ダンテとベアトリーチェ・街角に残る「神曲」の言葉
フィレンツェの美術についてはいろいろ見てきたが、この街は文学に関しても偉大な人物を輩出している。そう。ダンテだ。彼の作品を解説する能力は私には全くないので、フィレンツェに残る彼の足跡を追ってみた。
ある日、サンタ・クローチェ教会に行こうとしてコルソ通りを歩いていると、トスカーナ銀行の壁に細長いプレートが張り付いているのを見つけた。「DONNA M’APPARVE・・・」=女性が私の所に現れた・・。何これ?
辞書を持っていなかったので全体の内容はわからなかったが、ちょっと興味深い一節だ。周りを見回すと、そこから右に入るマルゲリータ通りに「CASA DI DANTE」と書かれた看板を見つけた。
看板に従ってマルゲリータ通りを入ってみると、とても短い通り奥の右手にダンテの家という建物があった。後で調べたところによると、ここはかつてダンテの生家のあった場所で、100年ほど前に建てなおし、今は博物館になっていた。
壁にはこんな肖像が据えられて、観光客を迎えてくれる。
今回は中に入らず、さっきの道を戻ろうとしたら、狭い路地の右手に小さな教会を見つけた。小さくて暗い堂内に何人もの人がいる。興味をひかれて入ってみた。
中に、こんな絵がある。ダンテとベアトリーチェが出会った場面だという。聞くと、この教会はサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会といい、ダンテはここで結婚式を挙げ、永遠の女性となったベアトリーチェの墓がある所でもあるということだった。
ここですこし2人の関係をおさらいしてみよう。あの「神曲」を著したイタリア史上最高の文学者。1265年にフィレンツェで生まれた。9歳のとき、彼は“運命的な出会い”をする。自宅から路地を抜け、コルソ通りに面した屋敷に到着すると、同じ9歳のベアトリーチェを見かけた。全く会話をしたわけでもなく、ダンテが一方的に「見かけた」といった形らしい。上の絵のような感じだったのだろうか。でも、ダンテにとっては大変な衝撃だったようだ。
初めに見つけたプレートはそのコルソ通りにあった。「純白のヴェールにオリーヴの冠、鮮やかな炎色の衣装に緑のマントをまとった女性が、私の前に現れた」。これはダンテが神曲・煉獄篇に書いた文章の一節だった。この建物がベアトリーチェのポルティナーリ家の住まいだった。
そして9年後の18歳のとき、今度はヴェッキオ橋から1つ先にあるトリニータ橋のたもとでもう一度ベアトリーチェに出会う。「ベアトリーチェは年長の娘と一緒に歩いていた。ダンテはその姿を見つけ、じっと見つめていると、丁重に挨拶をしてくれた。この上ない幸福、神に近づく憧憬・・・」
え、たったそれだけ? そう、2人の関係はたったそれだけ。
ベアトリーチェは裕福な貴族の娘で、ダンテとは家柄の差があった。ベアトリーチェは間もなく銀行員と結婚したが、25歳で病死する。一方ダンテもジェンマ・ドナーティと結婚する。ただ、夭折してしまったベアトリーチェへの思慕の念はますます高まって、彼女への愛を綴った長編詩「新生」を発表し、これが新曲へと繋がって行く。天才は凡人とは全く違うということだろうか。(絵の作者はヘンリー・ホリデイ)
それにしても、5人の子供を育て上げ、生涯貞淑な妻だったジェンマについては著作でも全く触れていないという。これも天才ゆえ?
教会に戻ろう。観光客の1人から「あれがベアトリーチェの墓よ」と言われて撮った写真がこれ。絵画の下側に白い浮彫で女性が横たわっている。いかにもといった感じだったが、帰国後書かれていた文字をよく見たら「ベアトリーチェの乳母モンナ・テッサの墓」と書かれてあった。やれやれ。
トスカーナ銀行の壁のように、神曲から抜粋されたダンテの文章のプレートは市内30数か所に設定されているという。これは生家近くにあったプレート。「私は美しいアルノ川のほとりの大きな都で生まれた」
こちらはトリニータ橋付近。「アルノ川の橋の上で・・・」
「平和が最後を迎えようとしている時、街を守っている石像が壊れてしまったら、フィレンツェは何か犠牲を捧げなければならない」。トリニータ橋付近。
「フィレンツェは古い城壁に中にあり、平和で控えめでつつましかった。その城壁では、3時と9時に鐘が鳴る」
サンタ・クローチェ教会前広場にあるダンテ像。この教会内にはミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイなどの著名人の墓があり、ダンテの墓もここに造ろうとした。しかし、ダンテは当時の政治闘争で追放され、ラヴェンナで死去した。フィレンツェ市は遺骨の返還を要請したが、ラヴェンナ市はこれを拒否。同教会にあるダンテのスペースは「墓」ではなく、「記念碑」となっている。
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