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2015年3月

「近代洋画の父」黒田清輝の代表作が一堂に(ピカソも1枚)ー黒田記念館

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 先日散歩がてらに東京・上野の黒田記念館に行ってきました。その名の通り、この建物は我が国の「近代洋画の父」といわれる洋画家黒田清輝の作品を所蔵する美術館・研究所です。同記念館では、春、秋など年に3回彼の代表作を一挙に展示公開する特別期間を設けており、それをねらって出掛けたというわけです。

 まず、黒田のパリ画壇へのデビュー作ともいえる「読書」。黒田は当初法律を学ぶために1884年、パリへ留学しました。当時のパリは、パリコミューンの混乱を経て第三共和政が成立、オスマン知事によるパリ大改造によって、光あふれる街へと変貌していました。また、モネ、ルノワールらによる印象派の台頭で、新しい絵画の息吹がほとばしる時代でした。

 そんな空気に触れて、もともと絵が好きだった黒田は絵の修業へと目的を変え、1890年にはパリ南東60キロのグレー・シュル・ロワンという村で絵を描き始めます。そこで、素晴らしいモデルとの出会いがありました。マリア・ビョー。19歳の農家の娘。でも知的な容貌で物静かな雰囲気は、彼の創作意欲を掻き立て、1891年、この作品を完成させました。

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 柔らかでかすかな外光の差し込む室内で一心に読書に打ち込む女性の表情は、見事な情感を伴って見る者の胸に迫ります。黒田はこの作品でパリの公募展サロンに入選、パリデビューを果たしました。

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 1893年、10年間のパリ留学を終えて帰国した黒田は、その年の秋京都を訪れます。そこで出会った舞妓の姿に着想を得て、この作品「舞妓」を描きました。パリ生活の長かった黒田には、この伝統的な姿に逆にエキゾチックな魅力を感じたようです。

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 加茂川を背景に「読書」と同様に逆光による幻想味を加味した舞妓の姿。華やかな模様の振袖と端正な舞妓の容姿が作品に一層の光沢を付け加えています。モデルは小ゑんという舞妓といわれています。

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 1897年、後に夫人となる照子を伴って箱根・芦ノ湖に出かけます。湖畔で、とっさに製作を思い立ち、この作品「湖畔」が生まれました。

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 「私の23歳の時、夫が湖畔で制作しているのを見に行きますと、そこの右に腰掛けて、と申しますのでそう致しますと、よし、明日からそれを勉強する、と申しました」。照子夫人の述懐です。

 黒田は1898年東京美術学校(現東京芸術大学)の教授となり、若手の指導にも力を注ぎます。

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 そんな中で翌1899年、大作「智・感・情」を完成させる。当時国内ではまだ裸体画を決して一般的には認められてはいませんでした。しかし、あえて彼は美の追求の過程でそのタブーを取り払うことにも尽力しました。

 「どう考えても、裸体画を春画とみなす理屈がどこにある。日本の美術の将来にとって必要なのだ。大いに奨励すべきだ」。

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 タイトルは、それぞれの主義の象徴として名付けられたようです。「智」は理想主義を表現。

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 「感」は印象主義。

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 「情」は写実主義。いずれもくっきりと表現された強い意志に裏付けられた主張を持った作品として光を放っているように思えます。この作品は1900年のパリ万博に出品されました。

 1922年には帝国美術院院長となり、我が国美術界のトップに立ちましたが、1924年、58歳で狭心症により死去しました。

 実にきっぱりと,ストンと胸に飛び込んでくる作品ばかり。中でも個人的には「舞妓」は非常に魅力的でした。

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 その帰り、この5月で改修のため長期の休館に入るブリジストン美術館に寄りました。ここは撮影禁止なのでパンフレットからピカソの「腕を組んで座るサルタンバンク」を1枚。

 サルタンバンクとは流浪の旅をしながら芸をする下層階級の軽業師のこと。庶民に向ける温かい眼差しを感じる作品。

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 実はこの作品、ピアノの巨人ホロヴィッツが25年にもわたって所持していたもの。60年間も故郷ロシアを離れていたホロヴィッツにとって、放浪の軽業師への共感がこの作品への愛着となったのかもしれません。

 今週、イタリアからフランスへ行ってきます。それで、このブログは少しの間休載します。4月後半にはまた新しいヨーロッパの風景と物語をお届け出来ると思います。それまでしばしの間 arrivederci !




























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王たちの虚栄の館ーシャンボール城

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 シャンボール城に入ってみた。最初に出会うのが、二重螺旋階段。たがいに重ならないように2つの階段が造られており、出入りする人がすれ違わずに行き来できるようになっている。この城を造ったフランソワ1世は、あのレオナルゴ・ダ・ヴィンチをイタリアからフランスに招き、近くのアンボワーズ城に住まわせていた。従って、この卓越した設計は天才ダ・ヴィンチによるものとも言われている。

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 外周の直径は8mもあり、5人が並んで上り下り出来る幅がある。

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 階段はこのように建物からはみ出した形で設置されていた。

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 フランソワ1世の部屋。ただ、ほとんどここには住んでいなかった。

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 天井には至る所にフランソワ1世の紋章、火とかげが刻まれている。

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 塔の空洞部分はこんな筒抜け状態。

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 屋上のテラスに昇るとランタン塔が見上げられる。高さ32m、アーチ状の支柱に支えられている。頂上にはフランス王家のユリの紋章がある。

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 この塔の一部をアップしてみると、ちょっと不思議な現代アートっぽいデザインになっていた。

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 ここにも火とかげ。

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 正面から見渡しても全く敷地のはずれがどこかわからない。この敷地の総面積は5500万平方m。城の規模も幅156m、奥行き117mもある。手前に仮設の建物が出来ていた。

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 ガーゴイル?妖怪が沢山。

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 昔のシャンボール城の絵があった。といってもほとんど変わっていない。

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 鹿の角だけが展示された部屋。まさにここは城というより狩りのために造られた壮大な狩猟小屋。

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 この地域の知事が使っていた部屋。

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 ルイ14世の部屋。城の中央部に戻ってきた。

 城の施工者はフランソワ1世。1519年に工事がスタートしたが、何度も中断と再開を繰り返して、完成したのは130年以上も後の1685年ころのルイ14世時代だった。

 部屋数440、階段80、煙突365といった空前の規模を持つこの城は、ただ狩りをするために訪れる仮の住まいとしての用途に過ぎなかった。まさに、王たちの虚栄の産物だったと言えそうだ。








































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草原の野外劇に象も登場!-シャンボール城

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 華やかな音楽と共に野外劇が始まった。犬を連れた鹿男と人力車が庭園の左端から更新を始めた。

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 続いて白馬車も。

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 礼服を着た女性たちが、鹿男たちと合流。

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 メインロードの行進が始まった。

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 行進はどんどん長くなる。

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 見事にドレスアップした女性たちの優雅な更新が続いて行く。

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 あらま、象まで登場してきた。

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 行進はパビリオンに到着。

 どうやらこれは城を建造したフランソワ1世当時、16世紀の時代の華麗な行列の再現といったところのようだった。途中、敵が現れて合戦が繰り広げられる、といったスペクタクルは全く起こらず、すんなりと通過してしまった。

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 こんな可愛いポニーと少女も。

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 パビリオンではこれからパーティが始まるようだ。

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 最後に騎馬姿の3人が、颯爽と行列を締めくくるかのように行進して行く。

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 みんなイケメン。

 野外劇はある意味あっけなく終わったが、素晴らしいロケーションで異次元の面白さを見せてくれた。

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 西の空にはもう夕陽が

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 茜色に空を包み込む。

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 こうして、シャンボールの意外性にあふれた午後は暮れて行った。





























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野外劇が始まるーシャンボール城

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 城の前方は広い庭園になっている。午後、カフェを飲みながらぼーっと庭を見ていると、女性が不思議な動物を連れて草原を歩いているのを見つけた。庭には入れないので、柵まで行って観察を始めた。動物は実は頬かむりをした大型犬だった。

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 犬の行き先には鹿のマスクをした大男が。

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 庭園の左端には、白い馬車と白馬に乗った男たち。

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 一方、城の付近には人力車も登場した。これはきっと何か野外劇でも始まるに違いない。しっかり観察しよう!

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 あれあれ、人力車にはドレスアップした女性が乗った。

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 城には赤い旗を掲げた女性たちも登場した。

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 何か屋上の煙突群も見物に集まってきたような雰囲気。

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 しっかりフランス国旗も掲げられた。今日は何かの記念日?ただ、今すぐに始まるというわけでもなさそうなので、城の正面側に回ってみることに。

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 盛装した女性たちが、何やら人を待っている様子。こちら側は主催者の人たちのようだ。

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 次第に陽は傾き始める。

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 音楽隊が到着した。

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 来賓客が到着し始める。

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 庭園側に戻った。仮設のパビリオンにはもうずいぶんと客が詰め掛けていた。

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 続々と会場に向かう盛装の女性たち。

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 赤、青、紫と色鮮やかな衣装ばかりで、庭園に花が咲いたよう。

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 カメラマンもスタンバイ。いよいよ野外劇が始まるようだ。(それにしても、このカメラマン、超カッコイイ!)























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孤独の城・シャンボール城に出かけた

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 フランス・ロワール川流域に建てられた幾多の城のうちでも、最も大規模で美しい景観を持つというシャンボール城に出かけた。パリから約3時間、ブロワからバスに乗って到着したシャンボールは、ただ城だけがある、他には何もない予想を超えた立地だった。

 城は空を突き刺すかのような尖った365の煙突によってその特異な景観が構成されている。

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 前面に水路があり、本来ならその水面に映る城の姿が素晴らしいのだが、残念ながら私が行った時は城の半分ほどが修復中で工事の骨組みが施されていて、がっかりだった。

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 それで、側面や反対側からの景観を狙ってみた。

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 ススキが生い茂る水辺。

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 そのススキ越しに城が姿を現す。

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 到着時は曇っていたが、ようやく太陽が束の間顔をのぞかせた。

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 城は緑に囲まれる場所にあった。

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 実は、水辺側と反対のこちら側が正面。不気味な雲が広がる。晴れていれば城全体が夕陽に染まる姿が期待できるのだが、この日はしばしば雨も降る曇り空。わずかに雲が薄くなって太陽がおぼろげに透けて見えることがあり、そんな時をねらってシルエットを捕えてみた。

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 こんな具合に煙突が林立している。

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 太陽の光が増すと、城は黒く沈む。

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 ブルーシャトー。

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 着工から500年にもなろうとする古城だが、その森のように林立する塔群の持つ独特の迫力は、今でも強烈な個性を発揮し続けている。

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 光の変化と共に、城の表情も微妙に移ろって行く。まるで人の接近を拒絶するかのように見える瞬間もあった。

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 そして、空の一部がかすかに赤みを帯びただけで、この日の日没ショーはあっけなく終わりを告げた。


 




































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噴水、豪雨、朝露ーシャルトル散歩

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 シャルトルの駅近く、大きな広場には噴水が設置されていた。

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 リズミカルに水を噴き出して、いかにも涼しげ。

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 その前を、地元のちょい悪お姉さんたち(失礼!)が、さっそうと通りかかった。

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 午後、大聖堂横に出ていた古本市を見に行った。本だけでなくハリウッドスターのブロマイドなども。

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 急に雨が降り出した。急いで家路に向かう子供たち。

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 こちらの家族は濡れるのを覚悟でゆったりと。

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 大聖堂も雨に煙っている。

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 ようやく雨が上がった。お父さんは娘を肩車して散歩の再開。

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 旅立ちの朝、大聖堂前に行くと、朝露に濡れた植物群が出迎えてくれた。

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 柔らかな水玉が、まるで涙の粒のようにぽとりと地面に落ちた。

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 これらの草花たちも、数えきれないほどの世代交代を繰り返しながら、シャルトルの栄枯盛衰を見つめてきたのだろう。

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 そんな歴史を思い出させる朝

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 しっとりとした瞬間を味あわせてくれた。

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 「いつかまた」。再訪を胸に誓いながらシャルトルの街を後にした。

























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古い街並みに落ち着いた時間が流れるーシャルトル散歩

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 またシャルトルに戻って、街の様子をお届けしよう。

 晴れた朝、街散歩に出かけた。旧市街は大聖堂の裏側の階段を下りて、ウール川沿いに広がっている。

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 すぐ美術館の庭が見える。何やら彫刻作品が並んでいた。

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 ウール川はゆったりした流れ。晴れた青空と家並みがきれいに水面に映っている。

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 川岸で見上げると、大聖堂の尖塔が空に突き刺さっている。

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 柳の木があった。川には果てしない青空。

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 通りに出て、ステッキ姿の紳士と出会った。古いタイプの車ととてもフィットしていた。

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 どこからでも大聖堂が顔を出す。

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 古い城壁の跡がこんなところに残されている。

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 あちこちに木組みの家が点在。ノルマンディ地方のルーアンでもよく見かけた。

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 その窓には花。本当によく手入れされた街並みだ。

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 こうした住民の意識が、街全体を安らぎの空間にしているのだろう。

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 旧市街の西端近く、サン・ピエール教会に着いた。

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 前夜、イルミネーションで飾られた姿とは一変して、落ち着いた風格のある建物。

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 駅近くまで戻って、不思議な建物を発見。下から見ると、階段を上って高台にある家の玄関に向かうように見えるが・・・。

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 実は、庭先の風景は壁に描かれただまし絵。こんな大規模なだまし絵があるなんて、しゃれた街だ。











































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満開の河津桜に遭遇したー三浦海岸、城ケ島

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 先日、友人と三浦海岸、城ケ島に行ってきました。ちょうど早咲きで知られる河津桜が満開で、今年初の桜を満喫しました。

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 河津桜はソメイヨシノに比べて色が濃いピンクなのが特徴。花びらも密集して付いています。

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 伊豆の河津桜が有名ですが、ここ三浦海岸にも、京急駅から小松ヶ池公園までの1キロくらいにびっしりと並木が続いています。

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 桜の下には菜の花も咲いており、一度に両方の花を見ることが出来ました。

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 そこからバスに乗って城ケ島へ。城ケ島大橋を渡ります。

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 橋の下に北原白秋の歌碑がありました。「雨は ふるふる 城ケ島の磯に~」というあの有名な歌詞が刻んであります。

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 島の東側は県立城ケ島公園になっています。公園に入ってすぐ、対岸が見渡せる広場。風力発電の白い風車が回っていました。

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 東端の岩場に降りてみました。一見切り立った山のように見える岩場。

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 海水の浸食によって出来た地面の岩の深い溝。

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 その向こうに見えるのが安房崎灯台。その白さが印象的。

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 上空には悠然とトンビが飛んでいました。

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 そこから海岸を歩きながら西に回り、中央部南端の「馬の背洞門」に来ました。真ん中が空洞になった岩場です。

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 と、その岩場の上を歩く女性がいました。あぶない、あぶない。

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 この日は風が強く、岸壁では何度も高い水しぶきが上がっていました。

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 陽が傾き始め、その太陽を覆う雲が丸く張り出して、不思議な構図を空に描いていました。
































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優しいマリア彫像も・内陣障壁の彫像群ーシャルトル大聖堂⑬

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 周歩廊北側の内陣障壁(聖歌隊席の仕切り)には、聖母マリアとキリストの生涯が41の場面に分かれて彫像群で描写されている。

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 みんな一定水準以上のしっかりした像たちだ。ただ、1つ1つに説明がないので、どの場面を描いているのかが判断が難しい。

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 これは優しい母子の像。幼子キリストと母マリアかも。そうなら、もう一人の子供はヨハネになる。

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 赤子を抱き上げる男たち。東方三博士たち?

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 これだけは参考資料を見つけた。「マギの礼拝」の1場面。マギとは東方三博士のことで、前のシーンと連続しているのかも。

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 その中で、やさしくふくよかな表情の女性が聖母マリアだ。聖母マリアは、聖書の中では受胎告知の場面などほんのわずかしか登場しない。従って5世紀以前の資料では具体的な描写がほとんど見られないという。

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 しかし、ある時期から次第にしばしば登場するようになってくる。それも、11~12世紀にかけてのロマネスク期では、黒い聖母像に見られるように、厳格な姿が多かった。

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 しかし、ゴシックの時代になると、優しく柔和な表情を湛えた聖母像が中心となってくる。

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 ゴシックは、大らかで包む込んでくれる救いの聖母として、マリアがキリスト教のイメージアップに大きく貢献をした時代だった。

 このころに造られたフランスの大聖堂は、パリ、アミアン、ランス、シャルトル、ルーアンなど大半がノートルダム(我らが母)大聖堂と名付けられて、聖母マリアに捧げられる教会となっていったことも、その時代を反映しているようだ。

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 ここには首のない像。パリのモンパルナスで首を切られ、しかしその自分の首を持ってパリ郊外サンドニまで歩いたという伝説上の聖人サンドニかも。

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 こちらはキリストの洗礼だろう。

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 とてもドラマチックな場面配置で、作者の力量がうかがわれる。

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 そのキリストが天に昇って行くキリスト昇天。

 障壁部分はとても暗いので、詳しく観察するのはとても大変だが、こうした像も1つ1つ丁寧に造られ、意外な発見ももたらしてくれる場所だった。

 これで、シャルトル大聖堂の見学は終了して、次回は街に出てみよう。






































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絵ガラスの聖母とステンドグラス群ーシャルトル大聖堂⑫

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 南のバラ窓の奥に,一際目を引く素晴らしいステンドグラスがある。「美しき絵ガラスの聖母」または「ブルーマリア」と呼ばれる聖母像だ。

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 頭に栄光の冠をかぶり、幼子キリストを抱いて正面を向いたマリア。青い衣は聖母マリアの象徴でもある。1194年の大火災は北の尖塔を焼失するほどの大惨事となったが、その際残った破片を拾い集めて再構築した貴重なステンドグラスだ。

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 よくよく見ているうちに、その表情はかすかにほほ笑みを湛えているかのように見えてきた。ダヴィンチのモナリザは16世紀の作品だが、こちらはその4世紀も前から魅力的な謎の微笑を浮かべていた。

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 赤い背景から浮かび上がる青のマリアは、神秘的でさえある。シャルトルブルーと称されるこの大聖堂のステンドグラス群の代表的な作品だ。

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 絵ガラスの聖母を初めとして、この大聖堂は素晴らしいステンドグラスがちりばめられている。

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 張り巡らされたステンドグラスの数は172。総面積26000平方mにも及ぶグラスに5000人超の人物が描き尽されている。

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 今ではもう制作者がだれかは知る由もないが、再現することもできないほどの微妙な色味と、細かな技術で描き出されたキリスト教の歴史絵巻は、今なお世界中から訪れる人々にため息をつかせ続けている。

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 先日,NHKテレビでこの大聖堂のステンドグラスについて地元の職人に「シャルトルブルーはもう再現できないのでしょうか」とインタビューしていた。代々続くガラス職人の答えはこうだった。「決して同じような青を再現できないわけではない。でも、今その色を出して飾ることに意味はない。なぜなら聖堂のシャルトルブルーは、完成してから800年もの歳月がそこに深い味わいを加え続けて今の色になったのだから」。

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 「シャルトルのそれのような冥暗な情意の底に忍び込む色調の深さは、おそらく他に見出すことは不可能に違いない」(辻邦生)

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 本来、窓は外の光を室内に取り込む明り採りのスペースとして機能している。だが、シャルトル大聖堂の窓という窓を埋め尽くすステンドグラスは、あえて濃い色彩と人物像とで光をさえぎる。

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 そう、この窓は訪れる信者たちにキリスト教の歴史、宗教の偉大さ、旧約、新約聖書のストーリーを提示する啓蒙のためのスペースだった。

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 そして、その厚い色彩の遮断を乗り越えて降り注ぐ光の方角に存在するキリストや聖母マリアが、一層尊く感じられるような効果装置として機能し続けているのだ。
































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