ベルリン絵画館で見たフェルメールの“微笑み”・・・ベルリン⑬
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11月3日・文化の日。絶好の晴天だったので、特に目的も決めずに散歩に出かけました。とりあえず向かったのが上野公園。これが大正解でした。
まず、西洋美術館が、常設展無料。松方コレクションなどをじっくりと鑑賞できました。これが、ヴェロネーゼの「聖女カタリナの神秘の結婚」。16世紀の作品です。彼の絵はいつもドラマチックな構成で、わくわくさせてくれます。
次は17世紀・ロココ時代、マリー・ガブリエル・カペの「自画像」。女流画家がようやく認められ始めた時期です。
前から気になっていた作品「スペインの想い出・シエスタ」。深い陰影がとても印象的です。
その近くの科学博物館も無料でした。生れて初めての入館。恐竜の実物大模型。やっぱりデカイなあ。
公園広場では「あかりパーク2015」という光のイベントが開催中でした。岐阜県美濃市あかりアート展の出品作が展示されていました。木のぬくもりが感じられる作品。
こちらはビー玉を包んでライティング。おもしろい!
噴水は、水が何色にも変化します。
青が、私は好き。
暗くなると水面の光の反射が目立ってきます。
大道芸のイベントも行われていました。
ピラミッド型の光オブジェ。
不忍池方向の弁天堂がライトアップされて輝いていました。
別の美術館では浮世絵展かあるらしく、浮世絵の灯篭が道を照らしていました。
ついでに、と言っては何ですが、先日夕陽がとてもきれいだったので撮っておいた夕景を少々。
空をなめるような湿り気を帯びた幻想的な夕空。
こちらはドラマチックな雲の筋。
空が燃えてしまう洛陽でした。
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静水の間には、月が映し出されています。
水晶(?)によって人工的に形成された、変化する月。
星光の間。ここは植物の明り。ほおずきの赤がほんのりと色づいて・・・。
どこか懐かしさを感じさせます。
枯れ葉もこうして集められると、新しい意味を持ち始めます。
イチョウ。朽ちた部分の味わいが何とも言えない。
清方の間は,和紙で造られた灯篭が展示されています。闇から浮き出るチョウチョの妖艶さ。
これも和紙の灯篭。こちらは鮮烈なイメージです。
同じ和紙でもこんな現代的な造形もあります。
この部屋は、美人画の大家・鏑木清方の絵で覆われています。これは娘道成寺。
武者絵もありました。
天井も清方の絵が一杯。
頂上の間。山口県柳井市の祭「金魚提灯」が部屋中に広がっています。
障子のデザインもなかなか。
会場への行き帰りに乗ったエレベーターにまた、超豪華な装飾が施してありました。
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東京・目黒雅叙園で開かれていた「和のあかり展」に行ってきました。それで、2回にわたってその模様をお伝えしますので、「シチリアの旅」掲載は1週間後から再開します。
目黒雅叙園には百段階段と呼ばれる階段があり、その途中に7つの部屋が設営されています。それぞれに豪華な装飾がなされていますが、その部屋を活用し、各々に多様な照明を設置して「和の世界」を演出しようというもの。
最初の「十畝の間」には、伝統的な職人の技から生まれた作品が展示されていた。これは江戸切子。
かんざしは、シルエットにしてそのフォルムの面白さを浮き立たせます。
和室にピッタリの和灯篭。
次の部屋は「漁礁の間」。ここには気鋭のねぶた職人4人によって制作された青森ねぶたが展示されています。
角度を変えるとまた、違った迫力が増してきます。
中でも鬼気迫る天狗(?)の表情は圧巻。
部屋中に描かれた日本画にもマッチした雰囲気。
目を惹くのは床柱に施された彫刻。
欄間の絵も実はレリーフになっています。
こんな優雅な舟遊びの風景も。
この絵も浮き彫り。3Dの仕掛けがたっぷり詰まった部屋でした。
「草丘の間」には竹の中に照明を入れ込んだ仕掛け。
そうそう、百段階段を紹介するのを忘れていました。その名の通り、ちょうど100段の階段が一直線に設定されており、写真で見ると左側にある7つの部屋に出入りできるようになっています。
後半部分は次回に。
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森美術館の後、同じ階にある展望台から東京の風景を眺めました。
入口を入ってすぐ前に見えるのが東京タワー。存在感たっぷりです。そこから基本的に時計回りに一周して行きます。
地階よりも最上階の方が広がっているように見える不思議なビル。元麻布ヒルズ。これも六本木ヒルズと同じ森ビルのものだそう。
首都高3号線。右奥の高層ビルがヒカリエ、その左隣がセルリアンタワー。晴れていればさらに奥に富士山が見えるんだけど・・・。
陽が差してきたので、少し戻って東京タワーを1枚。
展望台の後方の壁に、見物客の影が映っていた。
こちらは東京ミッドタウン。かなり高い。
ミッドタウンの隣にあった、カプセルを寄せ集めたような変わったビル。
国立新美術館にも明りが灯った。
新宿新都心の夕暮れ。
お台場のレインボーブリッジもよく見える。
月が昇ってきました。
神宮外苑の聖徳記念絵画館のライトアップ。ここがライトアップしているところは初めて見た。前の通りはイチョウ並木の名所。
すっかり夜になってきた。レインボーブリッジに光が灯り、左奥の東京ゲートブリッジは青く光っている。
中央奥の高いビルは虎ノ門ヒルズ。これも新しい高層ビル。
帰りがけにもう1度、東京タワー。
おっとっと。肝心の六本木ヒルズを忘れていました。展望台を下りて、地下鉄に向かう途中で。
後日談ですが、この展望台に本を忘れてしまい、翌日問い合わせしたら、「見つからない」との返事。あきらめていたら、夕方になって「ありました」との電話。それでもう1度六本木ヒルズに出かけることになりました。
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先日、六本木ヒルズにある森美術館に行ってきました。展覧会名は「シンプルなかたち展・美はどこからくるのか」。その中で、写真撮影が可能な3つのインスタレーションが面白かったので、紹介したいと思います。
以下の写真はすべて「クリエイティブ・コモンズ表示ー非営利-改変禁止2・1日本」ライセンスでライセンスされています。
オラファー・エリアソン「丸い虹」
ゆっくり回転するプリズムの輪に光を当てている。その光線と反応して、奥の壁には様々な形が作られ、変化し、消えては生まれる。
それも一つとして直線はない。円になり、αになり、∞になる。
時にその曲線が、淡く虹の一辺と化すが、それも一瞬。息つく間もなく消えさる。
1つとして同じ形は再現しないように見えて、
でも、いつしかまた、さっきの形が帰ってきているようなデジャブー。
ふと、幼いころ母に聞いた桜の話を思い出した。
「桜って、早く咲かないかなあ、と、待って、待って。
やっと咲いたと思ったら、あっという間に散ってしまう。本当に儚い。・・・・
でもね。その桜の木は、あなたが生まれる前から毎年ずっと花を咲かせてきたし、
多分、あなたが死んでしまった後でも、春になるとちゃんと、花を咲かすんだよね」。
アンソニー・マッコール「円錐を描く線」
まっ暗い部屋に、1つの光源からまっすぐに光が放たれる。
その光は、正面近くから見ると、円錐のように立体感を持って広がっているが、
光源側からだと、壁に映る像は、半円でしかない。
その空間には青い霞がたなびき、
また、角度によっては光が途切れてしまう瞬間もある。光線が強いだけに、見ているうちに自らの体も、浮遊するちりのような存在に思えてくる。
初めて映画館に入り、ふと後ろを振り向いたときに目に入った、青い光。
後方からスクリーンに向けて伸びていた光は、確かにヒーローを運んでくる光だった。
ヒーローの活躍に心を躍らせた、ポップコーンのにおいのする、映画館のあの空間。
大巻伸嗣「リミナル・エアースペースタイム」
透き通るような軽い布がある。
地上のいくつかの場所から吹き出す風を受けて、ゆっくりと空中に浮き上がる。ここにも、あるのは曲線のみ。
布が浮上すると、奥に見えていた大都会のビル群がかすんでゆく。
風をはらんで、布の上昇の勢いが増し、
でも、舞い上がった布の下から、また大都会が姿を現す。
田舎の町で育った子供のころ、本とテレビでしか知らなかった大都会。
大人になって、そこに住み、憧れだった街が決して美しいものではないことを知らされた、苦い思い出。
そしてまた、大都会での様々な出会いが、年輪として人の心に積み重なることを、知り始めたこのごろ・・・。
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先日散歩がてらに東京・上野の黒田記念館に行ってきました。その名の通り、この建物は我が国の「近代洋画の父」といわれる洋画家黒田清輝の作品を所蔵する美術館・研究所です。同記念館では、春、秋など年に3回彼の代表作を一挙に展示公開する特別期間を設けており、それをねらって出掛けたというわけです。
まず、黒田のパリ画壇へのデビュー作ともいえる「読書」。黒田は当初法律を学ぶために1884年、パリへ留学しました。当時のパリは、パリコミューンの混乱を経て第三共和政が成立、オスマン知事によるパリ大改造によって、光あふれる街へと変貌していました。また、モネ、ルノワールらによる印象派の台頭で、新しい絵画の息吹がほとばしる時代でした。
そんな空気に触れて、もともと絵が好きだった黒田は絵の修業へと目的を変え、1890年にはパリ南東60キロのグレー・シュル・ロワンという村で絵を描き始めます。そこで、素晴らしいモデルとの出会いがありました。マリア・ビョー。19歳の農家の娘。でも知的な容貌で物静かな雰囲気は、彼の創作意欲を掻き立て、1891年、この作品を完成させました。
柔らかでかすかな外光の差し込む室内で一心に読書に打ち込む女性の表情は、見事な情感を伴って見る者の胸に迫ります。黒田はこの作品でパリの公募展サロンに入選、パリデビューを果たしました。
1893年、10年間のパリ留学を終えて帰国した黒田は、その年の秋京都を訪れます。そこで出会った舞妓の姿に着想を得て、この作品「舞妓」を描きました。パリ生活の長かった黒田には、この伝統的な姿に逆にエキゾチックな魅力を感じたようです。
加茂川を背景に「読書」と同様に逆光による幻想味を加味した舞妓の姿。華やかな模様の振袖と端正な舞妓の容姿が作品に一層の光沢を付け加えています。モデルは小ゑんという舞妓といわれています。
1897年、後に夫人となる照子を伴って箱根・芦ノ湖に出かけます。湖畔で、とっさに製作を思い立ち、この作品「湖畔」が生まれました。
「私の23歳の時、夫が湖畔で制作しているのを見に行きますと、そこの右に腰掛けて、と申しますのでそう致しますと、よし、明日からそれを勉強する、と申しました」。照子夫人の述懐です。
黒田は1898年東京美術学校(現東京芸術大学)の教授となり、若手の指導にも力を注ぎます。
そんな中で翌1899年、大作「智・感・情」を完成させる。当時国内ではまだ裸体画を決して一般的には認められてはいませんでした。しかし、あえて彼は美の追求の過程でそのタブーを取り払うことにも尽力しました。
「どう考えても、裸体画を春画とみなす理屈がどこにある。日本の美術の将来にとって必要なのだ。大いに奨励すべきだ」。
タイトルは、それぞれの主義の象徴として名付けられたようです。「智」は理想主義を表現。
「感」は印象主義。
「情」は写実主義。いずれもくっきりと表現された強い意志に裏付けられた主張を持った作品として光を放っているように思えます。この作品は1900年のパリ万博に出品されました。
1922年には帝国美術院院長となり、我が国美術界のトップに立ちましたが、1924年、58歳で狭心症により死去しました。
実にきっぱりと,ストンと胸に飛び込んでくる作品ばかり。中でも個人的には「舞妓」は非常に魅力的でした。
その帰り、この5月で改修のため長期の休館に入るブリジストン美術館に寄りました。ここは撮影禁止なのでパンフレットからピカソの「腕を組んで座るサルタンバンク」を1枚。
サルタンバンクとは流浪の旅をしながら芸をする下層階級の軽業師のこと。庶民に向ける温かい眼差しを感じる作品。
実はこの作品、ピアノの巨人ホロヴィッツが25年にもわたって所持していたもの。60年間も故郷ロシアを離れていたホロヴィッツにとって、放浪の軽業師への共感がこの作品への愛着となったのかもしれません。
今週、イタリアからフランスへ行ってきます。それで、このブログは少しの間休載します。4月後半にはまた新しいヨーロッパの風景と物語をお届け出来ると思います。それまでしばしの間 arrivederci !
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そしてこの壮絶な作品「分別盛り」が生み出された。ひざまずく女を振り払って立ち去ろうとする男。その男を後ろから両手で抱える老婆。男の顔は苦痛にゆがんでいる。カミーユは心に育んだ狂気の刃とともに、対象を思い切り醜くすることで、自らの精神の安定を保とうとしているようだ。
この時代の芸術界は、まだ女性には門戸を固く閉ざしていた。官立美術学校のエコール・デ・ボザールさえも女子の入学を認めていなかった。自らの力量をだれも認めてくれないうえに、栄光はすべてロダンのものになってしまう現実への反逆の叫びもまた、この作品に込められていたのではないだろうか。
この時カミーユ30歳。歯の抜けた口ややつれきった目元など、まだ51歳のローズが完全な老婆として描かれているのに対して、55歳のロダンはそれほどでもない。決別の表明ではあるにしても、愛を捧げ続けた相手を完全に否定しきることまでは出来なかったのではないかとも思えてしまう。
ならば、ロダンはカミーユをどう描いたのか。唇に両手をあてて、今にも言葉を吐き出そうとするカミーユの胸像。タイトルは「アデュー」(さようなら)。抜け殻のようなうつろな表情は、逆に告別の深い傷を象徴しているのかもしれない。同じ別れの表現にしても、激情の嵐としてブロンズにその炎をぶつけたカミーユと、海の底に沈むような静けさに思いを包んだロダン。世間的には当代随一の彫刻家として名声を博す存在となっていたロダンだが、二人の女性の間でおろおろと揺れ動く生身の男の姿が透けて見える時期だった。
まだ愛に燃えていた頃のカミーユの輝く表情とは、何と違うことだろうか。
カミーユはその後、心の病に侵されて病院に強制収容され、その後一度も社会に復帰することなく、1914年、南仏アヴィニヨン近郊の精神病院で、79年の人生を閉じた。激しくも哀しい人生だった。
一方ロダンは1917年1月、77歳でローズと正式に結婚式を挙げた。ローズが死去する2週間前のことだった。ロダンもまた同じ年の11月に波瀾に富んだ人生の幕を下ろした。
その前年に自らの作品を国に寄贈。美術館建設の構想が固まった時に、友人に宛ててこんな手紙をしたためている。「マドモアゼル・カミーユの彫刻が何点か展示されることになれば、うれしく思います」。
思いやりと取るか未練と取るか。いずれにしてもそうして完成したのが、この美術館だった。
美術館の庭に出てみよう。ゆったりとした敷地に小さな池があり、ベンチに座って建物を眺めることが出来る。パリの中心部にありながら静かな時間を持てる場所だ。
地獄の門の一番上に飾られている「三つの影」。三人の人物は実は三人ともアダム。地獄の門が時空を超えた存在であることを証明するものだという。
池に置かれた彫刻「ウゴリーノ」の向こうにアンヴァリッド」の塔が見渡せる。その地下にはナポレオンが眠っている。
ロダンのコレクションも陳列されている。ゴッホの「タンギー爺さん」。背景に日本の浮世絵が描かれていることでも、ロダンが浮世絵好きだったことがうかがわれる。
この美術館は、個人的な関心の強さもあって、非常に印象の強い美術館ですが、そうでなくとも美の世界の奥深さを感じられる空間だと思っています。
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パリ7区、地下鉄13号線のヴァレンヌ駅を降り、地上に出るとすぐにロダン美術館が現れる。ロダンの死から2年後の1919年に開館したこの美術館は、パリで最も心魅かれる個人美術館だ。
まず目を奪われたのは手の作品。斜めに差し込む外光によって複雑な陰影をつけられた2つの手は、まるで祈りを捧げようと組み合わす一人の人間の思いを表出した姿と感じた。
しかし、よく見ると手の大きさが違う。そして両手とも右手。二人の人間がお互いの右手を組み合わせようとしていることに気付いた。タイトルは「カテドラル」。大聖堂の空間、パリならノートルダム大聖堂だろうか。あの壮大な空間では人間はちっぽけな存在にしか過ぎない。さらにその一部分でしかない片手と片手が組み合わさることで、一つの宇宙をさえ表わしているかのように見えるのは、私だけだろうか。
窓際に立つ男がいる。「ジャン・デール」。カレーの市民の一人だ。百年戦争時、1347年のフランス。港町カレーを包囲したイギリス国王は、市の主要メンバー6人を差し出せば、町の破壊を留保すると提案した。これに応じて6人の男たちが自ら名乗り出た。英雄自己犠牲、死の恐怖、家族を残し、命を捨てる覚悟。決してすっきりと決断したわけではないだろう。苦悩の末にようやく一歩を踏み出したその痕跡を、固く結んだ唇に刻み込んで立ちあがった姿だ。戸外の明るさ、枯れ木の斜線、室内の漆黒の像との対比が、心の奥底に通じるようで美しい。
この女性像もまた、戸外の風景、頭上のシャンデリア、裸像のシルエットとが三位一体の空間を形成している。張りつめた緊張。
誰もが知っているこの像。1880年、ロダンはフランス政府から「地獄の門」の製作を依頼された。ダンテの神曲から着想を得たこのタイトルの作品は40年近い歳月を費やしながら未完に終わったが、その中からいくつかの個別の作品をも生み出した。その一つが「考える人」。地獄の門の製作を始めたころ、セーヌ左岸にある彼のアトリエを訪れたうら若き女性がいた。カミーユ・クローデル。当時19歳。ロダン43歳のパリだった。
優れた才能と麗しい容姿とを併せ持ったカミーユに、ロダンは夢中になった。「永遠の青春」はそんな時期に創られた。激しい情熱がぶつかり合う愛の姿。全身全霊をゆだねた女の恍惚感と、みなぎる自信を、振り上げた左手の先まで満たした男の高揚感とが、叫び声となって響き渡るような作品だ。
同じ室内にカミーユの傑作も並ぶ。「ワルツ」。寄り添う二人。ワルツのスロウなリズムが流れる中、二人だけの世界に浸っているかに見える。でも、女の背は不安におののいているかのようだ。足取りは乱れ、崩れかかる女を、男はかろうじて支えている。この作品の完成は1893年。ロダンとカミーユの関係は悪化の一途をたどっていく。ロダンにはローズ・ブーレという内縁の妻がいた。カミーユを愛しながらもローズと別れようとしないロダンに、カミーユはヒステリックな怒りを募らせていた。才能も容姿も若さも。どれをとってもローズに負けるはずのない自分が、どうして彼を独占できないのか。元々自己主張の強い性格だっただけに、行き場のない怒りを抱えたまま苛立ちの時間が過ぎて行った。(二人を描いたフランス映画でカミーユを演じたイザベラ・アジャーニの、怒りの演技が思い起こされる)
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