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2016年2月

二人目のシモネッタと出会った。そして、桜とヴィーナスーベルリン絵画館・・・ベルリン⑫

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 ポツダム広場から、博物館島と並ぶ文化発信地区「文化フォーラム」に向かう。絵画館にある「シモネッタ像」に会うためだ。
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 西へ歩いてゆくと、ディートリッヒとは別の、もう一人の著名人の名を冠した通りが目に入った。そう、「カラヤン通り」 だ。
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 通りはベルリンフィルの本拠地であるコンサートホールの前の道だ。
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 このホールは、壁崩壊後の再開発で文化フォーラム地区に最初に建設された建物。
 夜になると美しいオレンジ色の立方体として夜空に浮かび上がる。今夜も、世界有数のハイレベルの交響曲が場内に響きわたっているのだろう。
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 ホールのすぐ先にあるのが、絵画館。その他、図書館、音楽堂、工芸博物館などが次々と建設され、まさに「文化フォーラム」の名にふさわしい地区になっている。
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 絵画館では、ボッティチェリの特別展が開催されていた。絶好のチャンス。この展覧会を見ることも、今回の旅の目的の1つだ。
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 横壁に、シモネッタのポスターが掲げられていた。
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 会談を上った高台にある玄関口に来て振り返ると、ポツダム広場の建築群がはっきりと見える。ソニーセンターの屋根部分は富士山をイメージして作られている 。
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 離れたところから見るとよくわかる。
 
 さあ、絵画館に入った。ここは通常は写真撮影OKなのだが、特別展の部分だけは撮影禁止となっていた。残念!それで、ネットから拝借した写真も交えて紹介しよう。
 
 まず第一に向かったのはシモネッタの肖像だ。本名シモネッタ・ヴェスプッチ。ジェノヴァの名門貴族カッタネオ家の出身。16歳でヴェスプッチ家に嫁いだ。
 ヴェスプッチ家といえばアメリカ大陸の名前の素となった探検家アメリゴ・ヴァスプッチを輩出した家柄だ。
 そのシモネッタの美貌は、ルネサンス花盛りのフィレンツェで広く知られるところとなっていた。特に脚光を浴びることになったのが、1475年にフィレンツェで行われた「馬上槍試合」だった。
 
 この年、彼女は「美の女王」に選ばれ、槍試合の勝者に勝利の冠を授ける役を担ったが、試合に勝利したのはフィレンツェを支配していたロレンツォ・ディ・メディチの弟で、「美しき貴公子」と称されたジュリアーノ・ディ・メディチだった。
 
 二人は恋に落ち、世紀の美男美女のロマンスは、国中の話題となった。ただ、シモネッタは翌年病に倒れ、23歳の若さでこの世を去った。またジュリアーノもその2年後、1478年に政敵による暗殺事件で命を落としてしまった。
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 ただ、フィレンツェ随一の美女の肖像は、当代きっての画家ボッティチェリによって3枚の
絵に残された。そのうちの1枚「左向きのシモネッタ像」が、ここ絵画館所蔵の作品だ。
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 3枚の中でも特に、強い意志の持ち主であることをうかがわせる、情熱を秘めたまなざしが印象的な作品だ。
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 また、フランクフルトのシュテーデル美術館で見てきた「右向きのシモネッタ」は、黒い背景とのコントラストで強調された鮮やかな白い肌に目が奪われる。
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 頭に飾られた装飾品、華麗に編み込まれた髪、柔らかく慈悲深さを思わせる表情。それらが一体となって、聖母の領域に近づく女性の姿が浮かび上がる。
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 そして、3枚目の「右向きの明るい背景のシモネッタ」は、日本にある唯一のボッティチェリ作品。総合商社丸紅が所有しており、普段は一般公開されていない。
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 理知の瞳を持った冷静さに満ちた心根が感じられる像だ。
 
 この作品は現在、東京都美術館で開催されているボッティチェリ展に出品されている。先週私も訪問し、この数か月間で3点のシモネッタ像すべてを見ることが出来るという幸運に恵まれた。  
 
 それにしても、丸紅は公共の美術館に寄託するなどの形で、広く日本人がいつでも作品に接することが出来るような形をとって欲しいと、願うばかりだ。
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 ベルリン絵画館に戻ろう。ボッティチェリの代表作である「ヴィーナスの誕生」の、ヴィーナスだけを黒い背景で描いた絵もここにあった。
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 バックが黒いだけに、人物が浮き出すように思える。
 実はこの絵は2005年春に「ベルリンの至宝展」という企画で日本に来たことがある。上野の国立博物館の庭はちょうど満開の桜が咲いていた。その桜とコラボレーションするかのように飾られていたヴィーナス像ポスターを写真に収めた。
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 ルネサンスの華と日本を代表する花とが、溶け合うように見えた瞬間だった。

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巨大トランプが点滅する広場・・・ベルリン⑪

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 ポツダム広場の地下鉄駅前にくると、何やら巨大トランプの形をした板がずらりと並べられて、点滅している。
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 これも「光の祭典」の一環。トランプだから、52枚のカードが積み重なっていて、それが次々と点滅してゆく 。
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 そのトランプの前で記念撮影するカップルも。
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 よく見ると、カード1枚の大きさは1m以上。
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 近づいてみたら、こんな女性の絵が描かれていたり、
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 急に中央部分の照明が消えてしまったり、いろいろと変化して見どころ一杯。
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 トランプの列の向こうには、ソニーセンターのビルが全館点灯されて輝いており、そのコラボレーションが面白い。
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 周囲ではスマホでの撮影をしている人たちが沢山いた。やっぱりベルリンでもスマホ全盛のようだ。
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 すべてのトランプが明るくなるのを捉えようと10分ほどスタンバイして、やっと撮れたショットがこれ。
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 翌日この広場を通った時に見た、昼のトランプ。ずいぶん雰囲気が変わるようだ。
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 再びソニーセンターに戻って、片隅にピンクに染められた場所があった。これも「光の祭典」の一環。
 ここは、戦前最高級ホテルとして名高かったエスプラーデホテル「皇帝の間」の部分。 第二次世界大戦でホテルは焼けてしまったが、一部焼け残った「皇帝の間」が、再開発時に同センターの一角に移築保存されたという。
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 のっぽビルには暖色系の照明が当てられていた。
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 ブランデンブルク門 近くまで戻ると、アメリカ大使館の建物も祭典に協賛してか、こんなイラストレーションを壁に投影していた。「統一、平和と自由、25年」って、ベルリンの壁が崩壊してベルリンが再統一された1990年から25年ということを言っているのかも。
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 その近くのビルも。
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 さらに、周りを徘徊していた“電飾人間”にも出会った。
 
 

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夜、ポツダム広場では華麗な色彩の競演が始まる・・・ベルリン⑩

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 ポツダム広場は、夜になると全く違った姿を見せることになる。昼は白かったガラステントに照明が当てられ、巨大な大ワシが飛び立つかのような光景が展開する。
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 それも、数十秒ごとに色彩が変化して行く。
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 夜空の青とのコントラストで、ピンクが格段に美しかった。
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 広場全体を見ると、オペラ劇場を見渡しているかのような錯覚に陥る。
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 広場には、夜になって一層沢山の人たちが集まって来たようだ。
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 外に抜ける空間からは、ドイツ鉄道の白いビルの輝きが 目に入る。
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 もう一度、この立体的な色彩の広場をどうぞ!
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 広場の外の、白いビルと青い夜空の 競演も捨てがたい。
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 「光の祭典」のイベント企画は、街路樹にも施されていた。青く怪しく輝く通り。
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 それが紫色に変わり、
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 さらに赤く変化する。
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 別の道では、路肩の人工林が色づき、
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 プランターの人工花も青く染まっていた。

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マレーネ・ディートリッヒ広場と天使の翼ーポツダム広場・・・ベルリン⑨

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 ポツダム広場の、ダイムラーベンツが中心となって開発したエリアに入った。すぐに目についたのがこの標識。マレーネ・ディートリッヒ広場と書いてある。
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 しっかりイラストの入った看板もあった。
マレーネはドイツ映画史上もっとも有名な大女優だ。1902年ベルリン生まれ、初主演した「嘆きの天使」によって一躍スターダムにのしあがった。
 
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 その時の、スター誕生にまつわるエピソードがある。
 ドイツ初のトーキー映画「嘆きの天使」の制作を決めたジョセフ・フォン・スタンバーグ監督は 、主役に第一回アカデミー主演男優賞受賞者のエミール・ヤニングスを起用。 ただ、相手役選びが難航していた。
 そんな時、偶然スタンバーグが見たレビューに出演していた一人の女性を認め、彼女を抜擢することにした。それが、マレーネだった。
 果たして映画は大ヒットとなった。大胆に見せた脚の美しさ、セクシーな歌声、存在感たっぷりの演技・・・。完全に主役のエミールまでも圧倒して、マレーネは世界の脚光を浴びることになった。
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 ハリウッドに招かれて、スタンバーグ監督とともに制作した「モロッコ」「上海特急」などが、次々とヒット。粋な演出、圧倒的な映像美とともに観客を虜にしていった。
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 ただ、時代は風雲急を告げていた。ドイツではナチスが政権を握り、祖国の映画界を支えていたユダヤ人や知識人が迫害を受け、マレーネはそれを非難した。
 
 ナチスはマレーネを政権の看板に利用しようとしたが、彼女はこれを拒否、「国家の敵」と非難されても屈せず、ついには、追われるようにしてアメリカに渡ることになった。
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 戦後は歌手としても活躍したが、祖国への帰還はかなわず、1992年、パリで生涯を閉じた。後年、自らの人生について聞かれた時、彼女は「「私の人生ったら、ひどいもんだったわ」と述懐したという。
 国籍はアメリカに変えてはいたが、彼女は常にドイツ人としての誇りを胸に生きた人生だった。
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 死後、生まれ故郷であるベルリン・シェーネベルク 墓地に埋葬された。
 
「人生の思い出が刻まれた場所、ここに私はいる」。墓碑にはこう記されている。
 
 マレーネについてはほとんど知らない私だが、ある旅先でのどの渇きを癒すために入った喫茶店で、彼女の「リリーマルレーン」が流れていた。胸に染み通る彼女のハスキーボイスを、今も昨日のことのように鮮明に記憶している。
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 マネーネ広場の向かいには大きな映画館があった。
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 その前には白い翼のようなものがいくつも並んでいた。
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 子供たちがその翼を使って飛び立つ真似をしていた。
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 これも「光の祭典」の一環。 「天使の翼」 と名付けられ、みんな思い思いに光る翼と共に天に昇る夢を見ているようだった。
 これも、「嘆きの天使」でスターダムに上り詰めたマレーネの人生と重ね合わせた演出だったのかも。
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 ビルに入ると、すぐにアンペルマンショップがあった。
 東ドイツの交通信号で、青が進め、赤が止まれ、のイラスト。その姿がかわいいとすっかり人気が定着し、今ではベルリン中の信号がこれになっている。
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 こんな大きなイラストの点滅 もあった。
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 こちらが「進め」。
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 通りの一角に、壁の一部が残されていた。壁の解放から26年も経つと、もうちょっとお洒落なモニュメントになってしまった感じだ。
 
 
 
 
 

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廃墟から最先端の街へーポツダム広場・・・ベルリン⑧

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 ポツダム広場は、第二次世界大戦後のベルリンで最も大きく変わった地区だろう。広場は戦争の破壊によって80%の建物が壊され、廃墟となった。その後「壁」の建設によって東西ベルリンの境界部分となり、40年にもわたって無人地帯として放置されてきた。
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 それが、壁の撤去後は大規模な開発プランが持ち上がった。
 12万㎢という広いスペースに、ソニーとダイムラーベンツの2社を核とした開発が行われ、急激な変貌を遂げた。
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 ソニーセンターのプラッツ(広場)は、ゆったりとした楕円形のスペース。
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 その周囲を全面ガラスのビル群が取り囲む形になっている。
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 中でも特徴的なのは天井。ガラス製、開閉式のテントが張られており、
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 一見すると宇宙基地にでもいるかのような、超現代的な空間になっている。
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 広場には、三々五々市民や観光客など雑多な人たちが集まり、憩いのひと時を過ごしている。ベンチで読書なんて、いいいなあ。
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 ベンチに座って改めて天井を見上げると、空から光が降ってくるようなイメージにとらわれる。
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 そして、青空がのぞくと、広場が一気に明るく彩られた。
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 広場の一角に、ボッティチェリ展のポスターが掲示されていた。これには是非行かなくちゃあ。
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 ソニーセンター内には映画博物館がある。時間があったので入ってみることにした。あまりドイツ映画には詳しくないので、よく理解できなかったが、マレーネ・ディートリッヒ が映画の中で着用した衣装などが陳列してあった。
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 広場で見つけたディートリッヒのポートレート。彼女については、次回にもう少し詳しく紹介することにしよう。
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 夜に備えて、この広場にあるレストランで大盛サラダを注文。とかく旅行中は不足になりがちな野菜をしっかり補充した。
 

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歴代ドイツ国王たちが眠るベルリン大聖堂・・・ベルリン⑦

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 この日はちょうど日曜日。沢山の人たちが見学に訪れていた。
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 この大聖堂の一大特徴は プロイセン王国とドイツ帝国などの王を輩出したホーエンツォレルン家の墓所であること。約100人の棺が納められた地下に降りてみた。
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 入り口近くにはこんな彫像が。
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 立派な棺の主はフリードリッヒ1世。プロイセン王国の初代国王だ。
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 そして、その妃ゾフィ・シャルロッテ。ベルリン西部にあるシャルロッテンブルク宮殿は 、
まさに彼女のために造られた宮殿だ。
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 キリストの十字架降下の彫刻も飾られていた。
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 大聖堂前は広大な芝生や噴水のある広場になっており、日曜日とあって家族連れやカップルの姿が目立った。
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 すぐ横(北側)には旧博物館。アテネの神殿風に18本の柱が並ぶ整然としたたたずまいが美しい。ここには古代ギリシャ、ローマ時代の彫刻などが展示されているが、時間がなくて入れなかった。
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 大聖堂裏側に回ってみた。すぐそばを流れるシュプレー川を、遊覧船が通ってゆく。
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 川の対岸に渡った。おやおや、若い女性たちが裸で日光浴?
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 大聖堂を見渡せる場所に、ちょこんと裸婦像が置かれていた。不思議な感じ!!

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キリストの生と死が描かれたベルリン大聖堂主祭壇・・・ベルリン⑥

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 ベルリンのメインストリート ウンター・デン・リンデンの東端、シュプレー川沿いに雄大な姿を見せるベルリン大聖堂がある。
 1469年に礼拝堂として築かれたのが始まりで、現在の建物は1894年着工、1903年の完成だ。
 ドイツ帝国最後の皇帝であるヴィルヘルム2世の命で造られ、ホーエンツォレルン家の霊廟としての役割も担っている。
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 中央の大ドームの高さは114m。両側に2つの中ドームを備えた実に堂々とした構え。第二次世界大戦で大きな打撃を受けたが、1974年からの修復工事で元の姿が蘇った。
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 中央扉上にはキリストのモザイクが施されている。
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 中央扉の右側と
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 左側の両サイドに聖人像が立つ。
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 また、その下にも聖人のレリーフが配置されている。
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 高い天井の通路を通って中に入ってみよう。
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 聖堂内は、広く大きな講堂のようなスペースだ。
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 中央天井は高さ74m。金で装飾されたドームがぽっかりと浮かんでいるように見えた。
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 中央部をアップしてみた。真ん中に青いステンドグラスがはめられ、柔らかな光が差し込む。
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 主祭壇に進む。ここには3つの絵がステンドグラスになって掲げられている。ちょっと珍しい。
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 左から見てみよう。これは幼子を抱いた聖母マリアが描かれている。キリスト誕生だ。
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 中央の絵は、キリストが十字架にかけられている。磔刑図だ。
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 そして、右の絵はキリスト昇天図。キリストの生涯を超コンパクトにまとめた感じ。
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 その他にも天使を描いたステンドグラスもあった。新しくなっているだけに、全体的に明るくすっきりとした構成のように感じた。

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ベルリン大聖堂にハートマークが!・・・ベルリン5

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ベルリン2日目の夜は、大聖堂のプロジェクションマッピング見物に出かけた。こちら大聖堂前広場は人で一杯。10月も中旬となると夜はかなり冷え込むが、広場は熱気さえ伝わってくるような感じだった。
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 ただ、こちらのマッピングは全体的に照明が弱く、 大聖堂がくっきりと浮かび上がらない。黄金に染まったこの場面くらいがまずまずというところ。
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 このイラストは、「壁」に描かれていたデザイン。
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 全体がぼんやりしていて、何を表現しているのかがわかりにくかった。
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 こちらは歴史上の偉人たちのようだ。
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 アップにしてみるとこんな具合。この大聖堂に安置されているホーエンツォレルン王家に関わる人たちだろうか。手前の白い部分は噴水だ。
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 こちらも歴史上の出来事を表しているようだが、どうもはっきりしない。
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 これもよくわからない。残念!
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 今度は全体が縞模様に包まれた。
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 そして、赤と白のハートマークが浮き上がった。これはわかりやすいイラストで、観客の拍手が沸き上がった。
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 少し場所を移動して、テレビ塔が一緒に移るような角度で撮影してみた。
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 やっぱり、ハートマークが一番わかりやすかった。
といった訳で、大聖堂プロジェクションマッピングの撮影は、あまりうまくは出来なかった。

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