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プラツァ通りの不思議

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 プラツァ通りはピレ門から旧市街中心部を東西に貫く300mのメインストリート。2日目の午後、城壁巡りのために高い城壁に昇って通りを見下ろした時、何か変な感じがした。どうも目の前に広がる風景がしっくりこない。

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 午前中の時間帯、まだ太陽が東にあり、通りに直射日光が差し込む時だと、このように人々の影は当然太陽と反対側に出来ている。

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 なのに、この時は午後遅めの時間帯。太陽はかなり西に傾き始めていた。従って城壁の西端から見るプラツァ通りはもう日陰になっており、正面突き当たりの時計塔だけが日光に照らされているという状態だった。

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 だから通りを歩く人たちの影は東方向に出来るはずなのに、人影は太陽のある側・西方向に出来ているのだ。

 しばらく眺めていた「あっ」と気付いた。

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 それは、ギラギラの太陽を受けた時計塔の強烈な照り返しが、日陰になっている路面に反射し、それによって人影が出来ているのだ。しかも、路面は毎日早朝の念入りな清掃で徹底して磨きこまれ、人々の靴底でつるつるにされている。そんな石畳だからこそ、こうして一見奇妙な影が演出されるというわけだ。

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 実際、建物が途切れて太陽が通りを直接照らしている場所では、このように想定通りの影が出来ていた。

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 楽しそうに通りを歩く人たちの会話が聞こえてきそうなひと時、こんな不思議な経験もさせてくれるのも、ドゥブロヴニクの魅力かもしれない。

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 通りの終点近く、ルジャ広場にはローランの像が建っている。ローランはカール大帝に仕えた騎士で、自由の象徴とされており、ヨーロッパ各地の自由都市にはよく見られる。

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 そのすぐ近くにはユーモラスなライオンの顔をしたオノフリオの小噴水があった。

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 ライオンと言えば、ライオン像も。この地は13世紀にはヴェネツィアの管轄下にあった。ヴェネツィアの守護聖人であるサンマルコの象徴がライオン。その影響なのかもしれない。

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 オノフリオの小噴水を紹介して、大噴水を忘れてはいけない。プラツァ通りの反対側にある大きな円形の建造物がそれだ。15世紀に完成したもので、オノフリオはナポリ出身の建築家。12キロ離れた山から源泉をここまで引き込んで水の供給を成功させた。また、この時代に下水道も造っている。ヨーロッパでも有数の早さだ。中世から貿易港として発展した都市だけに、多数の外国人が出入りする。大きな問題は他国から未知の疫病を持ちこまれること。その防止策としても公衆衛生の意識が早くから発達していた証拠でもある。また、伝染病対策として、流行地域からの船は1ヶ月間沖合に足止めするという制度を作ってもいたという。

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 ルジャ広場に戻って、聖ヴラホ教会に入ってみた。ドゥブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホの名を冠した教会だけに広場の最もよい場所に建てられている。ファザードのてっぺんにあるのがヴラホ像。

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 ちょうどミサの最中だった。

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 古い教会に似合わず現代的なステンドグラスもあった。

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 これが聖ヴラホ像。左手には旧市街の模型を抱えている。といっても、現在の旧市街ではなく1667年に起きた大地震以前の街並みだという。

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コメント

プラツァ通りの不思議な影、私の観察眼がないためか、
一瞬写真を見ただけでは、どこがおかしいのかわかりませんでした。
すぐに違和感を感じたgloriosaさんはさすがですね。
前回記事のクリスティーナおばあさんのお話、
クロアチアの歴史と人々が今も背負って生きているものを
深く感じました。貴重な旅の出会いですね。

投稿: hanano | 2012年9月 8日 (土) 15時25分

hanano様

 影の件は、あの場所に午前と午後の2回上ったことで初めて気付いたんです。ゆったりした旅を心がけていることで、得をすることも時々あります。
 クリスティーナおばあちゃんとの出会いは本当に貴重な体験でした。おばあちゃん、元気にしているかなあ・・・。

投稿: gloriosa | 2012年9月 9日 (日) 11時10分

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