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2013年7月

ミケランジェロとフラ・アンジェリコが隣同士にーサンタマリア・ソプラ・ミネルバ教会

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 しばらくぶりにローマの教会巡りに戻ろう。パンテオンのすぐ近くにサンタマリア・ソプラ・ミネルバ教会がある。「ソプラ」とはイタリア語で「~の上に」といった意味。どういうことかと思ったら、この地には昔、カエサルのライバルだったポンペイウスが建設したミネルバ神殿があり、その遺跡の上にこの教会が建ったために、こんな名前になったという。

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 13世紀に着手し、15世紀にはほぼ完成した。

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 教会前の小さな広場に珍しい像がある。象がエジプトのオベリスクを背負って立っている。1667年、ベルニーニのアイデアに基づいて弟子が制作した。

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 正面に回ってよく見ると、結構可愛らしい。そのせいか、愛称は「ひよこ」だそうだ。

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 中に入ろう。一番の注目はミケランジェロ。内陣の左奥に十字架を持つ復活のキリストがある。薄暗い堂内だが、大理石の姿はやはり独特の光を発している。さすが!

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 腰の部分の覆いは後年の権力者が付けさせたもの。かえって見苦しい感じだ。

 あちこちの角度から眺めようと場所を移動していたら、後方の礼拝堂に足を踏み入れてしまった。

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 そこで見つけたのは、何とフラ・アンジェリコのお墓。あれまあ、フィレンツェ・サンマルコ教会の「受胎告知」など数々の名作を残したアンジェリコとは。彼は以前紹介したようにオルヴィエート大聖堂の絵を描くためにオルヴィエートに滞在中、ローマ教皇に命じられてローマに移った。その後ニコラウス5世の礼拝堂の絵画などを制作していたが、1455年に亡くなり、この教会に埋葬されていたのだ。こんな形で巡り合うとは思わなかった。

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 この教会の天井は青い彩色がなされて夜空を見上げるような錯角に陥る。聖人たちも浮かんでいるよう。

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 主祭壇の下には聖カテリーナの遺骨が祀られている。教皇庁がフランスのアヴィニヨンに移されていた時期、ローマに戻すよう尽力した聖女。シエナの出身だ。彼女は1380年にこの近くの修道院で死去、聖女に列せられイタリア全体の守護聖人となっている。イタリアは各都市に守護聖人がいるが、国の守護聖人はカテリーナと聖フランチェスコの2人だ。ちなみに日本の守護聖人は聖フランチェスコ・ザビエル。

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 翼廊の右奥、カラファ礼拝堂もすごい。フィリピーノ・リッピのフレスコ画でびっしりと埋め尽くされている。テーマは「聖トマス・アクイナスの勝利」。左上方の聖母被昇天部分は、飛び回る天使たちの自由な姿が伸びやかだ。

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 その下の部分をアップして見よう。おなじみ「受胎告知」。でもちょっと変わっている。せっかく天使がマリアの妊娠を告げる重要なシーンなのに、横の2人の男性は一体だれ?調べてみると、聖トマス・アクイナスがこの礼拝堂のスポンサーであるカラファ枢機卿を紹介しているとことという。いくらスポンサーが大切でも、こんな時に紹介しなくとも・・・。

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 もう1つ「受胎告知」の絵があった。これはアントニアッツォ・ロマーノ作。こちらの絵にも天使とマリアの間に子供たちがいたりする。この教会が貧しい少女たちに持参金を与える施策を実施していたところから、マリアが少女たちに施しをする場面を付けくわえているようだ。そこまでスポンサーに気を使わなくともねえ。

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 左側廊にはペルジーノのキリスト像。これはテンペラで描かれている。

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 美しいステンドグラスもあった。

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 一方こんな「玉座の聖母子」もある。

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 こちらも聖母子像。沢山のロウソクに囲まれていた。

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 この教会の付属修道院には、かつて異端審問所があり、あのガリレオ・ガリレイがそこで裁判にかけられた。ガリレオは審判に屈したものの「それでも地球は回っている」と信念は曲げなかったという。あの有名なエピソードの舞台が、まさにこの地だった。

 聖カテリーナ、ミケランジェロ、フラ・アンジェリコ、ガリレオ・・・。この教会は歴史を彩った幾多の有名人の足跡が残された教会であることを、改めて思い知った日だった。

 

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夕暮れ、大鳥居が朱に輝くー宮島・厳島神社5

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 最終回は、海上大鳥居の夕方から夜にかけての変化をご覧いただきます。

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 チャーター船で宮島に戻ってきました。午後8時くらいなのにようやく日没といったところです。関東とはだいぶ違いますね。大鳥居に夕陽が当たっていました。

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 島に上陸。ちょうど対岸に夕陽が沈もうとしています。

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 海面を焦がすかのような陽の熱さを感じます。これが瀬戸内の夕焼けなんですね。

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 大鳥居はその夕陽をバックにして、海上に胸を張ってすっくと立っています。

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 このような凛とした光景に出会えてハッピー!

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 陽が沈んで行きました。

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 ほどなくして鳥居に照明が当てられます。そんな情景を岸で外国人のカップルが熱心に見ていました。

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 もうすっかり夜。カップルも引き上げ、鳥居だけが別世界に存在しているかのよう。

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 街では五重塔もライトアップされています。

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 町家通りからはちょうど正面に塔がそびえます。

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 長いようで短かった宮島の1日。名残惜しいけれど、朱に浮かぶ大鳥居とは別れを告げて広島に戻りましょう。本来なら御座船の帰りを待つべきでしょうが、結構疲れました。

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 連絡船から見た対岸の灯り。心なしか優しく瞬いているように見えました。

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管絃祭・勇壮な海上の平安絵巻ー宮島・厳島神社4

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 管絃祭とは、平清盛が始めた神事。河に船を浮かべて器楽を演奏して楽しむという京都で行われていた遊びを、清盛は宮島の海に移しました。それも、遊びとしてではなく神を慰める神事に替え、優雅さから豪快さにスケールアップしました。

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 この祭りは毎年旧暦の6月17日、今年はきょう7月24日に行われます。神事は午前の宮司による祈願からスタートします。厳島神社の姫神を御座船に乗せ、瀬戸内海を横断して対岸の地御前神社を目指しますが、まずはお祓いから。

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 御座船を引っ張るのは広島市江波の伝馬船と呉市阿賀漁協の鯛網船。昔は御座船が自力で走っていましたが、1701年の祭りの際暴風雨に遭遇し転覆寸前になりました。その時近くにいた阿賀村と江波村(当時)の船が無事御座船を救助しました。それ以来両地区の船が曳航を受け持っているとのことです。

 午前中、まだ潮が引かない時間帯に江波の伝馬船が大鳥居をくぐって神社に到着、夕方の出陣を待ちます。

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 午後5時、鳳輩(みこし)が御座船に乗せられていよいよ出発です。阿賀の船が港を離れました。

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 御座船も出発です。和船を3隻並べて結び付けて1隻の船になっています。

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 阿賀の船が御座船を引っ張って行きます。高張提灯には「厳島御用」の文字が入っています。

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 沖に出てきました。瀬戸内海の水面がキラキラと輝いています。

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 阿賀町と書かれた提灯と日の丸が誇らしげです。

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 実は主役の船たちに伴走する見学船が用意されていて、私たちはその船で追いかけています。

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 数年前ヴェネツィアで見たレガータストリカの模様をほうふつとさせる光景です。

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 阿賀の鯛網船の人たちは6丁の櫓で漕いでいます。

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 一方江波の伝馬船は計14丁の櫂を使っています。船の種類の違いなんですね。

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 目指す対岸の広島の街並みが見えてきました。

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 終盤のラストスパート。水しぶきが飛び散る勇壮な光景が展開されます。

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 ほぼ対岸に近づきました。船の先頭に鳳輩が載っているのがわかります。

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 4隻の船がそろって進んで行きます。まさに瀬戸内海に展開する平安絵巻。

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 海の青さも印象的です。地御前神社のある広島側で神事と管弦の式典を行った後、夜になって宮島に引き返し、島際にあるいくつかの神社に立ち寄り、真夜中に厳島神社に帰ってきます。

 ただ、見学船はここで終了。一足先に宮島に向かいます。数十分の伴走でしたが、なかなか味わえない海上のスペクタクルを存分に堪能することが出来ました。

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海が陸地に・大鳥居まで歩くー宮島・厳島神社3

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 午後になって、どんどん潮が引き始めました。それまで水中にあった大鳥居がすっかり根本まで姿を現しています。管絃祭は大潮の時を選んで行われるため干満の差が大きく、1日のうちに水位が3m以上も上下するそうです。

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 午前中はこんな状態で鳥居は海の中。数時間ですっかり様変わりです。日本版モンサンミシェルといったところでしょうか。

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 歩いて鳥居に向かいます。沢山の観光客がいますね。

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 もう社殿の下にも海水は全くなくなっていました。

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 砂地はサクサクといった感じ。それほどぬかるみもしません。

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 ちょうど青空が広がってきました。暑いけど気持ちが良い晴れです。

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 反対方向にはこんな夏の雲がこんもりと盛り上がっています。

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 鳥居に着きました。鳥居越しの青空。

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 大鳥居は高さ16m、「木造としては国内最大規模」と、ガイドブックに書いてありましたが、外国には鳥居はありませんから、世界最大規模の鳥居ということになりますね。奈良の春日大社、敦賀の気比神宮とともに日本三大鳥居と呼ばれているそうです。

 鳥居の赤と空の青とのコントラストがとても美しく映えます。

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 高台から見たときにはそんなに離れていないように見えましたが、こうして鳥居側から見ると、社殿との距離は結構あります。

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 根本は土に埋められているのではなく、6本の柱で安定を保ちながら自らの重み(約60t)で立っているそうです。

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 平清盛が造営した時のものから8代目。今の鳥居は1875年の建立です。高さは奈良の大仏と同じだそうです。

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 ただ、1951年に大修理をしました。その際根本を補修するために接ぎ木しました。その継ぎ目部分が指差しているへこんだ個所です。

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 沖側の額には「厳島神社」と書かれてあります。

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と思ったら反対側(社殿側)の額には「伊都岐島神社」と。どちらも読み方は同じですね。この神社は何回も台風被害に遭っていますが、大鳥居が流されたりしたことはないそうです。神様が守っているんでしょうね。

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鹿と一緒に弥山に登るー宮島・厳島神社2

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 管弦祭の鳳輩(みこし)渡御が始まるのは夕方。たっぷり時間があるので、少し展望のきく丘の上に登ってみました。神社の裏は弥山。標高535mで、806年に工房大使が開山したといわれる霊山です。ここも世界遺産に含まれています。天気が良くなり気温もぐんぐん上昇して30度を超えてきます。それで、山頂までは大変。途中の見晴らしの良い所までにすることにしました。(すぐに妥協するのが悪い癖・・・)

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 ちょっと登ると五重塔が見渡せます。

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 屋外レストランのあるところまで来ました。こうして見ると、大鳥居と神社との距離感が良くわかります。まだ大鳥居は海中ですね。

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 途中から鹿が続いて登ってきました。とても人懐こい。ここでソフトクリームを1つ。

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 厚さに耐えきれずに町中まで降りてきました。町屋通りからだと正面に五重塔を見上げる形になりました。

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 この五重塔は1407年の建立。高さは28mあります。

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 このへんで昼食。メニューはもちろんあなご飯でした。その店の一角にあった地蔵さん。「その時は その時です その時も その時です」だって。なんか意味深な感じ。

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 窓際には立派な胡蝶蘭。

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 別の土産物店には目に鮮やかな和傘が。

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 神社に戻ってきました。拝殿もまた赤が似合います。

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 提灯の房は赤と白の2色。

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 そんな紅白の色調の中で、灯篭の白黒がちょっとした色彩のアクセントを作っています。

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 外国人の家族も来ていました。この家族とは別にイタリア人のカップルにも会いました。ナポリからの観光客で、明日は京都に行くとのこと。「京都はここよりも暑いですよ」と話したら、げんなりした表情。イタリアの夏は暑くとも湿気がないので、日本のじとっとした暑さには相当参っているようでした。

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 海岸では鹿が木の実を突っついていました。

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 シルエットにすると、なぜか神々しくも見えます。

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海に浮かぶ厳島神社大鳥居ー宮島・厳島神社1

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 いよいよ夏本番ですね。残念ながらこの夏は旅行の予定がないので、以前の旅の写真を掘り起こして仮想旅行をしたいと思います。ちょうど今月は厳島神社最大の祭り「管弦祭」(旧暦6月17日で、太陽暦だと今年は7月24日)があるので、宮島・厳島神社の紹介をしてみたいと思います。なお、宮島に行ったのは4年前の夏、暑い日でした。

 広島から広島電鉄で約1時間、宮島口駅まで行き、ここの桟橋から連絡船に乗れば約10分で宮島に到着します。

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 宮島は瀬戸内海に浮かぶ周囲30kmの細長い島です。最初に目に飛び込むのは大鳥居。海の中に堂々とした赤い姿が浮かぶように立っています。

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 厳島神社に入ってみましょう。入口には大きく「世界文化遺産」の看板がありました。この神社と前面の海、背後の原始林地区が1996年に世界遺産に登録されています。

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 厳島神社は推古天皇即位の593年に創建され、1168年に平清盛によって現在の規模に社殿が拡大されたという古い歴史を誇ります。ほとんどの建物が国宝か重要文化財になっています。

 東の回廊あたりは一部光の通らない所もあり、提灯の明かりが雰囲気を出していました。

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 回廊から外を見ると、この建物の下は海。陸地に立っているというより海に浮かんでいるよう。ヴェネツィアを思い出しました。潮の満ち干によって風景が全く変わってしまいます。

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 祓殿。その次に拝殿、幣殿、本殿といくつもの社殿が奥に連なる構造になっています。

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 管弦祭で女神を乗せて船に乗る鳳輩(みこし)が置かれてありました。きらびやかです。

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 その場所から外を見ると、海上の大鳥居も見えます。

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 外に出て、海側から祓殿を見たところ。手前の一段と高くなった板の間が高舞台です。周囲に黒漆が塗られており、ここで舞いが舞われます。

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 その横、ヒノキの板が敷かれた長い廊下。板と板との間に隙間がありますが、これは劣化したわけではなく、始めからこうした構造になっています。高潮の時など水の圧力をここで抜くための装置です。つまり、建造時から海面下に沈むことも想定して造られていたということです。これも昔の人たちの知恵ですよね。

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 入口と反対側に進むと、美しいアーチを描いた反橋が現れました。毛利元就親子が1557年に再建したもの。あの「3本の矢」の毛利家ですね。

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 こちらは能舞台。ここも毛利元就の造営です。能を演じる際、足で床を踏みつける音が、潮の干満によっていろいろと変化するのだそうです。

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 入口と反対側の浜辺に来ました。こちらから見ると社殿越しに五重塔が望めます。鹿もいました。ここの鹿君たちも奈良と同じで人懐っこく、全く逃げたりしません。

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 社殿から見る大鳥居。午前10時頃は完全に海の中にあります。これが時間が経つに従って大きく変わって行きます。

 

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勇者たちの凱旋ロードーフォロ・ロマーノ

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 フォロ・ロマーノは紀元前以来古代ローマの政治経済の中心地として栄えた土地だ。神殿や公共施設が建ち並び、時の英雄たちが演説し、凱旋した場所でもある。そこを眺めるのにとても良いスポットがある。カンピドリオ広場の市庁舎裏だ。高台になっているためにフォロ全体を見下ろすことが出来る。

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 最初に目につくのはセプティシウス・セヴェルスの凱旋門。高さ21mで大小3つのアーチを持っている。パルティア人との戦いに勝利した記念碑として3世紀に造られた。パリのナポレオンの凱旋門なども、こうした門を参考にして造られたと容易に想像できる。

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 門の向かって右上部分には、軍遠征の模様などを描いたレリーフがある。

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 大アーチの下を通る道は聖なる道。門と同時に3世紀に造られた、まさに凱旋パレードをするメインストリートだった。カエサルもここを通って凱旋したのだろう、と思ったら、カエサルは紀元前44年に暗殺されており、この凱旋門が出来た時にはもうこの世の人ではなかった。

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 門のすぐ右横、足元に屋根で覆われたところが、カトゥルスの祭壇。農耕を伝授した神の祭壇だ。

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 祭壇の南側に一際目立つ花崗岩の列柱8本が今もそびえるのは、サトゥルヌスの神殿。ここに国家の財宝が納められていた。紀元前1世紀のものが火災に遭い、3世紀末に再建されたものの一部を今こうして見ることが出来る。

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 同神殿の手前、黒っぽい石(玄武岩)の敷き詰められた、左右に伸びる道が、クリウス・カピトリヌス。戦いに勝利した軍の馬車が、市民の歓呼に答えながら戻るルートだった。

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 手前の3本の高い円柱を残すのは、ウェスパシアヌスとティトウスの神殿。また、神殿の真後ろにある1本だけの円柱はビザンツ帝フォカスの記念柱。

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 こうした様々な遺跡を一望できるスポットにいると、一瞬自分も古代の世界にワープしたような気分になってくる。

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 と、となりのカップルのはしゃぎ声で、現実の世界に引き戻された。男性はまるでグラディエーターの様にたくましい顔立ちだった。

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 改めてフォロ全体を眺めてみる。右奥、3本柱の上に3段の石積みがある遺跡は、カストルとポルックスの神殿。前回カンピドリオ広場にあった双子像の名前だ。その双子に奉献された神殿で、後年は中に役所や銀行も入っていたという。

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 同神殿の左側にさらに小さな3本の柱が見える。ここはウエスタ神殿。国の繁栄を守る聖火とパラスアテナ像が置かれていた。聖火を守る巫女の存在も知られている。

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 円筒形の建物はロムルス神殿。ロムルスはもちろんローマの建国の父。

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 このフォロで最もよく形が残っているのが、アントニヌスとファウスティーナの神殿。高さが17mもある大理石の列柱が見事に立ち並んでいる。

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 また、カストルとポルックス神殿の真後ろに少しだけ見える門がティトゥスの凱旋門。ユダヤ戦争勝利を記念して建てられた。ここが聖なる道の終点になる。

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 こうしたきらびやかな遺跡群の後方に、一段と大きなコロッセオが姿を現していた。やっぱりローマはすごい!

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紀元前の人々との対面ーカピトリーニ美術館

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 カンピドリオ広場にあるカピトリーニ美術館は、広場右側のコンセルヴァトーリ宮殿と左側の新宮とが一緒になって1つの美術館を形成している。1471年、教皇が持っていた古代彫刻をラテラーノ宮からここに移して公開したのが始まりで、いわば世界最古の美術館ともいえそうだ。コンセルヴァトーリ宮殿側に入場口がある。

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 この刺を抜く少年像は、紀元前1世紀ごろの作品。ごく日常の一般庶民の姿が実にリアルに表現されている。神話の英雄たちだけでなく、こんなさりげない風景も作品に仕上げた当時の作家のセンスと力量にびっくりする。

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 少し進むと広い中庭に出る。ここにあったのが巨大な顔。初めてキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス帝だ。強い意志が現れた顔だ。そばの女性と比べれば、大きさがわかる。

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 顔が大きければ手も大きい。

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 もちろん足も。330年、帝国の首都をローマからコンスタンティノープル(後のイスタンブール)に遷都するという大胆な政策で歴史を変えた人物だ。

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 こちらは古代の戦士像。

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 絵画部門にはカラヴァッジョ作品があった。女占師に手相を見てもらう若者。そんなふりをして指輪を抜き取る場面だ。無知な若者としたたかな女との組み合わせは、ラトゥールの「いかさま師」を思い出させる。

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 「洗礼者ヨハネ」。多くの絵はキリストに洗礼を施したヨハネを中高年の姿で描いているが、カラヴァッジョはごく普通の少年として描いた。彼独特の強いコントラスト表現がもう発揮されている。

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 廊下を渡って新宮殿に移動する。その途中、フォロロマーノの素晴らしい風景を見ることが出来る。この様子は次回のお楽しみ。

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 同美術館の宝ともいうべき「カピトリーノのヴィーナス」。2世紀ころの作品だ。このポーズは近年に至るまで様々なコピーが生まれている。

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 大理石だが、石とは思えないほどのすべすべした肌の質感も素晴らしい。

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 「エロスとプシュケ」。オリジナルは紀元前2世紀のギリシャ。ギリシャ神話のテーマとなった典型的な愛の姿として無数のコピーが造られている。

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 「瀕死のガリア人」。紀元前3世紀の傑作の摸刻。死に瀕した戦士が最後の気力を振り絞る姿を生々しく再現した。これが2000年以上前に造られていたこと自体がびっくりだ。

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 「ハトを抱く少女」。首を傾げた姿は、まるでダンスを踊っているようにリズミカルに見える。

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 対して。「円盤投げ」の戦士はさらに前の紀元前5世紀作。激しい動きの一瞬を切り取った緊張の形、盛り上がる筋肉表現など、素晴らしい。改めて古代彫刻の傑作群に圧倒された。

 

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双子座の英雄たちと出会うーカンピドリオ広場

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ローマは7つの丘の街といわれるが、その中でも歴史的に重要な場所にあるのがカンピドリオの丘だろう。紀元前509年この土地にエピテル(ジュピター)の神殿が建てられて以来約2500年、すぐ横には古代ローマの政治の中心だったフォロロマーノを見下ろして、波乱万丈の歴史が周辺で展開された。

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 ローマは軍神マルスを父に持つロムルスとレムスの双子の兄弟によって建国されたといわれるが、その兄弟とオオカミの像がこの丘にあるのも、必然だろう。

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 広場の建設が始まったのは1538年のこと。パウロ3世の命を受けたミケランジェロが全体の構図を設計した。広場中央にマルクス・アウレリウス像をラテラーノの丘から移設し、台座はミケランジェロ自身がデザインした。

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 また、一番奥のセナトーリ宮殿(現市庁舎)の前に左右に分かれる階段を置き、2体の河神像が据えられる。

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 その右側に立つコンセルヴァトーリ宮殿と同じ形の新しい宮殿を左側に新たに建設した。その際、コンセルヴァトーリ宮殿は少し手前が狭くなる斜めの形に建てられていたので、新宮殿もそれと相似形に手前が狭くなる位置にされた。

 これによって広場の形は奥が広く手前が狭い台形の形状が出来上がった。

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 正面には高く長い階段があり、それを上り切らなければ広場の全容はみることが出来ない。だが、上り切った時に突然広場が見晴らせ、手前が狭く奥が広いために遠近法をさらにデフォルメしたような不思議な広さを感じることが出来る。

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 ただ、この広場が完成したのは、ミケランジェロの死後90年もたってからのことだった。

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 広場入口には2体の巨大な像が建っている。カストルとポルックスというギリシャ神話上の双子の英雄だ。万能の神ゼウスとスパルタ妃レダとの間に生まれ、後にローマを勝利に導く活躍をする。

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 左右に2体が置かれているが、どちらがどちらかはよくわからない。双子だからね。

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 星座に詳しい友人によると、カストルとポルックスは双子座を形成する星の名前でもあるそうだ。アウレリウス像とこの双子像が出迎える広場は、英雄との出会いの疑似体験をするかのような高揚感を味わうことが出来る。

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 また、広場全体に大きな楕円形が波紋を描くように広がっている。この不思議な形は、天の摂理を表わし、黄道十二宮に対応するのだという。天体の動きが人の運命を左右するという考えは昔からあり、図形そのものは天文学や占星術に関する著作に出てくる図形とよく似ているという。

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 そんな不思議な空間はローマっ子たちの団体学習の場になっていて、この日は小学生のグループが賑やかに見学していた。

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 夜、ヴィットリア・エマヌエーレ二世記念堂からの帰り道、この階段を振り返ると一瞬、その先はどこか未知の世界につながっているのかも、、といった妄想に取りつかれた瞬間があった。

 

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