« イタリアテレビの女性キャスターたち | トップページ | ドゥブロヴニク・悲惨な歴史の生き証人 »

アドリア海を越えてドゥブロヴニクへ

P1010171


 「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ!」

 5年前の夏、私はドゥブロヴニクに向かう対岸の港の待合所で、一冊の本に書かれたこの言葉に多少の違和感を覚えていた。

 この言葉を記したのはイギリスの著名な劇作家バーナード・ショー。彼が1929年に彼の地を訪れた際の感想だという。彼は、マイフェアレディの原作である「ピグマリオン」を始めとする多数の戯曲を発表、1925年にはノーベル文学賞を受賞している。

P1010167


 しかし、彼は希代の毒舌家としても知られる。ノーベル賞受賞時、彼は69歳。「まるで海で遭難した人が、自力で岸辺に泳ぎ着いた後に救命船を差し向けるようなものだ」などと揶揄した。

 また、世界的に有名な女優が「あなたの立派な頭脳と、私の美しい体が結ばれたら、さぞ優秀な子が生まれるでしょう」と誘惑の言葉を向けたのに対して「私の貧弱な体とあなたの鈍重な頭脳が結ばれたら、どんな子が生まれることか」と返したという。

P1010168


 そんな毒舌家に「天国・・・」と言わしめたドゥブロヴニクとは、果して・・・。

P8319377


 ドゥブロヴニクへの旅のルートは海に求めた。私がヨーロッパに魅せられたきっかけはヴェネツィアだった。「アドリア海の女王」と称されたヴェネツィアを何度か訪れているうちに、このアドリア海を支配したヴェネツィア人の気分を一度は疑似体験してみたいとの思いがあったからだ。

P1010165001


 出発港は南イタリアのバーリ。アズーララインという大型フェリーでアドリア海を横断する旅だ。乗客はちょうど夏休みの最中だったせいか、イタリアで働くクロアチア人が休暇を利用して家族で帰省する姿も目立った。

P1010179


 アドリア海横断に要した時間は8時間。強すぎる冷房に眠れない夜を過ごした。朝甲板に出て、近づきつつあるクロアチアを見つけた。

P1010178


 いや、そういうより、半島を出発してヨーロッパという大陸に到着しようとしている、といった不思議な感覚に襲われていた。

P1010183


 町の西側にあるグルージュ港に到着。入国手続きを済ませて軽い朝食を摂り、ホテルに向かった。タクシー待合所で、停まったタクシーになぜか修道女が乗っていた。彼女は、私がホテルに行くというと、同じ方向なので相乗りさせてくれという。財布を無くしたのだそうだ。まさか修道女が悪さをすることはないだろうと、同意してホテルに向かった。確かに修道女はホテル手前の修道院で下車。しょっぱなから不思議なドゥブロヴニク観光スタートとなった。

P1010184


 ホテルはネット予約したもの。初めての国なので一泊は確保して、翌日からは旧市街の民宿を探して泊まろうとの計画だ。旧市街にはリーズナブルなホテルはなく、新市街地のラパッド地区はリゾート地になっていて大型ホテルが林立しており、泳げるビーチも目の前にあった。でも、歴史を感じさせる風情は全くない。荷物を置いて、早速旧市街地に出向いた。

P8152243


 旧市街地の入り口ピレ門へのバスは早朝から深夜まで頻繁にあり、不便なことはない。片道8クーナのバスチケットを買ってバスに乗車。イタリアと同じくこのチケットを運転席横の刻印機に通せばOKだ。15分もすればピレ門に到着する。門の上方にあるこの町の守護聖人ヴラホが出迎えてくれる。

P8152244


 旧市街への入り口は3カ所、西のピレ門、北のブジャ門、東のプロチェ門で、ピレ門はいわば正面玄関。16世紀当時は侵入を防ぐ目的で手前の橋は木製のはね橋になっていたが、今は石橋。ここをくぐるといよいよ世界遺産の旧市街だ。

P8319385


 旧市街を東西に貫く広い通りはプラツァ通り。以前はここは水路で、ここから南側が街になっていたが、街の拡張に伴って埋め立てられ、立派な大通りになった。

P8162512


 約200mの真っ直ぐな道の突き当たりには時計塔、両側にショップやオフィスのビルが整然と並んでいる。

P8162511


 開放的な街並みを灼熱の太陽がスカッと照りつける。旅人の心を高揚させずにはおかない熱気が街を包んでいた。

|

« イタリアテレビの女性キャスターたち | トップページ | ドゥブロヴニク・悲惨な歴史の生き証人 »

ドゥブロヴニク」カテゴリの記事

コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 履歴書の書き方の見本 | 2014年1月10日 (金) 12時32分

「履歴書の書き方の見本」様

 ご購読いただいて有難うございます。ドゥブロヴニクの旅は真夏の真っ盛りでしたが、アドリア海からの風が心地よく快適な時間を過ごせました。人の温かさにも触れましたし。それにメインストリートの路面の美しさも印象的でした。懐かしく思い出しています。

投稿: gloriosa | 2014年1月10日 (金) 22時26分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アドリア海を越えてドゥブロヴニクへ:

« イタリアテレビの女性キャスターたち | トップページ | ドゥブロヴニク・悲惨な歴史の生き証人 »