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2015年11月

歴代皇帝の戴冠式が行われたフランクフルト大聖堂の表情豊かな群像たち

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 フランクフルト大聖堂に向かった。この大聖堂の正式名称はバルトロメウス大聖堂。13世紀から建設が始まり、完成は15世紀という。塔の高さは95m。

 ゴシック様式で、1356年からドイツ国王(皇帝)がここで選ばれるようになり、1562年から1792年までは神聖ローマ皇帝の戴冠式が挙行される格式高いきょうかいとして人々の信仰を集めた。ここも第2次世界大戦で破壊され、戦後修復されている。

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 入口のタンパンには聖母子を中心に諸聖人の像が並ぶ。

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 中に入って最初に目を惹いたのが、このピエタ像。

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 死せるキリストを見つめる聖母の目が悲しい。カスパル・ワイスの作品。

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 少し脇から全体を見渡した。正面に三連祭壇が2つ並んで置かれている。

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 向かって右の祭壇。とにかくにぎやかに沢山の木像が並ぶ。こうした木像の集合した祭壇形式は、イタリアなどではほとんど見たことがなかった。ドイツに特徴的な傾向なのかもしれない。

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 左側の祭壇。どちらかと言うと田舎風の素朴な表情の聖母子像。

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 聖母礼拝堂は特に荘厳な装飾がなされていた。死にゆくキリストを見守る12使徒の光景だ。

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 一人ひとりの表情がさまざまに表された、この教会の最高傑作の1つとされている。

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 一方、まるでマンガのような人物が集まったこの“集会”は、実は最後の晩餐。

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 キリストが、密告して自分を裏切ったユダを指さす、非常に重大な場面なのだが、なんかユーモラスな感じ。

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 こちらにも三連祭壇があった。こちらに立つキリストはさっきと比べるとだいぶ違った印象。

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 こちらは貫録十分の洗練されたキリスト、の感じだ。

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 木像の浮き彫りは、祭壇以外にも壁に架けられたものがいくつもあった。これはキリストが十字架から降ろされるシーン。

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 磔そのものと、それを見守る人々。こうした群像形式も目立った。国によって教会内に飾られるものも微妙に違っているんだなあ。









































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ゲーテ少年の机はインクの染みで真っ黒だった・・・ゲーテハウス

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 フランクフルトはゲーテが生れ育った街。その生家を訪ねた。街のほぼ中心、シルエットの描かれた入口から入ると、まずは博物館になっており、小さな中庭を経由してゲーテハウスにつながっている。

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 入ってすぐは台所。ゲーテは皇帝顧問官の父とフランクフルト市長の娘だった母との間に1749年8月28日に生まれた。名家のため、家も4階建てと立派。実は第二次世界大戦の爆撃で生家は完全に破壊されたが、戦後忠実に復元され、疎開させてあった調度品を元に戻して公開されることになったという。

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 2階中央の間は、中国風の壁紙で装飾されており、「北京の間」とも呼ばれている。

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 階段を上る。ほどよく照明が当たり、手すりの形を壁面に映しだして、ちょっと面白い。

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 3階コルネリアの部屋。ゲーテの妹だ。彼は5人兄弟だったのだが、下の3人は早く亡くなってしまった。

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 同じ階にゲーテが生まれた部屋もあった。

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 その隣が母カトリーヌの部屋。ゲーテは後年「母からは快活な性質と物語をする喜びを受け継いだ」と記している。

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 こちらは父ヨハンの部屋。部屋には法律関係など2000冊もの本がぎっしり積まれており、ゲーテの知識欲を満たしていた。父については「体格と人生の謹厳な生き方を受け継いだ」としている。

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 絵画の間もあった。ここにはローマの風景画などが好んでかけられており、ゴンドラの模型も飾られていた。後にゲーテは1年10カ月にわたる長期のイタリア旅行をしているが、幼時の想い出が、彼をイタリアに導いた、と回想している。

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 また階段を上る。

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 4階に来た。ここ「詩人の部屋」が最も重要な場所だ。イスと机が置かれている。

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 近づいてよく見ると、インクの染みが机の大半に広がっていた。いかに熱心にここでの執筆活動をしていたかがうかがわれる。

 実際、彼の代表作である「若きウエルテルの悩み」や「ファウスト」の初稿はここで生まれたという。

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 子供の頃、妹コルネリアと一緒に人形劇を自作自演していたという、人形劇場の部屋もあった。

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 その部屋から振り返ると、詩人の部屋の壁に貼られた影絵が見えた。

 あれは、ゲーテとシャルロッテ。彼は20代に、友人ケストナーの婚約者シャルロッテに恋する。「理知的でありながら素朴、しっかりしているのに親切」な女性だった。

 その失恋をモチーフにして書かれたのが「若きウエルテルの悩み」だった。



















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小雨のレーマー広場とニコライ教会・・・フランクフルト

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 美術館を出て旧市街にあるレーマー広場へ向かった。マイン川沿いには立派な並木があり、散歩にも快適。ただ、この日は小雨混じりだったけど・・・。

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 ほどなくアイゼルナー橋に着く。橋の向こう側には超高層ビル群が立ち並ぶ。フランクフルトという地名はドイツ国内に2つある。それで、正式にはこちらはフランクフルト・アム・マイン(マイン川沿いの)と呼ばれる。

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 橋には、パリの芸術橋などと同様に、カギが一杯付けられていた。やっぱり「鍵をつければ幸せになる」といったような都市伝説が、ここにもあるようだ。

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 川の向こうには、すぐそこにニコライ教会が見えた。

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 レーマー広場に入ってすぐ、建物の壁にあった兵士たちのイラスト。

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 広場には大型の木組みの家が並んでいる。ウイークデイでも沢山の人で賑わっていた。

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 向かい側には切妻屋根の建物が3棟並ぶ。この中央がレーマーと呼ばれる旧市庁舎。16世紀半ばから約200年間、フランクフルトの大聖堂で神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われ、その祝宴がこの建物2階のカイザーホールで開かれていた。

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 広場中心に立つのは正義の女神ユスティシアの噴水。

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 ニコライ教会に入ってみた。こじんまりとしており、教会というより礼拝堂といった感じ。1290年創建と、歴史は古い。

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 ステンドグラスは、多分新しい。聖ヨハネと聖ルカの姿。

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 広場を後にして、北側の通りに。

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 街を走るトラム。まるで花電車みたいに華やか。

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 その通りの向かい側の広場に、こんな大きな写真パネルが掲示してあった。よく見ると、そう、去年のサッカーワールドカップで優勝したドイツチームのメンバーがメルケル首相を囲んでいる写真だ。

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 雨粒が大きくなってきた。

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 雨にぬれた石畳が、なかなかいい雰囲気を出している。






































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流転の運命を負わされた幻の名画・・・シュテーデル美術館③

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 シュテーデル美術館には印象派以降の作品も豊富だ。これはモネノ「昼食」。彼が終の住処としたジベルニーの家だろうか。

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 同じ食事風景でも、こちらはルノワール。タイトルは「昼食後」で、確かにテーブルには料理ではなくコーヒーカップが並んでいる。

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 スイスの山岳風景を描き続けたアルプスの画家セガンティーニ。

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 室内にたたずむ女性の後ろ姿などを描いて不思議な雰囲気を醸し出すデンマークの画家ハンマースホイ。沈黙の中にもなにか胸騒ぎがしそうな風景。

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 一方、とてもやさしい、心休まるポートレートは、オットー・ショルデラー。

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 ジョージ・バゼリッツはテーマをすべて逆転して描く新表現主義の旗手。

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 シャガールも2点あった。

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 その中では、人が飛んでいるこちらのほうが親しみがあった。

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 ピカソ。「フェルメンデ・オリビエの肖像」。

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 一巡するのに2時間以上かかってしまった。ドイツの銀行家シュテーデルが収集した作品群は多種多様。高いクオリティを誇っていた。ちょっと疲れたので館内のカフェで一休み。

 ところで、この美術館に関係する興味深いエピソードがある。バブル期に当時の史上最高額で売買され、その後稀有の運命を背負ったゴッホの作品「ガシェ医師の肖像」は、実は、かつてこの美術館に飾られていたものだ。

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 ゴッホがこの絵を描いたのは1890年。自らの最期の地となったオーベル・シュル・オワーズでのこと。まだ無名だったゴッホの作品は、遺族によって画商に売られ、1911年にシュテーデル美術館が購入し、同館に飾られることになった。

 しかし、次第にドイツは暗雲に包まれ始める。ナチス政権の発足だ。ナチは「退廃芸術の一掃」と称して多数の作品を没収、「ガシェ医師・・・」もゲーリングが強奪の上資金調達のためコレクターに売り飛ばしてしまった。

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 この絵が市場に姿を現したのは、1990年5月15日。クリスティーズがニューヨークで行ったオークションだった。2000万ドルで始まった競りは、ものすごい勢いでつりあがり、最後には8250万ドル(約124億円)という、当時の史上最高値で日本人がこの絵を競り落とした。その落札者が大昭和製紙名誉会長の斎藤了英氏。

 その後、バブル崩壊、贈賄罪で有罪となった斎藤氏は1996年に死去、「ガシェ医師の肖像」は表舞台から消え去ってしまった。

 実は、紆余曲折を経て、オークション会社サザビーズが所有しているとの話もあるが、権利関係が複雑に入り組んでおり、表舞台に出ることが困難との説が有力だ。

 つまり、一般大衆が自由にあの名画を鑑賞出来たのは、1911年から20数年間のシュテーデル美術館時代と、一時所有していたドイツの金融業者がニューヨークに移住し、メトロポリタン美術館に貸し出していた1時期だけだったということになる。

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 実は、同名の肖像画はもう1枚ある。これはゴッホが求めに応じて同じ作品を2枚描いたためで、こちらはパリのオルセー美術館に展示されている。

 フランクフルトから姿を消し、ナチスによって流転の運命を背負わされた悲劇の絵は、いつ安住の地で美術を愛する人たちの優しい眼差しに接することが出来るのだろうか。

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 出来れば、シュテーデル美術館で出会った企画のように、2枚の絵が並んで展示される日が来ることを祈るばかりだ。

 ナチスが「退廃芸術一掃」の名目で美術品を押収した歴史にかかわって、今まさに2つの映画が完成した。1つは現在上映中の「ミケランジェロ・プロジェクト」。押収された美術品の奪還作戦だ。もう1つは来週封切りになる「黄金のアデーレ」。やはり押収されたクリムトの傑作「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像」のその後の顛末を描いた作品。戦後70年、区切りの年ということでこうした企画が実現したということなのだろうか。




































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フェルメール作品のハプニング・・・シュテーデル美術館②

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 シュテーデル美術館の、ドイツを中心とした北部ヨーロッパの作品群の部屋に進んだ。何といっても知名度抜群なのはフェルメール。窓から差し込むほのかな光の中で仕事にいそしむ男性は「地理学者」。パリ・ルーブル美術館にある「天文学者」と対をなすこの作品はドイツにあった。

 それにプラスしてのハプニングが・・・・。地理学者の隣には「手紙を書く女と召使い」が並んでいた。

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 こちらは企画展の為にアイルランド・ナショナルギャラリーにある作品が、特別に出品されたものだ。個人的には、「真珠の耳飾りの女」についでフェルメール作品では2番目に好きなもので、全く考えてもみなかった“ご対面”は超のつくラッキー!

 ところで、現在残っているフェルメール作品は30数点という少なさだが、それだけ貴重なものだからか、災難に逢うことの多いことでも知られている。わずか30数点のうち4点もが盗難に遭っている。そのうちボストンで盗まれた「合奏」は、現在でも行方不明になっている。また、「手紙を書く女と召使い」は2度も盗難事件にあっている。1度目は1972年。この時は1週間後に発見されたが、2度目の1993年の時は7年も行方不明になっていた。それが還ってきたのはまさに奇跡的ともいえそうだ。

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 他の作品を見て行こう。こんな木製の像。ダニエル・マウチ作。

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 聖母子像はバルナバ・ダ・モデナ作。

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 大きな三連祭壇画

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 一周して戻ってきたら、子供たちの絵画教室が行われていた。

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 こちらの部屋でも。こうした、名画を前にした子供たちへのレクチャーは、ヨーロッパではよく見かける。うらやましい光景だ。

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 16世紀ドイツの代表的画家・クラナハ。個性的な女性像が際立つ。

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 そのほぼ1世紀前に活躍したヤン・ファン・エイク。ネーデルランド絵画の創始者と言われる。

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 “ゲーテの部屋”にたどり着いた。ゲーテはまさにここフランクフルトの出身。友人のウイルヘルム・ティシュバインの描いた「カンパーニャのゲーテ」。

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 その作品をアレンジしたアンディ・ウオーフォールの作品。

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 さらに、同じようなポーズをした彫刻まであった。

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 個人的に印象に残ったのが、このエルネスト・デガーの肖像画だった。












































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ルネサンス期の絶世の美女シモネッタに会いに行く・・・シュテーデル美術館①

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 ドイツの旅はフランクフルトから始まった。まず目指すはシュテーデル美術館。駅から歩行者専用の橋・ホルバイン橋を渡る。

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 レンガ色の宮殿風な建物が見えてきた。あれがシュテーデル美術館だ。銀行家シュテーデルによって収集された珠玉の絵画が納められ、ドイツでも1・2を争う質の高いコレクションで知られている。

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 ボッティチェリの絵が掲げられたポスターが目に飛び込んできた。そう、あれこそがこの美術館に来た目的の絵だ。が、隣にはロセッティの絵が並んでいる。はて、あんな絵がここにあったっけ?

 切符売り場でもらったパンフレットを見ると「スター対スターの対決」といったようなタイトルの特別展の案内だった。ただ、その期日は10月7日から、となっている。今日は10月6日。予告なんだ、と納得して会場に入った。

 と、早速、ポスター通りの2枚の絵がもう陳列されているではないか!さすが、準備の素早いドイツ!というか、日本では絶対起こり得ない出来事で、個人的には有難いハプニングとなった。

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 これが、この美術館訪問の第一の目的だったボッティチェリ作「シモネッタ」。15世紀、ルネサンス華やかなりしフィレンツェで、世紀の美女として注目されたシモネッタ・ヴェスプッチ。その姿を、当代随一の画家ボッティチェリが描いたものだ。黒地のバックに浮かび上がる色白のその横顔を、ただ茫然と見つめていた。

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 シモネッタを描いたボッティチェリの絵は3枚あり、1枚がこれ、もう1枚はベルリン絵画館にあり、それも今回の旅で見に行く予定だ。また、残りの1枚は実は日本にある。総合商社丸紅が所持しており通常は見ることが出来ないが、来年1月には東京都美術館での特別展に出品されるとの話を聞いた。

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 その隣には、ラファエロ前派の代表的画家ロセッティの「ファツィオの恋人」(イギリス・テイトギャラリー蔵)が展示されていた。まさに2人の美女が相対する「スター対スター」の展示だ。

 残念ながら、特別展のため、同館の所持作品は撮影OKだが、他館のものはNGとのこと。対決構図ではなく、ネットから借用した写真を掲載した。

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 続いて、イタリア絵画を中心に見て行く。ジャンバティスタ・ティエポロ。18世紀ヴェネツィア絵画を代表する画家だ。

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 ティエポロの絵を見るためにイタリア北部の街ウーディネを訪ねたことを思い出す。

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 強い遠近法で劇的な絵を描くグエルチーノ。今年、日本で彼の大規模な展示会があった。

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 ベッリーニ。聖母子像を得意とするヴェネツィアの画家。サン・ザッカリア教会にある彼の絵が好きだ。

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 トーマス・ローレンス。ロココ主義のイギリスの画家だが、イタリア絵画中心の部屋で見つけた。

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 ヴェロッキオ。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠としても有名だ。若きダヴィンチの描く天使像を見て、自らの筆を絶ったというエピソードも伝わっている。

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 風景画といえばカナレット。この絵も地元ヴェネツィアを雄大に描いている。



















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砂漠に出現する高層ビル群・・・ドイツへの旅・出発

 先月、ドイツへの旅をしてきました。フランクフルト空港着後、マインツ、ケルン、ベルリンと巡りました。 

 美術関係ではボッティチェリとフェルメールをたっぷり観賞できましたし、歴史的な名所がプロジェクションマッピングに彩られる光景にも出会いました。また、大聖堂の奥深さ、第二次世界大戦から壁による東西分断の深い痕跡など、改めてじっくりと振り返る時間を持つことが出来ました。これから徐々にその行程を辿ってゆきたいと思います。

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 まずは、フランクフルトに向かう飛行機からの風景を。

 利用した航空会社はカタール航空。スケジュールの関係で深夜便を選んだ。

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 カタールの首都ドーハ空港は、新しくなって広々としたスペース。

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 免税品の売店も次第に整備されてきているようで・・・。

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 陳列もゆったり。日本製の時計もあった。

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 早朝ドーハに着き、少しの待ち時間の後フランクフルト行きに乗り換え。

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 少し小型の飛行機だったが、窓側の席を選んでいたので、眼下の風景を見ることが出来た。

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 出発直後。ドーハの街が見えてきた。

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 何もない砂漠の海辺に突如現れるビル群。この地域だけはまるでニューヨーク。

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 ちょっと移動すると、もう砂の荒れ地に戻って行く。

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 座席のモニターには飛行地点の地図が表示されるが、大きな都市の他にチグリス、ユーフラテス川など、昔々に世界史で習った地名があったりと、不思議な感覚の時間帯だった。

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 ブダペスト付近では、ドナウ川が大きく迂回する地点が眺められた。

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 予定時間通りにフランクフルトに到着。あいにくの曇り空。

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 さあ、これからドイツの旅が始まる。





























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文化の日の上野公園で多彩な行事に出会う。

 11月3日・文化の日。絶好の晴天だったので、特に目的も決めずに散歩に出かけました。とりあえず向かったのが上野公園。これが大正解でした。

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 まず、西洋美術館が、常設展無料。松方コレクションなどをじっくりと鑑賞できました。これが、ヴェロネーゼの「聖女カタリナの神秘の結婚」。16世紀の作品です。彼の絵はいつもドラマチックな構成で、わくわくさせてくれます。

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 次は17世紀・ロココ時代、マリー・ガブリエル・カペの「自画像」。女流画家がようやく認められ始めた時期です。

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 前から気になっていた作品「スペインの想い出・シエスタ」。深い陰影がとても印象的です。

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 その近くの科学博物館も無料でした。生れて初めての入館。恐竜の実物大模型。やっぱりデカイなあ。

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 公園広場では「あかりパーク2015」という光のイベントが開催中でした。岐阜県美濃市あかりアート展の出品作が展示されていました。木のぬくもりが感じられる作品。

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 こちらはビー玉を包んでライティング。おもしろい!

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 噴水は、水が何色にも変化します。

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 青が、私は好き。

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 暗くなると水面の光の反射が目立ってきます。

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 大道芸のイベントも行われていました。

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 ピラミッド型の光オブジェ。

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 不忍池方向の弁天堂がライトアップされて輝いていました。

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 別の美術館では浮世絵展かあるらしく、浮世絵の灯篭が道を照らしていました。

ついでに、と言っては何ですが、先日夕陽がとてもきれいだったので撮っておいた夕景を少々。

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 空をなめるような湿り気を帯びた幻想的な夕空。

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 こちらはドラマチックな雲の筋。

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 空が燃えてしまう洛陽でした。






































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さようなら 愛しきシチリアの大地よ・・・パレルモ⑭

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 パレルモ滞在最終日。こうして旅の終わりが近づいていることを感じながら、ホテルの窓から沈みゆく夕陽を眺めている。

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 短い間でも、過ごした土地への哀惜の念が、ジワリとこみあげてくる。

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 紀元前からめまぐるしく他民族の支配が入れ替わり、そんな中でもたくましく独自の融合文化を形成してきたシチリア。

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 だが、近代では、先進的な繁栄によって築かれた、明るさにあふれた北イタリアのブランド性とは対照的に、南イタリアは暗く後進的なイメージに甘んじてきた。

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 しかし、この地にはオレンジに色づいたパレルモの空のように、温かく、心優しく、底抜けに情の厚い人々が住んでいた。

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 通算でもわずか10日間の滞在だったが、各地で触れ合った人々の優しい眼差しは、私にとって忘れられない思い出として、心に刻みつけられた。

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 さようなら パレルモ

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 さようなら シチリア








 











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