バチカン市国

柱上の変身、聖人たちの24時ーサン・ピエトロ大聖堂⑤

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 ベルニーニの造り上げたサン・ピエトロ広場は巨大な284本の柱が4列に並んで楕円形の空間を取り囲んでいる。その列柱の上にはずらりと聖人像が勢ぞろい。これらの聖人像は、朝昼晩と時間の変化に応じて様々な表情を見せてくれる。今回の旅は大聖堂近くに宿泊したことで、ほぼ毎日広場の前を通り、そんな変化を連日楽しむことが出来た。

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 夜明け前、ライトアップされた列柱から大聖堂ファザードにかけて聖人たちが列を作る。

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 照明の当たった聖パウロの後方には12使徒たちが控える。

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 日の出前、朝焼けの中でまるで「おはよう」と挨拶を交わしているよう。

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 聖人たちはとても早起きのように見える。

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 すっかり日が昇り、ファザードの使徒たちはオレンジに染まっている。

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 彼らもちょっと眩しそう。

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 昼前の風景。よく見ると聖人たちの姿は実にバラエティに富んでいる。

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 午後になり、太陽は西に傾き始め、広場は日陰になった。

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 クーポラから聖人たちの後ろ姿を見る。こうして見るとかなり大きいのがわかる。

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 横向き。もともと前だけが見られるように造られているので、後ろ姿は割とおおざっぱ?

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 広場から見た列柱と聖人像。カーブが美しい。

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 その列柱の端に、クリスマス用に造られたモニュメントが飾られてあった。キリスト誕生を祝うモニュメント。この時期でないとお目にかかれない。

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 遅い午後。雲が広がってきた。聖人たちがその雲を見つめる。

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 太陽が沈んで行く。ちょうどクーポラの陰に隠れた。彼らは、この日あった出来事を語り合っているかのようだ。

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 日が沈み夕焼け雲が空を赤く染める。その雲までドラマチック。

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 列を作って、沈んで行った夕陽を見送っている。

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 月が昇ってきた。ほのかな月明りの中の聖人たち。間もなくこの日も終わる。明日も争いごとのない一日でありますように・・・。

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教皇たちの墓碑とスタンダールが絶賛した像ーサン・ピエトロ大聖堂④

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 サン・ピエトロ大聖堂は、至る所に彫刻が配置されているが、その多くは教皇や著名人の墓碑になっている。つまり、教会はお墓だらけ。絵画作品はほとんどヴァチカン美術館に移されたが、彫刻類は本物。だから、この大聖堂内での美術鑑賞は彫刻に集中すればよい。もちろん、その代表はミケランジェロのピエタになるが、他にも見事な作品が並ぶ。

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 これはアレクサンデル7世の墓碑。バロック墓碑彫刻の傑作と称される、ベルニーニの作品だ。手を合わせる教皇の下に慈愛、正義、賢明を象徴する4人の像が配置されている。オレンジの衣の広がりがいかにもベルニーニらしい。

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 イノケンティウス12世。17世紀最後の教皇で、衰退しつつあるカトリックの権威の回復に尽力した。右の秤を持つ女神の格好が珍しい。

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 グレゴリウス13世。左手を挙げた教皇は、グレゴリオ暦、つまり現在の太陽暦を採用した人だ。

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 ピウス8世。相当に高い位置に設置されている。

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 この教皇はだれなのか、調べがつかなかった。

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 こうした教皇たちの墓碑オンパレードの中にあって全く異質の墓碑を見つけた。それは、入口近く、向かって左側身廊部分にあった。

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 スチュワート家の墓碑は、縦長の大きな大理石彫刻。墓の扉の両側に裸の天使が向き合う。

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 上部には亡くなったスチュワート家の人々の胸像。名誉革命で王位を失ったスチュワート家のジェームス3世はローマに亡命していた。2人の息子には子供がいなかったため、スチュワート家はそこで途絶えてしまった。

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 あの「赤と黒」の作家スタンダールは、1817年に大聖堂を訪れた際、この墓碑に釘付けになったという。

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 「この天使像の美しさを描写することは、僕には不可能である。それと向かい合うベンチに座って、僕のローマ滞在の最も甘美な時間を過ごしたのだった」と、最大限の賛辞を贈っている。アントニオ・カノーヴァの作品だ。

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 私もスタンダールのようにベンチに座って甘美な時間を過ごそうと思ったが、今はベンチはなく、向かいにはクレメンティーナ・ソビエスキ像が配置されていた。

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 中ほどにある神秘の礼拝堂では、厳かにミサが行われていた。

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 また、バルダッキーノの柱に接する形で聖母子像が置かれていた。以前来た時にはこのような像はなかったと記憶している。クリスマス時期の特別の像なのかもしれない。

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バルダッキーノ・ベルニーニが構築したバロック空間ーサン・ピエトロ大聖堂③

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 大聖堂内部の装飾は、教皇ウルバヌス8世とベルニーニとの関係を抜きにしては語れない。ウルバヌス8世は1623年から1644年まで教皇の座にあったが、即位したその日にベルニーニを呼び、彼に大聖堂内部の装飾を指示したという。

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 その最初の仕事がバルダッキーノの制作だった。この場所は唯一教皇だけがミサを行うことの出来る神聖な祭壇。ベルニーニは1627年にこれを完成させた。当時は30年戦争の影響でブロンズが不足しており、パンテオンの玄関廊の梁を外して調達したこともあったという。

 そうして完成させたのが、この破天荒な天蓋。ねじれねじれて舞い上がる炎のような円柱が、29mの高さまで立ち上る。真上のクーポラから降り注ぐ外光を吸いこんでしいそうなほどの暗さを保ち、大聖堂の中心という存在感を極限まで高めている。

 バルダッキーノというのはバグダッドのことで、バグダッドからもたらされた高級な布地で天蓋を作ったところから生まれた言葉だという。

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 ルネサンスの天才ミケランジェロが設計したクーポラから差し込む光に、バロックのスーパースター・ベルニーニの造形が照らし出される。まさに贅を尽くした空間がここにある。

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 教皇は、これを手始めに重要な美術企画のほとんどをベルニーニに託して、ローマをバロックの劇場と変貌させて行った。大聖堂広場、ナヴォーナ広場、サンタンジェロ橋など。彼はベルニーニを、もう一人のミケランジェロに育てようとしたのかもしれない。

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 バルダッキーノの周囲には巨大な4本の柱があり、それぞれに聖人の像と重要な聖遺物が祀られている。向かって右手前の像は聖ロンギヌス。ベルニーニの作品だ。

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 その上部の祭壇には槍の穂がある。ローマの兵士だったロンギヌスは、キリストが息絶えたかどうかを確かめるために、この槍の穂で突いたとされる。

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 右奥の像は聖女ヘレナ。アンドレア・ボルジ作。ベルニーニの弟子だ。

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 この上にはキリストが架けられた十字架の木片の一部がある。コンスタンティヌス帝の母である聖女ヘレナがエルサレムの地から掘り出して持ち帰ったという。

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 左奥は聖女ヴェロニカ。フランチェスコ・モーキ作。モーキはオルヴィエートに行った時、圧倒された迫真の受胎告知像の制作者だ。

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 ここには、キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘に向かって歩いていた時、顔の汗をぬぐった布がある。そこにはキリストの顔が写ったとされる。ヴェロニカ像の持つ布にはキリストの顔がうっすらと描かれている。

 中世の巡礼者たちは目印としてヴェロニカの布を服や帽子に付けて巡礼しており、大聖堂を訪れる信者たちの1番の目的が、これを拝むことだったという。

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 左手前は聖アンデレ。ベルギー出身のフランソワ・デュケノワ作。

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 聖アンデレの頭部が納められていたが、1964年にパトラスのギリシャ正教会に返還されて、今は空室になっている。

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 大聖堂の1番奥、アプス(後陣)には、ペトロの司教座(カテドラ・ペトリ)が置かれている。聖ペトロが使った木製の椅子を玉座に埋め込んである。これもベルニーニ。

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 その周りを4人の聖人が支えるという形になっている。

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 大聖堂を進んでくる信者たちは、手前にそびえるバルダッキーノのねじれた柱を額縁のようにして、この司教座を眺めることになる。

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 聖霊を取り囲む天使たちを表わしたグローリアと呼ばれる装飾。その中心にはハトが飛んでいる。

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ミケランジェロのピエタ像を“独占”できたーサン・ピエトロ大聖堂②

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 ピエタ(アウレリオ・アメンドラ写真集より)

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 大聖堂の中に入ると、その大きさに驚かされる。奥行きは183m、総面積1万5160㎡、身廊の高さ45.8mとけた外れに巨大な建物だ。

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 また、クーポラの直径も42m。ぎっしり入れば6万人を収容できるという。

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 聖堂内では、まず入口右側礼拝堂にあるピエタ像に目を奪われる。ミケランジェロが1499年に完成、一躍美術界の新ヒーローとして注目を浴びた作品だ。この時若干24歳。あまりに美しく、あまりにも哀しすぎるピエタの表現は、今でも彫刻の1つの頂点として輝きを放っている。

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 ミケランジェロは自らの作品にほとんど署名していないが、この作品だけには聖母の胸元の帯に名前を刻んでいる。

 サン・ピエトロに行くたびにこの像にお参りするのが習慣になっているが、いつも大勢の人たちが周囲を取り囲んでいる。だが、今回は大聖堂開館と同時、午前7時に入場したので、この礼拝堂も無人状態。ピエタ像とじっくりと対面することが出来た。ああ、幸せ!

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 ピエタ礼拝堂の入り口付近には聖水盤を持つ2体の天使がいる。天使と言っても、近づくと実際の大人の倍もある大きな顔をしていてびっくり。

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 身廊の交差部には「あなたはペテロ。あなたに天国の鍵を授ける」(マタイ伝)という、キリストがペテロに語った言葉が、ラテン語で書かれている。

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 交差部手前にあるのが、ここの主である聖ペテロの座像。アルノルフォ・デイ・カンビオの作とされる。イタリア・ゴシック彫刻界の第一人者だ。

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 信者たちが彼の足をさすったりキスしたりするために、すっかりすり減ってしまっている。

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 家族で記念写真を撮る風景も、聖堂内ではここが一番多いように見受けられる。これが世界中で1番有名なペテロ像。

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 内部は3廊式バジリカの形。中央に大きな身廊、両脇に側廊が配置され、バルダッキーノのある部分で縦と横の建築が交差し、その天井がクーポラとなっている。

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 晴れた日クーポラから光が降り注ぐ様は、内部が決して明るくないだけに、一層神々しく感じられる。このクーポラはミケランジェロの設計だ。ブラマンテが始めた大聖堂構想を1546年にミケランジェロが引き継ぎ、具体化して行った。

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 クーポラには縦長の16の窓が取り付けられ、そこから光が差し込んでくる。

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 一般の見学者は、この大空間を見下ろすことは出来ないが、たまたまクリスマスイヴのミサの模様をテレビ中継していて、カメラを通して大聖堂を見下ろす角度の絵を見ることが出来た。

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 さすがにイヴのミサは荘厳なものだった。

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名実ともに世界最大のカトリック教会ーサン・ピエトロ大聖堂①

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 これまでローマ市内の16の教会を紹介してきたが、肝心のサン・ピエトロ大聖堂が残っている。あまりにも巨大で恐れ多くて手を出せないでいたが、ここを触れずに教会巡りを終えることは出来ない。きわめて断片的になるかもしれないが、このキリスト教世界の中心となる大聖堂を、わかる範囲で見て巡ることにしよう。

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 まず正面のファザードから。この教会はそもそも聖ペテロの墓の上に建てられたものだ。聖ペテロはガラリヤ湖の漁師シモンだった。キリストに「ついて来なさい」と言われ。弟アンデレと共にキリストの最初の弟子となり、「岩」の意味を持つペテロと名付けられた。

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 「私はこの岩の上に教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける」(マタイ伝)。キリストから天国の鍵を預かり、初代ローマ司教を務めたが、当時はまだキリスト教は邪教扱いされており、ネロ皇帝時代に迫害を受けて殉教した。

 
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 そのペテロの墓の上に、324年、コンスタンティヌス帝によって聖堂建設が始まった。今の大聖堂の前身で、現在の建物は16~17世紀にかけて再建されたものだ。

 時の教皇ユリウス2世が新大聖堂建設を構想し、ブラマンテが引き受けて1506年4月礎石が置かれた。ただ、彼は1514年に死去、莫大な資金も滞るなど紆余曲折を経たが、1546年、当時71歳のミケランジェロに工事が任された。

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 ミケランジェロによって、迷走していた工事がようやく軌道に乗り、進展することになる。とはいってもミケランジェロも1564年に死去、最終的に完成したのは1626年のことだった。

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 ドームの高さは136.6m、フィレンツェのドゥオモの107m、ミラノ大聖堂の尖塔の高さ108mなどをも凌ぐ世界最大の教会だ。

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 ファザードの真ん中の高さに9つのバルコニーが並んでいる。

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   その真ん中のバルコニーは特別な行事の時に使われる。

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 昨年暮れのクリスマスでは、先ごろ引退したベネディクト16世がここでクリスマスメッセージを読み上げた。

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 屋上部分にはキリストと12使徒の像が並ぶ。

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 実は両脇に鐘塔を加えようとしたが、地盤の悪さで建設途中に亀裂が入るアクシデントが発生、結局鐘塔は断念して代わりに今は時計台になっている。

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 玄関入口にはブロンズ製の5つの大扉が並んでいる。中央の大扉は1445年、アントニオ・アヴェッリーノ(通称フィラーテ)作。6つのパネルにキリスト、マリア、聖ペテロ、聖パウロなどが描かれている。

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 これは聖ペテロがキリストから鍵を授かる場面。

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 そのペテロが逆さ十字架に架けられて殉教する場面。

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 一番右の扉は聖なる扉と言われ、25年に1回の聖年の時だけに開かれる。私は2000年にここを通って大聖堂に入ったことがある。

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 入口で警護に当たっているのはスイス衛兵。現在約100人の衛兵がバチカン市国を守っている。衛兵になるには、スイス国籍を持つカトリック教徒で、19~30歳までの未婚者、身長174cm以上などの条件があるという。イタリアの支配を巡ってフランスと争っていたイタリア戦争時に、ユリウス2世がスイス兵を雇ったのが始まりだとのことだ。

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バチカン 5 博物館で変わった発見も

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 博物館の見学も終わりに近づいたころ、こんな作品に出会った。羊を引き連れて道を行く男性はキリストだろうか。ちょうど外の風景が借景となって、この人と羊たちが森を歩いているかのように見える。

 心和む安らかな風景に、しばし見とれた。

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 こちらも意外性たっぷりの現代作品。聖母子像なのだろうが、こんな今風の作品がバチカンに飾られているなんて、今回初めて気づいた。

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 一方で紀元前のものも沢山収蔵されている。こちらはヘレニズム時代の傑作「ラオコーン」。1506年、コロッセオ近くで発見された。古代ローマの学者が書き残した「博物記」の中に、ギリシャ・ロードス島の3人の彫刻家が制作したと記されている。トロイア戦争でトロイアに味方したアポロの神官ラオコーンが、戦いの女神ミネルヴァの不興を買い、2匹の蛇に絞殺される伝説を表わしているそうだ。この躍動する筋肉や表現が後世の作家たちに大きな影響を与えた作品だ。

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 そして、ベルヴェデーレのトルソ。顔も手足もない胴体だけの姿だが、圧倒的な存在感は、間近で見て改めて心底実感した。ギリシャ彫刻のコピーとのことだが、ミケランジェロに生涯にわたって大きな霊感を与え続けたといわれ、ゲーテも絶賛している。

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 地図のギャラリーの天井は、きらびやかな絵や装飾で埋め尽くされている。廊下の天井としては世界でも最も豪華なものの一つだろうと思う。

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 帰りに見上げた螺旋階段。こんなに高い。下から見ると、一瞬華やかなオペラ劇場の観客席のようにも見える。

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 夕方、沈みゆく夕陽の中で見たサン・ピエトロ大聖堂の屋根では、クーポラを挟んで聖人たちが何やら語り合っているように思えた。

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バチカン 4 バチカン博物館の名作

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 前回は博物館の中のラファエロを見たので、今回はそれ以外の名作を見てみよう。といっても当然全体を紹介する能力もスペースもないので、個人的好みで見て行くことにしよう。トップは螺旋階段。美術作品ではないけれども、なんか美しいんですよね。

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 絵画館に入って間もなくの所にある、メロッツォ・ダ・フォルリのフレスコ画「奏楽の天使」シリーズの一枚「リュートを奏でる天使」。

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 これもそのシリーズの一枚。どれも天使の表情がノーブルな感じで人気がある作品だ。

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 ここの博物館では唯一(多分)のレオナルド・ダ・ヴィンチ作品「聖ヒエロニムス」。この作品は一時所在が不明になり、半分は靴屋の椅子の敷物に、もう半分は骨董屋の箱の蓋にされていたのがみつかったという、奇跡的な経過をたどってに復元されたものだ。未完成だが(ダ・ヴィンチには未完の作品が多い)モナリザの背景にもにた背景画の雰囲気や、確かなデッサン力など、貴重なものだ。

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 ジョヴァンニ・ベリーニの「キリスト降架」。ヴェネツィアではサン・ザッカリア教会の壁画を始めとしてあちこちでお目にかかるなじみの画家だが、ローマではベルニーニばかりが目立って、ベリーニさんは少なめ。得意の聖母像と違って、こちらは劇的な表現が強く出ているようだ。

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 「劇的表現ならおまかせ」といった、カラバッチョの「キリスト降架」。彼こそローマを代表するといってもいいほど、作品も多く残され、ファンも多い。

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 予備知識なしで「すごい」と思ったのが、この絵。作者の名前はクリストファノ・マッローリとあり、絵の内容から、サロメかユディトかのどちらかだと見当をつけていたが、後で調べてみたらほぼ同様の絵「ユディト」がフィレンツェのピッティ美術館にあるようだ。従って手に提げている首は敵の大将ホロフェルネスということになる。こんな修羅場なのに冷徹な表情を崩さないユディトを見ると、女性ってやっぱり怖い、と思ってしまう。

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バチカン 3 バチカン博物館のラファエロ

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 バチカン博物館は絵画館、エジプト博物館、クレメンティーノ美術館など20もの分野に分かれている。とても紹介しきれないし、すべてに入ったわけでもないので、今回は絵画館とラファエロの間の一部を紹介しよう。

 まずは上の絵「アテナイの学堂」のある場所から。ここはラファエロの間と呼ばれ、4つの部屋から構成されている。もともとは法王の広大な宮殿だった博物館に、当時のユリウス2世がラファエロに命じて壁画を描かせた部屋。25歳でこの仕事を始めたが、完成する4年前に37歳で亡くなり、あとは彼の弟子たちによって補われた。ただ、最初に着手した署名の間は全面的にラファエロが描いたものとされ、その代表作が「アテナイの学堂」だ。

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 この絵には50人を超えるギリシャの賢人たちが描かれている。また、ラファエロの時代の人たちを想定して描いた人物もあり、とても興味深い内容になっている。この絵の中央左はプラトンで、天を指さし、知識の源・思想が天に由来すると示唆し、右の人物はアリストテレス。確実な実在の証として、手を大地に向けて広げている。そして、プラトンは当時の天才レオナルド・ダ・ヴィンチの姿を使って描いている。

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 その二人の下方に座り込んでいるのは、ヘラクレイトス。これはミケランジェロの姿を模している。当時、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂で旧約聖書の物語を天井に描いていた。ラファエロの部屋からわずか数十メートル。ミケランジェロは制作現場に部外者の立ち入りを禁止していたが、彼がフィレンツェに一時帰郷しているときにラファエロは礼拝堂を見て感動したといわれる。そして尊敬の証として、最初下絵には描かれていなかったヘラクレイトスをミケランジェロに模して書き加えたという。目と鼻の先に偉大な芸術家の制作現場があれば、誰だって見たくなりますよね。

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 右下方向でコンパスを持っているのは幾何学の創始者ユークリッド。

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 左下、本を開いているのが、定理で有名なピタゴラス。また右上の横向きはげ頭がソクラテスという。(中央の白い服の女性を覚えておいてください)

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 右端から2番目にこちらをじっと見つめる男性はラファエロ本人だ。

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 このようにギリシャの多彩な賢人を華やかに配して、一方でルネサンス期の3大巨匠を一堂に会した何とも欲の深い絵だ。

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 アテナイの学堂の向かい側にある絵画は「聖体の論議」。上方中央にキリスト、その左に聖母マリア、右に聖ヨハネが配された壮大な絵だ。

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 その絵の左下側に立つ青い衣をまとった女性は、どこかで見たことがある。よくよくアテナイの学堂を見返してみたら、あの白い服の女性と瓜二つではないか。

 帰国後に調べてみたら、「学堂」のほうの女性はフランチェスコ・マリア1世という説と同時に、ラファエロの愛人だったマルガリータという説があることを知った。マルガリータはローマ・トラステヴェレのパン屋の娘で、ラファエロの作品「ラ・フォルナリーナ」や「ヴェールの女性の肖像」のモデルとしても知られている。確かに、どちらかというと「ヴェールの女性」にはかなり似ている。マルガリータ説が正しいなら、ラファエロは自らの愛人の姿を法王の宮殿の絵に、またキリストや偉大な哲学者たちの絵の中に忍び込ませたということになる。ラファエロさん、やってくれますねえ!

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 絵画館にもラファエロの作品は飾られている。これは「キリストの変容」代表作の一つだ。

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 この絵も、見ているうちにピンクの服の女性がマルガリータに見えてきた。

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 「フォリーニョの聖母」

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 「聖母の戴冠」。この3枚は絵画館の初めのほうにまとめて並べてあった。ただ、このスペースはかなり照明が落としてあり、ちゃんと見ることが難しい感じだった。

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バチカン 2 サンピエトロ大聖堂

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 サンピエトロの入り口を入ってすぐの右手、「ピエタ」は静寂に包まれてそこにあった。

 深い悲しみに沈むマリアの姿があまりにも神々しく、ただ、黙して見つめることしか出来なかった。

 その、哀しいまでの美しさは、マリアにとっての極限の絶望に加えて、幼くして母を亡くしたミケランジェロの、若いままで凍りついてしまった母への思慕の念とが入り混じって、孤高の情念を形造っているからなのだろうか。

 とても辛い。しかし、ここでピエタと対面することによってのみ、これほどの芸術の高みに触れることの出来るという幸せの感慨もまた、同時に心を満たしていた。

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 今回はサン・ピエトロ大聖堂の内部に入ってみよう。まずは、入口付近にいる衛兵さんのスナップから。彼らはスイス兵。服装はミケランジェロのデザインだということを聞いたことがある。

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 ミケランジェロの「ピエタ」は、彼が25歳のころの作品。ミケランジェロの作成したピエタは現在4作品が残されている。ここのほか、フィレンツェのドゥオモ付属美術館、アカデミア美術館、そしてミラノのスフォルツァ城内の市立博物館で見ることが出来る。ただ、彼のサインがあるのはサン・ピエトロのものだけだ。以前、その4つのピエタを見るための旅をしたことがあった。

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 聖堂中央にあるクーポラから光が差し込む光景は、クリスチャンでなくとも敬虔な気持ちにさせられる。

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 その真下にそびえるようにあるのが、ブロンズの天蓋。法王の祭壇を囲んでおり、ベルニーニの作だ。

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 見上げると、首が痛くなりそうなくらい。

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 クーポラはミケランジェロの設計になるもの。当時の天才は何でも出来てしまったようだ。この真下、地下にはサン・ピエトロの墓がある。

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 こちらはアレクサンドロ7世の墓。流麗な衣服の裾模様などは、まさにベルニーニの真骨頂。

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 これはイノセント12世の墓。聖堂中ほどの右手にある。フィリッポ・デッラ・ヴァッレ作。衣服の感じがベルニーニとは違うのがわかる。こうした彫像のモニュメントも内部にはあちこちに配置されている。

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 そしてこのお方が聖堂の名前にもなっているサン・ピエトロ(ペトロ)様。彼の足に手を触れて御祈りをする人が多く、足はピカピカの金色に輝いている。この写真ではおじさんが足に触っているので、ピカピカぶりは見えません。

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 内部にはミケランジェロのクーポラだけでなく、別のクーポラもある。こちらは天井画が描かれていた。

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 ちょっとアップしてみると、どうもこれは聖母被昇天を描いたもののようだ。写真撮影が禁止になっているのでここでは掲載しないが、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画など、いづれにしても、教会の中はちょっとした美術館ではとても太刀打ちできないほどの貴重なものがあふれている。

 次回はそんなバチカンの、さらに貴重な美術品が目白押しのバチカン博物館に行ってみよう。

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バチカン 1 世界で一番小さな国

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 バチカンは世界で一番小さな国だ。面積0.44k㎡。ディズニーランドが0.52k㎡なので、それよりさらに小さなスペースしかない国ということになる。人口は約800人、そのほとんどがサン・ピエトロ大聖堂に務める聖職者であることは、この国の性格をよく表わしている。つまり、10億6千万人といわれるカトリック信者の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の国といってもよいのだろう。領土内は同大聖堂のほか、バチカン宮殿、バチカン博物館、サン・ピエトロ広場などで構成されている。ただし、飛び地として、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂などのローマ市内の教会も含まれている。

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 大聖堂の建つ場所は、西暦64年ごろ聖ペテロが異教の罪で処刑された所で、315年には大聖堂の前身、コンスタンチヌス帝の聖堂建設が始まっている。ただし、国として現在の状態になったのは意外に最近のこと。1929年2月に、当時のイタリアを支配していたムッソリーニと教皇との間で結ばれたラテラーノ条約によって独立国家になったものだ。

 ベルニーニによってデザインされたサン・ピエトロ広場(1667年完成)を半円形の回廊が取り囲む。中心を通ってサンタンジェロ方面につながる道路はムッソリーニ政府と法王庁との和解を意味する「conciliazione通り」と名付けられている。

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 4列、284本の円柱で構成される回廊の上部には、140人もの聖人像が飾られている。

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 正面左側の入り口からエレベーターを使ってクーポラに昇ることが出来る。ただし、エレベーターは途中まで。その後、300段以上もの階段を昇る必要がある。しかし、上から眺める風景は、前の写真のようになかなかの絶景だ。また、このように、聖人たちの後ろ姿が見られる面白さもあり、お勧め。

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 その聖人たちを下から見ると、こんなに小さくしか見えない。

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 広場中央に立つオベリスクはエジプトから運ばれた高さ25.5mの巨大な塔。

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 昇って行くと、クーポラ頂上の十字架がこんなに近くに見ることが出来る。

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 そのクーポラをサンタンジェロ橋の先から眺めた。夕焼けの時間帯で、ベルニーニの天使像とのコラボのシルエットがこの付近からは捉えられる。

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 日が沈んで、ライトアップが始まるころ。

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 サンタンジェロ橋のもう一つ先、ウンベルト1世橋の橋げたの下から大聖堂を眺めてみた。

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 すっかり夜になり、このときは5月の連休時期だったが、とても寒かった記憶がある。まずはバチカンの外側を見てみたが、次回は大聖堂の中に入ってみよう。

 

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