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2013年1月

サンタンジェロ城屋上で夕陽を見る 下

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 日没から20分ほど経ったろうか。夕焼け色が消えて行く一方で、街の灯が輝きを増してくる。地上と空とがちょうど似たような明るさで調和する瞬間がある。

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 サンタンジェロ城は、サン・ピエトロ大聖堂をほぼ正面から眺め下ろすためには唯一無二のロケーションかもしれない。

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 南に目を移すと、サンタンジェロ橋がローマ市内に向かって伸びる。

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 その先の橋はヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋。いずれもテヴェレ川に架かる橋だ。プッチーニの代表的オペラ「トスカ」は、最後の場面で主人公トスカが、今立っているこの屋上から身を投げるが、これまではトスカはテヴェレ川に沈んで行ったのだろうと思っていた。

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 ところが、実際に屋上に立って見ると、テヴェレ川まではかなりの距離があることが分かる。普通に考えれば、トスカの体は川の手前の地面に叩きつけられてしまったと考えられる。それとも、ここは聖天使城、トスカは最後の瞬間に天使から羽根を与えられたのだろうか。

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 大聖堂から伸びるコンチリアツィオーネ通りが街灯によって線状に明るさを得て、ヴァティカンに夜が訪れた。閉館時間が迫ってきた。サンタンジェロ城の内部をよく見る時間が無くなってしまった。出口に向かおう。

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 この城はもともとハドリアヌス帝の霊廟として造られた。完成したのが139年。非常に古い建物だ。

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 しかし、その堅固な構造から、城壁の一部に組入れられた。

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 中世以降はローマ教皇によって要塞となり、一方では教皇の避難所となったり、牢獄として使われたりもした。

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 サンタンジェロ城という名前の由来は前回紹介したとおりだが、そのきっかけとなった大天使ミカエルは、キリスト教的には最後の審判の時に死者をさばくために現れる天使。人の祈りと願いを聞く役割も持っている。

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 708年にはフランス・ノルマンディの司教の夢に現れて、島に教会を造れ、と命じたこともある。その結果造られたのが、あのモンサンミシェルの教会だ。

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 これが英語読みになるとマイケル。マイケル・ジャクソンもマイケル・ジョーダンもみんな、聖ミカエルの名前をもらっているわけだ。そういえば、ビートルズの名曲にミカエルのフランス語読み「ミッシェル」があったっけ。

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 こうして夜の史跡の中をゆっくりと歩いていると、ローマはその街に脈々と歴史を刻み続けてきたのだということを実感させてくれる。

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 大きなスロープの途中にあった大きな顔。これがハドリアヌス帝だろうか。この城壁は元々はハドリアヌス帝の霊廟。彼は120年頃あのパンテオンを現在のような形に建て替えた人だ。

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 高台から街を俯瞰することで、先人たちの生きた時代をかすかにのぞき見ることが出来た気分になった。

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サンタンジェロ城屋上で夕陽を見る 上

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 よく晴れた日の午後、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラと夕陽を眺められる場所はどこだろうかと探していた。ホテルからサン・ピエトロに向かう道で、ふとサンタンジェロ城は屋上まで昇れることに気付いた。そういえば城の真西方向にサン・ピエトロ大聖堂はある。なら、絶好のロケーションのはず。

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 早速予定を変更してサンタンジェロ城を目指した。

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 屋上に昇ってみると、冬の夕陽はつるべ落とし、あっという間に地平線に沈んで行く。でも、夕焼けの美しさはこれからが本番だ。

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 冬なので太陽は真西でなくだいぶ南に寄った方向に沈む。だから夕陽の輝きの中心がクーポラの真後ろに来ることはない。

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 だが、クーポラ周辺の空も十分に赤みを増してきて、アップして見ると、建物全体を包み込むかのようにあかね空が広がっていた。

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 日没方向と反対側の空もピンクに染まっている。雪を頂いた山を背景にした、最高裁の建物屋上にある騎馬像。

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 手前に停まったカモメも、ほんのりかすかにピンクがかって。

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 屋上広場にはこの城の象徴・大天使ミカエルが剣を鞘にしまう姿で立っている。590年、教皇グレゴリウス1世が、当時ローマで大流行していたペストの終結を願って行列していた時、大天使ミカエルが現れ、城の頂上で剣を鞘に収めるジェスチャーを見せ、それでペスト流行が収まったという。それからこの城がサンタンジェロ=聖天使の城という名前になった。その姿が今も彫刻の形で残っているわけだ。

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 たそがれの空は、次第に濃い赤に支配されて行く。今から500年ほど前、大聖堂内でアテネの学堂の壁画を描いていたラファエロは、ローマの日没の光景をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。

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 神聖ローマ皇帝軍にローマを略奪され、サン・ピエトロからこの城に閉じこもった教皇クレメンス7世は、落日の模様に涙したのだろうか。

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 この雄大なクーポラ建設の設計を手掛けた時ミケランジェロは、夕焼けに包まれるこんな姿を思い描いていたのだろうか。

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 その自由思想に異端の嫌疑がかけられて、この城に幽閉されたジョルダーノ・ブルーノは、牢獄の小さな窓から黄昏のローマを見ることが出来たのだろうか。

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 城の前にあるサンタンジェロ橋。ベルニーニの彫像たちへのライトアップが始まった。

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 同時に、サンピエトロ大聖堂のライトアップも開始された。巨人がゆっくりと目を覚ますかのようだ。

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 大聖堂前の通りも街灯が点灯し、次第に夜の装いに移って行く。その模様を、次回にもう少し。

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ナヴォーナ広場下 夜のにぎわい

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 また別の日、夕方にナヴォーナ広場を通りかかった。ベルニーニの噴水にもライトが当てられて、夕暮れの空をバックに精彩を放ち始めていた。

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 ただ、クリスマスシーズンとあって、人出は通常の何倍にもなる。

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 ナイル川の寓意像も、広場のあまりの賑わいに耳をふさいでいるようにも見えてしまう。

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 屋台の売り物で目立ったのは、各種の人形。特に老婆の人形があちこちにぶら下がっていた。プレゼピオ用なのだろうか。

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 シルエットで見ると、ちょっと不気味な感じも。

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 こっちはとても優しそうなおばあちゃん。

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 昼にはすらりと高い姿で目立っているサンタニェーゼ教会も、夜になると屋台の照明にたじたじといった風。

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 同じく、ラプラタ川の寓意像も屋台の照明が明るすぎて、参ったなあ、とポーズしているようにも見える。

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 ムーア人の噴水像などは完全に脇役に追いやられてしまった。

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 その近くで聞こえていたのが南米のフォルクローレ「コンドルは飛んでゆく」。日本でも街角などでよく聞くが、ローマでも頑張っていた。

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 こちらは、インド人風な大道芸人による空中浮遊。

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 老若男女様々な人たちが市の雰囲気を楽しんでおり、気持ちがあったかくなる。

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 プレゼピオ用人形はとても小さなものまでそろっていて、いつまでも見飽きなかった。

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 人や風船に取り囲まれたネプチューンの噴水。

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 帰りがけ、ナヴォーナ広場から1つ脇の道に出たら、こんなイルミネーションが。ささやかに祭りを祝っている。

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ナヴォーナ広場上 ベルニーニの四大河の噴水とクリスマス市

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 クリスマスシーズン中、イルミネーションではないけれども最もにぎわっていたのはナヴォーナ広場だった。教会巡りの途中、何回もこの広場を通ったので、昼と夜の2回に分けてその様子をお伝えしよう。

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 北側から広場に入って最初に目に入るのはネプチューンの噴水。この広場には3つの大きな噴水がある。

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 アップして見ると、ネプチューンはかなりかっこいい。古代ローマ時代の戦車競技場跡なので、南北の長さ260mに対して東西は50mと細長い馬蹄形をしている。

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 広場中央にあるのが、四大河の噴水。ローマバロックの中心人物ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの代表作の一つだ。右側にサンタが立っているのがいかにもシーズンらしい。ここに配された4人の人物はそれぞれの大陸の代表的な川を象徴している。

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 4人の中でも一番ハンサムなのがインダス川の寓意像。アジア大陸の象徴だ。

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 隣りが、ヨーロッパ大陸の象徴・ドナウ川の寓意像。

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 頭から布をかぶっているのがアフリカ大陸のナイル川。これは向かいにある、建築のライバルだったボッロミーニが造ったサンタニェーゼ教会が貧弱で見ていられないとの皮肉を込めて造られたという説がある。

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 これがそのサンタニェーゼ教会。

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 また、仰向きで手を挙げている、アメリカ大陸の象徴ラプラタ川の格好も、同教会が崩れ落ちるのを防ぐ格好をしているのだ、と言われたという。ただし、調べてみるとこの噴水が完成したのが1651年、サンタニェーゼ教会の着工が1652年(完成は1657年)で、こうしたエピソードは事実ではない事がわかっている。

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 クリスマス時期は恒例の市が開かれていた。クリスマス用品、プレゼピオ用の人形から、日用品や各種食料品までいろいろ。

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 イタリアでもミッキーマウスは大人気のようだ。

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 でも、この時期だけはサンタさんが一番。

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 イタリアの祭には必ず登場する回転木馬はここでもフル回転だった。

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 ローマにも綿あアメはありました。

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 大道芸を見守るピンク帽の姉妹がめちゃくちゃ可愛かった。

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 広場の南端まできた。ここにはムーア人の噴水が設置されている。これもベルニーニのデッサンに基づいて造られたという。次回は広場の夜のにぎわいを。

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ローマのクリスマスイルミネーション2012

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 日本のクリスマスシーズンのイルミネーションは年々ますます華やかになってきているが、クリスマスの“本場”であるイタリアでは全く派手さは感じられない。クリスチャンにとってのクリスマスは厳粛な宗教行事であるという前提があるイタリアと、宗教とは無関係なイベントと化している日本との違いなのだろう。それでも、イルミネーションがないわけではない。そんなローマの街を歩いてみよう。

 多分ローマで一番明るい通りは、ヴィットリオ・エマヌエーレ・2世記念堂から始まるコルソ通り。記念堂の屋上から見下ろすと、この通りだけがこんな風に光が帯状に繋がっている。

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 屋上から降りて記念堂の正面に。巨大なクリスマスツリーがお目見えしていた。

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 その記念堂を背に歩き始めた。屋上から見えた光の帯は、こんな形のイルミネーション。

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 波のようにうねりながらずっと続いている。

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 コルソ通りの途中から歩行者天国になって、人もどんどん増え始めた。

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 もう、身動きするのが大変なくらい。

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 ちょうどコルソ通りとコンドッティ通りの交差点に差し掛かった。コンドッティ通り側はランタンのような形をしたイルミネーションがぶら下がっている。

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 この角にあるフェンディのビル。ここだけが派手なライティグを施している。ビルそのものをプレゼントの箱に見立てて、

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 光のリボンで包み込むという演出だ。

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 それも、30秒くらいごとに色が変化する。

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 赤、青、緑と変わって・・。

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 オレンジで計4色。

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 ビルの前に設置したクリスマスツリーも、メタリックな輝きを持つ現代風なものだった。

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 コンドッティ通りは突き当たりがスペイン広場。広場の上に建つトリニタ・ディ・モンティ教会の鐘楼が見える。

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 さらにポポロ広場の方に歩いて行くと、路上でパフォーマンスが始まっていた。これはフェルメールの真珠の耳飾りの少女。この絵は昨年日本にも来ていた。大変な人で、絵の前で立ち止まるな、というアナウンスがされていたことを思い出した。

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 こちらはヴァティカン博物館近くのリソルジメント広場にあったツリー。

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 もう一つ、コロッセオの前にも大きなツリーが設置されていた。

ローマのクリスマス時期の夜の演出はせいぜいこんなもの。大人しいもんです。イヴの日などはどの店も早じまいしてしまう。私が入ったレストランでは午後7時にはもう閉店の看板を出していた。「これからどうするの?」とカメリエーレに聞くと「もちろん、すぐ家族の元に帰るよ」と即答された。こちらは一人旅、宿に帰っても待ってる人はいない。異国の夜にちょっとセンチメンタルになって柄にもなく一句。

        面白うて やがて哀しき イヴの夜

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サン・ピエトロ広場の夜明け

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       <サン・ピエトロ広場の聖パウロ像>

 ローマに着いた翌朝、夜明け前にサン・ピエトロ広場に出かけた。この日の日の出は7時35分。大聖堂と広場の照明がまだ消えないうちに到着して、広場を独り占めした気分を味わおうと思ったからだ。

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 サンタンジェロ城を過ぎるとコンチリアツィオーネ通り。大聖堂を真正面に見ることが出来る。この通りも無人かと思ったら、車が1台走っていた。

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 その通りを過ぎてヴァティカン市国に入った。広場から通りを振り返ると、東の空がかすかに明るくなってきた。

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 サン・ピエトロ広場を取り囲む楕円形の列柱回廊は、長径が220mもある。その向かって左端で無人の回廊を1枚。この回廊は17世紀の天才ベルニーニによって設計された。

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 太い柱が4列になって連なっており、総本数は284本になる。

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 ナターレ(クリスマス)直前の日曜日、午前9時を過ぎたころには人であふれてしまう広場だが、今は静寂が支配している。見上げるとライトアップされた大聖堂のクーポラが輝いていた。このクーポラはミケランジェロの設計。

 ミケランジェロの死去は1564年、ベルニーニの誕生は1598年。この世では出会うことのなかった2人だが、期せずしてヴァティカンという特別の場所のスカイラインが、この2人の天才によって構築され、それを21世紀の我々が見ることが出来ることに、不思議な感慨を覚えてしまう。

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 大聖堂は午前7時から入場可能。まだセキュリティチェックに並ぶ人もおらず、見かける人は“出勤”する神父さんたちだけ。スイスイと通過することが出来た。入口に向かう途中、剣を持った大きな像が出迎えてくれる。聖パウロ像だ。聖堂内の模様は後日紹介することにして、今回は外側に限定して掲載して行こう。

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 堂内見学を終えて外に出た。ファザードを背にして列柱回廊を見上げると、明るくなった空を背景にして2つの聖人像が何か会話を楽しんでいるかのように見えてきた。

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 かと思うと、別の所ではまるで口げんかをした後でそっぽを向いているようにも見える。回廊の上には126体もの聖人像がある。

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 入場した時とは反対の側から広場に下りたが、そこにはペテロ像が天国へのカギを持って立っている。サン・ピエトロとは聖ペテロのこと。大聖堂は聖ペテロの墓の上に建てられている。

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 ファザードの屋上にも聖人像が並ぶ。キリストを中心に洗礼者ヨハネと、ペテロを除く11人の使徒たちの像だ。

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 十字架を持ったキリストが朝焼けの陽を浴びている。

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 広場を出て、少し離れるとやっとクーポラ全体が姿を現す。

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 さらにその先端の十字架をアップして見た。確かここまで昇れたような記憶がある。

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 サンタンジェロ城付近まで戻って、もう一度大聖堂を振り返る。今日は風もなくとてもよい天気。寒さの心配もせずに楽しい街歩きが出来そうだ。

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サン・ピエトロ広場のプレゼピオとイヴのミサ

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     <サン・ピエトロ広場に造られたプレゼピオ>

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 ナターレ前日にもサン・ピエトロ広場ではちょっとした行事があった。広場中央に造られたプレゼピオのお披露目式だ。プレゼピオとは、キリスト降誕の模様を人形などで再現する模型で、年末にはほとんどどこの教会でもこれを飾り、キリストの生誕を祝う。午後3時頃広場に行ってみたら、柵が設けられて警官がガードしていた。開始時間を聞くと、4時からだという。ちょっと近くを散歩してから、また広場に戻った。

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 今度は人だかりが出来ていた。柵の中にはダンスを披露するらしい小学生たちがスタンバイして、何やら談笑中。

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 ピンクの帽子をかぶった、ちょっと偉そうな神父さんも到着した。

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 ブラスバンドの行進が始まり、柵の中に入場してきた。あれ、バンドの皆は何と私たちの前で行進を終え、そのまま立って式を見守るようだ。つまり、私たちの場所からは、前が全く見えなくなってしまった。

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 そんな訳で、プレゼピオの幕が開けられても、見えるのはほんの端っこだけ。マンマ・ミーア!

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 それで、仕方なく柵前を離れ、広場にあるモニターで、間接的に眺めるだけしか出来なかった。これは、さっきの子供たちの歌のお披露目の様子。

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 それで、別の日に撮った写真をどうぞ。作者は南イタリアにある世界遺産マテーラ近くの街の出身というフランチェス・アルテーゼさん。岩山の中に建設されたマテーラの街の不思議な光景と昔の住民の姿を借りて、キリスト生誕のシーンを表現したという。

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 生まれたばかりのキリストが真ん中に見える。

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 マテーラらしく、洞窟に住む人たちも配置されていた。

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 当日に戻って、広場ではプレゼピオのお披露目式も終了し、クリスマスツリーも明かりが入って、大聖堂のライトアップとの3点セットが実現していた。

 また、この日は大聖堂内で大規模なミサが行われた。ここには予約なしでは入場できないので、翌日朝のテレビ画面から何点かアップします。

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 大聖堂内、ベルニーニの天蓋の上からの俯瞰はなかなか見られない。

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 法王は天蓋の下に着席していた。

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 大聖堂内部の装飾もすごい。

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 誕生したキリストが堂内に運ばれてきた。テレビの題字は「神のいない世界には平和は来ない」と記されていた。

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 ミサが終わり、ベネディクト16世の退場シーン。この時期、ヴァティカンは普段にない熱気に包まれている感じだった。

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続・ヴァティカンでローマ法王に“会った”

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       <聴衆の歓声に答えるローマ法王>

 サンピエトロ広場のクリスマス当日の模様を続けます

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 ローマ法王が登場し、クリスマスメッセージの読み上げを始めた。

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 まず、シリアの内戦に関して、紛争の政治的解決に向けての対話を呼びかけた。

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 また、イスラエルとパレスチナ問題に触れ、救い主が生まれた地に平和がもたらされますように、と祈りを捧げた。

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 法王の言葉を熱心に聞き入る女性の姿も。

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 この他中国に信教の自由を求め、エジプトに自由と尊厳を基盤とした社会の実現を願った。

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 その間、聴衆たちは静かに真剣に法王の姿を見つめていた。

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 法王の声は意外にハスキー。一言一言かみしめるように語りかける口調が印象的だった。

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 この後、法王の前に何やら大きな本のようなものが差しだされた。何かと思ったら、「BUON NATALE!」からスタートする世界各国各地方の言語によるクリスマスのあいさつが始まった。あの本のようなものに、各国言語の言葉が書いてあるようだ。

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 この辺から聴衆の表情も柔らかくなってきた。

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 最初はイタリア語。続いて2番目はエスペラント語だった。この時はエスペラントと書かれたプラカードを持ったグループから歓声が上がった。3番目はフランス語、その後は英語。いつ日本語が発せられるか。なかなか順番が回ってこない。順番を数え忘れた約40番目くらいに、日本語で「クリスマスと正月おめでとうございます」の挨拶を聞くことが出来た。しっかり、わかりやすい発音だった。

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 合計65の言語で挨拶を終え、聴衆の歓声に答えながら、法王ベネディクト16世はバルコニーを後にした。

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 聴衆たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で、会場の写真を撮ったり、

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 大噴水の周りで感想を述べ合ったりしていた。

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 神父さんたちも広場で歓談中。

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 広場の端から振り返ると、まだまだ広場は人で埋まっていた。

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 白い僧衣を身に付けた尼さんたちに続いて、サンピエトロ広場を後にする。

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 距離は遠かったけど、ナターレという特別な日に法王と会うことが出来て、ちょっと幸せな気分で広場を後にした。

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ヴァティカンでローマ法王に“会った”

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       <クリスマスイヴのサンピエトロ大聖堂>

今回の旅はイスタンブールからローマへと移動したのですが、時期物の写真がローマに多いので、ローマの風景から掲載して行こうと思います。第1回目はクリスマス当日のサン・ピエトロ広場からスタートです。

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 12月25日クリスマス(ナターレ)の当日、ローマ法王のクリスマスメッセージの模様を見るために、サン・ピエトロ広場に出かけた。宿のオーナー・ジョヴァンナさんによると、「法王の登場は正午から。でも凄く人が集まるから早めに出かけた方がいいわよ」とのアドバイス。それで、午前10時に宿を出た。広場までは約15分、テヴェレ川沿いを進んでいくと、大聖堂に向かう神父さん達と出会った。

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 サンタンジェロ城を過ぎると、大聖堂を真正面から眺めるコンチリアツィオーネ通りに出る。ヴァティカン市国の独立のためにイタリア政府との間に交わされたラテラーノ条約は、「和解」を意味するコンチリアツィオーネと呼ばれるが、この通りを作ったムッソリーニが、この言葉を通りに命名した。見晴らしは良いが、ここに住んでいた住民たちを追い出して強引に造ったファシズムの権威の所業だとして、あまり市民の評判は良くないようだ。

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 広場に着くと、人々が続々と集まってきていた。

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 テレビスタッフも準備進行中だ。

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 大聖堂正面ファザードの上にあるキリスト像が、朝日を浴びている。

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 サン・ピエトロ広場の前半分くらいには椅子が並べられていた。招待客が座るのだろうか。中間部分に設けられた柵の外側でセレモニーの開始を待った。

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 ところが、10時半すぎ頃柵の一部が開けられた。あの椅子席は一般市民も座ってよいらしく、皆柵を越えて入って行く。それなら有難く座らせてもらおう。さっきの写真でいうと左奥の列、前から11番目に席をゲット出来てしまった。

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 椅子席もさっきまでいた立見席も、広場はまたたく間に人で埋まって行く。

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 近くのドイツ人はドイツ国旗を体に巻いてアピール。

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 11時15分過ぎ、大聖堂2階中央の赤いカーテンのかかるバルコニーに黄金の椅子が用意された。法王の座る椅子だ。

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 11時35分、ブラスバンドが演奏を始めた。広場後方から行進して大聖堂玄関前のスペースに到着。

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 続いて法王を警護するおなじみのスイス人衛兵たちが正装して登場した。

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 さらに別の音楽隊も。

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 そして赤いスカーフを肩に巻いたグループが行進してきた。

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 次は青いスカーフ隊。

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 さらに黄色いスカーフ隊も。これらのグループが何なのかは不明。

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 広場に設置された大型テレビモニターが広場全体を映し出した。もう完全に広場が人で埋まっている。後で聞いたテレビでは観衆は5万人と言っていた。

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 12時。いよいよ法王ヴェネディクト16世がバルコニーに登場した。大きな拍手が沸く。

これからが本番だけど、続きは次回に。

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イスタンブール・雪のブルーモスク

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 12月にしては珍しく吹雪の吹き荒れた翌未明、イスタンブールの旧市街は闇の中にあった。

さすがの雪も、ひと時のまどろみに似た静寂を保っている。

ホテルの屋上に昇る。

ボスポラス海峡に架かる大橋のライトアップに目をやった後、息を凝らして目の前の輝きをみつめる。

ブルーモスク。内部に張り巡らされたイズニックタイルの色からそう呼ばれる500年前の建物が、この瞬間に誕生したかと錯覚してしまうほどの新鮮さでそこにあった。

柔らかい照明に照らされて、長い剣を思わす6本のミナーレ(尖塔)を天に突き立てる一方、ドームの緩やかなカーブがソフトにフォルムを形造る。

そこに積もった、雪の白さ。

ここはヨーロッパ。しかし、背後にうっすらと灯る灯火はアジアの大地の始まりだ。

日の出が近づくと、グレーからブルーに、空の背景は次第に明るさを加えて行く。

そう、空全体がブルーに彩られた時、モスク自体も青白い光を発して浮かび上がった。

イスタンブールの人々が、旅に訪れた文人たちが、このモスクをブルーモスクと呼んだもう一つの理由は、堂内だけでなく外からもまた輝きを発する瞬間があることを知っていたからなのだろうか。

冬のある時期、ある条件の時だけに見せる、高潔で気まぐれなメタモルフォーセス。

旅は、こうして意外な贈り物を与えてくれるものなのだ。

 皆さま、明けましておめでとうございます。

 年末、イスタンブールとローマに行ってきました。ローマ帝国の歴史を彩ってきた2つの都です。吹雪にみまわれたり、カメラのレンズを壊したりといろいろありましたが、思いがけない風景にも出会うことが出来ました。

 新年は、この旅の様子からブログをスタートしたいと思います。今年もまたよろしくお願い致します。

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