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歴史の節目には常にブランデンブルク門があった・・・ベルリン④

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 ブランデンブルク門は現在、華麗な装いを伴ってそびえているが、この門はベルリン=ドイツの歴史的な変化の時期に、しばしばその姿をさらしてきた。それらをたどることで、いかにベルリンが多難な時代を潜り抜けてきたかを知る手掛かりとなるだろう。

 上の写真は地下鉄u55のブランデンブルク駅構内に掲示されていた写真。「1820年」という記載がある。門の完成は1791年なので完成後約30年後の、ちょっぴりのどかな風景だ。

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 華やかな行進風景。門も美しく飾られている。これは多分プロイセン軍がオーストリアかフランスとの戦いに勝利した時の凱旋風景。その直後の1871年にドイツ帝国が誕生している。

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 夜の門の前を多数の人たちが行進している。日付は1933年1月30日。この日はヒトラーが首相に選出された日。その夜の炬火行列は門からヴィルヘルム通りまで長い長い行列が続いた。ドイツはこの日を境に暗黒の時期に突入していった。

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 門の前に鉄条網が。これは1961年8月13日の東西分断の日。東ドイツはベルリンに壁を築いて自由主義圏と共産圏とを分断した。壁は最初から強固なものだったわけではなく、まず鉄条網で通行を遮断、その後猛スピードで壁を構築していった。

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 1963年6月、ケネディ米大統領がベルリンを訪問した時の模様だ。壁を前にして若き大統領はベルリン市民に連帯の演説を行う。

 「自由とは不可分のもので、誰かが不自由であれば、それは皆が不自由であることを意味する」とし、自由を達成するため共に同じ大地に立つことを誓い、「ich bin ein berliner(私はベルリン市民)」と、ドイツ語で宣言した。

 この名演説は市民たちに熱い拍手で迎えられた。

しかし、ケネディ大統領はそれからわずか5か月後、ダラスで凶弾に倒れてしまう。

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 永遠に続くかと思われた壁も、ついに崩壊する日がやってきた。1989年11月8日。28年ぶりに東西ベルリンが1つに結ばれた。

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 このようにブランデンブルク門はドイツの栄光の時も悲惨な歴史を刻むときも、常にその存在がクローズアップされ、またこの国の変遷を見続けてきた。

そして現在。朝日に照らされた門は、今や東西融合の象徴として市民、国民の心の支えとなっている。













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コメント

19世紀初頭ののどかな風景に始まって、ヒトラーの台頭、
東西分断からベルリンの壁崩壊まで、今回の記事の
ブランデンブルク門の姿を見ているだけで、
ベルリンの激動の歴史を垣間見るようです。
おっしゃるとおり、パリやローマのような華やかな都とはまた違った
ベルリンという街の独特の空気を感じます。
その違いが何なのか、とても興味深く、この街について
もっと深く知りたくなりました。

投稿: hanano | 2016年2月 1日 (月) 18時37分

hanano様

 ベルリンはイタリアなどの都市に比べると全く違った様相を呈していました。よく言えばビビッド、表現を変えれば落ち着かないーーが第一印象。それもまた、微妙に変化していくのですが、そんな街の空気感を写真と共にお伝えして行ければ、と思っています。

投稿: gloriosa | 2016年2月 1日 (月) 20時59分

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