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2014年10月

聖ザビエル天主堂を見る・御嶽山の噴煙も!-明治村探訪①

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 先日愛知県犬山市の明治村に行ってきました。明治時代の歴史的建築が約70棟も移築された、一種のテーマパークですが、思っていた以上に興味深いところだったので、紹介したいと思います。

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 第一の発見は、村内ではなく、そこから見えた風景。御嶽山の噴煙。村の中ほどの高台に上ったら、観光客のグループが遠くを指さして村の係員に何事か聞いている。「あの煙は何でしょうか?」「ああ、御嶽山ですよ。噴火して50数人の犠牲者を出した・・。今でもああして噴煙を出していますよ」。

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 肉眼ではよくわからなかったが、望遠レンズでみると、山の形や煙が確認できた。後から調べてみたら、犬山市と御嶽山は直線距離でちょうど80キロ。火山の脅威を実感できる出来事だった。

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 さて、建物の紹介は教会から。聖ザビエル天主堂は、近世に来日してキリスト教布教に努めたフランシスコ・ザビエルに献じられた教会で、1890年、京都河原町に建築された。フランス人ビリオン神父の監督の下日本人の大工が建造に当たったものだが、外観はヨーロッパ風。一見石造に見えるが、実はレンガ造り。それが漆喰で白く塗られている。

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 主祭壇の上にはステンドグラス。

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 その下に7人の像が並んでいる。左からアッシジの聖フランチェスコ、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエル、聖フランチェスコ・ザビエル、聖ステファノ、聖ペテロ、聖ヨセフの順。やはりザビエルが真ん中だ。

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 でも、それならキリストはどこ?と探したら、向かって右側の礼拝堂に飾られていた。

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 そして左側礼拝堂に聖母マリアがキリストを抱いていた。

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 入口から奥を俯瞰すると、両側の窓、中央奥の窓が対称になって光を取り入れ、美しい形を形成している。

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 もう少し天井を見上げてみる。交差するリブヴォルトがリズムを奏でるように並ぶ。こうした内装も日本人の大工さんが完成させたのだと思うと、ちょっと誇らしい感じ。

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 これは聖水盤かも。そこに施された少年少女の像がなかなかのもの。これは外国せいかな?

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 バラ窓は青と緑を主とした落ち着いた色のステンドグラスになっていた。草花の意匠だという。

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 本物は保存のために堂内に置かれていた。直径4mもある大きなものだ。こうしたステンドグラスが、この後素晴らしいプレゼントをしてくれることになる。



































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カトリーヌ・ド・メディシスの墓ー情念の漂う空間

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 サンドニにはマリー・アントワネットの他にもさまざまな歴史を彩った人たちが眠っている。例えば、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス夫妻。

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 アンリ2世の父は、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招くなど、フランスを政治だけでなく文化的にも一流にしようとしたファランソワ1世だ。

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 そのファランソワ1世の死によって、アンリ2世は1547年、王位に就いた。

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 また、カトリーヌは、その名前からわかるようにイタリア・メディチ家の出身。フィレンツェからフランスに嫁入りした。

 だが、2人の結婚生活は決して幸せなものではなかった。実は、アンリ2世には惚れ込んだ愛人がいた。ディアーヌ・ド・ポワティエ。

 アンリがまだ子供のころ、彼の家庭教師となったのがきっかけで、アンリはディアーヌを愛してしまった。その関係はアンリが死ぬまで続く。アンリが王位に就いた28歳時にディアーヌは既に47歳。でも実年齢より20歳も若く見えるほどの美人だったという。ただ、カトリーヌとの関係も没交渉だったわけではない。2人の間には10人もの子供が生まれていた。 

 その長女エリザベトの結婚式祝賀の日、事件が起きた。開催された馬上槍試合の槍が誤ってアンリ2世の目を突いてしまった。この怪我が原因でアンリ2世は死亡。

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 その悲劇を示すかのように、アンリ2世の横臥像はがっくりと頭をのけぞらせている。それに伴って、愛人ディアーヌも追放の憂き目にあった。

 夫の死後、カトリーヌは3人の子供たちの摂政として約30年間実権を握り続けた。だが、決してそれは充実した期間というわけではなかった。

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 長男フランソワ2世は王位継承後約1年で早世。二男シャルル9世はカトリックとプロテスタントによる内乱状態の中で病死、3男アンリ3世も暗殺されるという結果に終わった。いずれも子供はおらずカトリーヌのヴァロワ家の直系はここで途絶えることになった。

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 王妃ルイーズ・ド・ロレーヌとアンリ3世の横臥像もあった。

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 カトリーヌはさまざまなイタリア文化をフランス王室に持ち込んだ。ジェラートやマカロンの移入、フォークによる食事の習慣、イタリア料理を基にしたフランス宮廷料理の確立も彼女の功績だ。

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 この像はアンリ2世とカトリーヌの墓廟を飾る従者の像だ。とても優雅な姿だった。

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 同じくこちらも美しい従者の像。王たちと違って重い歴史を背負っていない分だけ気軽にみられるので造形の方に気持ちが傾くせいかも。

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 また、アンリ2世の祖父母に当たるルイ12世とブルターニュ公アンの像もあった。

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 なお、後にフィレンツェ・メディチ家出身のマリー・ド・メディシスがフランス王室に嫁入りするが、その相手アンリ4世は再婚。前妻マルグリットは、実はカトリーヌの娘だったという不思議な縁があった。

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 聖堂には他にも繊細に衣服の襞が施されたものなどさまざまな像が横たわっていた。

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 いずれにしてもこのサンドニ聖堂は、おびただしい死のイメージとともに、怨念や憎悪、嘆きといった、満たされぬ情念の断片がそこかしこに漂っているような感覚に包まれていた。

 パソコンの故障でだいぶブランクが空きました。済みません。











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マリー・アントワネットが命を断たれた日ーサンドニ聖堂

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 今から221年前の今日10月16日、あまりにも有名な一人の女性が、パリの中心地で命を断たれた。そう、この日はフランス王妃マリー・アントワネットが、パリ・コンコルド広場で斬首刑にされた日だ。

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 ちょうど、ゆかりの深いヴェルサイユの話をしてきたところなので、マリーの墓を訪れた時の写真をここで紹介しよう。彼女の墓はパリ郊外サンドニにあるサンドニ聖堂に置かれている。

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 この聖堂は歴代フランス王の墓所として知られる。フランス革命の時に墓が暴かれ、破壊され、遺骨も捨てられたりしたが、後になって修復され、現在は約80の王家の棺が堂内に置かれている。

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 中でも参拝客や観光客の最も目立つのが、ルイ16世とマリー・アントワネットの墓廟だ。二人が並んで祈りを捧げるかのように瞑目する姿が印象的だ。

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 二人の結婚式は1770年5月16日。ヴェルサイユの王室礼拝堂で行われた。マリーはまだ14歳。シェーンブルン宮殿でモーツアルトと遊んだ思い出などを出生地ウイーンにおいて、母マリア・テレジアの許を旅立ってのフランス入りだった。

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 以来19年、王妃として贅沢な生活を送ってきたマリーだったが、フランス革命という大事件によって運命は180度転換することになる。

 王妃が、飢餓に苦しむ市民に向けて「パンがなければお菓子を食べたら・・・」といったというエピソードは有名だが、フランス国民の窮乏の原因はそれだけではなかった。大きな要因の1つは1783年のアイスランド火山大噴火だ。2010年にもアイスランド火山噴火があり、飛行機が飛ばない事態がニュースとなったが、当時の噴火はその比ではない大規模なものだった。数千人が死亡、それに続く異常気象の連続で、食料は収穫できず、飢餓と疫病が蔓延していた。

 1789年7月、市民のバスチーユ襲撃で始まったフランス革命で、ヴェルサイユに住んでいたルイ16世夫妻は、パリに引き戻された。

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 ただ、ルイ16世はそこで改革にも手を付け始めていたので、すぐに処刑といったことにはなっていなかった。だが、1791年6月、拘束生活に嫌気がさしたマリーは.スエーデン貴族フェルセンの力を借りてフランス脱出を計画、ルイ16世も消極的ながら同意した。

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 だが、200キロほど逃走した所で捕まってしまった。1793年1月、裁判によってルイ16世は斬首刑。

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 コンシェルジェリーに幽閉されていたマリーも、9カ月遅れで10月16日、コンコルド広場で断頭台の露と消えた。

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 実際の棺はサンドニ聖堂地下室にあった。中ほどの右側がルイ、左側がマリーの棺だ。

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 ここには2人の息子ルイ17世の墓もある。革命による混乱の中で幼いうちに死亡したルイ17世だが、後になって「実は私がルイ17世だ」と名乗り出る人間が複数現れた。

 だが、革命中少年の心臓を保管し、政府に差し出した医者がおり、近年になってDNA鑑定がなされて、これが真実のものだと判明した。その心臓が、下のビンに入って保管されている。

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 実はこのサンドニ聖堂は歴史的に重要な建物だ。これまでパリ・ノートルダム、ルーアン、ランスなどのゴシック式大聖堂を紹介してきたが、こうしたゴシック式建築の最初が12世紀に完成したこのサンドニ聖堂だった。

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 フライングバットレスによって重力を分散させることで高さを確保し、大量の外光を取り入れられるステンドグラスの導入が可能になった。また、壁面彫刻が次第に立体化して芸術の境地に到達する。そんなゴシック建築の草分けがここサンドニだった。ステンドグラスが実に美しい。

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 また、大きな薔薇窓が導入されている。ただ、私が行った時は建物全体が修復中で大きな覆いがかけられていて外観を見ることが出来なかった。

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 また、教会、地名の由来となったサンドニとは、パリ初代のキリスト教司教の名前だ。まだ、キリスト教が異教とされた3世紀、迫害に遭い、モンマルトルで斬首刑となったサンドニだが、彼はその首を自らが拾って両手に抱え、実に10数キロ離れたこのサンドニまで来て力尽きたとされる。

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 ここにもその絵が掲げられていたが、パリ・ノートルダム大聖堂など各地にある教会でも首を持った聖人の像を見かけることが多い。それが聖サンドニの像だ。











 





























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ヴェルサイユの花火と宮殿のライトアップ

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 花火のベターな鑑賞場所はないものか。宮殿に近い階段が正面で見られるポイントなので、その付近に行ってみたが、もう人で一杯。端の方に移動しながら、隙間を探した。

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 ちょうど背の低い女性たちのグループの後ろが少しだけ空いていたので、そこにスタンバイした。

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 花火の開始時間は午後10時50分。それまで、大聖堂のプロジェクションマッピングなど午後11時開始のイベントも見てきたので、時間に違和感はなし。もちろん日没が午後10時くらいだから、十分に空が暗くなるにはそれだけ待つ必要があるのだが、一方でヴェルサイユからパリのホテルまで帰るには、少しでも早く引き揚げて終電に間に合うようにしなければならない。多少は緊張感の伴う時間帯だ。

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 いよいよ花火スタート。始まって見ると、やっぱり前のご婦人の頭が動くのでしばしば花火が隠れてしまう。それでもどうにか写真を撮ることが出来た。

 花火の規模は日本と比べればそれほど派手でもなく、おとなしい感じ。でも、ここがヴェルサイユだという付加価値がある分、楽しさもプラスされるかな・・・。

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 青色のきれいな花火が上がった。

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 光が車輪のように並ぶ瞬間も。

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 風に流されながらも、大輪の華が出来た。

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 アップで撮ると爆発したような形になった。

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 同じ白い光でも、こちらは繊細な感じ。

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 ストロボのようにパッ、パッと光っては消える。

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 だんだん終盤になって豪快な花火も続く。

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 マリー・アントワネットもこんな花火を見たのだろうか?

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 弾けて広がる時の放射具合は、何度見ても面白かった。

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 午後11時5分、あっという間に花火は終了した。さあ、帰ろう。これなら十分終電に間に合う。でもあっけなかったなあ。

 帰りがけ、正面にライトアップされたヴェルサイユ宮殿が輝いていた。さすがに堂々とした風格十分の姿だ。

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 宮殿からRERの駅までは結構ある。急ぎ足で駅へ。15分ほどで到着。電車は超満員で出発が少し遅れたが、オステルリッツ駅まで直行、そこから地下鉄に乗り換えて午前1時前にはホテルに着くことが出来た。



































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ヴェルサイユにピンクの噴水が上がった

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 周囲がかなり暗くなってきた。ここはサトゥルヌスの噴水。

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 中央にサトゥルヌスが位置し、妖精たちが回りを取り囲む構成になっている。

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 広いスペースの鏡の噴水に到着した。ここは噴水の水に色が付けられていた。

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 淡いピンクに色づきはじめ・・・

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 濃厚なピンクに変わって行く。

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 噴水の形も様々に変化して飽きさせない。

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 しぶきが上がり、こちらにまで水滴がはじけそう。

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 この噴水はルイ14世時代、1702年に発注されたものだという。

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 色や形の変化が面白いせいか、この噴水の周りが一番観客が多かった。

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 ピンクが続くと、かえって無色の水がすっきりと美しくも見える。

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 かなり宮殿近くまで戻ってきた。ここはバッカスの泉水。のども渇いてきた。バッカスは酒の神。噴き上がる水がワインだったらいいのになあ。

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 ほぼ宮殿前の広場に近づいた。回廊のライティングが面白い。

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 こちらはラトナの泉水。ラトナは太陽神アポロンの母の名前だ。

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 彫像もライトアップされ始めた。青く暮れて行く空をバックに、像が白く浮かび上がる。

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 昼とはまた違った幻想的な姿が印象的だ。

 さあ、いよいよ花火の時間が近づいた。でも、やっぱりビューポイントには人があふれている。どこか隙間はないだろうか・・・。











































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広大な庭園での噴水ショー

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 セレナーデショーの後は、ヴェルサイユの広い庭園に出た。ルイ14世のお抱え庭師ル・ノートルが手掛けた。面積100万平方メートル以上、全くその端がどこにあるか見当もつかないほどの広さ。あちこちに大小さまざまな噴水が設置されている。ヴェルサイユの近辺には川がない。そのため噴水の水は10キロも離れたせーヌ川から巨大な揚水機で運びこんでくるという。設計者ル・ノートルは、パリのチュイルリー公園も手掛け、当時は「公園の王」と称された。

 庭園に出てすぐに目に入ってきたのは、大きなピラミッドの噴水。高さ6~7mはありそうだ。

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 近づくと、トリトンの姿もあった。

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 午後10時近くになってもまだ十分に明るい。庭が広い分だけ空も広く感じられる。

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 その空を見つめる彫刻。

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 どこからかシャボン玉が流れてきた。

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 アポロンの噴水の前まで来た。ここから宮殿側を振り返ると、壮大な宮殿も小さめに見える。

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 庭園内に仕掛けられた装置から炎が上がった。噴水ショースタートの合図かも。

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 アポロンの噴水が高く噴き上がる。

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 太陽神アポロンの伝説に基づいて造られた彫刻群は、ルイ13世の指示による。

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 ようやく日没。わずかに空の一部がほんのり赤くなった。晴れていればこの方向に素晴らしい夕陽が見られるかもしれないと期待していたのだが、残念。

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 噴水にも照明が入り、像が光り出した。

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 宮殿にも照明が点灯。よく見ると宮殿前に凄い人が集まってきている。そうか、花火を見るにはあの場所が1等席なんだろう。あちらに戻らなくてはならないかも。出遅れちゃったかな。

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 戻る途中、レーザー光線が照射された場所もあった。

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 マニエリスム風な彫刻像の向こうに三日月が顔を出していた。
































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ヴェルサイユのセレナーデショー

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 ジャパンエキスポの翌日、今度は18世紀の世界を探訪に出かけた。行き先はヴェルサイユ。夏場の週末に、夜間噴水ショーと花火のイベントが開催されるのだ。これは出発前にネットで予約していた。当日だと長い行列に並んで切符を買わねばならないからだ。この日は朝から雨模様、ひょっとして中止になるかもと心配しながらだったが、ヴェルサイユに到着する頃には、やっと雨も上がっていた。RERのリヴゴーシュ駅から歩くこと15分。ルイ14世の騎馬像の出迎えを受け、中に入る。

 まずはセットで申し込んだセレナーデショーの会場へ。宮殿内の広間に入ると、中世の衣装を着た女性と古楽器奏者が控えていた。

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 最初に男装の女性が人形を使って挨拶。

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 ユーモラスな格好で観客を和ませた。

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 次に歌が始まった。ソプラノ。朗々と歌い上げる。

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 ヴェルサイユ最盛期時代の歌だろうか。しばし心落ち着く時間を過ごして、我々は広い回廊に案内された。

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 あの有名な鏡の回廊。長さ73m、幅10.5mという華麗なスケールの回廊だ。

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 大きなシャンデリアがいくつも下がり、それらが鏡に映ることで何倍にも増幅されて回廊を照らし出す。

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 そこにダンスの踊り手たちが入場してきた。タイトルは「王のセレナーデ」。貴族たちの舞踏会の模様を再現したショーだ。

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 王と姫と従者たち、といった構成のようだ。

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 王の許へ衣装替えが終わった姫が近づいて行く。

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 そして舞踏会の始まりだ。

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 優雅にまたユーモラスに、踊りは何種類かに分けて展開される。

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 芝居仕掛けの大勢の乱舞。ただ、回廊は暗く、外からの光が完全な逆光になってしまって、写真撮影には最悪の環境だった。

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 最後はコミカルな服装による陽気なダンスで幕を閉じた。

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 ショーが終わると、いくつもの部屋を通り過ぎて入場した時とは反対側の出口に誘導された。

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 その途中、会食の間にはマリー・アントワネットと子供たちの絵が掲げられていた。1番左が長女マリー・テレーズ、右端が長男ルイ・ジョセフ、母の膝に抱えられているのが二男ルイ・シャルル。ジョセフが指差している空っぽの揺りかご、実はここには王女ソフィアが描かれていたのだが、制作途中に死亡したため消されてしまったという。また、ジョセフは8歳で病死、シャルルも幼くして亡くなり、母アントワネットはフランス革命によって断頭台の露と消えた。実に悲劇的な家族の絵だ。































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