もう一つの要塞・ロブリエナッツ要塞へ
城壁巡りの次の日、旧市街の西にあるロブリエナッツ要塞に昇ってみた。城壁巡りの入場券でこちらの要塞にも入れる。
道すがら、ピレ門の外側の家に犬の門柱が目に入った。とても犬好きな家なのか、それとも神社の狛犬のような曰くのあるものなのか?
そうかと思えば、こんな巨人の像も。
海の見える場所に出た。ちょうど少年たちのカヌー教室が始まったところだった。
ロブリエナッツ要塞に行く前にその隣の高台に上った。旧市街の城壁が目前に迫る。ボカール要塞付近だ。
海を行く船が優雅に通り過ぎる。
ミンチェタ要塞の全体の形がここからならよくわかる。
こちらにも観光船がすれ違う。
さらに西側はリゾートホテルのあるラバット地区に通じている。
展望台からみたロブリエナッツ要塞。ロクルム島もその奥に浮かんでいる。
一旦坂を下りて、今度はロブリエナッツ要塞に挑戦だ。
要塞に着いた。この入口にラテン語で文字が刻まれている。帰国後に調べてみると、その文字は次のような内容だった。「あらゆる黄金をもってしても、自由を売ってはならない」。
この言葉は、まさにドゥブロヴニクの歴史をそのまま物語る言葉だった。ドゥブロヴニクのある場所は、ちょうどビザンツ、オスマン帝国の首都だったコンスタンティノープルとヴェネツィア、ジェノヴァといったイタリアの海洋国との中間にあり、この地を経ずして東西交易は成り立たなかった。そのため、常に列強の覇権の対象になってきた。ドゥブロヴニクは強大な武力を持っていたわけではない。従って戦いとなれば勝ち目はない。そこで彼らは情報の先取りや外交交渉を通じて列強とのバランスを図り、宋主権を認めるかわりに貢納金を支払うことで自治権を死守してきた。その精神がここに記されているというわけだ。
中に入ってみよう。石造りの堅固なアーチが続く。
修復されて非常に清潔感に溢れた空間になっていた。
旧市街の城壁がきれいに眺められる。
遠くの山々まで見渡せる、本当に美しい光景が広がる。
それでも、大砲の存在が、ここが要塞だと告げている。第一次政界大戦後もこの国を取り巻く情勢はシビアなものだった。資本主義社会と共産主義社会との軋轢の中で、この土地はユーゴスラヴィア連邦という国家に統合された。しかし、この国家は3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国というモザイク国家だった。見せかけの平和は長くは続かなかった。1989年のベルリンの壁崩壊を機に民族自立を求める戦渦に巻き込まれ、結局クロアチア、ボスニア、モンテネグロなど6つの国に分裂した。こうした歴史を背負っているからこそ、「自由」の尊さが、見に沁みているのだろう。
帰り道、平和であることの大切さを改めてかみしめる時間になっていた。
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