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2015年6月

ガシェ医師 明晰で知的な肖像画を! ゴッホ 最期の70日を追って③

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 ガシェ医師の家を訪ねて歩いた。なだらかな上り坂。

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 家々の軒先には花のプランターが,さり気なく置かれていたりして、とても美しい町だ。これで空が晴れていてくれたら、どんなに爽やかな風景になるだろうかと、ちょっと残念な思いに駆られながら歩いた。

 ゴッホがこの町に滞在したのも5月から7月。石造りの家や門のある風景、自然の花々の移り変わりなどに魅せられて、精力的に作品制作に励んでいた。それはオーヴェルが一番美しい季節だった。

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 ずいぶん歩いた。本当にこの道でよかったのかと不安になったころ。道の右側に医師の家が見えてきた。緑に包まれた家だ。

 ガシェ医師は印象派絵画の愛好家で、セザンヌ、ルノワールなど何人もの画家と交流していた。

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 セザンヌはこのオーヴェルに住んでいたこともあり、ここで「首つりの家」を描いている。

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 ゴッホは医師の家を何度も訪れ、彼の絵を描いた。「彼(ガシェ)の肖像を描いている。頭には白い帽子をかぶっている。とても白く、とても明るい帽子だ。手も明るい皮膚の色合いで、青い燕尾服を着ており、背景はコバルトブルー。赤いテーブルに持たれていて、その上には黄色い本と紫色の花をつけたジギタリスが載っている」(6月3日の手紙)。

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 「彼は憂鬱そうな表情をしている。しかし、それこそが描くべきものなのだ。もっと古い肖像画のおだやかさに比べて、現代人の顔には、ある種の期待や叫びのような表情や情熱がどれほど出ているかが実感できるからだ」(6月12日)。

 鋭い観察眼を持ち、深い洞察の上で、時代を絵として表現しようとしていたかが、よくわかる手紙だ。

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 ガシェ医師の家。階段を上って、フリーエントランスになっている家に入ってみよう。

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 入口には漢字の書かれた柱があった。

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 部屋の中には、若かりしゴッホの写真と共にさまざまな資料が展示されていた。

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 びっしりと書き込まれたメモやイラストも。

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 医師も絵を描いたので、医師のものかもしれないが、画架が立てかけてあった。

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 ゴッホは、医師の娘の姿も描いていた。

 「昨日と一昨日、ガシェエ嬢の肖像を描いた。目はピンクで背景の壁は緑色にオレンジの斑点があり、ピアノは暗いスミレ色。縦1m、幅が50cmだ」

 ゴッホはパッションに任せて奔放に描いていたかのように思っていたが、実際はまことに綿密に対象を見つめて構想を築き上げていたことが、手紙を読んで初めて分かった。

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 帰り道、老紳士が車から降りてきたところに、通りがかった母娘が声をかけた。「今日はどちらに?」「いやあ、ちょっとそこまで」。日常的なたわいのない会話の、ほのぼのとした時間が緩やかに流れる。何と微笑ましい光景だろうか。

 ゴッホが歩いた125年前のこの町も、さぞやこのような穏やかな空気に包まれていたのだろう。














 








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ゴッホが死を迎えた部屋を見るーゴッホ 最期の70日を追って②

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 ゴッホの竟の住処となったラヴー亭を目指した。

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 教会の横の道を西に進む。ドービニー通り、ゴッホより前、当時の芸術家仲間の中で最初にこの町に住みついた画家、ドービニーの名がついた道だ。道端にさまざまな花が咲いていた。特に自らを主張することもなく、自然に、さりげなく咲いている。

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 左に坂を下ると、小さな昇り階段を見つけた。

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 この風景をゴッホは描いた。「オーヴェルの坂道」。いかにも田舎の穏やかな風景。でもタッチは力強い。

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 絵の風景のすぐそばに、ゴッホの住んでいた家があった。

 オーヴェルには、精神科医のガシェ医師が住んでおり、弟のテオはピサロから同医師を紹介してもらい、ゴッホの心身の面倒を見てくれるよう頼んでいた。医師は彼の下宿先を用意していたのだが、ゴッホは「もう少し安い宿でいい」と自ら探しだしてこの家の屋根裏部屋に住むことにしたのだった。

 この家は、ゴッホが到着する前年の1889年、アルチュール・ラヴーが営業権を買い取り、「ラヴー亭」としてレストランを開いていた。

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 一時閉店していたのだが、近年整備されて、営業を再開している。

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 その正面に、1枚の写真が掲示されていた。当時のラヴー亭の人々だ。左端にいるのが主人のラヴー。真ん中には娘のアドリアーヌが立っている。

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 ゴッホはアドリアーヌをモデルにして3度ほど絵を描いている。これはそのうちの1枚。濃い青が目にしみる。

 彼は、毎朝5時には起きて町の各地でデッサンを繰り返し、日が暮れてからは屋根裏部屋で仕上げにかかり、夜9時にはもうベッドに入るという生活を続けていた。

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 今は記念館になっているゴッホの部屋に行ってみた。2階で待っていると係員が3階の部屋に案内してくれる。3m×2.5mの変形部屋。そこに椅子がぽつんと1つ置いてある。もともとはベッドもあったはずだが、今は狭い部屋だが、何もないせいかがらんとした感じ。

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 この部屋で、連日精力的に絵の制作に励み、7月27日にはピストルで自らを撃ったゴッホが、ここでベッドに横たわり、29日未明、静かに死を迎えた部屋だ。

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 隣の部屋は現在オーデオ・ヴィジュアル室となっていて、彼の作品と生涯をスクリーンで見られるようになっていた。日本語の説明もあった。

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 ゴッホの家を出ると、やや左前にどこか見覚えのある建物がある。もちろんこの町は初めて。「どこで見たっけ・・・」と考えているうちに思い出した。見たことがあるのは、建物ではなくここを描いたゴッホの作品「町役場」。

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 ちょうど革命記念日の1890年7月14日で、町役場の広場に旗がたなびく風景を描いたものだ。

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 この日もなぜか同様に旗が飾られていたため、なおさら既視感が増幅してしまったようだ。役場の建物は、まさしく絵とそっくりだ。





























 


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オーヴェルの教会で洗礼式に遭遇したーゴッホ 最期の70日を追って①

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 「ここに一人の男の信仰がある。狂気にも負けず、死の脅威にも負けず守り通されたこの信仰は、大勢の人間の信仰にも匹敵する」---。アンドレ・マルローがフィンセント・ファン・ゴッホの代表作の1つである「オーヴェルの教会」について語った言葉だ。

 故郷オランダに生まれ、パリ、アルル、サン・レミと放浪の末にパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズで37歳の短い生涯を閉じたゴッホ。その最期の日々を過ごした土地を訪ねた。

 パリを発ったのは初夏の日曜の朝。夏の期間、週末だけオーヴェルへの直通電車が運行されるのを知り、乗換えの不便さを味わうことのない直通が一番、と小雨の中パリ北駅から電車に乗り込んだ。車内は7分の込み具合。日本人もちらほら。

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 オーヴェルの駅に着いた。電車を降りるとすぐ、駅の右手奥に高い教会の屋根が見えた。ああ、私にとってゴッホの最も好きな絵「オーヴェルの教会」が生まれた場所。それが、電車から降り立った瞬間に目に飛び込んでくるなんて。

 当初の予定では、駅から近い町役場から回ろうと思っていたが、予定変更で、まずは教会へ。雨が強くなる中、坂道を駆け上がった。ほんの数分、あっという間に教会の前に到着した。

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 その手前に、男の像があった。これはゴッホの像だろうか?いやいやゴッホより先にこの町に住んでいた画家ドーヴィニーだ。

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 教会に入る前に、とりあえず1枚。絵と同じ角度で撮ってみよう。

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 でも、この強烈なゆがみと存在感は感じなかった。逆巻くような蒼黒い空の代わりに灰色のおぼろげな空であることも影響しているのかも。

 「オーヴェルは実に美しい。田舎のど真ん中。他所にはない独特の雰囲気。実に絵になる」。ゴッホがこの地に着いたのは1890年5月20日のことだった。

 ゴッホは1853年3月30日、オランダのフロート・ズンデルトで牧師の子として生まれた。パリ、アルル、サン・レミ・ド・プロヴァンスを経由してオーヴェルにやってきたとき、ゴッホは37歳になっていた。

 その2年前に耳切り事件を起こしてゴーギャンと別れ、サン・レミで精神病院に入院していたが、このころにはもう大分回復していた。

 「病人を予想していたのに、テオよりむしろ健康そうで、頑丈で肩幅が広く、日焼けして、フィンセントは完全によくなっているように見えた」。ゴッホの弟テオの妻ヨハンナは当時のゴッホをこう描写している。

 以来、突然の死を迎える7月29日までの70日間、ゴッホはこの地で実に70点以上の油絵、30点余のデッサン、8点のリトグラフ、1点のエッチングを仕上げた。

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 その中の代表的な1枚がこの絵だ。

 6月5日の妹宛ての手紙。「村の教会を描いた大きな絵を仕上げた。建物は単純な深い青。純粋なコバルト色の空に対して、スミレ色の色調の効果を上げている。ステンドグラスの窓はウルトラマリンの染みのように見え、屋根はスミレ色で一部がオレンジ色だ。前景には緑の植物が花をつけており、砂とそこに照りつける太陽のピンク色の輝き・・・」。

 実に丁寧に色彩の変化を描写している。私もコバルト色の空の下でこの教会を見たかった。

 灰色の空が覆いかぶさり、鉛色に染まって雨に打たれる教会は。あの壮麗さを感じさせる作品の中の建物とは全く違った印象だ。ただ、色の彩度が少ない分だけ。歴史を重ねた重厚さは感じることが出来た。

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 訪ねてみて初めて分かったのだが、ゴッホの絵は教会を裏側から描いていた。

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 正面は、正反対。階段を上ると、絵よりももっと大きな長方形をした姿に接することが出来た。

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 中に入ってみた。日曜のミサが始まったばかり。一旦外に出て、町を一周してからもう1度訪ねてみた。

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 ところが、今度はミサとは違う何かの式典が終わろうとしていた。聞いてみると、ちょうど子供の洗礼式があったのだという。数組の家族が神父に祝福されている。

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 そして、子供を抱えた若い母親らが談笑している。和やかで清々しい空気が教会を満たしていた。

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 そんな時、外の雲が一瞬切れたのか、堂内が明るくなった。神の祝福の光だったのだろうか。

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 教会内にも飾られていたゴッホの作品を見ながら、おすそ分けしてもらった幸せな気分を胸に抱いて教会を後にした。




















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芸術的な石畳、2700年前の石垣ーエリチェ散策

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 この町の大きな特色の1つは石畳の道。通常石畳と言えば、四角い石を地面に敷き詰めた単調な形を連想するが、ここの石畳はかなり変わっている。

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 30cmほどの四角い囲みを細長い石で形成し、その中に細かい石を詰める。それが1つの単位となり、その連続によって路面が埋められている。

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 しかも、それぞれの道ごとに構成が微妙に異なり、

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 別の道に入るたびに違った印象を与えてくれる。

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 もっとも古い時代のものと思われる所は、四角のない一本線だけの石畳になっていた。

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 このように中面の石が実に細かく、しかも小石で×印を作っていたり、

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 ウンベルト1世広場では、中面に結構大きな石が使われていた。

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 また、交通量の多いこの通りは太い2本線が走っている。馬車が走りやすいように車の部分を滑らかにと、工夫したようだ。それが、今では自動車走行に役立っている。

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 石は主として石灰石が使われているが、昼の光を受けることで、黒光りしたり明るく輝いたりと、七変化を見せる。

 こうした道の造成は、通常の造成より何倍も手間と費用がかかるだろうに、あえてこうした手間をかけるということは、この土地が神聖な神殿を持つ町だったこととも大きく関係しているのかもしれない。

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 また、町の西北端に連なる城壁も、特色の1つだ。カルミネ門周辺の下辺の大きな石は紀元前8世紀!のエミリ族が造成したもの。上の部分は紀元前6世紀のカルタゴ人のものといわれる。

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 そんな気の遠くなるような昔の工作物が、今もなお厳然と残っている。

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 それもシチリアのはずれの山頂の町なのだから、信じられない思いだ。

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 ようやく石垣が終わるスパーダ門まで来た。

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 そこには広々と広がる“下界”の風景があった。なんか、神の視点で人間界を見下ろしているかのような気分を、一瞬だけ味わった。

 次回は一旦シチリアを離れ、パリ郊外の町でゴッホ最後の70日を訪ねます。



























 

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エリチェの高台に建つサン・ジュリアーノ教会 

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 エリチェの街歩きをしていると、あちこちの地点から2つの塔が望める。これがサン・ジュリアーノ教会の塔とクーポラだ。

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 早速中に入ってみよう。主祭壇には「山の聖母」と題されたガエタノ・コスタの絵がある。絵の後方には白いレリーフが大きく広がっている。

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 この像は、教会名にもなっているサン・ジュリアーノの像だ。

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 とてもスマート?な階段。でも昇っても行き止まりになっちゃうんだけど・・・。

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 こちらの絵もガエタノ・コスタの作品。

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 ガエタノさんは、この教会とどんな関係にあったんだろうか。

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 木像がいくつかあった。この教会は、トラーパニのプルガトリオ教会と同様に聖劇(ミステリ)の木像が置かれているはずなんだけど、この日は見つからなかった。

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 そのかわり、壁に描かれている左右対称のレリーフがとても優雅で目の保養になった。

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 エリチェの教会はどれもが白壁が基調で、清潔感たっぷりのところばかりだった。

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 木製の磔刑像。これこそかなり古そう(後で調べたら17世紀のもののようだ)。左足は縦長の穴が開いている。

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 教会の塔は夕暮れ時のシルエットが印象的。

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 散歩の途中、道端に咲く色々な花に出会った。

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 どの花も全く自分を主張することもなく、

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 ささやかに、ひっそりと咲いていたのが,返って心に残った。
































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意外性にあふれたサン・マルティーノ教会とユーモラスな絵皿

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 町の真ん中付近にとても質素なこじんまりとした教会を見つけて、入ってみた。

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 ところが、中は外見とは全く違う美しい教会だった。

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 中央のクーポラから後方の主祭壇にかけて、白く輝く堂内の凛としたたたずまいは、完全に先入観を吹っ飛ばすものだった。

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 置かれてある像も現代的。

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 聖母も幼子キリストもすべすべお肌。

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 天井にも何枚も絵が描かれている。

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 クーポラの円内にも細かい模様が丁寧に細工され、

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 主祭壇の聖母子像は、金縁の枠で装飾されていた。

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 こちらの像も現代女性がモデルのような顔立ち。

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 数珠を見つめる男の像。これって何を表現しているのかな?

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 側廊もきめ細かな装飾で造りこまれていた。こんな未知の場所にも素晴らしい教会がある。エリチェ恐るべし。

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 ここにも下半身を炎に包まれる男の像があった。トラーパニでも見かけたんだけど、何のエピソードを表しているのか、知っている人がいたら教えてください。

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 教会からすぐ近くに絵皿を売る店があった。

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 こんな風にアニメチックな絵皿が面白い。

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 カラフルだし、南国に別荘でも持っていたら是非ベランダあたりに飾っておきたいようなものがいろいろあった。



































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クリーム色のドゥオモ  エリチェ・マトリーチェ教会

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 エリチェのドゥオモであるマトリーチェ教会に入った。1314年創建のゴシック様式。ただ、フランスの壮大なゴシックを見慣れてくると、全く趣の違いを感じる。

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 中に入ってみてびっくり。温かいクリーム色で包まれていた。内部は19世紀になって改造されたという。

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 よく見ると、天井も全面的に細かい浮き彫りが施されていた。

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 ここまで丁寧に細工を施した職人たちの心意気が伝わってきそうだ。

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 祭壇は、聖母子を中心に左右に聖人たちを従えて、すっきりした造り。

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 別の祭壇には彫刻ではなく絵画の聖母子。

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 さらにこちらの礼拝堂にも聖母子の彫刻と絵画。

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 堅牢な外見とは全く違った、透き通るような内部の清潔さには本当にびっくりした。

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 向かいにある鐘楼・ファデリコの塔に昇った。これは13世紀の建造当初は物見の塔だった。螺旋階段は非常に狭いので、ぽっちゃりの人には相当厄介な構造になっている。

 昇り切ってはるかティレニア海を望む。この海岸線の南側では今でも海から塩を作る塩田がある。

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 トラーパニの街。岬が長く突き出ている。

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 ケーブルカーの鉄塔が続く。強風が吹き荒れ、雲の動きが激しい。

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 北側、エリチェの街並みが見晴らせる。

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 急な坂道の奥に教会らしき建物が見える。

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 レンガ色の街はなかなかの風格さえ感じる。





























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エリチェ散策ー果物のお菓子、眠る犬、霧で迷子に!?

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 町のメインストリート、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りには、目まぐるしく変わる天候にもかかわらず結構観光客を見かけた。

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 家族連れ、乳母車の一行も。でもどうやってこの山まで乳母車を運んだんだろうか?あ、自家用車なら荷台に積んでこれるよね。

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 その通りの途中にあるお菓子店は、シチリアだけでなくイタリア中に有名な店だという。その理由はこれ。上の段をよく見ると、どれもまるで本物のフルーツのよう。

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 サクランボ

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 夏ミカン

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 イチゴ

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 そしてトマト。この店は「マリアグラマティコ」といい、マリアおばさんの店。パレルモに素晴らしいモザイクで有名なマルトラーナ教会があるが、昔その付属修道院の運営費を賄うために造られたのが始まり。名前も「フルッタ・マルトラーナ」と呼ばれる生アーモンド菓子で、今ではシチリア全土で見られるほど普及している。でも、ダントツで美しいと評判なのがこの店。マリアおばさんが若い時から直々に修業して完成させたものだという。本当に見事な出来栄え。ただ、甘いものが苦手な私は遠慮してしまった。

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 そんなお菓子店のすぐ先、ウンベルト1世広場には、いつも犬たちがうろうろ。でも、こんなふうに好奇心たっぷりに振り向いているのは、かなり珍しい。

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 通常は、だいたいこんな風に路上で死んだように眠る姿ばかりが目に付いた。P4069513

 「眠る犬たち」の光景は、シチリア名物とさえなっているという。犬にとってシチリアはそんなに平和なのかなあ・・・。

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 そのうち、急にこの広場に霧がわいてきた。

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 早めに夕食を摂ってホテルに帰ろう。

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 おいしいスパゲッティ・ボンゴレに満足して外に出たら、霧は町全体を覆い尽くしていた。

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 数メートル先が見えない。一旦ほてると反対方向に歩き始めて、またレストランまで引き返した。時折通る車のヘッドライトの光だけが手掛かりといった状態だ。

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 さっき犬とたわむれたウンベルト1世広場もこんな状態。少しずつ少しずつ、かすかな記憶を頼りにホテルに向かった。昼に2度ほど通りを歩いていたために、かろうじて道の記憶が脳裏にあった。

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 それでも迷い迷いしながら、どうにかホテルにたどり着くことが出来た。もし全く初めての道だったら、完全に路頭に迷うところだった。あぶない、あぶない。!



































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ホテルからのパノラマビュー

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 エリチェのホテル・ヴィッラ・サンジョヴァンニでは「パノラマビュー」の部屋をリクエストした。ホテル自体が南東側のがけっぷちに建っているので、東側の海岸が一望できる。先端に小高い山を持つ海岸で、その山がインパクトのある風景を形成している。

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 なかなか空がすっきりと晴れない天気だったが、瞬間瞬間に遠くまで見通せることがあり、その変化を楽しんだ。特に昼と夜では全く違った色合いの景色になり見飽きなかった。P4059416

 ただ、一番期待していた夕焼けや朝日の時間帯は曇ってしまって残念だった。

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 シチリア西北端の海岸線がすっきりと見えた瞬間はこのような感じ。

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 特に海に突き出した山の姿が特徴的だ。

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 午後、その山が霧に覆われ始めた。

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 徐々に色づき始め、

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 見事に山全体が赤く染まった。

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 夜中、目覚めたついでに下界の様子を覗いてみた。道路の照明だけが線状に延びている。

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 明け方、わずかに雲が切れ、空がほんのわずかだけ顔を見せた。

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 すっかり夜が明けた。雲の切れ目から輝く光が差し込んだ。

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 よく晴れた朝の一瞬。

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 いろいろに変化に富んだ風景を楽しませてくれたシチリアの海岸線だった。





































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