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テレビ塔、市庁舎、世界時計ー旧東ドイツ地区を歩く・・・ベルリン⑳

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 「壁」のあった時代は東ドイツだったベルリン東地区のアレクサンダー広場周辺を歩いた。
 
 まず、なんといっても目立つのが、テレビ塔。東独時代の1969年に社会主義国家の政治的シンボルとして建設された368mの塔は、今でもベルリン市内で最も高い建築物としてそびえ立っている。
203m地点の展望台へはエレベーターで昇れるし、そこにはレストランも完備している。
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 夜はライトアップされていた。昼夜を通していつも、方向を確認するための目印として活用させてもらった。
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 すぐ近くに世界時計がある。 世界の時刻を同時に示すこの時計も、テレビ塔と同じ1969年に造られた。
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 16の数字の下に,TOKYOの文字も見える。
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 ベルリンン市庁舎は「赤の市庁舎」とも呼ばれるが、社会主義時代もここが市庁舎だったためではなく、レンガの赤を意味しているだけだという。統一後も市庁舎として、機能している。 塔の高さは74m。
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 近づくと、壁に労働する人たちの姿がレリーフとなって残されていた。
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 緑色の長い尖塔が2本、空に向かって伸びていた。1230年設立のニコライ教会。ベルリン最古の教会だが、戦後の修復を経て、現在は市の歴史が展示される博物館になっている。
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 店の入り口に I love berlin の文字が。
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 かつては住宅の密集した、古い歴史を刻む地区だったが、戦争や再開発ですっかり昔の面影は影をひそめてしまったという。
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 オスト駅の隣り、ワルシャワ通り駅に行くと、シュプレー川に架かるオーバーバウム橋が目の前だ。とんがり屋根の塔を持つ橋で、お城のような造形をしている。
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 橋そのものにも屋根がかかって、散歩道としても親しまれている。
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 テレビ塔の近くにマリエン教会がある。美しい姿が印象的だが、ここについては次回紹介しよう。

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ドイツ・ベルリン」カテゴリの記事

コメント

gloriosaさん、こんにちは。
今日久しぶりにこちらにお邪魔して、
過去の3記事をまとめて読ませていただきました。
グンター・デムニッヒ氏の「つまずきの石」には、深く心を打たれました。
その小さなプレートの伝える意味の大きさに、思わず頭を垂れる思いです。
コッペン広場の食卓セットも、かつての悲劇を静かに、
けれど、とても雄弁に語りかけてきますね。
「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」とは、そういう意味で
名付けられたことも初めて知りました。
言葉のイメージと事実のギャップに、韓国光州で起こった
民主化運動制圧のための軍事作戦名「華麗なる休暇」を
思い出してしまいました。

投稿: hanano | 2016年3月27日 (日) 16時41分

hanano様

 こんばんは。光州の「華麗なる休暇」、以前hananoさんが連載されていた問題ですね。
 そう、タイトルと内容がとても意外なことってしばしばあるものです。ヴェネツィアの「ため息の橋」だって、行ってみるまでは「ため息が出るほど美しい橋」のことだと思っていました。
 まだまだベルリン編は続きますが、飽きずに読んでいただければ幸いです。

投稿: gloriosa | 2016年3月27日 (日) 20時39分

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