終戦から60年後に造られたホロコースト記念碑・・・ベルリン㉙
ブランデンブルク門から約100m、ベルリンの一等地エバート通りの広大な敷地に、様々な高さの立体が並んでいる。
2005年5月、アメリカの建築家ピーター・アイゼンマンによって造られた壮大なモニュメントは9000㎡という広がりを持つ。
そこにあるのは2700の石柱。まるで座椅子のような地面すれすれの高さから、
5m近い見上げるような柱もある。これは「殺害されたヨーロッパユダヤ人のための記念碑」。通称ホロコースト記念碑だ。
整然と並ぶ石柱の間を歩いた。あるところでは降り注ぐ秋の陽光にまぶしく照らされ、
またあるところでは石柱が造る暗い影の深さに飲み込まれそうになる。
墓石の渦にも見える石柱のさざ波の狭間を歩きながら、600万人ともいわれる第二次世界大戦時の犠牲者たちの無念の叫びが、石の森中に響き渡る錯覚に襲われた。
この記念碑建設の運動を起こしたのは、女性ジャーナリスト、リア・ロッシュ。戦後43年経った1988年のことだった。ともすると記憶に薄れがちになる過去の過ちを忘れぬため、新たな記念碑を創ろうと市民や行政に向けて呼びかけた。
ただ、その翌年の「壁」の崩壊、東西ドイツの統一という大事件が起きて、構想は中断していたが、10年後に改めて機運が盛り上がり、最終的には2760万ユーロという巨額を投じての完成となった。
首都の中心部に自らの国が犯した歴史の暗部を白日の下にさらし続けることを選んだ国民の決意は、決して生易しいものではなかったのではないだろうか。
それに驚くことは、こうしたホロコースト関連の諸施設のほとんどは全く料金を取らない、無料での開放がなされているということだ。
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