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2016年1月

歴史の節目には常にブランデンブルク門があった・・・ベルリン④

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 ブランデンブルク門は現在、華麗な装いを伴ってそびえているが、この門はベルリン=ドイツの歴史的な変化の時期に、しばしばその姿をさらしてきた。それらをたどることで、いかにベルリンが多難な時代を潜り抜けてきたかを知る手掛かりとなるだろう。

 上の写真は地下鉄u55のブランデンブルク駅構内に掲示されていた写真。「1820年」という記載がある。門の完成は1791年なので完成後約30年後の、ちょっぴりのどかな風景だ。

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 華やかな行進風景。門も美しく飾られている。これは多分プロイセン軍がオーストリアかフランスとの戦いに勝利した時の凱旋風景。その直後の1871年にドイツ帝国が誕生している。

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 夜の門の前を多数の人たちが行進している。日付は1933年1月30日。この日はヒトラーが首相に選出された日。その夜の炬火行列は門からヴィルヘルム通りまで長い長い行列が続いた。ドイツはこの日を境に暗黒の時期に突入していった。

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 門の前に鉄条網が。これは1961年8月13日の東西分断の日。東ドイツはベルリンに壁を築いて自由主義圏と共産圏とを分断した。壁は最初から強固なものだったわけではなく、まず鉄条網で通行を遮断、その後猛スピードで壁を構築していった。

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 1963年6月、ケネディ米大統領がベルリンを訪問した時の模様だ。壁を前にして若き大統領はベルリン市民に連帯の演説を行う。

 「自由とは不可分のもので、誰かが不自由であれば、それは皆が不自由であることを意味する」とし、自由を達成するため共に同じ大地に立つことを誓い、「ich bin ein berliner(私はベルリン市民)」と、ドイツ語で宣言した。

 この名演説は市民たちに熱い拍手で迎えられた。

しかし、ケネディ大統領はそれからわずか5か月後、ダラスで凶弾に倒れてしまう。

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 永遠に続くかと思われた壁も、ついに崩壊する日がやってきた。1989年11月8日。28年ぶりに東西ベルリンが1つに結ばれた。

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 このようにブランデンブルク門はドイツの栄光の時も悲惨な歴史を刻むときも、常にその存在がクローズアップされ、またこの国の変遷を見続けてきた。

そして現在。朝日に照らされた門は、今や東西融合の象徴として市民、国民の心の支えとなっている。













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未明の闇にブランデンブルク門が浮かび上がる・・・ベルリン③

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 翌朝、改めてブランデンブルク門に出かけた。前日はイベント初日ということもあって群衆のざわめきの中での鑑賞だったので、無人の静かな夜明けの中で、門をじっくりとみたいと思ったからだ。

 この日の日の出は7時22分。約1時間前に地下鉄に乗り門に向かった。滞在のホテルは中央駅前にあり、最近できた地下鉄U55を使えば、数分で門に到着する。

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 地上に出てみると、まだ暗い青の広がる空を背景に、白熱灯に照らされた門が、オレンジ色に浮かび上がっていた。

 18世紀末、アテネ・アクアポリスの門をモデルに築かれた門。プロイセン王国の凱旋門として建設されたのだが、第二次世界大戦後の冷戦時にはこの門も壁に囲まれ、東西ベルリン分断の象徴としての印象が強くなってしまった。

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 上部にある4頭立ての馬車(カドリガ)と、それに乗った勝利の女神も金色に輝いている。

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 このカドリガは、普仏戦争に勝利したナポレオンに奪われて、1806年に一時パリに持ち去られたが、7年後のライプツィヒの戦いで勝利して取り返したといういわくつきのものだ。

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 そんな歴史を踏まえてか、前夜のプロジェクションマッピングにも馬が登場していた。

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 しかも、その馬が空に向かって飛び立つ光景が演出されていた。

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 門の脇には、独特の形をした街灯と、その上空に細い細い三日月が姿を見せていた。

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 徐々に空が明るくなり始めた。右側の大きな建物はホテルアドロン。ドイツ随一の五つ星ホテルとして、チャップリン、アインシュタイン、トーマスマンなど世界各国のエスタブリッシュメントが利用したホテル。

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 夜明けだ。ウンター・デン・リンデン通りの向こう、空が燃えるように赤く染まった。

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 ここからは、前回紹介しきれなかったマッピングの残りを紹介しよう。鳥の羽ばたく場面。

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 門が白く輝く。

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 縁どり付きの門

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 街は夜のまどろみから、次第に朝の目覚めへと移って行く。

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 すっかり朝が明けた。イベント時の混雑と、早朝の静寂とを半日のうちに体験できたのは、とても心躍る体験だった。
































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ブランデンブルク門で「光の祭典」を見る・・・ベルリン②

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 ベルリンに着いたのが「光の祭典」の開始当日。チェックインしてすぐブランデンブルク門のあるパリ広場に出かけてみた。 

 ただ、まだ日没前だったので、近くで早めの夕食を済ませ、改めて門に戻った。

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 到着してみると、もう門に映像を投射するプロジェクションマッピングはスタートしていて、門の前は大混雑。人垣をかき分けながら写真の撮れるポジションを探し、人々の頭越しに撮影を試みた。

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 この門は、ベルリンを取り囲む18の門のうちの1つ。ベルリンの西90キロにあるブランデンブルクにつながる門ということで、この名称が付いている。

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 そもそもはプロイセン王国の凱旋門として築かれたものだ。

 マッピングは次々と変化して、こんな炎がはじけるような演出も。

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 遠くから見るとそんなに大きくは見えないが、高さは26mある。

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 全体がブルーに変わった。

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 門の幅は65,5m。あちこちでのスマホでの撮影がしばしば画面に映りこんでしまうのはしかたがないか・・。

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 門には6本のドーリア式の円柱が立ち、5車線になっている。

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 あれあれ、ベートーベンが登場した。

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 次にはピアノ。やっぱり音楽の偉人を沢山輩出している国ならではのマッピング。

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 中央の通路は王家の馬車専用道になっていた。幅が5.6mと広い。

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 対して、両脇の計4本の通路は一般の人たちが通る道で、幅3.6mとちょっと狭目になっている。

 こんな風にプロジェクションマッピングは数人のアーティストによる競作の形で投射された。初日ということで人も多く、もみくちゃになりながら、でも楽しく見ることが出来た。

 ただ、ルーアン、シャルトルなどフランスの各地で見てきたマッピングは、大聖堂という大きなスクリーンへの歴史的なストーリーを基にしたマッピングだったが、ここは門の幅の狭さ、ストーリーの浅さなどから、少々物足りなさを感じるものだったかなあ。
































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華やかな形容詞の与えられない大都市・ベルリン・・・ベルリン①

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 ベルリン。言うまでもなく28カ国が加盟するEUを支える最も重要な国・ドイツの首都。人口は350万人を数え、ヨーロッパ諸国の中でも有数の大都市だ。だが、なぜかその名前の背後に、暗い霧のようなものの存在を感じてしまう。

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 永遠の都・ローマ

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 花の都・パリ

華やかな形容詞が当然のように冠せられている近隣の首都に比べて、ベルリンにはだれもが思い浮かぶような形容詞が与えられていない。

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 その最大の理由は、第二次世界大戦前後のナチスの行った様々な黒い歴史と、戦後構築され28年にわたって東西を分断してきた壁の存在に他ならないだろう。

 そんなベルリンだが、第二次世界大戦から70年の、今の現実はどうなっているのか。一旅行者が見たベルリンの素顔を少しずつ紐解いていきたい。

 その入口として、ブランデンブルク門から入ってみよう。

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 「世界でもっとも有名な門」と言ったら、何を思い出すだろうか。多分即座に思い浮かぶのはパリの凱旋門かベルリンのブランデンブルク門ではないだろうか。

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 凱旋門はある意味歴史上の史跡であり、今では観光名所という位置付けになるだろう。

 ブランデンブルク門は1791年完成、凱旋門(1791年完成)より半世紀近くも前の建築物だ。しかし、過去の建築物というよりも、現代史の中で必ず登場する生々しい存在として想起されるのではないだろうか。

 そんなブランデンブルク門を入口として、ベルリンという街をさまざまな角度から覗いてみたい。

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 まずは、ベルリンの今。10月に行われた「ベルリン光の祭典」の模様をお届けしよう。

 これは、ベルリンの著名な建築物を中心に、市内各地で行われるライトアップ。特にブランデンブルク門では、数人の光のアーティストが門をさまざまな光で彩るプロジェクションマッピングが行われた。

 その模様は次回に!

















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よさこい讃歌2015・・・刻まれた記憶⑦ 郷人、鴉、ファントム、破天荒、踊りんちゅ、躍動、しん

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 よさこい特集の最終回は、「飛翔-ジャンプ」で終わりたいと思います。

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 演舞を見ていて思うのは、どのチームもどの踊り手も、ジャンプの際には、大地を踏みしめる足にグンと力が入ります。

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 体が一瞬圧縮したように縮こまり、弓を引くかのように腕を後ろに引き絞り、全身で宙を目指します。

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 体が浮き上がった時、彼らの目には、それまで見ていた地平とは違った、高みの世界が飛び込んできます。

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 だが、その時間はほんのわずか。あっという間に彼らは地面にたたきつけられます。

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 高さが高ければ高いほど、その衝撃は大きくなり、足への負担は増します。

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 でも、彼らは決してジャンプを放棄しようとはしません。

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 食いしばる歯、空に向けた目の光、高みに達しようとする時の歓喜の笑み

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 瞬時に戻る地上での、引き締まるほほ。そんなわずか数秒のドラマが、たまらない魅力でもあるのです。

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 去年も、今年も、そして来年も。空へ、宙へ、未知の世界へ。

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 そんな彼らの不撓不屈の姿を見たいがために

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 胸ときめくストーリーを紡ぎ出す

よさこいの現場に、また足を運ぶことになるのでしょう。

 けがで、昨年中に終わらせるはずだったよさこい特集が、大幅に遅れてしまいました。これが最終回です。次週からはベルリンの華やかな光と、歴史の影を追って旅したレポートを連載する予定です。よろしくお願いいたします。


























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よさこい讃歌2015・・・刻まれた記憶⑥ 破天荒、いなん、REIKA組

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 風が吹いている

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 心地よい風だ

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 どんよりと曇っていた

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 得体の知れない不安の霧を

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 あっという間に吹き飛ばしてくれた

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 果てしない青空が

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 無限の広がりで 私たちを包む

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 さあ 紡ぎ出そう

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 胸ときめくストーリーを

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 私たちの体に宿った

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 リズムと旋律の結晶に載せて

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 風が吹いている

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 身も心も運び去り

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 新たな世界へと連れて行く

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 歓喜の風が吹いている













































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よさこい讃歌2015・・・・刻まれた記憶⑤ 東京理科大ソーラン部、法政大学鳳遙連、早稲田大学東京花火

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 十代のころ、生きていることに

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 何に疑問も持たなかった

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 毎日新しい朝が来ることは当然だった

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 光のまぶしさ

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 湧き上がるエネルギーの確かさ

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 唇に浮かぶ メロディの温かさ

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 みんな 未来に向けて進む体を 押してくれた

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 二十歳を過ぎて そんな日々から少しずつの変化が現れる

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 歩む道が 平坦なだけでないこと

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 生きることが 決して楽ではないこと

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 「挫折」の言葉が 実感を伴って立ちふさがること

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 でも 生きて行こうと思う

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 きずなで結ばれた友がいる限り

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 心許せる確かな信頼が 

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 無条件で共有できる限り

 しばらくご無沙汰しました。実は年末に事故で骨折してしまい、入院していました。やっと退院しましたので、これからはピッチを上げてブログも更新して行きたいと思っています。改めてよろしくお願いいたします。











































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