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2013年4月

ボスポラス海峡・ナイチンゲールを英国で2番目に有名な女性にした出来事

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 「海峡の潮流は全く速い河のようである。風でもある日は白い波が牙をむくほどだ」(塩野七生「海の都の物語」)

 「町の中を流れているこの水は、アムステルダムやヴェネツィアの運河、あるいはまたパリやローマを2つに分けている川などとは比較出来ない。なぜなら、ここには強い潮流があり、風や波があり、深く暗いからである」(オルハン・パムク)

 ボスポラス海峡。確かにこの海峡は町の中を流れている。しかし、南北約32キロのこの流れは、北の黒海と南のマルマラ海、そしてエーゲ海、地中海を繋ぐ、まぎれもない海なのだ。そしてユーラシアの東西を結ぶ陸の道との交流点でもあった。

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 旧市街のエミノニュ港から連絡船に乗り、ボスポラス海峡を横断してアジア側のカドキョイに行った。

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 船は頻繁に出ているが、どの便も乗船者はかなり多い。この便にも駆け込みで乗ってくる人たちを見かけた。

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 船が港を離れる。正面のモスクが旧市街のスカイラインを彩っている。

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 新旧の2つの街を結ぶガラタ橋も間近に見える。

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 海峡に出た。天候は曇り。ボスポラス大橋が霞んで見える。アジアとヨーロッパとを初めて繋いだ橋だ。1973年完成のこの橋の長さは1074m。当初は世界で第4位の長い橋だった。なお、この海峡は広い所で2・5キロ、狭い所だと700mしか離れていない。

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 大橋完成の15年後、1988年、黒海に近い場所に2番目の橋ファティーフ・スルタン・メフメット大橋が架けられている。

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 旧市街側にトプカプ宮殿を見上げる位置まで船は進んできた。この場所は金角湾、ボスポラス海峡を見下ろす絶好のロケーション。古代ギリシャ時代はここにギリシャ神殿が建ち、アクロポロスと呼ばれる市街が形成されていた。

 その後、コンスタンティヌス1世時代には、営々と築かれた海岸の城壁が金角湾からマルマラ海まで総延長16キロにも及んだ。その城壁を今でも、宮殿のすぐ下にはっきりと見ることが出来る。

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 海峡から新市街を眺める。塩野七生の記述のように、今日も白い波が立っている。

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 海峡の途中で、ブルーモスク(6本)とアヤソフィア(4本)の合計10本のミナレットがきれいに横並びにそろう風景が見られる。アジア側に住んでヨーロッパ側に船で通勤している市民も多いが、彼らはこのような光景を見ながら1日を始め、夕陽に染まるモスクを眺めながら家路につく毎日を送っているわけだ。ちょっと羨ましい。

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 北側には灯台のような建物が現れる。王女の悲しい伝説が残るこの小島の建物は乙女の塔と呼ばれる。灯台だったが、今はレストランになっている。

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 アジア側にベージュの壁と4本の塔を持つセミリエ兵営が見えてくる。19世紀初頭にスルタンが建設した建物。この兵営は1853年に勃発したクリミア戦争時に野戦病院として使われた。そして、この建物はナイチンゲールを一躍世界的に有名にする場所となった。

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 この地図で見ると、中央の水色が黒海。水色部分の真ん中に上からぶら下がるようにはみ出している島のような陸地がクリミア半島だ。

 クリミア戦争は、ロシアとトルコの戦争に英仏軍が参戦して、ロシアを撃退した戦い。ロシアは黒海から地中海へ進出する生命線として、ボスポラス海峡の通行権を奪いたかった。そこで当時衰退していたオスマントルコに戦いを仕掛けた。

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 戦いは激戦となり、1856年の終戦までに両軍の戦死者は20万人を越えたという。従って負傷者はそれを上回る多数となり、トルコ英仏連合軍の野戦病院がトルコ・アジア側のユスキュダルに設営された。それがこの兵営だった。ただ、病院と言っても急造のもので、ベッドもろくになく、負傷兵は床に横たわり、周囲をネズミが走り回るという不潔な環境だった。

 ロンドンタイムズは、負傷兵の扱いがいかにひどいかを報道、これを知った1人の女性は自ら志願し、38人の女性たちを率いて看護活動のために現地を訪れた。その女性がナイチンゲールだった。

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 毎日1千人を越える負傷兵が送りこまれる病院で、ナイチンゲールたちは不眠不休、献身的に看護に当たった。その姿に感動し、夜見回りをするナイチンゲールの影に、涙ながらにキスをして感謝する兵士もいたという。「クリミアの天使」の名称はこうして生まれた。

 彼女の活動は日々の看護だけではなかった。コレラなど伝染病の蔓延する野戦病院では衛生環境の改善が急務であることを、綿密な統計資料を作成して軍上層部に訴えかけ、ついに同病院での兵士の死亡率を40%から2%にまで引き下げることに成功した。

 ナイチンゲールは当時30代前半。若い看護師の活躍は母国にも伝えられ、彼女はあっという間にヴィクトリア王女に次ぐイギリスで2番目に有名な女性になってしまった。

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 余談だが、彼女のフルネーム「フローレンス・ナイチンゲール」は、両親が新婚旅行で訪れたフィレンツェに滞在中に、そこで彼女が誕生したことから名付けられたという(フローレンスはフィレンツェの英語読み)。といっても両親が“出来ちゃった婚”だったわけではなく、新婚旅行が2年間という超長期旅行だったことによるもの。イギリスの上流階級はスケールが違いますねえ。

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 出航から30分、アジア側の港カドキョイに到着した。

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 カドキョイの港から見た2つのモスク。高樹のぶ子は「イスタンブールの闇」にこう書いていた。

「イスタンブールのヨーロッパ側からアジア側に渡る。こうやって、戻るつもりで渡っても、二度と戻ることなしに死を迎えることも、人にはあるのだと思った」。

 旅の中で人生の節目を体験することもある。それが旅なのかもしれない。

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イスタンブールアラカルト・路地ねこからアルジャジーラの女子アナまで

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 イスタンブールには、飼い猫でも野良猫でもない「路地猫」がいる。地域の人たちがお互い了解のもとに猫に餌をあげ、見守っている猫たちだ。

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 地下宮殿近くの道で2匹の猫に出会った。路上をゆったりと散歩中。そこへおじさんが出てきて餌をやろうとする。「お宅の猫ですか?」と聞くと、「イッツ マイ キャッツ」との答え。すると、そこに別のおじさんが顔を出し、「ノー、イッツ アワ キャッツ」と訂正した。

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 この伝統はずっと昔からあるらしい。イスラム教の始祖・ムハンマドのエピソードにこんな話があるという。ある時、ムハンマドが居眠りをしていたら、1匹の猫が彼の着物の裾に包まるようにして一緒にうたた寝を始めた。目覚めたムハンマドは、そのまま起き上がれば猫を起こしてしまう。そこで彼は猫の寝ているほうの着衣の袖をハサミで切り離して、猫の眠りを妨げないよう、腕をそうっと引き抜いたという。

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 そんな、猫との共生の精神が根づいているのだろう。吹雪の路上で餌を与えるお爺さんの姿もあった。

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 猫を呼ぶ時は「ビス ビス」と掛け声をかけると振り向いてくれるようだ。警察官も猫に呼びかけているのを目撃した。

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 旧市街の大通りディワーン・ヨル通りを歩いていると、何度もスカーフを巻いた美人の笑顔に出会った。

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 新式のトラムに大きく女性の姿が描かれているからだ。

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 そんな最新型のトラムと数百年前のモスクとの取り合わせがイスタンブールの魅力だ。

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 また、バスにはボスポラス海峡クルーズのPRが。時間があれば行ってみたかった。

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 街中の交通事情は決して良くない。エミノニュ付近の道路は車の洪水だ。2020年のオリンピック開催地に立候補しており、東京、マドリードと競っているが、最大のネックはこの交通事情だろう。

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 トプカプ宮殿で見かけたイスラムの家族。とても和やかで温かそうな一家だった。

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 シルケジ駅近くにある家。壁一面のイラストはオスマントルコ時代の風景のように見える。

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 イラストと言えば、トラム駅近くにあった看板。アヤソフィアを描いているようだが、なかなか見事。

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 夕食時に食べたキョフテ(羊肉のハンバーグ)。セリム・ウスタという超有名店で、キョフテ以外にはほとんどメニューなしというこだわりぶり。安くてうまいB級グルメといった感じだった。

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 こちらは屋台で売っていたケスターネ・ケバブという小ぶりのケバブ。うまそうだったけど、食べなかったので味は未知数。

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 そしてトルコ名物の伸びるアイス。街で見つけなかったが、空港で売っていた。食べてみたが、まあまあ、味は普通。

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 最後に、ホテルのテレビで見たニュース番組。きれいなアナウンサーだなあ、と思って良く見たら、左下に出ていたテレビ局の名前は「アルジャジーラ」。アルジャジーラといえばイスラム過激派アルカイーダなどのニュースでよく聞く名前で、殺伐としたイメージだったのだが、日常はこんな優しそうな人がニュースを読んでいるんだなあと、妙に納得した瞬間だった。

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トプカプ宮殿下・皇帝が見た街の風景

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           <トプカプ宮殿から見た新市街>

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 宮殿敷地の一番奥の方まで進むと、バクダット・キョシュキュという建物がある。17世紀のバグダット攻略を記念して造られた東屋だ。

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 金色の屋根のあるイフタリエと呼ばれる場所は断食明けの食事処で、皇帝たちはここから街を見下ろして優雅な時間を過ごしたという。

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 その手前、スルタンの私室付近で、30代前半と思われる東洋系の女性とすれ違った。アジア人なのかも、と思って声をかけた。ところが、「私はウズベキスタン人」との答えが返ってきた。「ごめんなさい、私は日本人です。ウズベキスタンは遠いですよね」。思わずそう話すと、彼女は首を振って「いいえ、日本の方がずっと遠いですよ」と笑いながら答えた。

 そう、ここはトルコ。この場所から見れば、日本なんて遠い遠い極東の外れの国だっけ。生まれて初めてのウズベキスタン人との会話は、ちょっと気恥ずかしい、でも柔らかい微笑みをもらえた瞬間だった。

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 イフタリエからボスポラス海峡越しに、豪華な装いを凝らした建物が見えた。これがドルマパフチェ宮殿だ。19世紀半ば、1856年に完成した宮殿は、ヴェルサイユ宮殿を思わせるバロック調。この完成により、政治の中枢は400年続いたトプカプ宮殿からドルマパフチェへと移って行く。

 トルコが共和国になった後は大統領官邸としても使われ、初代大統領ケマル・アタチュルクは1938年11月10日、この建物の中のベッドで死を迎えた。

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 旧市街を見れば、3つのモスクが並ぶ光景が間近に展開する。まさにこれがイスタンブール。

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 その一番手前のモスクがイエニ・ジャーミー。

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 遠目のスレイマニエ・ジャーミー付近の塔は、ベヤズット塔。意外に新しく19世紀初めに造られた火の見の塔だそうだ。

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 金角湾を挟んで旧市街から新市街に架かる橋は、手前がガラタ橋。こうして見ると真ん中部分が開閉できる機構になっているのがわかる。その奥はアタチュルク橋。

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 新市街ににょっきりと伸びているのがガラタ塔。今日は絶対あの塔に昇るぞ!

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 一通りの見学を終えて帰りの出口付近にあったタイル画。何となくハレムの雰囲気が漂う絵だった。

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 儀礼の門を出るとプラタナスの林と遠くのミナレットが迎えてくれる。

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 見学を終えたのは昼前の時間帯。見学中はがらんとした感じだったが、これからの観光客があふれんばかりに続いていた。早めに来て正解だったようだ。

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 通りに出ると、スルタン・アフメット・ジャーミー(ブルーモスク)の建物が正面に見えてきた。さあ、次は港に行ってボスポラス海峡を渡ろう。

 

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トプカプ宮殿上・ムハンマドの果てない夢

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 「コンスタンティノープルを開城し、そこをバラの花園に変えよ」。イスラム教の教祖ムハンマドが、こう言い遺してこの世を去ったのは632年のことだった。

 4世紀からずっと東西交易の一大拠点であり華やかな都であり続けたコンスタンティノープルの攻略は、イスラム教徒が何世紀にもわたって抱いてきた果てない夢だった。

 それをかなえたのがメフメット2世。1453年、船を陸越えで金角湾に運ぶという奇襲を使ってビザンティン帝国を滅亡させ、ついに都の征服に成功する。そのメフメット2世がスルタン(皇帝)の住む場所として建築したのがトプカプ宮殿だった。

 ボスポラス海峡側から見上げると、同海峡、金角湾、さらに旧市街を一望できる絶好の場所に建っていることがわかる。

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 ヒッポドロームからアヤソフィアの横を通って最初に見えるのが皇帝の門。今でも警備の兵士が銃を持って立っている。

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 その前にある建物はアフメット3世の泉。

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 門をくぐったが、すぐに宮殿があるわけではない。だだっ広い庭(第一庭園)にプラタナスの木々が高々とそびえている。凍える朝だったので、道はスケートリンクのようにつるつるだ。

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 道路右側のチケット売り場で入場券を買って、国旗のはためく儀礼の門をくぐる。でも、ここを過ぎてもまた広い庭(第二の庭)。70万平米という広大な敷地には、正義の塔という塔以外はほとんど平屋建ての大人しい建物ばかり。来場者を圧倒する豪華さが目立つヨーロッパの宮殿や城に比べると、何とあっさりしていることか。

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 正義の塔の奥にあるハレムに入るには別にもう一度入場券が必要だ。まずはそのハレムに入ってみた。女性たちの部屋は4人の妻たちの部屋や別の女性たちの部屋などが続く。調度品もあまりなく、がらんとした雰囲気。天井が低く暗い場所だった。ここに500人もの女性たちが住み、スルタンの愛を得るための葛藤が繰り広げられた。権力と官能の渦巻く空間だったのだろう。

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 そんな場所で、すっきりとしたドームを見つけた。

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 こちらのドームには果物や植物の絵が描かれていた。

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 天井から伸びる模様つきの線。現代にも通じる斬新なデザインが面白い。

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 室内には装飾品などはないが、それだけに入口の飾りが目立つ。

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 貝を使った(?)扉のキラキラ。

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 そんな中でも、タイルの模様は一際目を引いた。伝統的な植物をモチーフにしたデザイン。

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 一方、ピラミッドを思わせるイラスト風なものも。

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 また、素晴らしいステンドグラスもあった。豪華な花束を連想させる美しいブルーの装飾だ。

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 こちらは、現代風なデザイン。

 ここから、宝物館に回り、86カラットという巨大ダイヤや世界最大のエメラルド、メリナ・マルクーリ主演の映画にもなったトプカプの短剣などを見た。だけど、そこは撮影禁止で写真はなしです。

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 中庭に出た。こうして見てくると、宮殿と言っても、ヴェルサイユやシェーンブルンなどといったヨーロッパの宮殿をイメージすると全く質素だ。なぜなら、オスマントルコはもともと中央アジアから移動してきた遊牧民族の国家。定住しないライフスタイルなので、ゴージャスな建築は必要としなかったという長い伝統がそうさせたのだろう。ただし、それも19世紀になると、すっかり様相は一変し、ヨーロッパ型のドルマパフチェ宮殿の建設になっていくのだが・・・。
 

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京都さくら巡り下 平安神宮、妙心寺、植物園

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 紅色の滝が 鮮やかな軌跡を描いて 流れ落ちる

 春の数日間 年に一度だけ現れ

 邯鄲の夢のごとくに はかなく消える 紅色の滝

 漆黒の闇を背に 熱を帯びて輝く 幾筋もの流れは

 ほのかな風を受けてさえ 震えて 跳ねる

 千二百年の歴史が培ってきた 京の雅を

 その細い枝と花びらに 凝縮させて

 弾けて 揺れて 舞い落ちる

 妙なる 心の 桜滝

            <妙心寺退蔵院の紅枝垂れ桜>

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 京都府立植物園に初めて入ってみました。晴天の下のソメイヨシノは眩しいくらい。

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 清々しい花びら。ここではさくら以外の花も撮りましたが、それらはまた別の機会にアップしたいと思います。

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 平安神宮に移動しました。約一万坪の広い神苑に300本の桜があります。

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 神宮の朱塗りの社をバックにした桜は、優しく映ります。

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 紅枝垂れが青空を覆うように咲き誇っていました。谷崎潤一郎は「細雪」の中でこの桜についてこう記しました。「この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年にわたって待ち続けていたものなのである」。

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 神苑散歩。栖鳳池越しに見る桜のピンクが池の水面一杯に滲み出して、陸と池との境目がなくなってしまったよう。

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 池に架かる橋殿も花越しに見ると一段と風情が増して見えました。

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 桜の一枝が水面近くまで垂れ下がっていました。これも風雅。

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 京都だと、何でもきれいに見えてしまう気分になります。すっきりとした空気感が心地よい。

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 散歩のついでに真如堂まで歩きました。ここの三重塔の下にある枝垂れ桜はもう葉桜になっていました。このころには夕暮れが迫り始めたので、塔と夕陽を1枚撮ってまた移動です。

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 右京区にある妙心寺退蔵院にやってきました。ここは夜のライトアップをしていました。開門時はまだ照明が点灯しなかったので、花びらをアップしてみました。

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 30分ほど過ぎてライトアップ開始。空の青をバックにして桜が輝き出します。

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 紅枝垂れ桜の枝の内側に入って満開の桜を中から見つめます。素晴らしい光景に出会えました。

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 一枝だけのアップもまた美しい。


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 桜色に囲まれた夢の世界。至福の瞬間でした。

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京都さくら巡り上  円山公園、清水寺、祇園

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             <満開の円山公園・枝垂れ桜>

 念願だった京都の桜を見に行ってきました。ちょうど満開状態で、街中が白やピンクの花びらであふれていました。

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 阪急の四条河原町駅を出るとすぐに、桜の花が目の前の高瀬川に降るように咲き誇っていました。

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 最初の目的地は円山公園。園内には沢山の出店が並び大賑わい。ここには690本の桜があるそうですが、紅桜が比較的多く目につきますね。

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 ライトアップまで少し時間があったので、高台寺まで歩き、八坂の塔を眺めてきました。ここもしっかり桜が満開。

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 種類はソメイヨシノでしたが、一部点灯していた照明が花びらに当たって、ほんのりと薄紅色に色づいています。

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 円山公園に戻った所でライトアップが始まりました。公園中央にある枝垂れ桜。

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 長く垂れた桜の枝が、天から舞い降りる天女の羽衣にも見えてしまいます。

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 清水へ 祇園をよぎる桜月夜

     こよひ逢う人 みなうつくしき

 与謝野晶子が詠んだのはこの枝垂れ桜の辺りだったといわれています。

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 空の青が濃くなり始めて、その色が花びらをも染めているかのようです。

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 今度は清水寺に向かいます。途中、ねねの道で見かけた何層にも重なりあって咲く花の姿はとても豪華。

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 三重塔のライトアップ。朱の色の鮮やかさが際立ちます。

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 観音様の「慈悲の光」を表わしたという青い光線が夜空に伸びていました。定番の奥の院から清水の舞台を臨む地点へ行こうと思ったのですが、大混雑で身動きが出来ず、途中で引き返しました。

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 祇園に来ました。巽橋付近の静かなたたずまい。

 かにかくも 祇園は恋し寝る時も

           柳の下に  水の流るる

 京都を愛し京都に暮らした歌人吉井勇の歌碑が、この祇園白川河畔に建っています。

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 早咲きの桜はもう終わりかかっています。白川を挟んで向かいの茶屋の明かりが漏れてきます。こうしてみると、しっとりとした風情に見えますが、実際は大違い。

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 白川南通りは夜桜見物の観光客たちで大渋滞。完全にお祭り状態でした。

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 先斗町の路地でちらりと見かけた舞妓さんの後ろ姿。これからお仕事でしょうか。

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ヒッポドローム・アドリア海を渡った4頭の馬

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   <コンスタンティノープルからヴェネツィアに運ばれた4頭の馬>

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 ホテルからトプカプ宮殿に向かう途中、ヒッポドロームを通った。ここは3世紀ローマ時代に造られた大競技場跡。ヒッポドロームという言葉は、今でもイタリア語で競馬場を意味する単語だ。

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 縦500m横117mのU字型競技場があり、戦車競技が行われていた。そういえばローマのナヴォーナ広場も昔の競技場跡だった。八角形の建造物はドイツ・ヴィルヘルム2世から贈られたドイツの泉。

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 ここには3本の柱が立っている。1つはテオドシウス1世がエジプトの神殿から持ち込んだもの。高さは20m。

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 近づいてみると、象形文字が刻まれていた。

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 2つ目は青銅製の蛇の柱。途中で折れていて高さは8m。もともとはギリシャ・デルフォイのアポロン神殿に、ギリシャがペルシャ戦争に勝った記念として建てられたものだ。オリジナルは3匹の蛇が絡み合った形だったという。

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 3つ目の切り石積みのオベリスクは、コンスタンティヌス7世が最初からここに建てたオベリスク。ローマ帝国の新しい都として発足したコンスタンティノープルに、エジプトとギリシャという古代文明の都から持ち込まれた柱が今でも立っているというのが面白い。

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 ただ、今では失われてしまったものもある。その1つが、現在はヴェネツィア・サンマルコ大聖堂に納められている4頭のブロンズの馬。1204年、第4次十字軍がコンスタンティノープルを占領した時、ヴェネツィアはこの広場に飾られていた4頭の馬を戦利品としてアドリア海を越えて自国に持ち帰ってしまった。

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 ただし、この馬たちは元々ギリシャ・キオス島から持ってきたものなので、一方的にヴェネツィアが悪いかどうかは別問題かも。

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 また、同じ時ヴェネツィアは聖天使聖堂にあった「キリストが被った荊の冠」も持ち帰り、フランスに売った。これを買い取ったフランス国王が、その冠を納めるために造らせたのがステンドグラスの美しいサント・シャペルだった。

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 関連のエピソードがもう1つ。ヴェネツィア・サンマルコ大聖堂の外側壁面に飾られているムーア人の彫像もまた、コンスタンティノープルの街に置かれていたものだった。

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 広場からアヤソフィアは目の前。そこを過ぎればトプカプ宮殿に続いて行く。このヒッポドロームで、532年に事件が起こった。重税にあえぐ市民が「ニカ(勝利せよ)」と叫んでアヤソフィアの前身の旧聖堂を始め街中に火を放った。「ニカの反乱」だ。

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 時の皇帝ユスティニアヌス帝は、その勢いに押されて逃げようとしたが、皇妃テオドロは「位を捨てて生き延びるくらいなら、栄誉ある死を選びなさい」と夫に迫った。妻にここまで言われては、男として逃げるわけにはいかない。我に返った皇帝は反撃に出て、ついにクーデターを鎮圧したという。

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 皇妃テオドラとは、あのラヴェンナにモザイク像が残る女丈夫。この皇妃の叱咤激励がなかったら歴史は変わり、皇帝が再建して今に残るあのアヤソフィアもなかったかもしれない。

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 ただ、非武装に近い市民3万人をも死に追い込んだ行動は、為政者としては即失格ですねえ。

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 アヤソフィアを過ぎ、ブルーモスクを一度振り返ってから、トプカプ宮殿に向かおう。

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“青い”ブルーモスク  イスタンブールに耳を澄ます

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       <夜明け前、青く浮かび上がったブルーモスク>

 イスタンブール滞在3日目。この朝も例によって屋上レストランに行く。前夜は吹雪で視界も悪く残念な状態だったが、この日は雪も止んでいた。ちょっと期待しながらエレベーターに乗った。

 ウエイトレスのお嬢さんとも、もう顔なじみ。「メルハバ(こんにちわ)」。おはようも今晩はも知らないので一日中「メルハバ」で済ましてしまう。

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 外に出てみて驚いた。夜明け直前のブルーモメント。モスクの姿が照明に照らされてすっきりと浮かび上がっている。

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 視界の良さに加えて、モスクの屋根に積もった雪が、その明るさをワンランク上げているように思える。

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 ここの屋上は右のブルーモスクと左のアヤソフィアとをいっぺんに眺められるベストポイントだ。

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 さらに、アヤソフィアの左奥に青く見えるネオンはボスポラス大橋。

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 夜明けに近づくにつれて照明のオレンジっぽい色彩が青っぽく変化して行く。

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 より青さを強調できるようにカメラのセッティングを少し変えた。青い空の背景に青白いドームの屋根。まさにその名通りのブルーモスクが、そこにあった。

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 目を閉じ イスタンブールに耳を澄ます

 そよ風が優しく軽やかに舞う

 遠くに木々の葉の音が聞こえる

 目を閉じ イスタンブールに耳を澄ます

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 目を閉じ イスタンブールに耳を澄ます

 鳥が飛んでいる 空高く 群れになって騒がしく

 漁場では 網を曳く音が聞こえる

 目を閉じ イスタンブールに耳を澄ます

                    オルハン・ヴェリ

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 文明の十字路としてあらゆる異文化を合わせ飲んできた街。洗練と俗悪、美と醜。相反するものが、共に生きながらえる街。

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 そんなカオスの地でも、いやそんな混沌の地だからこそ、このような清浄な瞬間をも、さりげなく目の前に提示してくれるのかも。

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 朝食を終えると、もう照明は消えていた。トプカプ宮殿の丸屋根のむこうには新市街の現代的なビル群がそびえる。

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 何度も足を運んだこのテラスにも雪が積もっている。

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 ボスポラス海峡を臨む方角にはヒッポドロームの塔がちょこんと突き出ていた。

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 ブルーモスクは照明の助けを借りずとも、壮麗さは不変だ。

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 北側のトラムの走る通りを望む。修復中のビルにはイラストが描かれていたのに気付く。

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 アヤソフィアの奥にはアジア側の街並みが広がっている。今日はアジア側にも渡る予定だ。

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