ドゥブロヴニクの城壁巡り2 ミンチェタ要塞から旧港付近へ
ミンチェタ要塞に別れを告げて、東側レヴェリン要塞に向けて進む。次第に聖ヴラホ教会が近づいてきた。
すぐ手前の建物に目を奪われた。一つの建物なのに瓦の色が極端に違う。これも1991年の内戦時に破壊されて新しく瓦を葺いたた所と残った所のはっきりわかる家だ。民宿のクリスティーナおばあちゃんによると、住民たちは建物の修理の際、極力昔のものを生かすという前提で修復したのだという。そんな努力が世界遺産の危機リストからの復活につながったのだろう。
他の建物でも、新しい瓦と
古い瓦ではこんなにも違う。ここのへこみは銃弾の跡かも。
城壁外の新市街の住宅は、瓦の色はオレンジでも壁の白さが全く違う。
レヴェリン要塞に近づいてきた。ドミニコ会修道院の鐘楼がすっきりと立ちあがっている。
見事にオレンジで埋まる旧市街の風景。よくぞここまで調和のとれた街並みに復活したものだと、感嘆してしまう。
プラツァ通りに建つ時計塔が目前に見えてきた。大きな鐘が収まっている。
アップして見ると、こんな鐘突き男が毎日、時を知らせる仕事に精を出している。ごっくろうさーん。
レヴェリン要塞に着いた。旧港全体が見渡せる場所だ。
港にはボートたちがずらりと並ぶ。
港側からミンチェタ要塞を見上げる。まさに堅固な要塞だ。
特に何の変哲もない煙突だけど、2つ並ぶとどことなくスタイリッシュ。
2個並び繋がりで、セルビア正教会の双子の塔。
海側の城壁を歩く人たちの姿が豆粒のように見える。この城壁が造られたのは8世紀だが、今のような形になったのは16世紀に入ってから。東西交易の拠点として栄えた。ラグーサ共和国時代の1667年に死者5000人を出す大地震に見舞われたが、この城壁だけはほとんど被害を受けなかったという。
もちろん怖いのは地震だけではない。敵国からの攻撃に備えて大砲が常時配備されていた。今でも城壁の何か所かにそのなごりがあった。
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