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2012年10月

ティエポロを訪ねてウーディネへ~リベルタ広場

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 アルプス連峰の一角ドロミテの山々がそびえている。ここはイタリア最北の州フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の都市ウーディネ。ジャンバティスタ・ティエポロに会うためにこの街にやってきた。

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 ホテルに荷物を置いて、まずは街の中心地リベルタ広場に出かけた。モンタニャーナではあんなに濃い霧に包まれていたのがうそのように、ここは柔らかな春の陽光が降り注いでいた。広場は、中心にルネサンス風の柱廊が広がっている。サン・ジョヴァンニの柱廊だ。

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 その中央に突き出している時計塔の屋根の上には、鐘を突く一対のムーア人像が立っている。

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 こん棒を持った巨人はヘラクレス。その後方に有翼のライオン像が柱の上に乗っている。こう見てくると、何かデジャヴ状態になる。時計塔の文字盤とムーア人像、ライオン像など、どれもこれもまさにヴェネツィアのサンマルコ広場をここに再現したかのようだ。

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 それも無理はない。この地は15世紀からヴェネツィア共和国の領土として長い歴史を刻んできた。ただ、ローマ時代からの独自の歴史を全く失ってしまったわけでもない。共和国に入る見返りとして自治権を獲得し、自治都市としての発展を続けてきた。

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 サンマルコ広場にはない噴水があった。

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 控えめに吹き出ていた水。

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 広場向かいの建物の壁には堂々とした彫像が何体も。ピクチャレスクな空間だ。

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 広場を囲む向かい側の建物は市庁舎。自治の担い手たちの本拠地となってきた。

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 フロント部分は広いロビーとなっている。1456年完成で、設計者の名前を撮ってリオネッロのロッジアと呼ばれている。

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 このロッジアから、北に延びるメルカート・ヴェッキオ通りを眺める。落ち着いた美しい街並みだ。

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 壁面には2枚の絵が飾ってあった。楽器を演奏する3人と

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 聖母子像だ。

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 アーチ越しに見るリベルタ広場も、何とも言えず清々しい。地元の人たちは「この広場は北イタリアで最も品格のある空間だ」と自慢してやまない。

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 確かに豪華ではないものの、清楚なすっきりと整備された心地よさが漂っている。

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モンタニャーナの夜景ファンタジア

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 生ハムの簡素だけど実は美味しい夕食を終えて、夜の散歩に出かけた。ホテルのオーナーから教会や城壁のライトアップがあると聞いたからだ。

 広場に出ると、もう教会のライトアップは始まっていた。昼に見た時よりドゥオモは大きな姿になっているように見える。

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 広場周囲の通りは屋根付きなので雨でも苦にならない。

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 正面の建物の屋根にある煙突は、ちょっと変わった形をしていた。これもいにしえの職人たちの意気込みの表れかも。

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 まるでどこかの宮殿のよう。昔はパラッツォの一部だったのかもしれないが、今ではここも単なる広場前の通路。

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 本来ならレストランやカフェの屋外スペースとなる場所だけど、今夜は雨のせいもあって御休み。

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 そうこうしているうちに黄昏の空の青さがとても美しくなってきた。町の中心広場は、時折車が通り過ぎるだけで人通りはほとんどない。人口は1万人足らずということだが、それでもこんなに立派な教会を持っていることに驚きを感じてしまう。

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 城壁のライトアップは午後8時からというので、8時きっかりに城壁の外に移動した。しっかりライトアップが始まっていた。

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 14世紀に造られた城壁は、不規則な四辺形で一周約2キロ。高さ18mの塔が24か所に設置されている。ぐるりと眺めてみると、ライトアップされているのは駅に向かう南側城壁の東半分だけで、反対側は真っ暗状態だった。

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 でも、ライトアップ部分は幻想的な光景を見せていた。雨雲の移動によって空の模様が刻一刻と変化する様は、映画の一場面みたい。特に白い雲で空の大半が覆われた時などは、風雲急を告げる中世の戦い直前の緊張を思わせる。またある友人は、この写真を見て「ハリー・ポッターの世界のようだ」と言っていた。

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 フェラーラ領主のエステ家、パドヴァ領主のエッツェリーノ家などの支配の後15世紀からはヴェネツィア共和国の領地となった町。東方貿易で運ばれた織物などの物資がこの地で保管されていた時代もあったという。

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 こうして静かに広場の夜景を見ていると、雨もまたよし、と思えてきた。

 ただ、30分でいいから晴れた夕焼けの城壁も見たかったなあ。

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 翌朝目覚めると、今度はすごい霧。ドゥオモ広場では市の立つ日ということで露店の準備が始まっていたが、天気はこんな有り様。

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 それでも、靴屋さんの露店ではすっかり準備が出来ていた。露店でも陳列の仕方にはセンスが感じられる。やっぱりイタリアだ。

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 オーナーが駅まで車で送ってやると言ってくれたが、風景を眺めながら歩きたいので、気持ちだけ有難く受け取ってチェックアウト。駅に向かった。

 駅は無人駅で、切符の自動販売機も見当たらない。というより、駅舎そのものが閉鎖されていて入れない。横にあるキオスクで聞いてみると、そこで切符を売ってくれるという。それで「ウーディネまで」と頼んだら、キオスクのお嬢さん、「そんな駅の切符は売ったことがないのでわからない」という。さあ、困った。「北の方に行くんだけど、じゃあ、どこまでならわかる?」と聞くと、「ヴェネツィアならOK」だって。どうせヴェネツィアで乗り換えなくてはならないので「じゃあ、ヴェネツィアまで」と購入。お嬢さん、ほっとした表情だった。

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 ホームには線路が2本。ヴェネツィア方面への電車がどちらのホームから発車するかわからない。1人だけいた地元の人に聞いてみると、答えは「センプレ ウノ」だって。つまりすべて1番線、上りも下りも使うのは1番線だけなのだそうだ。その通り電車は1番線に入ってきた。さあ、次の目的地アルプス・ドロミテの麓にあるウーディネに向けて出発だ。
  

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どこか知らない世界へ  モンタニャーナの城壁

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 暑い夏の思い出として、クロアチア・ドゥブロヴニクの風景を特集しましたが、また、イタリアの旅に戻ります。

 

 「どこか知らない世界へ」ーーグッビオ、チヴィタと歩いてきた今回の旅のキーワードは、このフレーズだった。そして、もう一つの「知らない世界」が、モンタニャーナ。実は、数年前にインターネットでたまたま目に止まった一枚の写真があった。高い城壁が張り巡らされ、その何か所に尖塔が配置されている。壁の内部はうかがい知れない。ただ、その孤高のたたずまいに魅せられてしまった。それが、モンタニャーナという町。ガイドブックにも何も載っておらず、予備知識はゼロ。でも、その名前はイタリア鉄道のウエブにはちゃんと載っていた。パドヴァとマントーヴァの間の無人駅。

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 単線のローカル線でパドヴァから約1時間、モンタニャーナ駅に着いた。降りたのは私を含めてたった3人だけ。町への道を聞こうとして駅舎横の通路を出ると、真っ直ぐ前に城壁が現れた。

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 迷うことはない。真っ直ぐ進めばOKだ。

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 空は今にも泣きだしそう。写真で見た遥かな青空は全く見えない。

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 城壁の中に入る。

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 中心の通りはポルティコ(アーケード)が続く。でも、天気のせいか、午後だからか、人通りはほとんどない。

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 やっと一軒のホテルを見つけてチェックインした。他にはホテルらしきビルは見当たらなかった。でも、ここのホテルはとても立派。気さくなオーナーが分厚い資料をくれて、街の歴史を教えてくれた。その教えに従って、ドゥオモに向かった。

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 城壁内唯一?の広場に面した堂々としたドゥオモ。もらった資料によれば、扉口はサンソヴィーノ作。簡潔にすっくと高くそびえるファザードだ。15世紀前半、ゴシックの影響下に建設が始まり、16世紀初頭、ルネサンス期に完成したという。

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 中央、主祭壇に大きな絵が据えられている。

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 近づいてみてビックリ。これはすごいじゃん。早速資料をめくる。ああ、ヴェロネーゼ作「キリストの変容」。キリストが弟子を率いて山に登った時、彼の体が輝きだした。そして天から「これは我が子(神の子)なり」と告げられたという、聖書の物語だ。

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 また、入口側の壁に描かれた絵も妙に気になった。これも解説がみつかった。「ゴリアテの首を持つダビデ」。だいぶ退色していたが、完成当時はさぞかし華やかな色彩だったろうと思わせる。解説には「この卓越した作品はジョルジョーネと仮定されている」との記述だった。確定はしていないものの、ジョルジョーネかもね!といった感じ。あのティツィアーノの師匠で眠れる裸婦像を描いた天才だ。

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 この他人物像が連なる礼拝堂もあった。

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 こちらは主祭壇天井部の聖母被昇天。ブオンコンシリオの作品のようだ。

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 これも素朴な中に敬虔な気持ちにさせる崇高さを持ち合わせた絵画に見えた。

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 見知らぬ町の見知らぬ教会で、ヴェロネーゼに会える幸せ。ジョルジョーネかもしれない絵がポンと置いてある驚き。イタリアの教会巡りはこれだからやめられない。

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 ドゥオモ横の建物も由緒ありげなアーチ型をしていた。

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 そのアーチの中にはこんなフレスコ画がさりげなく。

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 アーチそのものの模様も、植物をモチーフにしたきめ細かな細工がなされている。モンタニャーナ恐るべし。

 ホテルにレストランがあったので、そこで夕食をと思ったが、あいにく今日は休みだって。町に出てもそれらしい店が見つからず、細い道に入ってみたらスーパーを見つけた。そう言えば、もらった資料には生ハムがここの名産だって書いてあった。店に入ってみると、ラッキーなことに今日は生ハムの特売だってビラが貼ってあった。店内にちゃんと肉屋さんが入っていて、大きな生ハムの塊から切り分けてくれた。それにポテトサラダ、牛乳を買ってホテルに。

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 皿もなくて見てくれは悪いが、この生ハムがめちゃくちゃうまかった。極限まで塩分を抑えてあるため日持ちせず、遠い所には出荷できないことから一部には幻の生ハムとさえいわれているんだ、とオーナーが自慢げに教えてくれた。その味は甘ささえ感じるほどの柔らかく深い味わいで、今回の旅で食べた食材の中でもNO1だった。

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 夕食後町に出ると、ドゥオモのライトアップが始まった。その模様は次回に。

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ドゥブロヴニク最終日 旧市街の全景を見る

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 滞在最終日は旧市街の全体を見ようと、スルジ山に昇り始めた。

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 朝、この日もよい天気。ピレ門方面から太陽が上る。

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 今でこそケーブルカーが復旧してあっという間に山の頂上に昇れるが、私の行った5年前は、まだケーブルカーは壊れたままで、ひたすら急な階段、坂を上らねばならなかった。

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 だいぶ上った。振り返ると旧港が見える。でもまだ樹木がじゃまして全体の見通しはきかない。

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 さらに上った。旧市街がすっぽりと見晴らせる場所まで来た。城壁の具合などが良くわかる。

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 少し角度が足りない感じだが、寝不足の身にはちょっと山登りは辛い。これで良しとしよう。(すぐに妥協してしまうところが、私の弱点・・・)

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 港の模様もバッチリだ。ここで、市場で買ってきたモモをかじりながら下界の眺望を楽しんでいたら、後ろから声をかけられた。「宿を探していないかい?私の民宿は見晴らし最高だよ!」。残念ながら今日イタリアに戻るので・・・と丁重にお断りした。

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 街に戻って土産物探し。この陶器製の人形は、中にワインが入っている。

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 前日夜に撮った時は、照明が少しだけ入ってちょっといいムードだった。

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 そう言えば、こんな人形の店もあった。店員さんもこの舞台の一員のよう。

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 港町らしく、船の模型を飾った興味深いショーウインドウも。

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 いよいよドゥブロヴニクともお別れ。パスポートチェックを終えて船に乗り込んだ。イタリア・バーリまで約8時間の航海が始まった。

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 まだ夏真っ盛り。甲板では日光浴の人たちで満員だ。

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 アドリア海の鮮やかな藍色に船の航跡が白く刻まれては消えて行く。それにしても、この海の色の何という素晴らしさ!

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 そして数時間、海の彼方に夕日が沈んで行く。ドゥブロヴニクの旅は、沢山の思い出と共に終わりを告げようとしている。中でも、病身にもかかわらずいろいろと面倒を見てくれたクリスティーナおばあちゃん、ありがとう!

 今でも元気に暮らしておられますように!

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ドゥブロヴニク旧市街の路地歩き

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 ドゥブロヴニクの旧市街は、プラツァ通り以外はほぼすべての道が狭い路地になっている。何度も迷ったが心配は無用。いざとなればプラツァ通りに出れば方向確認はすぐできる。

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 この街でもジェラートは大人気。お嬢さんもウオーキングジェラート。

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 ヴェネツィアの曲がりくねった路地と違って、ここの路地は基本的に縦横90度で交わる形になっており、京都の中心街と似たイメージ。でも、交差点で迷う人はたくさんいた。

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 南北の道はプラツァ通りを底辺として上り坂。従って高さがあるので、見晴らしは良い。

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 こんな具合に急な坂道の階段が続く。その分、独特の景観が演出される。

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 一方東西の道は比較的平坦。上の日当たりのよい場所に洗濯物がずらり。

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 下に目を移すと、そこにはレストランのテーブルが並ぶ。

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 テントがあるので気がつきにくいが、そこそこの高級そうなレストラン。なのに実は洗濯物の下での食事になってしまっていた。

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 午前中、グンドリチェフ広場では野菜や果物の市が開かれる。たくましいおばさんたちが威勢の良い声で商売をしていた。

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 後方に大聖堂の塔がちょこんと顔を出している場所だ。私は安売りしていたモモを2個買った。みずみずしくてとてもうまかった。

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 ピレ門付近では、フォークロアを歌っていた女性歌手に出会った。顔立ちは南欧というよりはスラヴ系の雰囲気が感じられる。

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 小さなトンネルもいくつもあった。太陽が強烈なだけに光と影とのコントラストが印象的だった。

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 暗さがある分、このトンネルを抜ければなにか新しい世界が待っているのかも、といった一瞬の幻想が頭をよぎる。

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 新市街の坂を東に昇って行くと、旧港の姿が見下ろせた。

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 その港に向かう大型観光船がゆったりと進んで行く。

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 港の先にある海水浴場では、夏を楽しむ観光客たちが一杯。ああ、水着を持ってくればよかった。

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 海の色と溶け合うような鮮やかな水着の女性も。

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ドゥブロヴニクの夜歩き下

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 ついに光り輝くプラツァ通りを独占した!

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 夕食後、一旦宿に引き返してベストを羽織って出直した。聖イグナチオ教会から降りる大階段でも、地元の若者たちが語らいの最中だった。

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 その階段の途中で、ネコと戯れる少女たちと会った。愛嬌たっぷりの少女と超美少女。2人で3匹の子猫を抱えていた。

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 よく見るとその足許には、親猫とさらに2匹の子猫。つい数日前に生まれたばかりだという。

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 写真を撮らせてもらったお礼を言って、プラツァ通りに。ああ、まだ人通りは途切れない。

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 でも、両側の建物と石畳と、照明を浴びて輝きを増している。ただ、通りの“独占”までには程遠いなあ。この写真の撮影時間は現地時間の午前0時25分。ドゥブロヴニクの夜は決して眠らないのだろうか。

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 こうなったら夜明け前を狙うしかない。宿に戻って仮眠をとろう。

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 といった訳で、翌朝夜明け前に起き出して、通りに出てみた。やった~!見事に無人の大通りが、あった!!!。と、よく見ると中央で手を振っている若者が・・・。

 この若者が通り過ぎるのを待って撮った写真が今回冒頭のショット。時間は午前5時21分。「ドゥブロヴニクを見ずして、天国を語るなかれ」あの皮肉屋のバーナード・ショーがそう言った言葉は、まさに皮肉ではなく、心からの言葉だったのだと、この時理解したような気がした。

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 後ろを振り返る。東の時計塔の奥ではもう空が明るくなりかけてきた。

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 もう一度ピレ門側の無人の光景を。

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 また、振り返って時計塔を。ふんわりと浮かび上がっている。

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 聖ヴラホ教会も優しく見守ってくれているような。こんなに何度も前を向いたり後ろを振り返ったりしているオリエントの異邦人を、もし地元の人が見ていたらかなり挙動不審に思うだろうことは、間違いなしだった。

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 すっかり幸せな気分になった異邦人は、るんるん鼻唄を歌いながら帰途に着くのでした。

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 宿手前で空を見上げれば、朝はもうそこまで来ている。

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ドゥブロヴニクの夜散歩 中 

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 滞在3日目の夜、今夜こそはプラツァ通りの夜景決定版を撮ろうと、街に出た。前夜は観光客だらけで石畳が光で輝く様子が見られなかった(と言っている私もその観光客の一人なのだが・・・)。通りを独り占めする瞬間を経験して見たい。

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 まずはルジャ広場へ。たそがれ時の賑わいは相変わらずだ。真夏の夜、この街ではいろいろなイベントが催される。2日前には五島みどりさんのバイオリンコンサ-トがあったようだ。

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 旧港に出てみた。家並みの明かりが水面にゆっくりとゆらいでいる。港町らしい風情だ。

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 見上げれば、ドミニコ会修道院手前のレストランは青白いライティングで目立っている。

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 通りに戻った。聖ヴラホ教会。定番だがやっぱりシャッターを押してしまう。

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 そして大聖堂のクーポラ。空の青さとの絶妙な溶け込み具合が気持ち良い。

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 ここの大聖堂は正面の広場が狭いので、画面に全体を収めるには斜め横からのアングルになってしまう。

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 大聖堂の横にあった道に入ると、レストランのテーブルが広げられていた。

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 路地裏の民家。取り込み忘れたのか、洗濯物がぶらさがったまま。生活が息づいている。

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 再び広場に戻ってきた。こちらのレストランはもう客で満杯。ここは朝には果物や野菜の市場に早変わりする。

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 総督邸前のスペースもレストランのテーブルが占めていた。

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 語り合う人々。真夏なのだが、夜になると涼しい風が吹き始めた。室内よりもテラス席の方が数倍心地よい季節だ。

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 聖ヴラホ教会前の階段に腰掛けて、何かはやりの歌を歌っていた少女。鼻歌だったが、ビックリするくらい上手だった。

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 こちらの塔はフランシスコ修道院の鐘楼。まだまだ人波は途切れそうにもない。近くのレストランで食事でもして時間をつぶそう。

 3日まえパソコンがウイルス感染してしまい、業者に駆除してもらっていて更新が遅れました。みなさん、ウイルスバスターの更新はまめに心がけましょう。

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ドゥブロヴニクの夜散歩上

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 ドゥブロヴニクの旧市街は狭い。城壁の1周が約2キロだから、半日もあれば十分見て回るのは可能だ。しかし、それではドゥブロヴニクの本当の良さを見ることなしに帰ってしまうことになりかねない。その一例として夜景をご覧頂こう。

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 早めの夕食を済ませた日、プラツァ通りから一本南の路地に入ったレストランから聖ヴラホ教会の裏手に抜けた。

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 正面にある総督邸のライトアップが始まった。そぞろ歩きの観光客もあちこちに見受けられる。

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 道を回りこんでプラツァ通りの終点ルジャ広場に出ると、どんと聖ヴラホ教会が現れる。内部の照明が点いているのだろう、ファザード上部にあるステンドグラス部分が鮮やかに彩色されて輝いている。

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 同教会に取り付けられた照明で、後方に見える大聖堂を照らしているのが、この角度から見るとよくわかる。

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 親子連れらしい女性2人が記念撮影中。やっぱりこの場所は外せない。

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 後ろを振り向くと、スポンザ宮殿もライトアップ。ここやさっきの総督邸の窓枠は、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿などのゴシックの窓枠に本当によく似ている。ここにもヴェネツィアの支配した時代の影響が残っている。

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 プラツァ通りに目を移すと、こちらはまるでお祭りのように人で埋め尽くされていた。

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 それにしても、この通りは本当に美しい。特に夜空の下で輝く光景が。ただ、ちょっと人が多すぎるなあ。

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 通りをピレ門のある反対側の端まで歩いてみた。オノフリオの噴水付近も人だかり。この日はかなり歩いたのでちょっと疲れた。夜景は翌日に改めて挑戦することにして、帰路に着いた。

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 道の途中、青白く浮かび上がる大聖堂が、路地の隙間から顔を出した。

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 帰りは近道の細い階段を上る。壁に聖人の姿が描かれているのに気付くのも、夜の照明のおかげだ。

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 このような坂道の路地が無数に広がるのが、旧市街の特徴。とりあえず今夜はしっかり休息して疲れを取り、明日出直そう。

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もう一つの要塞・ロブリエナッツ要塞へ

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 城壁巡りの次の日、旧市街の西にあるロブリエナッツ要塞に昇ってみた。城壁巡りの入場券でこちらの要塞にも入れる。

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 道すがら、ピレ門の外側の家に犬の門柱が目に入った。とても犬好きな家なのか、それとも神社の狛犬のような曰くのあるものなのか?

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 そうかと思えば、こんな巨人の像も。

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 海の見える場所に出た。ちょうど少年たちのカヌー教室が始まったところだった。

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 ロブリエナッツ要塞に行く前にその隣の高台に上った。旧市街の城壁が目前に迫る。ボカール要塞付近だ。

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 海を行く船が優雅に通り過ぎる。

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 ミンチェタ要塞の全体の形がここからならよくわかる。

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 こちらにも観光船がすれ違う。

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 さらに西側はリゾートホテルのあるラバット地区に通じている。

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 展望台からみたロブリエナッツ要塞。ロクルム島もその奥に浮かんでいる。

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 一旦坂を下りて、今度はロブリエナッツ要塞に挑戦だ。

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 要塞に着いた。この入口にラテン語で文字が刻まれている。帰国後に調べてみると、その文字は次のような内容だった。「あらゆる黄金をもってしても、自由を売ってはならない」。

 この言葉は、まさにドゥブロヴニクの歴史をそのまま物語る言葉だった。ドゥブロヴニクのある場所は、ちょうどビザンツ、オスマン帝国の首都だったコンスタンティノープルとヴェネツィア、ジェノヴァといったイタリアの海洋国との中間にあり、この地を経ずして東西交易は成り立たなかった。そのため、常に列強の覇権の対象になってきた。ドゥブロヴニクは強大な武力を持っていたわけではない。従って戦いとなれば勝ち目はない。そこで彼らは情報の先取りや外交交渉を通じて列強とのバランスを図り、宋主権を認めるかわりに貢納金を支払うことで自治権を死守してきた。その精神がここに記されているというわけだ。

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 中に入ってみよう。石造りの堅固なアーチが続く。

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 修復されて非常に清潔感に溢れた空間になっていた。

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 旧市街の城壁がきれいに眺められる。

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 遠くの山々まで見渡せる、本当に美しい光景が広がる。

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 それでも、大砲の存在が、ここが要塞だと告げている。第一次政界大戦後もこの国を取り巻く情勢はシビアなものだった。資本主義社会と共産主義社会との軋轢の中で、この土地はユーゴスラヴィア連邦という国家に統合された。しかし、この国家は3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国というモザイク国家だった。見せかけの平和は長くは続かなかった。1989年のベルリンの壁崩壊を機に民族自立を求める戦渦に巻き込まれ、結局クロアチア、ボスニア、モンテネグロなど6つの国に分裂した。こうした歴史を背負っているからこそ、「自由」の尊さが、見に沁みているのだろう。

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 帰り道、平和であることの大切さを改めてかみしめる時間になっていた。
 

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