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2014年9月

会場は異次元の世界だったージャパンエキスポ・パリ下

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 ステージ外でも、会場では至る所でコスプレにぶつかる。完全にキャラクターになり切った人。

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 人気キャラクターに囲まれ、うれしそうに記念写真に収まる少年も。

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 こちらは紙製のキャラクター。

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 精巧に出来てるよねえ。

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 髪の毛を水色に決めた人。でもタレントでもなく、全くの素人マドモワゼル。

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 「KAWAII AREA」で実に楽しそうにしていたマッチョ男性。

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 ワンピースの帽子をかぶってポーズを決めたお嬢さん。

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 古代ローマ兵士がちょっと和風にアレンジした服を着たところ!?

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 ピンクの髪はやっぱり目立ちます。

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 こちらはパイレーツオブカリビアン?

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 浴衣姿も結構見かけた。

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 これって、剣道着だよね。

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 和服といえば和服なんだけどね・・・。

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 こちらのお嬢さんはちょっとお疲れ風。

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 うさぎちゃんもいました。

 5日間の会期中、約18万人の来客があったという。全くの門外漢が場違いの世界に足を踏み入れてしまった数時間だったが、フランスの若者がこんなに日本に親近感を抱いてくれることにびっくり。近年、日本のテレビドラマなどでも漫画原作のものが続々登場しているし、“漫画恐るべし”なのか、従来の脚本家の弱体化なのか、いろいろ考えさせられることも多かった。いずれにしても、外国に行くといろんな機会に日本のことを考えさせられることが多くなるような気がする。









































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ステージ上はコスプレの競演ージャパンエキスポ・パリ上

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 7月、パリに着いた日にジャパンエキスポなるものに行ってみた。この催しは、外国に広く日本のさまざまなカルチャーを紹介する見本市というもの。伝統文化などのブースもあるが、圧倒的な中心は漫画、アニメなどのサブカルチャー。今回が15回目ということで、すっかりパリでは恒例行事のなりつつある。出かけたのは5日間開催のうちの3日目。パリ・ノルド駅からRER線に乗って約30分、ドゴール空港すぐ近くにあるノール・ヴィルパント見本市会場に着くと、一気に不思議な世界が目の前に現れた。

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 広い会場内は見渡す限りコスプレ姿のパリの若者たちでびっしり。

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 しかも特設ステージでは、そんなコスプレ達のコンテストが行われ、次から次へと派手な衣装に身を包んだ若者たちが登場しては自己アピール。その格好はほぼ日本のアニメなどに似せたものらしい。

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 唯一わかったのは、麦わら帽子姿の「ワンピース」。

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 そうそう。マリオもいた!

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 強烈な迫力のサソリ女?

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 派手派手扮装の2人組。

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 こちらの少女は、「KAWAII」のコーナーで。

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 白髪の剣士は、ちょっと気弱そうな感じだったが、ポーズはしっかり。

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 こんな6人組のグループも。

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 ロシア風な美人のお嬢さん、なぜか出刃庖丁に血がべったり!

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 刺した相手と一緒に決めポーズ。

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 あれれ、日本人の双子(!?)タレントも。

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 沖縄の情報発信コーナーもあり、沖縄娘が唄を披露。

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 ステージ上ではなかったが、この女性はレベルの高いパフォーマンスで観客を沸かせていた。

 アニメワールドとはほとんど無縁の場所で過ごしてきた者としては、それぞれが何のコスプレかはちんぷんかんぷん。でも、フランスの若者たちにはすごい浸透ぶりなのだということを初めて実感した。

























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モネの墓はすぐ近くの教会にあった

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 7月のジヴェルニーの庭は、まさに花々に埋め尽くされていた。

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 ほとんど花についての知識がない私でも、いくつかの花は名前がわかった。これはユリ。すっきりと伸びた花が心地よい。

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 ダリアの大輪は華やかで開放的だ。

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 この黄色い花はチューリップの1種だと教えられた。

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 青空に向かって咲き誇るのはシャクヤク。

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 モネはパレット上で色を混ぜ合わせることをしなかった。混ぜると色の明度が落ちることを嫌ったからだ。そう思って庭を見ると、花の配置もそんな印象派の手法が生きているように思う。赤い花は真っ青な葉の中に点在するように植えられている。そうするとどちらも発色の良い存在感を持ち、一方で遠くを見ると赤と緑が明るさを保ったまま混じり合っているようにも見える。

 さあ、家の中に入ってみよう。

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 緑の窓枠が印象的な家の2階の1室は日本の浮世絵で埋め尽くされていた。北斎、歌麿、豊国、広重など壁に貼られた絵は60点以上。彼の収集した浮世絵は231点にも及ぶという。

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 1階はソファが置かれ、居心地の良い応接間になっていた。

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 また別の1室には印象派などの絵が。そこに私の好きな絵を見つけた。「パリの通り・雨」。サン・ラザール駅近くのデュブラン広場を描いたカイユボットの習作だ(現在本作品はシカゴ美術館に所蔵されているという)。カイユボットは交遊のあったモネに習作をプレゼントしたのだが、モネはこの作品が気に入り、ずっと部屋に飾っていたという。そんな生前の状態のままに飾られているのに出会えてとてもラッキーだった。

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 モネの庭を出て、近くの教会にあるというモネの墓を目指した。道すがらの家々にも花が飾られ、小さな村全体が庭園のよう。

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 ここの村の人口はわずか数百人だという。

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 まもなくこじんまりとした教会が右手に見えてきた。

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 坂を上がると一面の墓地。かなりの墓が並んでおり、たまたま前後して墓地に来た女性と手分けしてモネの墓を探した。でもなかなか見つからない。

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 諦めかけて、一休みしようと教会脇まで戻ると、まさにその狭い敷地にモネの墓はあった。広い墓地の中ではなかったんだ。

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 クロード・モネの名前が。その下には「ブランシェ」の文字が見える。彼女は、2番目の妻となったアリスの連れ子。モネの長男ジャンと結婚したが、アリスとジャンの死後はモネの身辺の世話を一手に引き受けて面倒を見た女性だ。原田マハの「ジヴェルニーの食卓」にはそんなブランシェから見たモネの晩年の様子が描かれている。

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 隣りには、妻アリスの名前も。

 明るい陽光に照らされたジヴェルニー訪問はこうして心地よい1日の小旅行となった。
















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花の庭でモネの人生を振り返る

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 庭を埋め尽くす花々を見ながら、モネの一生を簡単に振り返ってみよう。この庭を造り上げたクロード・モネは1840年11月14日パリ生まれ。5歳の時に一家でル・アーヴルに移住し、この地で師ブーダンに出会い、彼から風景画を描いてみたら、と勧められたことが、後の画家人生の大きなターニングポイントとなった。

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 1872年に描いた「印象・日の出」は、74年の第1回印象派展に出品され、「印象派」という名称が生まれることになる。

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 ジヴェルニーに移ったのは1883年。その時すでに最初の妻カミーユは死去しており、後に再婚するアリス・オシュデとその6人の子供たちを引き取って、自らの2人の息子と合わせて10人という大家族でのジヴェルニー生活がスタートする。

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 当初モネはヨーロッパ中を旅した。ロンドン、ヴェネツィア、ノルウエー等。

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 だが、健康上の理由と共に庭が充実してくるに従って旅行はやめ、自宅の庭を描くことに専念するようになる。

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 モネは広大な庭を自分好みの花園に変えて行った。もちろん専門の庭師も雇った。多い時は7人もの庭師が働いていたという。

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 「私は絵を描くことと庭いじりくらいしか出来ない。私の最高傑作は庭だ」。

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 ただ、最初から整備された庭があったわけではない。

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 池のある土地を買い増ししたのは1892年から3年にかけて。そして日本風の太鼓橋がその池に架けられた。

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 さらに、セーヌ川の支流から水を引くことを申請して許可を得、一層自然の風景に近い造形が完成して行った。

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 「ある日突然私は自分の池の素晴らしさを発見した。それ以来他の題材をあまり描かなかった」。

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 1911年、妻アリスが亡くなり。その3年後息子ジャンも死亡した。自らも白内障を患って視界が極端に悪化して行った。

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 しかし、友人でフランス首相となったクレマンソーに励まされながら、睡蓮の連作を描くことに専念していく。

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 そして1926年12月5日、クレマンソーに付き添われながら、モネは86歳の生涯を閉じたのだった。遺作となった睡蓮の連作は今、パリのオランジュリー美術館特別室に展示されている。



































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ジヴェルニーで睡蓮を見る

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 クロード・モネといえば睡蓮。その代表作を次々と生み出した現場ジヴェルニーに出かけた。パリから約80キロ西、ルーアンとのほぼ中間に位置する。私はルーアンから出かけたが、パリから来てもどちらでもヴェルノン駅で降りてバスに乗り換えて行く。ただ、バスはパリからの電車到着に合わせた時刻表になっているので、ルーアンから行った私はバス出発までだいぶ待合室で待つはめになった。

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 モネは1883年4月、42歳の時にジヴェルニーに引っ越してきた。以来86歳での死を迎えるまでの43年間この地に住んで作品を生み出して行った。なにはともあれ庭へ行こう。訪れた7月初旬はまさに睡蓮の花開く時期だ。

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 広さは約2エーカー。その半分近くを大きな柳の木のある池とその周辺の植栽が占めている。

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 そして、池の各所に睡蓮が浮かんでいる。

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 花はすぐに目に飛び込んだ。それも大きなピンクの花。睡蓮はフランス語でニンフェアという。英雄ヘラクレスに恋い焦がれた水の精(ニンフ)が姿を変えたものだという。

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 また、白い花も交互に咲き誇っていた。

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 水面に映った柳の断片も味わいを出している。

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 花だけでなく、輝く水辺の草もとても美しい。

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 この日はあまりにも天気が良すぎて、モネの描いた湿気を含んだ淡いのような空間とはなっていなかった。それで、ホワイトバランスで色調を変えてみた。少し落ち着いた感じになったかも。

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 これで睡蓮に近づくと、

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 青の色調がモネの作品と似てきたようにみえる。睡蓮は風などに揺れ動く花と違い、水面にじっと静止したまま物思いに沈むような風情がある。それがモネの作品の静けさにも反映しているのだろう。

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 太鼓橋は、団体の観光客が占領してしまって、静けさに包まれた風景は望み薄。それで端の部分だけ切り取って見た。P1017531

 そこへ中国人らしき新婚カップルが橋の上で記念撮影を始めていた。

 ジャーナリスト、モーリス・ギルモンは1897年6月、ジヴェルニーを訪れ、モネをインタビューして次のように記した。

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 朝、家から姿を現したモネは「頭に茶色のファルト帽。よれよれだが様になっている。もじゃもじゃのあご髭から赤く光る煙草の先端が突き出していた」。

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 庭に出て、スケッチをするモネに同行する。「同時に描き始めたキャンバスは14枚あった。同じモチーフの習作で、それぞれ、移り行く時間の太陽、雲の動きに応じて手が加えられた」。

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 モネは午前中ずっと描き続け、暑くなると家に戻った。「再び池に近いパラソルの前に陣取った。時間は常に夕方、花が閉じる前だった」。



















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ルーアン 美術館とモネ

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 ルーアンの紹介も今回が最終回。これまでにも何度か触れてきたが、この街とモネとは深い関係にあり、そこを避けてはこのシリーズを終わるわけにはいかないだろう。1892年から93年にかけてモネはルーアン大聖堂を描き続けた。大聖堂前の旧税務署の2階を借りて、朝、昼、夕と刻々と移り行く大聖堂ファザードの模様を30数枚の作品に残している。

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 モネの凄い所は、同じ建物の同じ角度から見た同じ壁面を、光の変化だけで描き分けようと試み、見事にこれを成功したことだ。まさに光の印象をキャンバスに刻む印象派の代表的人物としての面目躍如といったところだ。

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 現在ルーアンに残されているのは、その内の1点。曇りの時のファザードだ。

 ただ、借りていた2階はブティックの下着売り場試着室近く。そこにむつくけき髭のおじさんが四六時中じっと何かをしているのだから、ご婦人たちが不審に思うのも無理はない。ついに苦情が出て、最後はこの建物の南隣の建物に移らざるを得なくなったという(その建物は今は残っていない)。

 その、モネの作品が展示されているというルーアン美術館に入った。モネを始めとした印象派の画家たちの作品が多数収蔵されており、パリ以外では国内最大の印象派コレクションを誇っている。

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 これは「サンドニ通り 1878年6月30日の祝日」。はためくフランス国旗が通りを埋め尽くして、祝祭の華やかな雰囲気がうかがわれる。この祝日とは、普仏戦争のダメージを乗り越えて開催したパリ万博の開幕に伴う熱気を描いた作品だ。似た構図のオルセー美術館にある作品は「モントルグイユ街」となっている。

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 多かったのはシスレーの作品。生涯を通じてパリ周辺の風景画を描き続けた画家だ。

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 マチスが「もっとも典型的な印象派の画家はだれか?」と、ピサロに問いかけたところ、ピサロは「シスレーだ」と答えたという。

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 これはルーブルの遠景だろうか。

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 カイユボットの「カフェにて」もあった。

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 印象派ではないが、超有名な画家の絵もあった。カラヴァッジョの「キリストの鞭打ち」。強烈なコントラストを使った劇的な表現を得意としたバロックの代表的な画家の作品だ。以前ローマでカラヴァッジョ作品を巡る旅をして10以上の教会を巡ったことがあった。

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 おお、ロウソクの光によって幻想の世界に誘い込む画家・ラトゥールの作品も。と思ったが、この「イレーヌに手当てを受けるサン・セバスチャン」の原作は失われており、残る8枚のコピーのうちでこの絵が最も優れたものだという。

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 ジャンヌ・ダルクの部屋と名付けられた場所があり、ジャンヌ・ダルクを描いた絵が何点か。この絵が、とても優しいジャンヌの表情を捉えていた。

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 1階に外光の差し込むゆったりとした空間があった。ここは彫刻が置かれたレストランになっていた。

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 全く込み合うこともなく、しばし時間を忘れて芸術的空間に浸れる場所だった。

 次回は、モネがその人生の後半を過ごしたジヴェルニーに行こう!





























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ルーアンの街並みー木組みの家、大時計、少女の素顔

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 ルーアンの旧市街には各所に木組みの家が散在している。これらの家は4-500年前に建てられたものが多く、独特の街の雰囲気を創っている。

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 中には1階より2階の方が前にせり出していたりするが、それは①高い土地代の節約②庇の役割③上から汚物を捨てていたが、その際に下の壁などにかからないためーなどの理由があったためという。ただ、1520年に建物規制が実施されており、こうしたせり出しの建物はそれ以前のものということになる。アルザス地方でも木組みの家は見られるが、ここルーアンがフランスでは最も多く保存されているようだ。

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 梁がⅩのようにクロスしている木組みの形は「聖アンドレの十字」と呼ばれる。12使徒の1人聖アンドレがⅩ型の十字架で処刑されたことから、そうした呼び名が付けられている。

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 そんな街並みをゆったりと子犬を連れて散歩する老人の姿があった。風貌が妙に古い街並みに似合っていた。

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 一方、同じ犬連れでも少女の方は軽快な感じ。

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 大時計通りという名前の通り、時計塔が道をまたいでドンと建っている。

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 近くで見上げると、存在感たっぷり。時計は1389年の制作なので、実に625年もの間動き続けている計算になる。ということは1431年にルーアンに連行されたジャンヌ・ダルクもこの時計を見ていたのかもしれない。

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 門のようになっている所の底には16世紀のキリスト像の彫刻があった。

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 このにぎやかなメインストリートの奥には大聖堂の鐘塔が俯瞰できる。

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 大時計通りの一本横の通りに、穴ぼこだらけの建物があった。裁判所だが、これも第2次世界大戦時に爆撃を受けた傷跡だ。

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 正面に回ると、堂々としたゴシック建築が姿を現した。

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 夜、大聖堂のプロジェクションマッピングを見てからの帰り道、ふと振り返ると最後の映像がまだファザードに映されていた。

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 そして、通りの反対側にはライトアップされた大時計。

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 こちらも負けじと黄金の輝きを夜の通りに放っていた。

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 大時計通りから1つ北側のサン・ロマン通り。街灯に照らされた木組みの家並みを歩く1人の女性がいた。なんか絵になる。

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 その通りの途中、落書きとも見える1枚の絵を見つけた。茶色の壁に描かれた素朴なジャンヌ・ダルクの肖像。教会などで見かけた像たちよりも、祖国の勝利のために一途に戦いを挑み続け、栄光と悲劇をあまりにも早く味わって散って行った1人の少女の真の素顔を、ここに見たような気持が湧きあがっていた。










































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貴婦人の立ち姿ーサン・マクルー教会

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 ルーアンには、大聖堂とジャンヌ・ダルク教会以外にも格式のある教会が各所に存在する。その中から素晴らしい外観を持つ2つの教会を紹介しよう。最初はサン・マクルー教会。とにかくその姿がとても優雅だ。

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 その特徴は、繊細なほどに細く伸びた尖塔。

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 扉口には浮彫が施されていた。ルネサンス時代の作だという。P7024838

 丁寧な造形がなされている。ただ、火、水、木と平日に3日間も閉館してしまうため、残念ながら中には入れなかった。

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 別の教会に行く途中、ふと振り返って見えたマクルー教会。

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 この教会の真価は夜にある。日没後ライトアップされると、青く染まった空をバックにすっくと立ち上がる光の塔。

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 まるで夜会服に身を包んだ貴婦人の立ち姿をさえ連想させる。

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 15世紀フランボワイアン様式のファザード。光を受けると一層華やかになって行く。

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 1つ通りを隔てた所で見る遠景も、ゾクッとさせるほどのしなやかさでスレンダーな姿を見せていた。

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 マクルー教会の前の道を真っ直ぐに北上すると、もう1つの大きな教会が現れる。こちらはサン・トゥアン教会。マクルー教会とは対照的に幅広いがっしりとした形。

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 最初にこの教会を見たら、ほぼこれが大聖堂だと間違えてしまうほどの立派な教会だ。正面に回るとその高さにもビックリする。

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 ここもフランボワイヤン様式。正面の三角破風の装飾は彫金細工を連想させる細やかさ。

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 中世にはモンサンミシェルの修道院長がこの教会長も兼任していたといい、建物もあちらと似た所があるといわれる。

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 違うのは中央の塔。冠のような形をしているため「ノルマンディの王冠」というニックネームがついている。

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 見上げれば本当に高い。ここもタイミングが合わず、中には入れなかった。







































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哀しみのジャンヌ・ダルク像ージャンヌ・ダルク教会下

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 教会の一番奥にジャンヌの彫像が置かれていた。

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 コートのような服をまとい、かたわらに花のようなランプがあしらわれている。金色の像だが、決してその姿を主張してはおらず、ひっそりとたたずんでいた。

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 ジャンヌの像は教会の外にもあった。1928年の作。祈りを捧げているようにも見える。

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 全身を見てみると、両側の裾に炎が上がっている。これはジャンヌの火刑のシーンを描いているようだ。

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 そういえば、大聖堂内にあったジャンヌ像にも裾に炎が上がっていた。

 ルーアンで見た3体のジャンヌ像は、どれもひっそりと哀しみに包まれた表情をしていた。

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 パリの中心部、ルーブル美術館の横にあるチュイルリー公園に設置されている金色のジャンヌ像は、まさにフランスを勝利に導いたヒロインとしての勇壮な姿に再現されている。

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 また、シャルル7世を戴冠に導いたランス大聖堂の前にあったジャンヌ像も馬に乗った女傑らしい格好だ。

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 パリ・ノートルダム大聖堂のジャンヌも、手を合わせてはいるものの、槍を持って戦いに臨もうとしている。

 そうした、世間に定着した一連のジャンヌ像とは全く別に、ここルーアンにおけるジャンヌは、最期の滅びゆくイメージに基づいた姿として表現されていた。それが、ルーアンという街の持つジャンヌ像なのだろう。

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 そして彼女が火あぶりの刑になった場所には、高く十字架が建てられていた。ジャンヌの遺体は、後に聖遺物とされないように徹底して“処理”された。体は2度にわたって焼かれ、固形が残らないように遺灰はセーヌ川のポワエルデュー橋付近にまき散らされたという。

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 今、教会前の旧市場広場には沢山のカフェが並ぶ。

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 向かい側には立派な木組みの家並み。

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 そんな広場で、若者たちが楽しげに語らいを続けていた。

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 ジャンヌが火刑となったのはわずか19歳の時。同じような年頃の少女たちは、この教会の前で、ジャンヌの激しくも短かった生涯をどんな形で捉えているのだろうか。

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 もう1度、空に向かって突き刺さる教会の屋根を見上げた。その切っ先からジャンヌの魂が空に向かって昇って行くように見えたのは、単なる錯覚だったのだろうか。








































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