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ドイツの20世紀を写真で振り返る場所「テロのトポグラフィー」・・・ベルリン㉟

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 ベルリンの旅も、もう終わりに近づいた。そこで、第二次世界大戦前のナチスの台頭から壁の崩壊に至るまでの現代史を包括的に見ることの出来る場所を訪れた。
 「テトのトポグラフィー」と呼ばれる場所だ。
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 ここはナチスの恐怖装置・ゲシュタポと親衛隊(SS)本部が置かれていたところ。
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 建物などはすべて解体されて、だだっ広い空き地になっているが、その一角に戦前からのベルリンに起きた出来事をパネル展示したスペースが設けられている。
 その「ベルリンの現代史」をたどってみよう。
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 1933年1月30日  ヒトラー政権誕生。ブランデンブルク門で祝賀パレード。
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 1933年5月10日  ベーベル広場での焚書
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 1936年  ベルリンオリンピック。ヒトラー政権の権威発揚の場となった。
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 1939年  第二次世界大戦開始  ヒトラーとムッソリーニ
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 1945年  ドイツの敗戦 ソ連軍ベルリン占拠
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 1948年  アメリカの空輸作戦
 
 ほとんどの出来事は、この連載の中で触れてきたが、この空輸作戦だけはまだ掲載していなかった。
 これは、第二次世界大戦後分断されたベルリンで起きたことだ。1948年6月、ベルリンの東半分を支配していたソ連が、支配強化を狙って西ベルリン周囲の鉄道、道路などの交通網をすべて封鎖した。
 西ベルリン市民の生活を守るために、連合軍側は残された唯一の輸送手段である飛行機による食料や日用品の運搬作戦を開始した。
 市民の数は220万人。これらの人びとの生活を支えるには、膨大な物資量が必要になる。そこで市内に新しい空港を突貫工事で建設し、ピストン輸送による空輸作戦が1年間にわたって行われた。
 多い日には1日に1398回のフライト、輸送量12940トンに達したという。総合計飛行回数は27万8228回。その70%が暖房用の石炭、20%が食料だった。飛行距離の総合計は地球から太陽にまで届く長さになった。
 こうして、ソ連側の目論見は全面的な敗北を強いられることになった。
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 1961年8月  そして壁の建設
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 1989年11月  その壁の崩壊
 
こんな形でドイツの20世紀は、激動の世紀だった。
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 この場所にはまだ生の壁がそのままで 残されていた。
 
 このように、ベルリンでは日常的に自国が歩んだ歴史を直接肌で感じられるようになっている。
 その姿勢は戦後ドイツで最も偉大な政治家といわれたワイツゼッカー元大統領が、ドイツ敗戦40周年の1985年5月に連邦議会で行った演説に象徴される。
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 彼は次のように演説した。
「過去に目を閉ざす者は、結局現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。
 ベーベル広場に刻まれたハイネの言葉とも連動する演説だった。
 今月27日には オバマ・アメリカ大統領が広島を訪れることが決まった。原爆投下という行為を行った当事国の代表が、そこで新たな世界への展望を開く一石を投じることが出来るのかどうか、非常に注目される。
 

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