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2015年7月

サンタ・ルチア、カラヴァッジョー時代に翻弄された二人がシラクーサで・・・。

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 ドゥオモ広場の一番奥にあるサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会に入った。

 「サンタルチア」の歌でも有名な聖ルチアは、約1700年前、この地シラクーサに生まれた。まだキリスト教が公認されていなかったため、純真なキリスト教徒だったルチアは密告されて逮捕された。数々の拷問の末、304年、短剣で首を刺しぬかれるという悲惨な最期を遂げた聖女だ。

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 そのため、教会正面入り口の真上に短剣が飾られている。

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 内部はとても明るい空間になっている。写真撮影が禁止されており、ブログで紹介できないのが残念だ。

 中央祭壇に、カラヴァッジョの「聖女ルチアの埋葬」が飾られている。カラヴァッジョは、あの悲劇の聖女の最期を、ヒロイックにではなく冷徹な眼を見据えて表現した。

 画面の上半分を占める穴倉の壁。あたかもクローズアップされたかのように大きく描かれるのは、ルチアではなく墓堀人夫。現場はまるでシラクーサの遺跡である天国の石切り場の中みたいだ。

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 背後で悲しみに暮れる人々の手前に、ひっそりと横たわるルチアの遺体。よく見ると首に致命傷となった傷も描かれている。

 洞窟内の凍りついた時間の静けさが、その悲劇性を一層深くさせている。

聖ルチアの遺体は、その後数奇な運命を辿る。

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 遺体は一旦シラクーサの教会に安置されたが、11世紀にシチリアに侵攻したビザンチンの将軍によって、コンスタンチノープル(現イスタンブール)に持ち去られた。

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 さらに、その後第4次十字軍がヴェネツィアのサンタルチア教会に移動した。

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 その教会は別の教会に吸収され、今はサン・ジェレミア・エ・ルチア教会という名前になって、その祭壇に遺体が安置されている。そんなわけで、シラクーサにはルチアの左腕の骨の一部だけが残されている。

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 ヴェネツィア鉄道駅近くのジェレミア教会の壁には「シラクーサの殉教者ルチアは、この地で安らかに眠っている」という文章が書かれており、バポレットなどで運河を渡っているときにその壁を見ることが出来る。

 聖者の遺物=聖遺物を非常に重視するキリスト教の習慣が、こんな遺物の移動を引き起こすことがよくある。そういえば、ヴェネツィア・サンマルコ教会の守護聖人マルコの遺体も、アフリカ・アレキサンドリアから持ち込んだものだった。

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  余談だが、ヴェネツィアの鉄道駅が「サンタルチア駅」となっているのは、駅建設当時、ルチア教会が隣にあったことから名付けられたもので、聖ルチアがヴェネツィアに来たことはない。

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 一方カラヴァッジョがシラクーサに滞在したのは、ほんの数カ月だけ。ローマで殺人事件を起こして逃亡した彼は、マルタ島に渡り、何点もの絵画を残した。

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 その代表作が「洗礼者ヨハネの斬首」。

 ただ、マルタ島でも争いごとを起こしてしまい、シチリアに逃げ込む。最初に上陸したのが、ここシラクーサだった。

 ちょうどその時期、放置されていたサンタルチア教会の修復が始まったばかり。絶妙のタイミングでシラクーサ在住の友人を介して制作依頼がなされ、1608年10月、この絵画制作が始まった。

 状況こそ違え、迫害の末に命を落としたルチアの人生と、逃亡の身にあった自らの運命とがどこかで重なり合う瞬間が、カラヴァッジョの心の奥にあったのだろうか。

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 ルチアの最期を描いた作品には、ヴェネツィアでも出会ったことがある。サンテ・アポストリ教会でティエポロの描いた「サンタルチア最期の聖体拝領」。この絵も気高いルチアの表情が印象的だった。
































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主役は空。シラクーサのドゥオモ広場で夜景に見入る

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 日の暮れゆく中で、改めてドゥオモ広場を眺めている。細いカヴ-ル通りから急激に空間が膨張するように広がる。

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 手前左側には市庁舎。

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 その先にはドゥオモ。

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 右側にはベネヴェンターノ・デレ・ボスコ館。いずれもバロックの華やかなファザードを持つ館が広場を取り囲んでいる。

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 広がった空間は、その先で次第に狭まって行き、奥に建つサンタルチア・アッラ・バディア教会によって閉じられる。

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 その変則楕円の形状は、周囲の高さを持たない建築群によって、空に突き抜ける空間を強調する結果となる。あくまでも澄み切った青空から、

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 じんわりと深みを加えた藍へと変わり始め、

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 漆黒の闇に色彩を変えて行く昼から夜への変化を、建築群を照らすオレンジの照明がさらに強調し、他のどこにもない唯一無二の劇的世界がここに生まれることを、この広場に立って初めて実感した。

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 その興奮は、帰り道でももう1度高められた。カヴール通りが“燃えていた”。

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 白い蛍光灯などは一切使わないオレンジの照明は、通りの両側に接するように建てられた館を照らして、かつて見たことのないほどの濃さで輝いていた。

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 まるでロウソクの灯の中を歩いているような色彩感。

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 ホテルのオーナーが熱心にこの通りを勧めてくれた理由がよくわかった。

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 そんな通りの一角で、こんな和風のイラストをみつけた。ほっこりとした気持ちでゆったりと帰路に着いた夜だった。














  

















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「最後の一片の残光」をメロスの気持ちで眺めるーシラクーサの夕陽

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 街を夕焼けが包み始める。夕陽を見に海岸に向かった。

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 海岸に通じる道も狭い。キケロが訪れ、アルキメデスが駆けた2000年以上前の時代からあったであろう、このような小路歩くことの喜びの気持ちも湧き上がってくる。

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 前方に街灯を見つけた。まだ灯は点いていないが、夕焼けの空をバックに、まるで点灯しているかのように赤みまで帯びている。どこか懐かしい風景。

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 石畳の坂もすっかり黄金色になっている。カップルが通り過ぎた。道に映された2人の影。ほのぼのとした黒さ。

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 海岸にはヨットが係留されていた。船の存在だけをシルエットにしてキラキラとさんざめくに光の粒が、海面を埋める。

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 この海面はイオニア海の西端近くに当たる。ここからほんの少し西に行けば、もうそこは地中海だ。

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 日はさらに傾き、ちょうどヨットの帆の先端にかかってきた。日常の何気ない営みとして、太陽は昇り、また沈んでゆく。

 悠久の営み、そのごくごく短い一瞬の時間を与えられて、私たちは生きている。でも、その一瞬でさえも、何と劇的で変化に富んだ光景を見せてくれるのだろうか。

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 また広場に戻った。ドゥオモのファザードが夕陽の残り火を受けて、暗く色づいている。

 ああ、こんな時間だったのだろう。メロスがシラクスにたどり着いたのは・・・

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 そう、このシラクーサは、太宰治が綴った「走れメロス」の舞台でもあるのだ。

 時代は紀元前5~4世紀ごろ、暴君として登場するのが僭主ディオニュシオスをモデルとしたと思われる「シラクス」という国の王・ディオニス。王を懲らしめようとして簡単に逮捕された村の牧人メロスは、妹の結婚式に出席するため、友人のセリヌンティウスを人質に、3日の猶予をあたえられた。

 3日後の日没までに帰らなければ、友人が処刑されてしまう。

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 妹の結婚を見届けた後、さまざまな妨害、障害を乗り越えて、メロスはぎりぎり「夕陽を受けてきらきら光るシラクスの市の塔楼」が見える所までたどり着く。

 「あなたは遅かった」。知人に言われて、赤く染まった夕陽の空を見上げてメロスは叫ぶ。

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 「いや、まだ夕陽は沈まぬ」。

 そして「最後の一片の残光も消えようとしたとき、メロスは疾風の如く刑場に突入した」。

 そんな、太宰の熱い筆致を思い出しながら、シラクーサの日没を見つめていた。






















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華麗なる聖母の“変身”を見たーシラクーサ大聖堂

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 シラクーサの大聖堂を眺めてみる。堂々たるバロック様式に生まれ変わった。

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 現在の姿になったのは、1693年にシチリア東部を襲った大地震がきっかけだった。これによってラグーザなどの都市が壊滅状態になった。ここの大聖堂は倒れはしなかったが、大きな損傷を受け、それを機にアンドレア・パルコによってバロック様式に改築された。

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 ファザードの上部にいるのが聖マリア像。ちょうど夕陽が当たり始め、

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 マリアの姿が、次第にオレンジに変化して行く。

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 さらに、真っ赤に染まって炎のような情熱のマリア像へと変わって行った。華麗なる聖母の変身劇に、偶然にも巡り合えてラッキー!

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 また、聖母の右横には聖ルチア像。彼女はこの街の守護聖女だ。

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 屋根の上には天使たちが遊んでいる。

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 入口の両脇にも聖人の像が立っている。こちらは左手に鍵を持った聖ペテロ像。

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 右側には聖パウロ像。この左右の並びはローマのバチカン大聖堂前と同じ配置だ。

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 中に入ってみよう。大理石の堂々とした柱が並ぶ。実はこの柱、紀元前5世紀にこの場所に建てられたアテナ神殿のものをそのまま大聖堂の柱として利用しているという。

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 何と2400年も前の柱ということになる。すごいことです。

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 中央に、サンタ・ルチアの絵を掲げた聖ルチア礼拝堂があった。

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 礼拝堂左横の壁にあった聖母のレリーフが美しい。

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 祭壇の下部にある箱にはルチアの手の骨が納められているという。

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 小ドームの明るさが印象的だった。



































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「ギリシャ都市の中で最も美しい街」-シラクーサへ

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 4月上旬の晴れた朝、シチリア西端の町トラーパニの港にあるバスターミナルから東端の町シラクーサへ、まさにシチリア横断のバス旅に出た。

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 朝10時、まずはトラーパニからパレルモへ。時々見え隠れするティレニア海を左に眺めながら2時間の旅。ちょうど12時にパレルモに着いた。直行バスはないため、ここで乗り換えだ。次のシラクーサ行きは午後2時発とのこと。

 発着所は鉄道駅のすぐ横のため、駅前を少しぶらついた後、駅のバルでアランチーニをぱくついて時間をつぶした。

 長距離バスの切符には乗客の名前が記入されることになっているようで、名前を聞かれた.「WATABE」と2度答えたが、切符に記入された名前は「VASABE」となっていた。イタリア語ではWはほとんど使われないので、そのせいか、あるいは私の発音がそれほどわるかったのか・・・。

 シラクーサ行きのバスはほぼ満員。隣に座った中年男性はジェノヴァ出身ということで、「コロンブスはジェノヴァの人だ」など、ジェノヴァ自慢を結構聞かされた。

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 その間、雪を戴いた山の景色、

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 見事なエトナ山の威容、

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 さらにエンナの街並みなどを見ることが出来た。

 シラクーサの到着は午後5時40分。待ち合わせ時間を含めると7時間40分の長旅だった。

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 さあ、シラクーサ。紀元前1世紀の哲学者キケロが「シラクーサはギリシャ都市の中で最も大きく、またすべての都市の中で最も美しい」と讃えた古代都市だ。

 紀元前5世紀にはすでにオルティージャ島の中心にドーリス式のアテネ神殿が建立されている。その建設はギリシャのパルテノン神殿より数十年も早く、ギリシャ世界でも最も繁栄した地中海最大の都市として名を馳せていた。

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 この街の見どころは、大きく分けてオルティージャ島の旧市街と、ギリシャ劇場などの古代遺跡地区の2つ。まずはオルティージャ島に向かった。

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 この島は面積1平方キロほどの小さな島。でも、地中海社会の中でも特筆すべき輝かしい歴史を持った場所だ。そのきっかけはギリシャ人の進出。

 BC8世紀、この地区に進出したギリシャ人たちは、まず北の港近くに神殿を造った。アポロン神殿だ。ドーリス式のシチリア最古となる神殿だった。(近年のギリシャは借金まみれの残念な国になってしまったが、昔は全然違っていたようだ)

 その遺跡がまだ残っている。今ではブティックなどが立ち並ぶ島のメインストリート・マッティオッティ通りのスタート地点あたりにある。その後、ここにビザンチン教会、アラブのモスク、ノルマンの聖堂など、支配者が変わるごとに異なる役割を担いながら、今日に至っている。

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 本来ならマッティオッティ通りからドゥオモに行くのが正規のルートなのだろうが、あえて裏通りのカヴール通りを進んだ。B&Bのオーナーが、「カヴール通りは風情があるよ」とアドバイスをくれたからだ。

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 ものの10分も歩くと、広場が見えてきた。ドゥオモ広場だ。

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 両側の建物が広場をすっぽりと取り囲む形になっている。

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 その中心にあるのが大聖堂。先ほども触れたように、2500年前にはアテネ神殿として建てられた建築が、今はキリスト教の教会に生まれ変わっている。神殿当時は東側が正面だったが、キリスト教会に生まれ変わってからは西側が正面と、180度方向転換してバロック様式の華やかな建物になっている。奥に見えるのはサンタルチア・アッラ・バディア教会。

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 広場を囲むのは、大聖堂の北隣りにセナトーリオ館、南に大司教館、対面にはベネヴェンターノ館。晴れやかな大劇場の舞台に立ったような高揚感を感じさせる美しい広場だ。




















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六本木ヒルズから東京の中心を見下ろす 

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 森美術館の後、同じ階にある展望台から東京の風景を眺めました。

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 入口を入ってすぐ前に見えるのが東京タワー。存在感たっぷりです。そこから基本的に時計回りに一周して行きます。

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 地階よりも最上階の方が広がっているように見える不思議なビル。元麻布ヒルズ。これも六本木ヒルズと同じ森ビルのものだそう。

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 首都高3号線。右奥の高層ビルがヒカリエ、その左隣がセルリアンタワー。晴れていればさらに奥に富士山が見えるんだけど・・・。

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 陽が差してきたので、少し戻って東京タワーを1枚。

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 展望台の後方の壁に、見物客の影が映っていた。

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 こちらは東京ミッドタウン。かなり高い。

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 ミッドタウンの隣にあった、カプセルを寄せ集めたような変わったビル。

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 国立新美術館にも明りが灯った。

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 新宿新都心の夕暮れ。

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 お台場のレインボーブリッジもよく見える。

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 月が昇ってきました。

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 神宮外苑の聖徳記念絵画館のライトアップ。ここがライトアップしているところは初めて見た。前の通りはイチョウ並木の名所。

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 すっかり夜になってきた。レインボーブリッジに光が灯り、左奥の東京ゲートブリッジは青く光っている。

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 中央奥の高いビルは虎ノ門ヒルズ。これも新しい高層ビル。

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 帰りがけにもう1度、東京タワー。

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 おっとっと。肝心の六本木ヒルズを忘れていました。展望台を下りて、地下鉄に向かう途中で。

 後日談ですが、この展望台に本を忘れてしまい、翌日問い合わせしたら、「見つからない」との返事。あきらめていたら、夕方になって「ありました」との電話。それでもう1度六本木ヒルズに出かけることになりました。


































 


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森美術館「シンプルなかたち展」-インスタレーションとノスタルジア

 先日、六本木ヒルズにある森美術館に行ってきました。展覧会名は「シンプルなかたち展・美はどこからくるのか」。その中で、写真撮影が可能な3つのインスタレーションが面白かったので、紹介したいと思います。

 以下の写真はすべて「クリエイティブ・コモンズ表示ー非営利-改変禁止2・1日本」ライセンスでライセンスされています。

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 オラファー・エリアソン「丸い虹」

 ゆっくり回転するプリズムの輪に光を当てている。その光線と反応して、奥の壁には様々な形が作られ、変化し、消えては生まれる。

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 それも一つとして直線はない。円になり、αになり、∞になる。

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 時にその曲線が、淡く虹の一辺と化すが、それも一瞬。息つく間もなく消えさる。

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 1つとして同じ形は再現しないように見えて、

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 でも、いつしかまた、さっきの形が帰ってきているようなデジャブー。

 ふと、幼いころ母に聞いた桜の話を思い出した。

 「桜って、早く咲かないかなあ、と、待って、待って。

 やっと咲いたと思ったら、あっという間に散ってしまう。本当に儚い。・・・・ 

 でもね。その桜の木は、あなたが生まれる前から毎年ずっと花を咲かせてきたし、

 多分、あなたが死んでしまった後でも、春になるとちゃんと、花を咲かすんだよね」。

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 アンソニー・マッコール「円錐を描く線」

 まっ暗い部屋に、1つの光源からまっすぐに光が放たれる。

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 その光は、正面近くから見ると、円錐のように立体感を持って広がっているが、

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 光源側からだと、壁に映る像は、半円でしかない。

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 その空間には青い霞がたなびき、

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 また、角度によっては光が途切れてしまう瞬間もある。光線が強いだけに、見ているうちに自らの体も、浮遊するちりのような存在に思えてくる。

 初めて映画館に入り、ふと後ろを振り向いたときに目に入った、青い光。

 後方からスクリーンに向けて伸びていた光は、確かにヒーローを運んでくる光だった。

 ヒーローの活躍に心を躍らせた、ポップコーンのにおいのする、映画館のあの空間。

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 大巻伸嗣「リミナル・エアースペースタイム」

 透き通るような軽い布がある。

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 地上のいくつかの場所から吹き出す風を受けて、ゆっくりと空中に浮き上がる。ここにも、あるのは曲線のみ。

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 布が浮上すると、奥に見えていた大都会のビル群がかすんでゆく。

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 風をはらんで、布の上昇の勢いが増し、

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 でも、舞い上がった布の下から、また大都会が姿を現す。

 田舎の町で育った子供のころ、本とテレビでしか知らなかった大都会。

 大人になって、そこに住み、憧れだった街が決して美しいものではないことを知らされた、苦い思い出。

 そしてまた、大都会での様々な出会いが、年輪として人の心に積み重なることを、知り始めたこのごろ・・・。





































 

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ゴッホと弟テオの眠る墓へーゴッホ 最期の70日を追って⑤

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 果てしなく広がる麦畑。ゴッホはここを舞台に代表作の1つ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」を描いた。

 「嵐のような空の下に広がる麦畑の情景で、悲しみや極度の孤独といった感情を表現するのにほとんど苦労はしなかった。これらのカンヴァスが、僕が言葉に出来ないこと、僕が田舎に見出した健康的で元気づけてくれるようなことを、君に伝えてくれるだろうと、どこかで信じている」(弟テオ宛ての手紙。7月10日ころ)。

 描いたのは1890年7月。まさに彼がその生涯を終える7月だ。

 この絵に思いがけない人物が心を打たれていた。「ゴッホの絵の前にきて愕然としたのである。それは、麦畑で沢山のカラスが飛び立っている絵で、彼が自殺する直前に描いた有名な絵の見事な複製だった。その時はただ一種異様な画面が突如として現れ、僕はとうとうその前にしゃがみこんでしまった。僕はある一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいたように思われる」。

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 あの小林秀雄の著書「ゴッホの手紙」につづられた文章だ。それほどの衝撃を、しかも複製の作品だったのにもかかわらず、受けたことにも驚きを禁じ得ない。

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 私がその麦畑を訪れた日の天候は雨。灰色の空と麦色の地平が、静寂の中に広がっていた。

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 そんな畑の一角に町の共同墓地があった。

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 区画を分ける壁に沿って白い墓石が2つ並ぶ。

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 向かって左がフィンセント・ゴッホ。

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 右がテオドール・ゴッホ。最期まで兄フィンセントの面倒を見続けた弟の墓だ。

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 1890年7月27日、ゴッホはこの麦畑の西側約1キロのところで、自らの心臓めがけてピストルを発射した。その日はうだるような暑さに包まれた日だったという。

 弾丸は肋骨に当たって即死はせず、傷ついた体で1キロほど歩いてラヴー亭の自らの部屋に戻った。知らせで駆けつけたテオのそばで、兄は徐々に弱って行き、29日午前1時30分、37歳の生涯を閉じた。 当時資金もなかったテオは、共同墓地の期限付きの墓地しか手に入れられなかった。

 それから半年後、テオも病に倒れ34歳で死去。彼の墓は故郷オランダに造られた。

 ゴッホは死後になってその作品が評価されてゆく。ちょうど墓地の使用期限の15年が過ぎたとき、テオの妻ヨハンナが改めて現在の墓地を購入、テオの遺骨も持ち帰って、今の形の墓地に造りなおした。

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 墓の前にヒマワリの花が一輪。

 葬儀の際、ガシェ医師はヒマワリで作った花束を、そっと棺の上に置いたという。

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 また、一陣の風が雨粒とともに冷気を運んできた。かすかに揺れるヒマワリの花びら、さわさわと音を立てて自在に向きを変える麦の穂たち。それは、麦秋の時期だけに見せるオーヴェル・シュル・オワーズの限りなく孤独で繊細な一瞬の光景だった。

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 墓地からの帰り道、もう一度教会に寄った。

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 そこだけ光を受けて明るく輝くキリスト像に別れを告げ、駅へ。

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 駅前の建物は、壁中にゴッホゆかりの場所のイラストが沢山描かれていた。

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 パリに戻った私は、まっすぐにその足でオルセー美術館に行き、改めてゴッホの絵画作品の海に溺れた。


























 

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麦の穂の白い輝き、奔放なゆらぎーゴッホ 最期の70日を追って④

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 ガシェ医師の家から戻って、一旦教会に立ち寄った後、麦畑のある場所へ向かった。

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 ちょうど洗礼式の終わった家族と一緒に教会を出る形になった。

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 少し急な坂道を上ってゆくと、ああ、見えてきた。地平線をことごとく淡い黄色に染め尽くして、麦の穂が風になびいている。

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 まさに、その果てが見えない無限の奥深さを感じさせる広がり。そう、7月の初めはゴッホもその短い滞在中に虜になってしまった“麦秋”の風景だ。

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 「丘の前に果てしなく続く麦畑の平野に、すっかり心を奪われています。海と同じくらい広く耕され、除草された土地の繊細な黄色、繊細で柔らかな緑、繊細な紫は花咲く馬鈴薯の苗の緑によって規則的な染みを付けられ、これら全てが繊細な青、白、ピンク、そしてスミレ色の色調の空の下に広がっています」(7月の手紙)。

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 そういえば、ゴッホの生誕の地・オランダにもはるかな麦畑が広がっていたという。彼は無意識のうちにも麗しき故郷の風景を、そのまぶたに二重写しにしていたのだろうか。

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 彼は、麦畑の全景と共に、部分のアップも描いていた。「麦の穂」。

 ゴーギャンに宛てた手紙でこう告白している。

 「こんな風に麦の習作を試みているところだ。ピンクが少し入った長い緑のリボンのような葉、くすんだ花の薄ピンク色に縁どられ、わずかに黄葉した麦の穂。そして正面下部ではピンク色の昼顔が茎に巻きついている」。

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 私もゴッホの手紙を思い出しながら、思い切り麦の穂に近づいてみた。すると、意外にも穂は曇天にもかかわらず白い輝きを放っている。 

 しかも、その穂先の向きはとても自由だ。風が吹くとさらに奔放に揺らぎ、きらきらと、その揺らぎを楽しんでいるかのようだ。

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 田舎育ちの私には、稲の穂はなじみが深いが、どっしりと重みを伝えて重厚さを感じさせた私の記憶の中の稲穂と、ここにある軽快な麦の穂とは、全く異質のものに見えた。

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 その軽やかな変幻自在さが、ゴッホの魂に火をつけ、作品の中にも独特の動きとなって表現されているのかもしれない。




















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