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2013年8月

名実ともに世界最大のカトリック教会ーサン・ピエトロ大聖堂①

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 これまでローマ市内の16の教会を紹介してきたが、肝心のサン・ピエトロ大聖堂が残っている。あまりにも巨大で恐れ多くて手を出せないでいたが、ここを触れずに教会巡りを終えることは出来ない。きわめて断片的になるかもしれないが、このキリスト教世界の中心となる大聖堂を、わかる範囲で見て巡ることにしよう。

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 まず正面のファザードから。この教会はそもそも聖ペテロの墓の上に建てられたものだ。聖ペテロはガラリヤ湖の漁師シモンだった。キリストに「ついて来なさい」と言われ。弟アンデレと共にキリストの最初の弟子となり、「岩」の意味を持つペテロと名付けられた。

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 「私はこの岩の上に教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける」(マタイ伝)。キリストから天国の鍵を預かり、初代ローマ司教を務めたが、当時はまだキリスト教は邪教扱いされており、ネロ皇帝時代に迫害を受けて殉教した。

 
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 そのペテロの墓の上に、324年、コンスタンティヌス帝によって聖堂建設が始まった。今の大聖堂の前身で、現在の建物は16~17世紀にかけて再建されたものだ。

 時の教皇ユリウス2世が新大聖堂建設を構想し、ブラマンテが引き受けて1506年4月礎石が置かれた。ただ、彼は1514年に死去、莫大な資金も滞るなど紆余曲折を経たが、1546年、当時71歳のミケランジェロに工事が任された。

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 ミケランジェロによって、迷走していた工事がようやく軌道に乗り、進展することになる。とはいってもミケランジェロも1564年に死去、最終的に完成したのは1626年のことだった。

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 ドームの高さは136.6m、フィレンツェのドゥオモの107m、ミラノ大聖堂の尖塔の高さ108mなどをも凌ぐ世界最大の教会だ。

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 ファザードの真ん中の高さに9つのバルコニーが並んでいる。

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   その真ん中のバルコニーは特別な行事の時に使われる。

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 昨年暮れのクリスマスでは、先ごろ引退したベネディクト16世がここでクリスマスメッセージを読み上げた。

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 屋上部分にはキリストと12使徒の像が並ぶ。

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 実は両脇に鐘塔を加えようとしたが、地盤の悪さで建設途中に亀裂が入るアクシデントが発生、結局鐘塔は断念して代わりに今は時計台になっている。

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 玄関入口にはブロンズ製の5つの大扉が並んでいる。中央の大扉は1445年、アントニオ・アヴェッリーノ(通称フィラーテ)作。6つのパネルにキリスト、マリア、聖ペテロ、聖パウロなどが描かれている。

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 これは聖ペテロがキリストから鍵を授かる場面。

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 そのペテロが逆さ十字架に架けられて殉教する場面。

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 一番右の扉は聖なる扉と言われ、25年に1回の聖年の時だけに開かれる。私は2000年にここを通って大聖堂に入ったことがある。

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 入口で警護に当たっているのはスイス衛兵。現在約100人の衛兵がバチカン市国を守っている。衛兵になるには、スイス国籍を持つカトリック教徒で、19~30歳までの未婚者、身長174cm以上などの条件があるという。イタリアの支配を巡ってフランスと争っていたイタリア戦争時に、ユリウス2世がスイス兵を雇ったのが始まりだとのことだ。

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専制教皇と激情の芸術家が残したものーサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会

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 1505年、フィレンツェであのダヴィデ像を完成したばかり、30歳のミケランジェロの許へ、時の教皇ユリウス2世から仕事の依頼が届けられた。その内容は、古代ローマ時代に匹敵するほどの大規模な教皇自身のための廟墓制作。構想では、長さ9m幅6m40体の彫刻を組み合わせ、中心にモーゼ像を配置するという大規模なものだった。

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 もともと絵画より彫刻こそが自らの本分と考えていたミケランジェロは大いに心を動かされ、早速準備を始めた。

 しかし、わずか3年後の1508年、ユリウス2世はサン・ピエトロ大聖堂の再建に気持ちが移ってしまい、今度はミケランジェロに大聖堂内システィーナ礼拝堂の天井画制作を命じる。芸術に理解を示し、ミケランジェロの才能を高く評価する教皇だったが、同時に絶対の服従を要求する専制教皇でもあった。

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 一方、ミケランジェロも教皇の芸術観に共感していたものの、その強引さには辟易する。もちろんミケランジェロ自身も激情的な性格の持ち主で妥協嫌い。激しい性格の2人だったが、やはり教皇の権力には抗しがたく、ミケランジェロは天井画制作に従事することになる。

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 不本意の仕事とはいえ芸術に妥協しないミケランジェロは、5人の助手を全員クビにしてたった一人であの壮大な天井画制作に取り組む。一方教皇は毎日のように制作現場に足を運び、ミケランジェロを叱り、脅し、慰め、励ました。

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 結局4年半の歳月をかけて1512年、あの壮麗な礼拝堂天井画が完成したが、それからわずか4カ月後にユリウス2世はこの世を去った。

 ミケランジェロはその後も廟墓制作に執念を燃やす。だが、後の教皇たちは熱意を示さず、結局小規模な廟墓が造られただけになってしまった。その廟墓のあるのが、ここサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会だ。

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 ミケランジェロが制作したのは、下段中央のモーゼ像と左右に立つ2体の寓意像だけ。ただ、パリ・ルーブル美術館の「奴隷像」、フィレンツェ・アカデミア美術館の未完の「奴隷像」ヴェッキオ宮殿の「勝利像」などはどれもこの廟墓のために手掛けたものだった。

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 モーゼ像は高さ2・35m、右手に十戒(律法)の刻まれた2枚の石板を持ち、左手前をにらんでいる。

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 眼光鋭し!というのはこんな目を言うのだろう。イスラエルの民を約束の地に導くという使命を果たすべく強い意志が発散している。この迫力、威厳はミケランジェロの執念をも思わせる凄さだ。

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 左の像は「ラケル」。瞑想的生の象徴像。

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 右は「レア」。こちらは活動的生の象徴。あまり活動的には見えないのだけれど・・・。

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 頭には2本の角が生えている。これは聖書の誤訳とされている。シナイ山を下りてきたモーゼの顔が「光り輝いていた」という表現の「cornutam」という単語は「角の生えた」という意味もあったことから、誤って訳されたということらしい。

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 ヴィンコリ教会創建の趣旨は、聖ペテロがエルサレムで牢に繋がれていた時の鎖(ヴィンコリ)を祀るために5世紀に建てられたもの。鎖はもう1本、ローマの牢獄で繋がれていたものもあり、2本をまとめて1本にしたという。祭壇の下の金色のガラス箱に入れられてあった。

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 主祭壇の後陣壁面にはびっしりと絵が描かれている。16世紀フィレンツェの画家ヤーコボ・コッピ(通称イル・メリオ)の作品だ。

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 目の高さにある3枚の絵は、向かって左から「牢獄から解放されるぺテロ」

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 「聖ユウェナリスから聖遺物の鎖をもらう皇女エヴドチア」

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 「(その娘の)エウドッシアから教皇に鎖が渡される」

つまり、ここに祀られた聖なる鎖がどのようにしてローマの教会に渡ったかを、絵で見せているというわけだ。

この教会はいつも大勢の信者たちで賑わっている。有名なモーゼ像があるのと、コロッセオからも近いため行きやすいこともあるのだろう。
 

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2つの異色の教会ーアンジェリ教会、クワトロ・フォンターネ教会


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 今回は、ミケランジェロとボッローミニという2人の芸術家にゆかりの異色の教会を紹介しよう。

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 前回の共和国広場に面して、不思議な外観の教会がある。サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会。一見すると昔の遺跡か廃墟。だが、これはわざわざこうした形にミケランジェロが設計したものだ。

 前回も触れたが、ここは4世紀、ディオクレティアヌス帝が造った大浴場跡。ミケランジェロはピオ4世の依頼でここに教会建築を任されたが、彼は古代遺跡に敬意を払って浴場跡の壁面をそのまま活用したファザードを設計した。天才の発想は実に柔軟だったことが良くわかる。ただ、教会建築は一時中断、その間にミケランジェロは死亡し、完成は18世紀まで持ち越された。

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 入口には彫刻像が壁に張り付いたように取り付けてある。

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 不思議な立体感を演出している。

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 中は広大なスペース。浴場のスケールがそのままここでも生かされている。

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 入口近くにまるで双子のような2体の聖人像があった。

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 そう古いものではないようだが、素朴な中にも厳粛な清らかさを感じさせる。

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 どの角度から見ても素晴らしく神々しい姿。すっかり見とれてしまった。

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 一方で、全く現代的な「包帯をした顔」も。

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 アンジェリ教会から300mほどの所に、もう1つ変わった教会がある。サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ教会。ベルニーニがローマバロックの代表者として君臨していた時代、ついにトップに立てずに悲劇的な最後を遂げた建築家がいた。フランチェスコ・ボッローミニ。彼の残した珠玉の建築がこの教会だ。その天井の美しさをご覧あれ。

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 この教会はとても小さい。面積はベルニーニが傑作を残したサン・ピエトロ大聖堂のクーポラを支える柱と柱の一間分しかないという。だが、張りつめた美しさを今も保ち、ローマっ子たちはここを愛情を込めて「サン・カリーノ」(可愛い)と呼んでいる。「サン・ピエトロの美しさは、その大きさにあるが、サン・カリーノの美しさは、その小ささにある」。

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 最も特徴的なのが、クーポラ。6角形と8角形、十字を組み合わせた模様や、大きな楕円の中に小さな楕円が混じり、複雑に組み合わさった形が独特の雰囲気を醸し出す。白を基調にすっきりと洗練された美しさが頭上に広がる。

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 その中心にあるハトは聖霊を表わすと共に天国を象徴している。

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 祭壇の上部の半円にも独特の模様が施されている。

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 さまざまな形が中央の天窓に近づくにつれて小さくなり、全体として天に舞いあがる効果を発揮しているようだ。

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 そんな独創的な建築を生みだしたボッローミニは極めてエキセントリックな性格だった。うつ病を患っていたといわれ、床に剣を立てそこにダイビングして自殺したという衝撃的な最後を遂げている。天才と狂気は紙一重というけれど・・・。

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「ローマの休日」のロケ現場ー共和国広場、コロンナ宮殿

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 ローマ・テルミニ駅近くに、非常に夜景の美しい広場がある。共和国広場だ。

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 何年か前ローマで3泊した時はこの広場のすぐ近くのB&Bに宿泊したので、何度もこの広場を通った。その時、ここの夜景の美しさに初めて気づいた。

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 テルミニ駅から地下鉄A線で1駅という至近距離だ。

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 広場の中央に噴水がある。1901年、マリオ・ルテッリ作のナイディアの泉。4人の妖精の像が配されている。

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 また、口輪のついた犬の像もあった。

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 もともとここには4世紀にディオクレティアヌス大帝によって造られた巨大浴場があったが、その壁面の半円形を活かして広場が整備された。それで、周囲のビルは広場を丸く取り囲むようになっている。

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 日が沈むと噴水を囲むビル群がライトアップされる。空が青味を増すにつれてビル群の輝きが一層鮮やかになり、美しいコントラストを見せてくれる。

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 アーケードの照明も趣のあるデザインだ。

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 この広場は、オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」にも登場する。アン王女は歓迎会パーティの後、大使館を脱出し、軽トラックの荷台に乗って深夜のローマの街に出る。トラックから降り立った最初の場所が、この共和国広場だった。この日も、まるで王女のようなスタイル抜群の女性が広場に立って噴水を眺めていた。

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 今は周囲のビルには大きなホテルなどが入っており、三越のローマ支店もここにあった。

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 また、共和国広場からクイリナーレ通りを西に行くと、コロンナ宮殿がある。ここは「ローマの休日」のハイライトシーンで使われた場所だ。宮殿の細い螺旋階段を上ると、大広間に通じる「勝利の柱の部屋」に出る。

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 ここが、最後の記者会見でアン王女が立った場所。王女の視点で広間を見るとこういう眺めになる。

 グレゴリー・ペック扮する記者たちが並んで、王女の言葉を聴く。「訪問先のどこがお気に召しましたか?」「ローマです。永遠に忘れ得ぬ思い出となるでしょう」。あの印象的なラストシーンは、ここで撮影された。

今は、ここは美術館になっているが、開館するのは土曜日の午前中だけ。しっかりスケジュールを調整しておかないとなかなか入れない美術館だ。そういえば、この美術館ではボッティチェッリの小さな作品を見ることが出来た。

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素晴らしい聖母子のレリーフに出会ったーサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会

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 とてもよく晴れた日の朝、ラテラーノ教会に向かった。地下鉄A線のサン・ジョヴァンニ駅を下りて地上に出ると、澄み切った青空に白い教会のファザードが輝いていた。

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 正面屋上には13体の像がずらりと並んでいる。中央の一段と高くなった人がキリスト。両脇に12使徒が控えている。1735年、アレッサンドロ・ガリレイの作だ。

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 扉口には青銅のレリーフがあった。十字架のキリストと聖母子の姿だろうか。ということは、キリストの誕生と死とを同じ場所に再現したレリーフということになる。

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 アップしてみよう。我が子を見つめる母と、見上げる子。情感にあふれた姿が崇高で素晴らしい。キリストの足がピカピカに光っていた。この足を触ると良いことがあるのだろうか。

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 そのすぐ近くで祈りを捧げる僧の姿もあった。

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 中に入ってみた。大きな教会だ。床の模様も豪華。丸と四角を組み合わせた構図が一杯に広がる。そういえばパンテオンの床も似たような形だった。

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 天井は、半円球の上部にキリストを囲んで9人の天使が飛んでいる。その下にエルサレムの街が描かれ、中央にはハトの停まった十字架。一瞬これはエッフェル塔かと思った。その左には聖母マリア、聖ペテロ、聖パウロ。右側には洗礼者ヨハネ、使徒ヨハネ、聖アンデレが並んでいる。

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 この教会を特別なものにしている最大のものは、この法王専用祭壇。1367年、ジョヴアンニ・デイ・ステファノ作。この場所でお祈りが出来るのは法王だけということだ。サン・ピエトロ大聖堂だと、あのベルニーニ作のバルダッキーニの祭壇に当たる。中央のフレスコ画は4面に3枚ずつ計12枚描かれている。

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 この中には聖ペテロと聖パウロの像がある。それぞれの像の頭の中にこの2大聖人の頭がい骨が納められているという。

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 教会に入ったのが早かったので、斜め上から朝日が差し込んでいた。その光がちょうど身廊に並んだ聖人像に当たって、像を浮かび上がらせる効果をもたらしていた。

 この教会は、4世紀コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した時、時の法王にラテラーノ一族の土地を与えて聖堂建設を指示したのが始まり。つまり、キリスト教世界最古の聖堂ということになる。“全世界の母なる教会”なのだ。以来ローマ法王庁が南フランスのアヴィニヨンに移る1309年まで、ここが法王の住む教会だった。しかし、アヴィニヨンに移ってからは火事に遭ったりして荒れてしまい、法王庁がローマに戻るときには、サン・ピエトロに司教座が移ってしまった。

 そうして荒廃したこの教会をイノケンティウス10世が修復を決定、1646年ボッロミーニに工事を任せた。ボッロミーニは昔の形を極力残しながらも身廊の列柱を配し、その間に巨大な12使徒の像を並べるというデザインでバロックの空間を創り上げた。その像たちが朝日を浴びて強烈にアピールしているようだった。

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 この像は剣を持っており、聖パウロ。

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 書物を広げた聖人は多分聖ヨハネ。

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 日陰になっていたが、欠かすことの出来ないのが、カギを持った聖ペテロ。

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 ドームの丸天井に向かって突き出す十字架。

 この建物のある土地はイタリアではなく、バチカン市国の領地となっている。バチカン市国の独立と領地の確定を決めたラテラーノ条約は、この場所で締結された。

 ただ、条約の相手はファシスト党首ムッソリーニ。これによってファシズムの非人道性を教会が黙認する結果となり、世界中から非難された歴史がある。

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 教会と広場を挟んで向かい側に「聖なる階段(スカラ・サンタ)」がある。キリストが裁判の日にこの28段の階段を上って死刑判決を受けた、エルサレムのピラト宮殿の階段を移設したといわれている。大勢の信者たちがひざまずいて階段を上っていた。あまりにも恐れ多い光景なので、非信者の私は階段下で黙礼するだけでここを後にした。

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史上初めて聖母マリアに捧げられた教会ーサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会

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 ローマ帝国が初めてキリスト教を公認したのは313年の「ミラノ勅令」だったが、法王ユリウス1世は、それに基づいて帝国で初めて聖母マリアに捧げる教会の建設に当たった。それがこのS・M・イン・トラステヴェレ教会だった。サンタ・マリアと名のつく教会は無数にあるが、そのすべての始まりの教会がここだった。

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 それ以来異民族の侵略などで教会は一時荒れ果てたが、イノケンティウス2世が12世紀に再建、外に高さ20mの鐘楼が建てられ、ほぼ今の姿になった。

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 ファザードには、中央に玉座の聖母子がおり、左右にランプを奉献する聖女たちが5人ずつ、計10人描かれている。この聖母は幼子キリストにおっぱいを挙げている姿でとても珍しい。まさに“授乳の聖母”とも呼ばれる。中世までは割と一般的にそんな図が描かれていたという。教会正面の絵は、その教会が誰に捧げられているかを示すもので、ここが聖母に捧げられていることが表わされている。聖女たちの下部分には椰子の木もあって、面白いデザインだ。

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 中に入ってみよう。たまたまこの日は特別のミサのためにテレビの中継が予定されており、ライティングされていたので、身廊全体が明るくなっていた。

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 お蔭で天井付近の絵画までバッチリ見渡すことが出来た。

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 後陣のモザイクが見事だ。最上段を見ると、雲の中から「神の手」が差しだされている。これは祝福の手。なぜなら手の下には聖母の戴冠が描かれているから。冠を頂いた聖母マリアが息子のキリストと一緒に1つの椅子に座るという何ともほほえましい光景だ。まるで記念写真!!

 キリストの持つ書物には「来たれ我が選ばれし御方よ。我汝を玉座に就かせん」という文字が。キリストの右脇は聖ペテロ、左脇はこの教会再建に尽力したイノケンティウス2世。

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 さらにその下には羊の群れが並んでいる。これはキリストと12使徒を象徴する12匹のひつじだ。

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 さらにその下にはピエトロ・カヴァリーニ作の「聖母マリアの生涯」の名場面がモザイク画で描かれる。これは「マリアの誕生」。

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 これは「キリスト誕生」。

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 「東方3博士の礼拝」。

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 「神殿奉献」といった具合だ。1291年の作品。この時代はまだ平面的、装飾的な描き方が主流だったが、この絵には奥行きや動きのある人物表現がみられる。次の時代への方向性を与える革新的な絵だったとも言えそうだ。

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 さらに下段にはルネサンスを思わせるあでやかな女性たちの姿がある。これは誰の作品なのだろうか。

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 作者を特定できなかったが、個人的には好きな絵だ。

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 この絵は女性たちの後方で何やら大規模な会議が行われている。どんな重大な会議だったのだろうか。

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 これは天井画だが、タッチは前の絵とよく似ている。

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 中央天井の八角形の枠の中には、ドメニキーノによる「聖母被昇天」があった。この天井もまた豪華だ。

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 もう1つの天井にあった「聖母被昇天」。こちらは木で作られているという実に珍しい作品だ。周りの天使たちはみな金ぴか!

 建築資材は、カラカラ浴場のものを流用したりしているという。古代ローマ時代の建物から材料を転用することはしばしばだったようで、コロッセオや各種神殿の資材などはあちこちの建築で見ることが出来る。

 トラステヴェレという、名の通りテヴェレ川を渡った西側の地区にあり、メインの通りからは外れているが、なかなか見どころたっぷりの教会だった。

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噴水の街・ローマの代表ートレヴィの泉

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 ローマの街を特徴付けているものの1つに噴水がある。どの広場にもほぼ必ず水場が設けられている。その中でも最も有名なのがトレヴィの泉だろう。15世紀、教皇ニコラウス5世が水道の整備を行った際、大きな水道の終点にはモニュメント的な装飾として噴水を造った。ただ、教皇の死で中断していたものを、18世紀になってクレメンティウス12世が再開、コンペで選ばれたニコラ・サルヴィによって完成したのがトレヴィの泉だった。

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 流れる泉の前に建つ大建築のファザードのような壁面には沢山の彫刻が配置されている。中央でさっそうとポーズをとるのが海の神ネプチューン像。ちょっとミケランジェロに似ているような顔立ちだ。

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 すぐ足元には半人半魚の神話上の人物トリトンがホラ貝を吹いている。ポセイドンの息子で、水に関係する人物だけに、噴水周辺にはよく登場する。ナヴォーナ広場にもいたっけ。

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 ネプチューン像の両側には2人の女神がいる。左は豊穣の女神。籠に果物があふれて豊かさを表現している。あらら、壺からワインがこぼれ出している。ぜいたく!

 右の女神は健康を象徴する。この角度からは見えにくいが、医療のシンボルである蛇があしらわれている。

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 門壁全体は凱旋門のような形になっている。その1番上の装飾はコルシニ家の紋章だ。コルシニ家とは、この泉を完成させたクレメンティウス12世の出身家系だ。その下側、4本の柱それぞれに像が配置されている。これは左から春夏秋冬の季節の寓意像。よく見ると皆個性的なポーズが面白い。

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 ここに来れば皆することは一緒。泉に背を向けてコインを投げ入れること。この日もそれぞれに順番でコイン投げをしていた。一時禁止になったこともあったのだが、今は復活したらしい。私も最初に来た時コインを投げて、そのお蔭かこうしてまたローマに来ることが出来た。

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 今回の旅は教会巡りが主だったので、あまり大勢の観光客と鉢合わせすることは少なかったが、ここだけは観光客であふれていた。

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 こんなユニフォームのようなおそろいの赤い服の女性たちも。東欧系の顔立ちに見えた。

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 この広場にはベルニーニの像のあるフラッテ教会から来たので、広場脇から入る形になった。横からでもネプチューンは目立つ。

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 左サイドから見た全景。馬たちの様子も面白い。

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 広場近くのカフェで一休み。カフェラテには薄く葉っぱの模様が付いていた。

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 こちらは以前夏場に行った時のもの。夜になるとまたムードが変わる。

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 泉のほとり、あちこちでで語り合う人たち。

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 夏場はかえって夜の方が賑わっていたようだった。

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無名の教会での意外な発見ーサン・ロッコ教会、アラ・パチス・・

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 今回はほとんどどのガイドブックにも掲載されていない教会を紹介しよう。私の宿泊していたホテル(バチカン市国側)からスペイン広場側に行くためにはカヴール橋を渡る。その端のたもとにあった教会に何となく入ってみた。全く期待もしていなかったのだが、内部の絵画群に圧倒された。その教会名はサン・ロッコ教会。

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 入って中央奥の祭壇。通常はこの位置に聖母子のイコンのような小さな絵があったりするのだが、ここは大きな絵画が1枚ずつ三方を占めていた。

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 中心にあったのがこの絵。テーマが何かは不明だが、堂々とした絵。特にライオンの存在が目を引く。

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 右礼拝堂は、東方三博士の礼拝だろうか。聖母子に拝謁する人たちがおり、その上空には天使が舞っている。キリストの誕生を喜ぶ、暖色の目立つ絵だ。

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 対して左礼拝堂にあったのはキリスト磔刑。十字架につながれたキリストを中心にして嘆き悲しむ人たちのリアルな表情が広がる。青の寒色系の色が要所に配置されている。救世主の誕生と死という劇的で対照的なシーンを両サイドに配置した構成となっている。

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 教会全体を俯瞰する。暖かく包まれるような空間で、とても居心地が良い。そんな見知らぬ空間で意外で新たな発見が出来る。それがローマの奥深さなのだろう。

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 外に出ると、テヴェレ川の土手の向こうに夕陽が沈むところだった。

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 家路を急ぐ人の姿もときたまあったが、

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 通り過ぎた後の風景は、まるで遠い田舎町のたそがれのように荒涼としたシーンがあった。ここはローマの中心部だというのに。

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 実はその川沿いにアラ・パチスという記念祭壇がある。アウグストゥス帝を讃えて紀元前9年に建造された「平和の祭壇」。長い修復を終えて今はガラスの建物の中に入っており、外からでも垣間見ることが出来る。

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 アウグストゥス帝一族の群像がレリーフとなって並んでいる。これが紀元前のものとはとても思えない。素晴らしい。

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 散歩の帰り道、サン・ピエトロ大聖堂へ行くコンチリアツィオーネ通り右手にあった小さな教会に入ってみた。サンタ・マリア・イン・トラスポンティナ教会。主祭壇の聖人像がなかなかの存在感を出していた。

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 それにも増して、入口近くにあった黄金の装飾に囲まれた聖母子像が圧倒的。これも寄り道のお蔭で見ることが出来た。

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ラファエロの眠る古代建築ーパンテオン

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 古代ローマ時代の建物として見事にその姿を完全に今に伝えるのが、パンテオンだ。まずは紀元前25年ごろにアグリッパが神殿を建て、その約120年後にハドリアヌス帝が今のような円形のものに立て直した。以来1900年間、常にローマの象徴としてそびえ続け、ルネサンスの建築家たちにも大きな影響を与えてきた。

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 屋根の中央にあるドームの大きさは直径43・3mで、フィレンツェのドゥオモよりも大きい世界最大の石造建築だ。

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 円形の天井窓の穴は直径9m。ガラスも何もなくぽっかりと穴があいている。雨が降ったらどうなるだろうかと思うのだが、まだ雨の日に行ったことがないので不明。クーポラは極力軽くするためにくぼみを造っている。全部で5層あり、下に行くほど大きなスケールになっている。

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 それでもこれほどの重みを支えるには、大変な力が必要になる。天然コンクリートによる周囲の壁の厚さは6・2mにもなり、さらに補強のためのアーチも組まれている。

 こうした建築における重力問題は常に技術者を悩ませ続けたが、フライング・バットレスの出現によって初めてゴシックの高層建築が可能になって行く。

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 玄関部分。高さ12・5mのエジプト産花崗岩の円柱が16本並ぶ。

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 高いオベリスクのある広場は観光客だけでなくローマの人たちにとっても安らぎの場となっているようで、カフェのオープンスペースでゆったりとくつろぐ人たちをよく見かける。

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 中にはラファエロの墓がある。墓の上にある聖母子像はロレンツェット作。ラファエロはこの像と共にパンテオンに葬って欲しいと遺言を残し、その遺志通りにここに眠っている。

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 これがラファエロの棺。左側に「RAPHAELO」の文字が見える。ハトのたわむれる小ぶりな彫刻が飾られている。

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 入口近くにあった「受胎告知」。メロッツオ・ダ・フォルリ作。15世紀になってから描かれた。つまり内部は中世以降もいろいろと手が加えられていることが分かる。

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 床には円と四角の模様が交互に描かれている。

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 一番奥には半円形の壁があり、礼拝堂になっている。

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 夜になるとライトアップされて、その姿はまた一段と荘厳さを加える。切妻には最初の建設者に敬意を表して、アグリッパの名前が残されていた。

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