の香りが漂う。ここでヒマワリのはちみつを土産に買い求めた。

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 ここから一気に東に向かった。アンヌンツィアータ広場。同名の教会と捨て子養育院美術館に囲まれた落ち着いた広場。真ん中にジャンボローニャ作の「フェルディナンド1世騎馬像」が建っている。そこから南に向かうセルヴィ通りは一直線にドゥオモにつながる通りだ。市内のどの通りよりもドゥオモと街並みとの景観が調和していると思える美しい道路だろう。

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 ドゥオモの身廊の長さ153m、幅38m、中には3万人を収容出来る巨大な建築物だが、決して威圧的ではなく、何か優しささえ感じさせる。

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 カッラーラ産の白大理石、プラート産の緑、マレンマ産の薄紅大理石と、3種類の大理石で形成されるドゥオモは、晴れた時こそ一層美しく冴えわたる。

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 脇にイルカと少年(?)のような現代的な彫像があった。作者はIvan Theimer。現代の作家なのだろうか?

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 オルサン・ミケーレ教会のある場所は、13世紀には一時市場になり、14世紀に再建されたものの、15世紀には飢餓対策として2,3階が食料貯蔵庫になったりと、非常に変わった歴史を持っている。周囲の壁に彫像が置かれているのが特徴だ。

 これは「聖トマスの不信」。ダ・ヴィンチの師匠であるヴェロッキオの作。トマスは12使徒の一人だが、キリストの復活に対して「あれ、キリストさんは死んだはずなのに、、、」と、最初復活を信じなかったという、とても常識的(?)な弟子だった。

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 同じ作品だが、昼と夜とではこんなに雰囲気が違って見える。

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 前回紹介したストロッツィ宮の外壁は、ピエトラ・フォルテという地元産の砂岩で出来ている。フィレンツェの街の基本的な色はこのピエトラによって表現されているといってもよい。1498年建設の、街を代表する建物だ。それは、ちょうどボッティチェッリが代表作「ヴィーナスの誕生」を制作した頃に当たる。

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 この馬つなぎの輪に、ボッティチェッリを載せた馬車馬が繋がれていたこともあったかもしれない。

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 ストロッツィ宮の横を通るヴィーニャ・ヌオーヴォ通りをアルノ川に向かって行くと、カッライア橋に到着する。旧市街に架かる7本の橋のうち、ヴェッキオ橋に次いで2番目に古い橋。美しい弧を描く橋げたが印象的。

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 そこから上流に向かい、ヴェッキオ橋のその先にあるのがグラッツィエ橋。すぐ近くにサンタ・クローチェ教会が見えてくる。

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 教会に向かう石畳は急な雨でしっぽりと濡れている。

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 サンタ・クローチェ広場に到着。教会のファザードが水たまりにくっきりと映っていた。

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フィレンツェの街角でみつけたもの

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 フィレンツェは歴史の街であると同時にモードの街ともいえる。なぜなら、フェラガモやグッチの本店はここにあるし、トルナヴォーニ通りを歩けばずらりとブランドの店が並んでいる。この分野はからっきし疎いけど、ちょっとのぞいてみた。まずはサルバトーレ・フェラガモ本店。

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 スカーフや靴のショウウインドウ。色遣いの鮮やかさに感心してしまう。

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 この店の中には靴の博物館があり、マリリン・モンローなど超有名スターの足形なども見られるとのこと。

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 エミリオ・プッチの店。ここはとにかく原色系の色が中心で、いつも目を奪われる。

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 こちらはバッグの店だが、それより下の女性像がすごい!

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 シャネルだったと思うけど、ちょっとうろ覚え。エレガンスさが秀逸。

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 こちらは何となく東洋風なマネキンの面白さで1枚。

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 夕方、駅方向に歩いていたら、日光が真正面から差し込む通りに出た。影が長~い。

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 ドゥオモ近くの建物の壁に付いていたプレート。「1966年11月4日、アルノ川の水位がここまで達した」と書いてある。この年の秋は大雨が降り続いて、4日にはアルノ川が決壊、旧市街のほとんどを飲み込んだ。川岸近くのサンタ・クローチェ教会では5mもの浸水でほとんど全滅状態になり、貴重な美術品も大きな損害を受けた。アルノ川は、アペニン山脈から流れ落ちる急流の下流にあり、水量が急激にあふれる運命にあるという。

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 このドゥオモ前のプレートだと、横を歩く女性の身長が1m65くらいなので、この辺の水位は2mちょっとになったようだ。

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 プレートのすぐ前の広場では似顔絵書きたちが仕事中。こんなかわいい女性も似顔絵を描いてもらっていた。

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 共和国広場では定番のジェらーとの立ち食い中。

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 こちらの女性たちは観光疲れか、日向ぼっこをしながらおしゃべりタイム。

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 近くの路上では、道路に名画を描くパフォーマンス。これはラファエロの大公の聖母でしょう。うまいよね。

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 あちこちの菓子店では復活祭用の卵型チョコがショウウインドウを占領していた。

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 そうこうしているうちに空がどんどん暗くなり、凄い雲に覆われてきた。またスコールがやってくる。早めに引き揚げよう。

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朝のフィレンツェ・ひつじ雲の空

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 今回泊まったホテルは、以前にも書いたように設備は最悪に近かったが、ロケーションだけはベスト。朝屋上に昇ればフィレンツェの夜明けが目の前に広がる。

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 このころの日の出は約6時40分。時差ボケですぐ目が覚めてしまう旅行前半では、全く苦にならない。夜明け前の街を見にベランダに出てみた。

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 ホテルから南方向にはバルジェッロ国立博物館の角ばった塔(写真左)とフィレンツェ最古の教会といわれるバディア・フィオレンティーナ教会のほっそりした多角形の鐘楼が並んで建っている。

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 北側にある小さめのクーポラはサン・ロレンツォ教会のもの。

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 すぐ手前にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂の丸いポッチの付いた塔が、ほんのり染まり出した空に突き出ている。

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 もう一度南側を見ると、ヴェッキオ宮の高さ94mのがっちりした塔が。

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 先端に何があるのか、明るくなってからズームで撮ってみた。これは、ユリの花の付いた槍を支えてライオンが宙に浮かんでいる。中世のフィレンツェ共和国の紋章だ。1530年までは共和国の政庁がここヴェッキオ宮にあった。

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 今度はフィレンツェ出発日の朝にもう一度屋上に上がった。

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 空にはこんな雲が広がっていた。雲は全くの素人なので後日調べてみると、この雲はひつじ雲らしい。温暖前線の接近時あるいは寒冷前線が離れる時、または気圧の谷などの影響で広がる中上層雲のようだ。何もない青空よりもある程度雲があった方が、空の広さを感じることができたりする。

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 晴れている時に広がると天気は下り坂になり、翌日は雨になることが多いとのこと。確かに翌日はしっかり雨が降った。

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この街は大聖堂とその鐘楼を除けば高い建物はない。旧市街全体が建築規制されていることで、こうした景観が守られている。

 

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 無秩序に高層ビルが乱立するどこかの大都市などとは全く違った都市形成のコンセプトが、ここにある。

 
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 700年もの前から守られてきた景観。ジョットの鐘楼のすっきりした姿は、突き抜ける青空の背景こそが良く似合う。

 
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 そして、もちろん花の聖母大聖堂も。3色の色大理石が、朝日に映える。
 

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ヴェッキオ橋の昼と夜・変遷の歴史

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 フィレンツェの名所の名称は意外に単純なものが多い。ウフィツィ美術館のウフィツィはオフィスという意味のイタリア語。メディチ家の事務所だったことがその由来だし、ヴェッキオ宮のヴェッキオとは古いという意味の形容詞。ポンテ・ヴェッキオも、単に「古い橋」という意味になる。そういえばパリにはポン・ヌフ=新しい橋=というのもあったっけ。

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 名前の通り、この橋はアルノ川に架かるフィレンツェ市内最古の橋。川幅の最も狭くなる場所を選んでローマ時代からここに橋が架けられていた。1218年にアルノ川2番目の橋(カッライア橋)が架けられた時、新しい橋に対してこちらが古い橋と表現されて今に至っているという。

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 今の橋は1333年の大洪水で前の橋が流された後、掛け替えられたもの。その後の約700年のうちで最大の危険にさらされたのは第二次世界大戦末期の1944年。フィレンツェに滞在していたドイツ軍が連合軍に攻め込まれて撤退を決めた時、敵の侵攻を少しでも遅らせようと6つある橋のうち5つまでは破壊したが、ヴェッキオ橋だけはその歴史的価値に対するリスペクトとして破壊を思いとどまったという。

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 この橋の上に屋根付きの高架廊下が出来たのは1565年。政治の中枢ヴェッキオ宮からウフィツィを通り、橋を通り越してピッティ宮へとつながる1000mの廊下はメディチ家当主のコジモ1世の命で建設された。

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 クーデターが起きたとしてもすぐに避難できる脱出ルートとして使えるものだ。任されたヴァザーリは約半年でこの「ヴァザーリの回廊」を完成させた。実は、息子フランチェスコ1世の結婚式に間に合わせよという命令によって、突貫工事が行われたという。

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 こうしてメディチ家の独占通路が出来上がったが、完成して見て1つの問題に気付いた。回廊を歩いているとなぜか臭うのだ。下を見ると何軒もの肉店が橋上に開店しており、その臭いが回廊に入り込むためだ。コジモは再び決断する。肉店はすべて撤去せよ。そして、悪臭の心配のない宝飾店だけに営業を許可した。その姿が今もこの橋に残っている。

「ヴェッキオ橋の女」。現地ではこんな表現があるそうだ。ネックレスを幾重にも巻き、指輪、ブレスレットなど全身を装飾品で飾り立てた女性を、皮肉たっぷりに言う言葉だという。

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 コジモといっても、フィレンツェ繁栄の基礎を作った老コジモとは全くの別人。決しておごることなく市民の信頼を得ていた老コジモから約100年後のコジモ1世は、専制君主となっており、ルネサンスのピークからはもう四半世紀も後の時代になっていた。

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 話を今に戻そう。ヴェッキオ橋の真ん中付近に、彫像が置かれている。これはチェッリーニの顔だ。ランツィのロッジアにあるペルセウス像の作者。銘板には「フィレンツェ金銀細工の父」と刻まれている。

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 夕方、ウフィツィ美術館側からアルノ川べりに出たら、橋の向こうに夕焼けが広がっていた。

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 ピンクからブルーへと微妙なグラデーションで変化して行く夕焼け空は、なぜか懐かしい思いを湧きあがらせる。

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 ライトアップが始まった。川下側から眺めて見る。

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 昼はアルノ川の一つの点景くらいにしか見えないが、夜は、照明にさらされて、その存在感は際立っている。

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 空の青さ、水面の青さ。一体となった中のヴェッキオ。

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 そして、街灯と連動する明かりのライン。やはり、フィレンツェは美しい。

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サンタ・フェリチタ教会=「幸せの教会」で出会う不安の絵画・ポントルモ

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 今回フィレンツェを訪れた目的の一つはポントルモの作品を見ることだった。祝日で大混雑のヴェッキオ橋をやっとの思いで渡り切るとすぐ左手にサンタ・フェリチタ教会が見つかる。

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 フィレンツェ最初の大司教、聖フェリチタに捧げられた教会。主祭壇の十字架像は修復中か、覆いがかけられていた。でも、ここの目的は別の場所。

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 入口右手にあるカッポーニ礼拝堂。鉄柵で囲まれ、礼拝堂内には入れないが、柵越し、南の祭壇に大きなテンペラ画「十字架降下」が目に入る。近づいてみよう。

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 キリストが十字架から降ろされようとしており、その体を支える人たち、さらに後方にも何人もの人がそれを見つめている。 いや、見つめてはいない。まるで放心したかのようにうつろな目が空をさまよっている。誰も言葉を発しようとはしていない。

 確かにキリストの死に対して様々な反応があるだろう。大抵は嘆き悲しむ姿で描かれる。それが自然だと思う。

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 しかし、この絵には泣く人は見当たらない。何か大きな、しかし漠とした不安にとりつかれて言葉を失った人たちの集団が、そこに存在するのみだ。ポントルモ自身も青い衣をまとったマリアの右横にうつろな表情でたち尽くしている。

 こんな絵をみたことがない。絵画もメッセージだとすると、描かれた人たちがそのメッセージを発することになる。だが、ここに登場する人々は自らの感情をすっぱりとどこかに置き忘れてきたかのようだ。逆に、そうすることで喪失の不安を表現したのだろうか。いずれにしても、見る側をも大きな不安で包み込んでしまうかのような絵画に思えた。この教会にはfelicita=幸せという言葉が冠されているというのに・・・。

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 同じ礼拝堂の別の壁面にはもう一つ注目すべき絵が描かれている。右に振り返るマリア、祭壇を挟んで左に羽根を持った天使、そう「受胎告知」だ。

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 大天使ガブリエルは、マリアの純潔を示す定番の白百合を持っていない。空から舞い降りつつあるが、まだ地面に着地していない浮遊感が感じられる。

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 マリアは多くの絵に見られるような濃い青の衣を着ておらず、どちらかと言えばパステルカラーの近代的な色合いに思える。でも、表情に明るさはない。これからガブリエルが告げようとしている受胎というショッキングな事実の告知を察知しているかのようだ。 なぜなら、マリアの見つめる視線の先がそれを示している。

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 この角度で二つの絵を見比べると、マリアの視線の先にはあの「十字架降下」が。

 これから、この世に生を受けようとする我が子。その苦難の人生の悲劇的なラストシーンを、母はもうその目で見てしまっている。何という壮絶な暗示だろうか。まさにこれ以上ないドラマチックな演出がここに仕組まれていた。ポントルモは二次元の絵画を、壁の角度を活用して三次元の表現に変えてしまった。ルネサンスの3D!?  ポントルモ恐るべし。

 彼はフィレンツェのマニエリスムの先駆者だった。ボッティチェッリのような社交的で明るい性格とは対照的に、彼は人嫌い。この礼拝堂の装飾には3年間をかけたが、その間礼拝堂を囲いで囲ってしまい、発注者のカッポーニにさえ中を見せなかったという。

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 堂内にはこんな絵も描かれてあった。

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 後方(入口側)の2階にベランダのようなスペースが見える。ここは実はウフィツィ美術館からヴェッキオ橋を通ってピッティ宮殿に通じるヴァザーリの回廊の一部になっている。メディチ家の人々は入口から入ることなしにこのベランダから直接ミサに参加することも出来た。

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 この後共和国広場を通り抜けてストロッツィ宮殿を覗いてみた。ここはメディチ・リカルディ宮殿などと並んでルネサンス期を代表する建築になっている。ピエトラフォルテと呼ばれる砂岩を使った強固な外壁を持つ壮麗な建物だ。

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 しかし、中庭は柔らかなアーチを使った優しいフォルムだ。

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 1489年着工だが、最終的に今の形になったのは18世紀前半という。

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 企画展が開かれる会場となっており、この日は上階では「フィレンツェのアメリカ人」という展示会だった。

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 一方地下は現代的な企画展のよう。展覧会を見なくとも中庭までは自由に入れる。庭を一回りした後は、近くのカフェで一休みしよう。

 

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雨がやんだら、ドゥオモ広場へ

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 フィレンツェの春は気まぐれだ。滞在した3日間、一日中晴れた日も一日中雨の日もなく、毎日晴れたり、曇ったり、また降ったりの繰り返しだった。特に雨の降り方が以前に比べて激しくなったような気がする。これも地球温暖化と関係あるのだろうか?

 ともあれ、大雨の後太陽が姿を現してくれたので、ドゥオモ広場を散策することにした。


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 青空をバックにそびえるドゥオモと鐘楼。夏の強い日差しほどではないものの、光を浴びた大聖堂の姿は格別だ。

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 雨の間は商売上がったりだった馬車たちも、早速営業開始だ。まだ石畳は濡れたままだが、そんなこと、構っちゃいられない。

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 家族連れで馬車での市内観光に。子供たちよりお母さんの方がうれしそう。

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 ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ洗礼堂の東扉にはすぐに人だかりが出来た。扉の上の彫刻はアンドレア・サンソヴィーノ作「イエスの洗礼」。コピーで、本物は付属美術館にある。

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 広場の至る所に人がぞろぞろと湧いてきた。イースター休暇で国内外の人たちが押し寄せている。まさに雨後のタケノコのように。

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 そんな中で少年君はベビーカーの弟と何やら口げんか?

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 ドゥオモ正面入り口上のタンパンには大きなキリストの絵が描かれ、アーチの両脇に聖人たちが並ぶ。

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 扉のレリーフも見逃せない。定番の受胎告知。

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 何と背景にピラミッドが!ということは聖家族のエジプト逃避の模様だろう。

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 広場の石畳は何百年もの歳月をこの地で過ごし、波瀾の歴史も見守り続けてきたのだろう。ダヴィンチもミケランジェロも踏みしめたこの石畳(多分)。だからでこぼこになったところに雨水が溜まり、水面に広場の風景を映し出す。私には、これがたまらない。今日もついシャッターを押してしまう。

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 ジョットの鐘楼の聖人たちが揺れながら地面に映り込む。

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 大聖堂のバラ窓も。

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 雨上がりのひそかな楽しみ。

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 さあ、また教会巡りに出かけよう。

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