イタリアで見た「ケネディ暗殺から50年」
サルーテの祭りの翌朝、ホテルでテレビを付けるとケネディ元アメリカ大統領の姿が映し出されていた。そう、今日(2013年11月22日)は、ケネディがダラスのパレード中に暗殺された日。それもちょうどあれから50周年目に当たるということで、特集が組まれていたのだ。
50年前、このニュースは、日本のテレビでもほぼ同時に放映された。日米の衛星中継が初めてつながった日でもあったためだ。母親が「大変なことになったよ」とテレビに走って行き、子供心にも大きな衝撃を受けたことを覚えている。
映像は、初めにケネディとジャクリーヌの幸せな結婚式の模様を映し出す。
そして新婚旅行。
ケネディの人気は抜群で、旅先のどこでもたくさんの国民に囲まれて、大歓迎されていた。
大統領夫人をトップレディと呼ぶことが一般的になったのは、ジャクリーヌ夫人からだったような気がする。それだけジャクリーヌが目立っていたことも確かだ。
幸せそうな二人。
その後、民主党候補として大統領選に立候補する。 共和党候補のニクソンとの大激戦は今でも語り継がれるほどだった。
結局テレビ討論というメディア戦略でリードしたケネディが見事当選する。
「国家に何をしてほしいか、だけではなく、一人一人が国家に何が出来るかを考えよう」といった趣旨の当選演説は、非常に斬新な印象を与えた。
当時のアメリカはまだ人種差別を厳然として存在したが、その差別撤廃のために公民権法案を提出。またソ連・フルシチョフ書記長と対決したキューバ危機 では「核をも辞さず」との強力なリーダーシップで、ついにフルシチョフから譲歩を引き出した。一方で月の有人飛行計画の推進など多方面で際立った活躍を見せた大統領だった。
そのケネディがオズワルドの凶弾に倒れたのが50年前。葬儀では棺にアメリカ国旗が掛けられた。
喪服姿のジャクリーヌ夫人に手を引かれた女の子は、キャロライン・ケネディ。現在の駐日アメリカ大使だ。そのキャロラインさんが、今日は東京ドームでプロ野球開幕戦の始球式を務めた。思わず50年という歳月を振り返ってしまった。
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