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2016年3月

夜空に浮き上がるピンクの幻想~六義園の桜

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 六義園の夜桜を見に行きました。
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 六義園(東京都文京区本駒込)は、1702年に川越藩主柳沢吉保が築園した日本庭園。明治期には三菱の創業者・岩崎彌太郎の別邸となっていました。
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 個々の枝垂れ桜は、東京でも3本の指に数えられるほど有名で、ライトアップが始まったとのニュースを聞いて、出かけてみました。
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 行ってみると予想以上の大混雑。写真ではそうは見えませんが、係員が「桜には触らないで」「桜の前に立ち止まらないで」 など、まるで名画の特別展示場のような雰囲気。
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 さくらはほぼ満開で、優しい花びらが柔らかい日差しに映えています。
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 日が陰ると、周りはピンク一色に染められます。
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 園内には、茶屋や池など、大名庭園らしく格調高い景色が広がります。
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 日が暮れて、ライトアップが始まりました。
 まだ青い空を背景に枝垂れ桜が光を浴びて浮かび上がります。
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 ただ、内庭大門の枝垂れ桜は、押すな押すなの大混雑でまともに写真を撮るスペースはありません。
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 それで、庭園奥にあるもう1つの枝垂れ桜のところに行きました。
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 こちらは人も比較的少なめ。高く伸びた枝が空に向かって広がり、少し彩色されたさくらが照らされて幽玄の風情を見せていました。
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 同じ木でも、角度が違えば枝ぶりの変化します。
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 乱れ落ちる滝のようなさくら。見事としか言いようがありません。
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 特に、日没後十数分間の、青から藍へと変化する空をバックにしたさくらの華やかなピンク、ホワイトの花びらは、今でも目に焼き付いています。
 

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人はいつか死にゆく定め~「死の舞踏」のフレスコ画が残るマリエン教会…ベルリン㉑

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 マリエン教会は、テレビ塔のあるアレクサンダープラッツ駅から西に5,6分のところにある。高い塔とレンガ色の屋根が目印で、周囲には大きな建物がないのですぐにわかる。
 教会は1270年の設立。ニコライ教会に次いでベルリンで2番目に古い教会だ。以前は古い家並みに囲まれていたが、戦争の空襲で廃墟同然となり、公園化されたために、広々としたスペースになっている。
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 中に入った。内部は思った以上に広々としている。
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 後陣には「死の舞踏」と称されるフレスコ画がある。中央にキリスト磔刑図があり、そこから死神、僧侶、市民などの行列が続く絵だ。
 これは「いくら生を謳歌しても、人はいつか死にゆく定めにある」という諦観に基づいたフレスコ画で、1484年のペストが大流行していた時に描かれており、その世相が色濃く反映されている。
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 これが復元図。原画は痛みが相当ひどく、一見しただけではよくわからなかった。
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 この教会にもいろいろの木製の像があった。ドイツの教会では、特に木製像の比率が高いように思える。飛鳥仏とどこか似た雰囲気を持つ像だ。
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 こちらは東方3博士が、誕生したキリストに礼拝する場面。
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この姿はマグダラのマリアかも。
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 テラコッタ製の礼拝堂のような造形。
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 立派なパイプオルガンもあった。
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 この聖母子像、マリアさんを初め女性陣が皆、ほっぺがほんのり赤く染められて愛らしい感じだ。
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 まことに立派な説教壇だ。しかも最上段には音楽隊が載っていた。
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 教会を出ると、広場には市民たちが噴水の周りなどでゆったりとした時間をすごしていた。
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 噴水の女性像もちょっとした芸術作品だ。

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テレビ塔、市庁舎、世界時計ー旧東ドイツ地区を歩く・・・ベルリン⑳

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 「壁」のあった時代は東ドイツだったベルリン東地区のアレクサンダー広場周辺を歩いた。
 
 まず、なんといっても目立つのが、テレビ塔。東独時代の1969年に社会主義国家の政治的シンボルとして建設された368mの塔は、今でもベルリン市内で最も高い建築物としてそびえ立っている。
203m地点の展望台へはエレベーターで昇れるし、そこにはレストランも完備している。
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 夜はライトアップされていた。昼夜を通していつも、方向を確認するための目印として活用させてもらった。
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 すぐ近くに世界時計がある。 世界の時刻を同時に示すこの時計も、テレビ塔と同じ1969年に造られた。
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 16の数字の下に,TOKYOの文字も見える。
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 ベルリンン市庁舎は「赤の市庁舎」とも呼ばれるが、社会主義時代もここが市庁舎だったためではなく、レンガの赤を意味しているだけだという。統一後も市庁舎として、機能している。 塔の高さは74m。
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 近づくと、壁に労働する人たちの姿がレリーフとなって残されていた。
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 緑色の長い尖塔が2本、空に向かって伸びていた。1230年設立のニコライ教会。ベルリン最古の教会だが、戦後の修復を経て、現在は市の歴史が展示される博物館になっている。
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 店の入り口に I love berlin の文字が。
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 かつては住宅の密集した、古い歴史を刻む地区だったが、戦争や再開発ですっかり昔の面影は影をひそめてしまったという。
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 オスト駅の隣り、ワルシャワ通り駅に行くと、シュプレー川に架かるオーバーバウム橋が目の前だ。とんがり屋根の塔を持つ橋で、お城のような造形をしている。
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 橋そのものにも屋根がかかって、散歩道としても親しまれている。
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 テレビ塔の近くにマリエン教会がある。美しい姿が印象的だが、ここについては次回紹介しよう。

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「水晶の夜事件」(シナゴーグ炎上)=ホロコーストはここから始まった・・・ベルリン⑲

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 コッペン広場の西側、オラニエンブルガー通りに入ると、そびえ立つ金色のドームが飛び込んでくる。新シナゴーグだ。
 ドームの高さは50m。秋の陽光をたっぷり浴びてまばゆいほどに輝いて、圧倒的な存在感を誇っている。
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 ただ、新シナゴーグは1995年に復旧されたものだ。この建物は、ホロコーストの口火となる事件なしに語ることはできない。それが「クリスタルナイト=水晶の夜事件」だ。
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 1938年11月9日夜。ナチスの宣伝相ゲッペルスの扇動演説に呼応したナチ党員が、ユダヤ人の商店やシナゴーグを破壊し、多数のユダヤ人を虐殺した事件。
 
 この日の反ユダヤ主義暴動はドイツ各地で発生した。破壊されたシナゴーグのガラスや商店のショーウインドウのガラスなどが破片となって路上にまき散らされた。
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 その破片のきらめきが水晶の輝きのようだったとして、現実とはかけ離れた美しい名前が付けられてしまった。
 この事件を契機として、ユダヤ人迫害は次々とエスカレートしていった。当初はユダヤ人を隔離する形だったが、戦争による領土拡大に伴って対象となるユダヤ人の数は飛躍的に増大。隔離施設不足となったナチスは、ユダヤ人の「追放」 から「絶滅」へと方針をエスカレートしていった。
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 現在の新シナゴーグは礼拝堂ではなく、ユダヤに関する資料館になっている。入場料を払い、セキュリティチェックを受けて中に入った。
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 かつての礼拝堂の模様を記録した写真などがあったが、全体的にはがらんとした雰囲気。
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 陳列物よりも個人的にはステンドグラスのほうに目が行った。抽象的なデザインだが、なかなかインパクトのあるもの。宗教的というより現代的なタッチのものだった。
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 ふと、気が付いたことがある。水晶の夜事件が起きたのは1938年11月9日。毎年11月9日がユダヤ人迫害記念日になっていることを知って、この日付けが記憶の底に響いた。
 あれ、11月9日って、、、。
 思い出した。ほぼ半世紀後の1989年11月9日。
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長い間ベルリンを東西に分断していた壁が崩壊した日も11月9日だった。ベルリンにとっての11月9日は、二重の特別な意味を持った日なのだ。

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ホロコーストへの道ーつまずきの石・断ち切られた日常・・・ベルリン⑱

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 晴れた日の午後、博物館島の北、グローセ・ハンブルガー通りを歩いた。この地区は第二次世界大戦まではユダヤ人たちの多く住むユダヤ人街だった。通りのすぐ右側に、すぐ見つかったのがユダヤ人追悼記念像。
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 この場所にはかつて老人ホームがあったのだが、世界大戦時はアウシュヴィッツやテレージンの強制収容所に送られるユダヤ人たちの一時収容所として使われたという。
 
 現在そこに無言で立つ群像の表情には、何の感情も現れていない。だが、それだけに、正当な理由なしに突然死への旅立ちを告げられてしまった人々の、言いようのない諦観の深さを思い起こさせるものだった。
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 すぐ近くにはユダヤ人墓地があった。しかし、ナチスは1943年、その墓地を完全に破壊したため、今は跡形も残っていない。
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 通りを歩いていくと、足先に何かがぶつかった。下を見ると、5cm角ほどの金属が路上に埋め込まれている。よく見ると文字が書いてあった。
 左はfanny sesslerさん jg(誕生年)1895年。強制送還 1943年3月4日 場所アウシュヴィッツ
 右はisidor sesslerさん jg(誕生年)1927年。同じく1943年3月4日にアウシュヴィッツに強制送還
 この場所に住んでいたファニーさんと多分息子のイシドロさんは、同じ日にここからアウシュヴィッツに送還されたという事実がこの小さい金属に刻まれている。
 
 これは「つまずきの石」と呼ばれる真鍮のプレート。ベルリン生まれの芸術家グンター・デムニッヒさんが、ホロコーストによる犠牲者の存在をいつまでも記憶にとどめておくために始めた活動だ。
 
 犠牲者の元の住所を探し当て、その場所に一人一人の名前と誕生年、強制送還された日を刻んで行くという途方もない作業を、今も続けているという。
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 プレートは、またすぐに見つかる。こちらは、62歳と56歳のヴォーゲルさん夫妻と22歳の息子ポールさんが1943年にアウシュヴィッツに送還されたことを示している。
 
 このようにユダヤ人街だったこの地区では、あちこちにこのプレートが埋め込まれていた。プレートは、多くはドイツにあるが、オーストリア、ハンガリーなどヨーロッパ各地に5万個を超える数が埋め込まれたという。
 
 グンター氏は「足許のこのプレートを見る者は、自然と頭を下げることになる。それは、とりもなおさず犠牲者に対して頭を下げることに他ならない」と語っている。
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 ホロコーストで犠牲になったユダヤ人はヨーロッパ全体で600万人を超えるといわれる。
 果てしない作業のように思われるが、その作業を続けることが、ホロコーストという人類が犯した大きな過ちを脳裏に刻み付け続けることに繋がるのかもしれない。
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 さらに北へ歩いてゆくと、小さな公園に出た。晴天ののどかな昼下がり。
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 近所の人たちがベンチに腰掛けて、くつろいだ語らいを楽しんでいる。平和な時間が過ぎてゆく公園の一角に、突然不思議な光景が広がっていた。
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 1つのテーブルと2つの椅子。うち1つは無造作に倒れて転がっている。
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 まもなくこのテーブルに温かな料理が運ばれ、ささやかながらも満たされた夕食が始まろうとするころ、突如土足の侵略者によって踏みにじられ、中断した日常。“凍り付いた悲惨”がそこに存在していた。
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 コッペン広場の鉄製の「食卓セット」もホロコーストの一コマを象徴するものだった。
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 紅葉の下に広がる静穏な風景と、断ち切られた歴史の瞬間との、あまりにも対照的な姿に打ちのめされる思いが募った。
 
 

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散策に最適・ベルリン中央駅・・・ベルリン⑰

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 私が滞在していたホテルは、、ベルリン中央駅から1分の場所にあった(写真左端の白いビル)。
 ホテル探しの際の最も重視したのは、交通アクセスが良いことだったが、その条件にまさにぴったり。
 
 中央駅はベルリン市の中央部にあり、ブランデンブルク門へは地下鉄U55線で2駅、アレクサンダー広場や「壁」のあるオスト駅へも乗り換えなしで行け、ツオー駅にもSバーンで3駅と、主要な観光地へは全く苦労なしに移動できる場所。さらに、テーゲル空港までの連絡バス(TXLバス)もここから発着し、約20分で行くことが出来る。
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 この駅は東西分断時代は境界線上だったが、統一後の再開発事業によって新しい駅舎が建設され、2006年のドイツワールドカップ(サッカー)開催に合わせてオープンした。
 全長321mのかまぼこ型総ガラス張りのアーチが、東西に延びたホームを覆い、両側に長さ160m、幅40mの2棟のボックス型ビルが建っている。超現代的なドイツ最大級の複合駅だ。
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 ベルリンへはケルンから特急で到着したが、その電車もこの駅が終点だった。
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 インフォーメーションで、市内交通機関5日間乗り放題のベルリンウエルカムカードを購入し,Sバーン,Uバーン、市内バスなどを連日乗り倒した。
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 駅構内にはスーパー、レストラン、カフェ、アジアン料理店などが揃っており、市内では閉店する店が多い日曜でも、ここの施設は開店しており、その利便性を満喫させてもらった。(中でも、アジアンレストランのタイカレー、うまかったなあ!)
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 若者の人気スポット「ハッケシェ・ヘーフェ」へも中央駅からわずか3駅目で到着してしまう。ショップ、カフェ、ギャラリー などが集まる複合カルチャー施設。ここには8つの中庭が
複合的に存在し、それぞれが異なったコンセプトの空間になっている。
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 こんな、建物と緑とが調和した中庭ゾーンも。
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 ここにも人気のアンペルマンショップがあった。
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 若者たちが結構あちこちでおしゃべりを繰り広げていた。
 ちょっとした空き時間にも、こんな風にして出かけられる利便性が、中央駅のおすすめポイントだ。
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 戻ってきたら、駅前広場で何やら大きな集会が開かれようとしていた。
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 聞いてみると、ヨーロッパ版TPPに反対する集会とのことだった。
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 また、別の日の夜は駅舎全体のイルミネーションが行われていた。
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 赤、青、緑など色鮮やか。
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 駅周辺はまだまだ再開発途中で、がらんとした空間なのだが、こうしてイルミネーションがあると、一気にベルリンの表玄関らしい華やかさが感じられるものになっていた。
 
 

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音楽が流れるジャンダルメン広場・・・ベルリン⑯

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 プロジェクションマッピンングの翌日、もう一度ジャンダルメン広場を通った。広場中央のコンツェルトハウスは、昼も美しい。  6本のイオニア式列柱が立ち、その上に三角形の破風壁が収まる。
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 屋上にある黄金の像は「道徳と優美」を表現しているという。ギリシャ神殿の形式を模した建物だ。
 ここで、ウエーバーの「魔弾の射手」が初演された。
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 前日は暗くて気づかなかったが、ハウス前面にシラーの像があった。4つの角には、叙事詩の乙女(ハープ)、劇作の乙女(短剣)、歴史の乙女(筆板)、哲学の乙女(羊皮紙の巻紙)という4人の乙女がシラーを取り囲んでいる。
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 コンチェルトハウスの両脇には2つの聖堂が並び立つ。右側にはフランス聖堂。
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 左側には、昨夜ライトアップされていたドイツ聖堂。非常に似た形をしている。
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 その脇で、街頭芸人がバイオリンを奏で始めた。ベートーベンを初め、多くの偉大な音楽家を輩出した国ならでは。演奏もかなりのレベルと聞こえた。
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 その周りには、あっという間に子供たちが集まって来た。
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 それも、結構熱心に演奏に聞き入っていた。
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 家族連れの姿も。音楽の流れる空間としても、実にぴったりの広場に思えた。
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 広場からウンター・デン・リンデンに出た。通りの交差点の高い位置にアンペルマンを見つけた。アンぺルマンとは、旧東ドイツの信号機(アンペル)のランプの中に描かれている男の子のこと。併合された後にもこの信号が使われ、安定した人気を保っている。
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 こちらは青信号のアンペルマン。散策途中にこれを見つけると、なんか自然に笑顔になっていた。

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フンボルト大学でのプロジェクションマッピング・・・ベルリン⑮

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 ジャンダルメン広場から少し北に進むと、フンボルト大学の旧王立図書館があり、その壁面に鮮やかな宮殿が映写されていた。
 この建物は、もともとはウイーンの宮廷のためにヨーゼフ・エアラッハ(ウイーンのバロック建築の巨匠)が設計したものだった。しかし実現せず、その設計書がベルリンの建物に転用されたという。従って、宮殿の映像に全く違和感がない。
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 非常に大きな建物の幅全体を使って映写されているため、広場の最後方まで下がっても全体がカメラに入りきらなかった。
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 その北側には実ににぎやかなプロジェクションマッピングがあった。
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 ショッピングモールのような店が揃い、2階にはイスラエルの文字が見える。
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 それが、一転して図書館の続きのような宮殿風の建物に。右上には「フェスティバル・オブ・ライト」と、このイベントのタイトルが表示された。
 
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 次にはまた、お祭りのような映像が。
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 左上にはドイツ国旗がはためいている。
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 右の中ほどには、なんか見たことのある顔が映っていた。そう、メルケル首相だ。子供たちに取り囲まれながらの交歓風景だ。
 こうした政治色のないイベントなのに、一国の首相がさりげなくフィーチャーされているというのは、首相が国民の厚い信頼を受けていることの反映なのかもしれない。
 事実、メルケル首相は2005年の就任以来、もう11年もの長い間政権を維持し続けている。ちなみに、この間日本では小泉純一郎首相から現在の安倍首相まで実に8人もの首相交代がなされている。
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 ウンター・デン・リンデンを横断して向かい側の通りに出た。こちらの建物はフンボルト大学本部のあるところ。
 ここのマッピングは、白い火の玉が爆発したような不思議な映像。
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 中庭の中心に立つのは、この大学の創始者であるウイルヘルム・フンボルト像。
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 この大学は、ヘーゲル、ショーペンハウエルといった哲学者、童話のグリム兄弟、細菌学の権威ロベルト・コッホ (留学時代の森鴎外が師事していた)らが教鞭をとり、ビスマルク、ツルゲーネフ、リルケ、マルクスなどが学んだ、ドイツ随一の伝統と権威を誇る学校だ。
 

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ベルリンで最も美しい広場・ジャンダルメン広場・・・ベルリン⑭

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 それは、中層のビル群が建ち並ぶ繁華街、フリードリッヒ通りを東に曲がった時、突然視界に入ってきた。
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 暮れなずむ藍色の空をバックに、円柱のような塔が白く輝いている。
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 まるで航海を終えようとする船が、陸に見つけた灯台のごとく、温かく優しい光を放っている。ドイツ聖堂。1701年に建てられた教会だ。
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 ここはジャンダルメン広場。ドイツ聖堂と対をなす形で、北にフランス聖堂が建ち、
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 中央にコンツェルトハウス・ベルリンがある。
 広場の面積は4800㎡の長方形をしており、均整のとれた建物の配置とおおらかな広がりは、「べルリンで最も美しい広場」と呼ばれている。
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 中央のコンツェルトハウスにプロジェクションマッピングが行われていた。
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 ただ、それほどダイナミックなものではなく、ファザードに映された黄色の形が徐々に崩れていくというもの。
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 少し崩れだし、
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 ギザギザに解体した。
 コンサートホールは19世紀のもので、第二次世界大戦後、1984年にオリジナル通りに再建された。
 戦前はワーグナーが自らの作曲した「さまよえるオランダ人」をここで指揮したこともある。
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 やっぱり、ここではドイツ聖堂の素朴なイルミネーションが一番美しく見えた。
 
 
 

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ベルリン絵画館で見たフェルメールの“微笑み”・・・ベルリン⑬

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 ベルリン絵画館はボッティチェリ以外にも珠玉の作品が揃っている。
特別展会場から常設展フロアに移動すると、観客数はかなり少なくなったが、展示作品の充実度は素晴らしかった。
 
 中でも貴重なのはフェルメールの2点。「真珠の首飾りの女」は、後期の代表的作品。左手の窓から、柔らかい日差しが差し込んでいる。フェルメールお得意の構図。しかし、他の作品と大きく異なるのは、少女の表情だ。
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 手に持った真珠の首飾りを自らの首にかけようとしている。その顔には、はっきりと喜びの微笑みが浮かぶ。
 
 たぶんずっと前から欲しかった真珠のネックレス。初めて自分のものとなる高価なアクセサリーを、いよいよ身に着ける恍惚の瞬間が、今訪れる。
 
 ほとんど表面には感情を表さないフェルメール作品の主人公たちの中で、彼女だけは例外のように心弾む気持ちを発散させている。
 
 そんな状況を裏付けるように 、室内に広がる空気がうっすらと金色に染まっているのだ。充実の金に包まれて、喜びが今にも爆発する一歩手前にいる少女の姿ーーーそんな風に私には見えた。
 
 アメリカの作家シリ・ハストヴェットは、この絵を「受胎告知」に例えた。救世主キリストを身ごもった喜びの表情。そんな見方も面白い。
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 もう1つのフェルメールは「紳士とワインを飲む女」。手前にある椅子の上の楽器は、愛の暗示という。何やら奥深い背景を想像させる。
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 個人的好みから挙げてゆくと、ティツィアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者」に出会えたことがうれしかった。ヴェネツィア派の巨匠の絵はイタリアで何度も見てきたが、この絵にも満足。
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 ラトゥールの「豆を食べる人々」。ろうそくの光だけによる強いコントラストの絵が多い17世紀のフランスの画家だが、この絵はそれとはまったく違ったリアリスティックな作品。
 
 教会で施しを受けたであろう豆を食べる貧しきこの2人の老人の姿に、敬虔な祈りの姿を思わせる。
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 カラヴァッジョは「勝ち誇るアモル」。数年前ローマで”カラヴァッジョ巡礼”をしたときを思い出す。ローマで見た「ロレートの聖母」を初めとする作品群には 及ばない感じだが、あの時の強烈な印象を思い出させてくれた。
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 ルーベンス「アンドロメダ」。相変わらずルーベンスそのものの豊満な肢体。
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 ラファエロもしっかり。「コロンナの聖母」は、あのラファエロにしては ちょっと手を抜いたかな、といった印象。
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 それよりは、この「聖母子と聖人たち」のほうが気持ちが乗っているような感じがした。
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 ドイツルネサンスの巨匠ルーカス・クラナハ(父)の作品も充実していた。ヴィーナスとキューピットの組み合わせの2点。
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 エロティックにさえ見える表現で描き切るヴィーナスの姿は、彼独特の魅力を湛えている。
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 ルーベンスやクラナハの後で、ふっと目に入ったこの優しい木彫作品が、なんか特別に心を和ませてくれた。
 

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