« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

シャンデリアの輝く聖幼子の教会ーアラチェリ教会

2012_1223_033047pc235091


 ヴィットリア・エマヌエーレ2世記念堂のすぐ横に長く大きな階段がある。14世紀に流行したペストの終結に感謝して奉納された石で造られた階段で、122段ある。これを上ればサンタ・マリア・イン・アラチェリ(アラコエリ)教会に到着する。

2012_1223_033036pc235090


 この階段途中で休む市民や通り過ぎる馬車の光景は、いかにも歴史を誇るローマらしい絵になっている。

2012_1223_232745pc233768


 中に入ると、主祭壇とその周辺に絵画がちりばめられた美しい室内が、目に飛び込んでくる。主祭壇の聖母像は10世紀の板絵。

2012_1223_232818pc233770


 重厚な印象を与える造りだ。

2012_1223_232835pc233771


 祭壇の聖母像に照明が当たっている礼拝堂もあった。

2012_1223_233013pc233772


 他の教会と最も大きく違っていたのは、堂内全体につり下がるシャンデリアだ。

2012_1224_012717pc243871


 最初に入った時は照明が付いていなかったが、記念堂からの帰り道立ち寄ったら、見事に照明が点灯され、内部全体が光り輝いていた。

2012_1224_012802pc243872


 ちょっと脇から見ると、それぞれのシャンデリアの大きさが実感できる。

2012_1224_012832pc243874


 角度を変えると、シャンデリアが1本の柱のように縦に連なって見えるところがあった。

2012_1224_000058pc243782


 左翼廊側には聖幼子の礼拝堂があり、小さな子供の像が祀ってあった。キリストが捕らえられる直前、最期の祈りを捧げたゲッセマイネのオリーブの木で作られたものという。奇蹟を行う力があると信じられて、世界の国から奇蹟を願う手紙が届けられる。 「ローマ・サント・バンビーノ様」と書くだけでちゃんとこの教会に届くという。

 高さ60cmと小さな像だ。全体に金銀がちりばめられている。でも、個人的な感想を言わせてもらえば、妙に今っぽい顔立ちで、そんなに可愛くは見えない(すみません)。

2012_1223_234021pc233773


 1615年10月、慶長使節として渡欧した支倉常長一行がローマに到着した時、この教会に宿泊していたという。

2012_1223_232301pc233766


 カンピドリオ広場側の入り口にはビザンチン風の聖母子像があった。ピエトロ・カヴァリーニの作品。

2012_1223_234406pc233774


 この教会の横からヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に昇るエレベーターに乗ることが出来る。高台だけに、この教会前広場からでもローマの街を眺められる。

2012_1223_235459pc233780


 コロッセオもすぐ近くに見える。

2012_1224_012711pc243870

 帰りがけ、教会ではミサが始まっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

個性的な彫像もーヴィットリア・エマヌエーレ2世記念堂下

P5062856


 改めて記念堂(通称ヴィットリアーノ)そのものを見てみよう。ちょうどローマ市街の中心部高台にあるので、どこから見ても目立つ。サンピエトロ大聖堂のクーポラからもこのようにはっきりと見ることが出来る。

 1855年に着工、1911年に完成した、古代神殿を模した列柱回廊を持つ建物だ。コンペで選ばれたジュゼッペ・サッコーニの設計。ただ、その姿は「入れ歯」とか「ハーモニカ」とか揶揄され、歴史を誇るローマの街に不似合いで、誠に評判が悪い。

2012_1223_020810pc235047


 下から見上げると、中央にイタリアを統一した初代国王ヴィットリア・エマヌエーレ2世の騎馬像がある。

2012_1223_021614pc235064


 その下にはローマを擬人化した「ローマの像」が立つ。

2012_1223_021714pc235067


 両脇を固める浮き彫り。右は「祖国愛」

2012_1223_021739pc235069


 左には「労働の勝利」。

2012_1223_021629pc235066


 第一次世界大戦時の無名戦士を祀る墓が設置されており、常に兵士が警備についている。

2012_1223_021913pc235074


 平和を願う灯はいつも消えることはない。

2012_1223_021818pc235072


 前面にあった彫刻。作者は不明だが、ちょっと趣があった。こうした彫像がいくつもある。

2012_1223_020508pc235039


 空に向かって飛び上がろうとする天使像。軽やかでほほえましくもあった。

2012_1223_021542pc235062


 これもひょっとしたら勝利の女神なのかも。

2012_1223_020426pc235034


 前回夕陽に輝いていた馬車像。昼に見るとまた違った印象になる。

2012_1223_021237pc235055


 こうして真下から見上げると、4頭立てであることが良くわかる。

2012_1223_021940pc235075


 エマヌエーレ2世像も、下からだと一層ダイナミックな雰囲気。

2012_1223_020716pc235045


 向かい側にはロンド教会、サンタ・マリア教会が双子のように並んでいる。

 こうして彫像などを見ていると、結構楽しい。だから、この記念堂もそんなに毛嫌いしなくともよいのに、と思った次第だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女神の馬車が天空を駆けるーヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂上

2012_1224_004647pc243809


 ちょうど夕陽が沈むころだった。数日前にサンタンジェロ城からのローマの夕陽を見て、もう1度そんな光景を別の角度から見られれば、といったような淡い期待で、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に上ってみた。

 だが、ここで見たものはローマの風景というよりは幻想と言った方がよいような想像を超えた光景だった。

P5052739


 予感はあった。数年前コロッセオから見た記念堂の夕焼けで、「あの天井の飛び立つ鳥のようなもの、近づいたら面白いかも」と、思ったことはあった。

2012_1224_004130pc243794


 青空が次第に赤みを帯び始める。それにつれて、記念堂西端に据えられた勝利の女神の操る4頭立ての「自由の馬車」(パオロ・バルトリーニ作)が影の姿となって天空に浮かび上がった。

2012_1224_004738pc243815


 西の空が一層オレンジに染まって行き、馬車はさらに濃くくっきりと、空のキャンバスにシルエットを刻んで行く。

2012_1224_004325pc243803


 一方、東の端にある「統一の馬車」(カルロ・フォンタナ作)は、まだ青い空に羽ばたいている。

2012_1223_062145pc235106


 女神の翼は一瞬サモトラケのニケを連想させる。

2012_1224_004903pc243822


 太陽が地平に没するとき、シルエットが鮮やかに輝きを発した。

2012_1224_010124pc243840


 陽がすっかり沈み、西の空が闇を含んだ赤に燃え上がって女神と馬車を炎に包みこんでしまった。

2012_1224_005123pc243834


 そんなころ、東の馬車はピンクの空間にたたずんでいた。

2012_1224_012006pc243866


 夜の訪れ。西の馬車が突然シルバーの色を伴って姿を現した。ライトアップが始まったためだ。この間10数分。劇的な幻想のドキュメントを満喫したローマの夕だった。

2012_1223_062306pc235110


 見えるのは2つの馬車像だけではない。西南の方角にはサンピエトロ大聖堂のクーポラを望むことが出来る。

2012_1224_005018pc243828


 と、その手前に鳥がいる。

2012_1224_004946pc243826


 よく見ると、ハトでした。

2012_1224_005135pc243835


 南側に見えるのはカンピドリオ広場にある市庁舎の塔。

2012_1224_005151pc243837


 その向こうにはコロッセオが夕陽に染まっていた。

2012_1224_011258pc243862


 あっという間に夜になり、コロッセオに続く道路がオレンジの太い線に変わった。

 記念堂は、その形などから決して評判はよくないが、展望スポットとしては意外な穴場かも。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ベルニーニもう一つの“法悦”-ア・リーパ教会など

2012_1224_185450pc244022_2


 ベルニーニが掘り起こしたもう1つの“法悦”の姿は、トラステヴェレ地区にあった。

2012_1224_184644pc244014


 市バスに乗ってガリバルディ橋を渡り、トラステヴェレ通りで降り、少し歩く。この地区は名前の通り「テヴェレ川を通り越した」場所にあり、古きローマの風情を残したのどかな雰囲気を感じる地区だ。目指すはサン・フランシスコ・ア・リーパ教会。昔巡礼者用の宿泊施設があり、聖フランシスコも宿泊したという場所に建てられたため、フランシスコの名前が冠せられているようだ。

P1010094001


 教会左奥の礼拝堂に、その像はある。「福者ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦」。彼女が死に臨む瞬間の苦悩と法悦。それが白く浮かび上がる表情と身振り、波打つ衣服の振動によって立体的に表現されている。

 ヴィットリア教会の聖テレーザが起き上がって身をよじっているのに対して、こちらは完全に横たわった姿だ。聖テレーザ像の制作から30年近く後、ベルニーニの晩年の作だが、その能力はみじんも衰えをみせていなかった。

P1010102001_2


 ルドヴィカは貧者の救済に尽くした女性で、実はトラステヴェレの貴族と結婚し、この地区で生涯を終えた地元の女性。1671年に福者に列せられた。この像の下に彼女の棺が置かれている。

P1010106001


 像の上に描かれた絵はバチッチャ作の「聖母子と聖アンナ」。アンナは幼児キリストに手を差し伸べているが、それは、死後キリストの許に向かうルドヴィカを暗示しているともいわれる。この礼拝堂も、彫像がただおかれているだけではなく、周囲も含めた全体像を考えた造りになっている。

2012_1224_185935pc244024


 この教会に入った時には無人の状態だったが、すぐに大勢の人が入ってきた。続いて1つの棺が運び込まれた。葬儀が始まるようだ。邪魔になってはいけないと、他の像などの見学を遠慮して教会を後にした。

2012_1226_183243pc264646


 次に向かったのが、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会。ベルニーニの像と言えばサンタンジェロ橋に並ぶ天使像が一番目につくが、ベルニーニが直接制作した2体は現在フラッテ教会に移されているからだ。

 フラッテというのはイタリア語で「藪」の意味。12世紀にこの教会が創建された時は周辺が藪に覆われていたことからその名前が付けられた。教会名も案外単純な理由が多い。そういえばヴェネツィアには「マドンナ・デロルト(畑の聖母)教会」などという名前の教会もあったっけ。

2012_1226_183320pc264647


 この立派な主祭壇の両脇に控えているのが、ベルニーニ作の天使像だ。

2012_1226_183216pc264642002


 右の像が「INRIの銘を持つ天使」

2012_1226_183228pc264644


 そして左側が「荊の冠を持つ天使」。こちらはちょっと怖い顔をしている。

2012_1226_183336pc264648


 この教会は17世紀に再建されたが、その際にはボッロミーニが中心となって設計がなされた。静かな教会の一角で、ミサが行われていた。この教会には、いつも熱心な信者の訪問が絶えることがないという。

2012_1225_222644pc254452


 教会から100mも歩けばスペイン広場に到着する。映画「ローマの休日」で、ヘップバーン扮する王女がこの階段でジェラートを食べるシーンは、あまりにも有名だ。

Pa135863


 正面にそびえるのがトリニタ・デイ・モンテ教会。2つの塔を持つ特徴的な建物。手前のオベリスクはサン・ピエトロ広場にあるもののようにエジプトから運ばれたのではなく、18世紀に造られたイミテーションだとか。

Pa135859


 広場中央には噴水がある。「バルカッチャの噴水」は、あのベルニーニの父親のピエトロ・ベルニーニが設計した。

Pa135861


 教会前の広場から見下ろす噴水と、コンドッティ通り。この通りは有数のブランド街になっており、芸術家たちのたまり場だったカフェ・グレコもここにある。

2012_1225_222333pc254447


 その通りで見かけたショーウインドウのマネキン。なんかほっとする優しいマネキンだった。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世紀の瞬間生中継・ベルニーニのたくらみーヴィットリオ教会

P1010081


 「これが本当に石で造られた像なのだろうか?」。最初に浮かんだ感想がこうだった。

P1010081001_2

 この教会を初めて訪れたのは、もう10年ほど前のことになる。主祭壇の左となり、コルナロ礼拝堂に、白く輝く像があった。矢を持って女性を見下ろす天使と、その矢を受け止めて目をつぶる女性。「聖テレーサの法悦」と題されたベルニーニの傑作だ。

P1010079

 聖テレーサは16世紀のスペインの聖女。彼女は天使に胸を射抜かれる神秘体験をしたという。普通胸に矢が刺されば痛みで泣き叫ぶところだが、キリストへの熱情を持つ聖女にとって、この肉体的痛みは磔になったキリストの痛みと通じ合い、霊的な喜びに変わったという。そんな瞬間をベルニーニは劇的な形で造形した。

 
P1010079001

 大理石から掘り出されたテレーサは、生身の人間のように、苦痛と喜びの混じり合った複雑な表情で、そこにいる。着衣は柔らかな絹ででもあるかのように、しなやかにうねっている。超絶技巧によって初めて可能になった作品だ。

2012_1226_180404pc264619

 その像を見るだけでも十分素晴らしいが、ベルニーニはもう一つの仕掛けをこの礼拝堂にたくらんだ。

 ちょっと引いて礼拝堂全体が見渡せる位置まで下がってみよう。テレーサの像を取り巻くように両側にテラス席がしつらえてある。

2012_1226_180818pc264634

 向かって右側には、4人の男たちが何やら議論し合っている。

2012_1226_180838pc264635

 左側にも同様に男たちがテレーサの方に注目している。

 そう、この男たちは礼拝堂を発注したコロナロ家の人々だ。彼らはテレーサの神秘体験を観客席から見守っているのだ。

また、同時にこの礼拝堂に足を踏み入れた私たちも、観客としてその場に居合わせ、完全に劇場と化した空間で世紀の瞬間の生中継を見ることになる。すべての人間を巻き込むベルニーニのたくらみが、そこにある。

2012_1226_180652pc264633

 礼拝堂を発注したフェデリコ・コロナロは、ヴェネツィアの大司教だった。彼の父はヴェネツィアの最高権力者ドージェを務めた名士だった。礼拝堂が発注された17世紀半ばころ、ローマにはなかった桟敷式の劇場が、ヴェネツィアには少なくとも3つは出来ていた。そんな背景が、ここに劇場空間を誕生させるきっかけとなったのかもしれない。

P1010078

 聖テレーサを満喫したら、目を天井に向けて見よう。そこにはサンティナツィオ教会で見たようなバロックの大絵画が展開されている。

2012_1226_180539pc264628

 絵画の周囲には化粧漆喰で創られた沢山の天使たちが自由奔放に飛び回っている。この教会は当初聖パウロ教会と呼ばれたが、建設途中の1620年、ハプスブルク皇帝フェルジナンドがプラハで新教徒との戦いで勝利、同時にチェコ・ピルゼンでマリア像が発見されたことを記念してサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会(勝利の聖マリア教会)と改名された。

2012_1226_180524pc264627

 従って、天井画もカトリックの勝利を象徴したものになっている。そして、建築、彫刻、絵画をすべて融合させたバロックの総合芸術の場にベルニーニが仕立て上げた。

2012_1226_180423pc264621


 聖テレーサの像があまりにも有名なので、他は見逃しがちになってしまうが、ちょうど向かい側にもちゃんとした像がある。これは「ヨセフの夢」。テレーサと対象となるようなポーズの男性像を置いたのだという。

2012_1226_180435pc264622


 また、その下には女性の墓が造られてあった。誰のお墓だろうか。

2012_1226_180509pc264625


 正面の主祭壇は黄金の光を放っている。聖堂全体はそれほど広くはないが、いくつもの“たくらみ”に満ちた不思議の空間になっている。

2012_1226_180554pc264629_2


 「天使と悪魔」の著者がこの教会を謎解きの場所の1つに選んだのも、何となくわかる様な気がする。


  


| | コメント (0) | トラックバック (0)

バロックの極致ここにありーサンティニャツィオ教会

2012_1223_190036pc233620


 ジェズ教会と同様に派手派手な天井画で度肝を抜くのが、このサンティニャツィオ教会だ。とても発音しにくい名前だが、日本語風に読めば聖イグナツィオ教会。つまりイエズス会の創設者イグナチウス・ロヨラに捧げられた教会。

 中に入ると天井一杯に天使や諸聖人たちが空を舞い、天上のお祭りのような光景が展開されている。

2012_1223_184727pc233596_2

 よく見ると中央で天使や雲と共に上昇してゆくのが、この教会の主人公聖イグナチウスだ。同教会は1642年の完成で、当初はあまり派手な装飾などなされていなかった。しかし、1685年、アンドレア・ポッツォが天井画を引き受け一気に豪華絢爛、おどろおどろしいほどの劇的空間が造られて行った。

2012_1223_184708pc233594


 巨大な天井に大きな柱が何本も立ち、幻の楼閣が宙に浮いている。イグナチオを中心にして四隅に人の固まったポイントがある。これは4大陸の寓意で、右上がアジア、右下がヨーロッパ、左上がアフリカ、左下がアメリカを象徴している。

2012_1223_184751pc233597


 少しアップしてみると、こちらがアジアの寓意像。ラクダに乗っている。

2012_1223_184801pc233598


 アフリカの方は象牙を持ってワニにまたがっている。

2012_1223_184718pc233595


 このように、イエズス会の伝道が世界各地に広がって行ったということが示されている。絵のタイトルは「聖イグナティウス・ロヨラの栄光」。ポッツォの代表作だ。

 仰視遠近法と呼ばれるこの絵画手法は、かまぼこ型の天井を活用して、すべてのものが上へ上へと上昇して行く錯角の世界をここに実現した。この場に立つと、バロック絵画は額縁に収めてみるものではなく、壮大な物語の世界を超大画面で展開するものに変化して行ったことを実感してしまう。

2012_1223_185437pc233618


 16世紀以降マルチン・ルターの宗教改革によってローマカトリックの権威は大幅に低下した。さらにガリレオ・ガリレイの地動説など、既成の教義と矛盾する考え方が台頭してくる。

 そんな時代、地に落ちようとするカトリックの権威復活を願ってイエズス会を中心にした新たしい教団がアグレッシヴな布教活動を展開する。その最有力ツールとして考えられたのがバロック美術の宗教への展開だった。キリストやマリア、諸聖人たちスーパースターを視覚的にバージョンアップして、新たな信者獲得のために最大限の活用を試みた。ポッツォの絵画は、そんな戦略の先頭を行くものだった。

2012_1223_184824pc233599


 同教会の主祭壇。ここにもポッツォは聖イグナチウスの業績を4点の絵画に描いた。

2012_1223_184835pc233601


 祭壇上部(アプス部分)に描かれたのは「ペスト患者を癒すイグナチウス」

2012_1223_184921pc233602


 近くにあった天使像。

2012_1223_184940pc233603


 こちらも別の天使像。いずれも堂々としてイエズス会の自信を物語っているようだ。

2012_1223_184951pc233604


 また違う祭壇にもイグナチウスと思われる像が置かれていた。

2012_1223_185256pc233614


 一方、左翼廊には大理石彫刻の祭壇があった。フィリッポ・ヴァッレによる「受胎告知」。祭壇画ではなくてレリーフが飾られるのは、割に珍しいことだ。

2012_1223_190030pc233619


 イタリアで発祥し、100年以上にわたってヨーロッパ世界を席巻したバロック美術。ローマは常にその中心であり続けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3D~超立体~の天国が、ローマにあったージェズ教会

2012_1224_015214pc243908001


 カラヴァッジョが道を拓いたバロックの絵画はカトリック教会建築と融合して華々しい展開を見せた。その実例を見て行こう。

2012_1224_014807pc243887


 ジェズ教会に入ったのは午後5時30分を少し過ぎた頃だった。単廊式でだだっ広いほどの空間は一部を除いて照明が落とされ、薄暗い。ミサではない。ただ、何かを説明するようなアナウンスが響いている。照明が当てられているのは左翼廊のイグナティウス・ロヨラの礼拝堂だ。この礼拝堂はアンドレア・ポッツォの設計。金銀をふんだんに使った豪華絢爛の祭壇になっている。

2012_1224_015616pc243923


 イグナティウス・ロヨラは反宗教改革の旗を掲げ、非ヨーロッパ世界にまで布教の幅を広げた、イエズス会の創設者だ。日本にも伝道に訪れたフランシスコ・ザビエルと共に失われたカトリックの信頼と威光の回復に尽力した英雄でもある。

 よく聞き取れない説明が終わりかけて、暗かった照明が次々に点灯し出し、ついに天井を照らし出した。

2012_1224_015211pc243907


 そこに浮かび上がったのは天井一杯に描かれた「イエスの御名の勝利」。ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、通称バチッチャの作だ。カトリックの教えが全世界に広がって行くというテーマ。与えられたスペースから大幅にはみ出して、人物たちが天井全体を埋め尽くしている。いささか、というより明らかに過剰な装飾の極みがそこにあった。

2012_1224_015255pc243913


 天井の左端をアップして見ると、人々が絡み合い、錯綜した混乱状態。異教徒たちがカトリックに圧倒されて退散して行く様だろうか。

2012_1224_015353pc243917


 天井中心寄りでは、カトリックをあがめる人々の賛辞が響くような光景が展開される。

2012_1224_015220pc243909


 右端をアップすると、天使たちが空を舞い踊る。これは絵ではなく石膏で造られたレリーフだ。

2012_1224_015246pc243912


 異教徒たちの群れの横には大きなクーポラがあり、その丸天井に「天国」の寓意画が描かれている。「異教徒たちは地獄の業火に焼かれ、カトリック教徒は安らかに天国に導かれる」というわけだ。このように天井全体を使って「手の届く天国」を立体的に、つまり3Dの手法でここに創造してしまった。

 バロックとは「ゆがんだ真珠」という意味だが、ここのバロックはあまりにもゆがみ過ぎて、理解不能の領域にまでぶっ飛んでしまった印象だ。

2012_1224_014837pc243890


 丸天井の奥には主祭壇があり、この祭壇中央に「IHS」の文字が輝いている。この文字はラテン語の「人類の救世主イエス」の頭文字で、イエズス会は「イエスと共にあり」の意味としてこの文字を会の紋章に採用している。そのモノグラムから光が発せられ、祝福された人々を照らし、サタンたちを打ちのめしてゆくわけだ。

2012_1224_015039pc243902


 それほどにイエズス会は、宗教改革の嵐の中で、崩されかけたカトリックの威光を取り戻そうと懸命の反撃をしかけたアグレッシブな団体だった。

2012_1224_015500pc243920


 丸天井から右側に目を移すと、ロヨラの礼拝堂と向かい合うようにフランシスコ・ザビエルの礼拝堂がある。この絵画はザビエルの布教活動を描いたもののようだ。

2012_1224_015509pc243921


 黒い僧衣をまとった姿の方が、私たちにはザビエルらしいイメージだ。スペイン人のザビエルは、ロヨラと共にイエズス会を創設。アジアへの布教に力を尽くし、1549年鹿児島に到着して2年以上にわたって日本にキリスト教を広めた先駆者だ。

2012_1224_014515pc243879


 1552年中国で病死し、遺体はインドのゴアにある教会に移されたが、右手だけが1614年になってイエズス会総長の命で切断されローマに運ばれた。その右手がこの礼拝堂祭壇の金の箱に入って祭られている。

P1010146


 この祭壇にある天使像もまた見事なバロックだ。

Photo


 教会は1575年に完成したが、その10年後1585年の3月から6月にかけて、日本人がここに滞在していた。天正遣欧使節の少年たち4人。この時中浦ジュリアンは、法王の謁見を前に病床に伏していたとの記録が残っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

薔薇にまつわる文学、美術、薔薇の名前ーー旧古河庭園下

P5177546


 「初恋」

 薔薇の話を続けましょう。[by any other name] (他のどんな名前だったとしても・・・)というフレーズがあります。このフレーズはシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の中に登場します。

 互いに敵対する家柄に生まれた2人、ジュリエットはロミオに、その家名を捨てて家柄からの呪縛から自由になって欲しいと願い、こう話します。

 「名前なんかに何があるの。薔薇と呼んでいるあの花を、他のどんな名前で呼んだとしても、同じように芳しいことでしょう。」

 その名前が例えバラでなくなったとしても、薔薇の美しさ、高貴さ、芳しい香りが変わることはない。ロミオだってモンタギュー家の苗字じゃなくとも、ロミオ自身に何の変わりもないのに・・・。

 この言葉から、by any other name のフレーズは薔薇を表現する言葉の象徴とされ、イギリスなどで出版される薔薇の本のタイトルにこのフレーズが使われたりしています。

P5177598 

 「コンラッドヘンケル」

 また、人生の教訓としてよく引用されるのが「刺のない薔薇はない」という表現です。美しいものにたどりつくには、苦労や困難はつきもの。確かにそうですね。

P5177409

 「シャルル ドゴール」

 女流彫刻家カミーユ・クローデルは、ロダンの愛人だったことでも印象深い人ですが、彼女の兄ポール・クローデルは外交官で詩人でもありました。そのポールの残した言葉。

 薔薇曰く 我を守るもの そは刺にあらずして 匂い

 薔薇が存在し続けられた最大の“武器”は、決して攻撃的な刺ではなく、その芳しい香りによって他からの愛を獲得してきたことによるものだ、ということですね。

「北風と太陽」のエピソードを思い出します。

Sandro_botticelli__la_nascita_di_ve

 薔薇は絵画の分野でも大活躍です。例えば、ルネサンスの代表的な作品「ヴィーナスの誕生」。中央に立つヴィーナスと、風を送るゼフィロスとの間には沢山の薔薇が宙に舞っています。パラダイスのような光景には、薔薇が似つかわしいと、ボッティチェッリも考えたんだろうと思います。

Mc049top1  

 花好きな画家シャガールには、その名もズバリ「薔薇」という作品があります。幸せそうな2人の頭上には大輪の薔薇の花束。もう説明の必要はありませんね。

2011_0925_003811p9251653

 キリスト教でも薔薇はしばしば登場します。視覚的にわかりやすいのはゴシックの大聖堂に付き物の「薔薇窓」。

 薔薇は聖母マリアを象徴する花と考えられています。大聖堂の多くは「サンタマリア(聖マリア)「ノートルダム(我らが聖母)」など、聖母の名を冠した名称が付いています。従って聖母に捧げられた建物に象徴としての薔薇窓が設置されるのは必然となります。

 たいていは正面入口上部に設置されるので、西側に向いています。従って聖堂内で薔薇窓から差し込む光を一番強く感じることの出来るのは、晴れた午後の時間帯ということになります。大聖堂見学はこの時間帯がお勧めです。(写真はフランス・ランス大聖堂の薔薇窓)

P5177403_2 

 「ダイアナ(プリンセス オブ ウエールズ)」

 雑学的な話が長くなりました。本来の薔薇の花鑑賞に戻りましょう。ここからは人名の付いた薔薇をピックアップして行きます。

 これはイギリスの故ダイアナ妃に捧げられた花です。

P5177398

 「マサコ(エグランタイン)」

 こちらは日本の皇太子妃雅子さまに捧げられたもの。

P5177619_3

 「ロイヤルプリンセス」

 完全な人名ではありませんが、これは敬宮愛子内親王の誕生を祝って名付けられたそうです。

P5177460_5

 「プリンセスミチコ」

 美智子皇后が皇太子妃になられた時に捧げられたものです。

P5177582

 「ソニア」

 皇室関係以外に移りましょう。ソニアは、この品種を作った人の娘さん。こんな個人的な命名もあるんですね。

P5177406

 「シャルル ドゴール」

 フランスの将軍で大統領も務めた人名。いかつい男性の名前が付いた割には、とても優しく高貴な雰囲気の薔薇です。

P5177468

 「マダムサチ」

 鈴木善幸元首相の夫人名。開発者も鈴木さんでしたから、何か繋がりがあったんでしょうか。

P5177511

 「マリアカラス」

 イタリア歌劇界を代表するオペラ歌手。やっぱり情熱の赤が似合います。

P5177517

 「カトリーヌ ドヌーブ」

 フランスの大女優。複雑に重なる花びらが彼女を連想させます。

P5177749


 私が行った日は夜間ライトアップがありました。この洋館は、明治から大正にかけて鹿鳴館、ニコライ堂などを設計した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって造られたもの。薔薇園の雰囲気とよく似合っていました。

 なお、薔薇のエピソードに関する記事は熊井明子著「人はなぜ薔薇を愛するのか」(ベネッセ)を参考にしました

 

 

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

麗しき薔薇たちの競演ーー旧古河庭園にて 上

P5177589


                     「丹頂」

 何と魅力的なんだろう。

 ただ美しいだけでなく、妖しいほどに奥深く

 秘密の香りさえもはらんで花開く

 神秘の 薔薇

P5177624_2


 先日、東京都北区にある旧古河庭園に行ってきました。ここには約100種類もの薔薇が植栽されています。ちょうど春の薔薇たちがほぼ満開の状態で咲き誇っており、豊かな香りと共に薔薇の花々を堪能してきました。その中の一部を紹介したいと思います。(それぞれの写真の下のカギカッコ内が品種の名前です)。

P5177393

 「ロイヤルプリンセス」

 薔薇は3500万年前から存在していたそうで、化石が発見されています。発祥の地はヒマラヤ山脈付近とのこと。

P5177606

 「プリンセスオブウエールズ」

 薔薇は、最初は白い薔薇だけでした。清純なイメージですね。

P5177596

 「コンラッドヘンケル」

 しかし、ギリシャ神話によると、ある出来事によって赤い薔薇が誕生します。

 ヴィーナスが瀕死の状態になった恋人アドニスに駆け寄ったとき、バラのトゲを踏んでしまいました。足から流れ出た血は白バラを赤く染めて行きます。そこで、ヴィーナスの血の色を受け継いだ新しいバラ、赤い薔薇が誕生したというわけです。
 

P5177426

 「クレオパトラ」

 薔薇はいつの時代も花々の中のスター的存在だったような気がします。あのクレオパトラの薔薇好きは有名で、薔薇の花びらの風呂に入っていたそうですし、シーザーを迎える時は部屋中に薔薇の花を敷き詰めたとのエピソードも残っています。

P5177438


 「香貴」

 元々の野生種・ワイルドローズは、世界で200種類でしたが、これを人工的に組み合わせることで、現在では2万種類もの薔薇が創り出されています。

P5177418


 「紫雲」

 その歴史に貢献したのが、ナポレオンの妃ジョセフィーヌでした。彼女は多くの植物学者、栽培職人を集めて薔薇の研究をさせました。その中で、アンドレ・デュポンは人工交配に成功、そこから次々に新品種を増やして行きました。フランス革命直後の1791年にはフランスの薔薇のカタログはたったの25種だったのが、1829年には4000種にもなったといいます。

P5177664


 「恋心」

 日本の文学にも薔薇はしばしば登場します。個人的に好きなのは与謝野晶子のこの歌。

   野茨をりて  髪にもかざし

   手にもとり  永き日野辺に

   君を待ちわびぬ

 4月の京都円山公園の桜の回に、晶子の歌を紹介しましたが、彼女の歌は、生身の息遣いが伝わるような感覚を感じます。ただ、この歌はとても淡い雰囲気ですよね。

P5177431

 「フラグラントレディ」

 与謝野晶子をもう一首

  かくまでも   心残るはなにならむ

  紅き薔薇(そうび)か 酒か そなたか

 対してこちらは恋愛が少し進んだ状態での心境かも。

P5177562

 「スーパースター」

 紅の 二尺伸びたる 薔薇の芽の

 針やはらかに 春雨のふる

こちらは正岡子規。静かに濡れそぼる薔薇の情景が目に浮かぶようです。

P5177697_3

 「バニラパフューム」

 咲き満ちて  雨夜も薔薇の  ひかりあり

こちらは水原秋桜子の一句。

夜の闇から浮かび上がる薔薇の鮮やかさが引き立つ描写がすごい。

P5177524_8

 「熱情」

 薔薇の花言葉は色によって違います。こんな赤い色は「情熱」。

P5177545_2

 「初恋」

 白い薔薇の花言葉は「清らかな愛」。品種名にも花言葉にぴったりの名前が付いていました。

P5177459

 「ゴールデンメダイヨン」

 黄色の花言葉は「冷めた愛情」。この薔薇だけは贈られたくないですね。

P5177487

 「コンラッドヘンケル」

 本当にバラエティ豊かになった薔薇ですが、個人的にはやっぱり深紅のバラが一番魅力的に感じます。
 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »