ウイーン 美しきランタン小路からドナウ運河へ
美術関係の話から、街歩きに戻ろう。シュテファン大聖堂の北側、ベッカー通りには、活版印刷術の発明で有名なグーテンベルグの像が建っている。彼はドイツ人で、ウイーン出身でもないが、この界隈には印刷所が多くあったことからこの像が造られたといわれている。ここから通りを東に進む。
途中、右に折れると皿より大きなウインナ・シュニッツェルを提供することで有名なレストラン「フィグルミュラー」の店がある。
食の誘惑に負けずにまっすぐ進むと、左手にあるのがイエズス会の大きな教会。イエズス会は反宗教改革の先鋒として豪華な教会建築で人心を引き留ようとしたことでも知られる。ローマのジェズ教会などはバロックの豪華建築の代表だ。
その例にもれず、この教会も豪華。
この天井は実は平面。いかにもクーポラがあるようなだまし絵のフレスコ画になっていた。
その先辺りからシェーンラテルン小路が始まる。
道なりにカーブして行くと、怪物バジリスケンの看板がみつかる。バジリスケンとは、雄鶏とヒキガエルの子供で、一睨みで生き物を殺してしまうという伝説上の怪物だ。人々はこの怪物に苦しめられていたが、ある日、勇敢で頭の良いパン職人が、大きな鏡を持ってバジリスケンに立ち向かった。バジリスケンはその鏡で己の姿を見た瞬間、にらんでしまい、自らが死んでしまったという。その怪物の名前を付けたレストランだ。
すぐ向かいにポツンと一つの街灯が壁に取り付けられている。これが小路の名前の由来となったランタン。シェーンラレルンとは、美しいランタンの意味。昼はどう見ても美しいというほどではない。でも、夕方灯がともる頃には情緒たっぷりの小路になるのだろう。
斜め向かいのピンクの建物2階付近に銘板を見つけた。「シューマンがここに半年住んでいた」と書いてある。
すぐ近くの壁画も美しい。
また、こんなカギの看板も。「アルテ・シュミーデ」という鍛冶工房だ。
さらに北上すると、バグパイプを吹く男の看板が見つかる。この男はアウグスティン。17世紀のペスト大流行時期に、酔ってペストの墓穴に落ちたが、翌朝何事もなく生還して伝説の男になった。
そんな看板を掲げた店「グリーヒェンバイスル」のある通りは、ゴシック風な趣のある小路になっている。
こんな双頭の鷲の看板も。
そのすぐ先には、オットー・ワーグナーのモダンデザインで知られる郵便貯金局がある。
業務中なので、そっと少しだけ写真を撮らせてもらった。ガラスの天井に、アルミをふんだんに使ったしゃれた意匠。1912年当時の超モダン建築だ。
裏手から通りに出ると、すぐそこはドナウ運河だ。ドナウ川の本流はさらに2キロほど北東側を流れており、旧市街に接する運河は洪水などを制御しやすくするために造られたものだ。
ドイツに源を発したドナウ川は、オーストリアを横断した後ハンガリー平原を蛇行しながら南下。ベオグラードやブカレスト付近を経由して黒海に注ぐ。つまり、ヨーロッパ内陸の主要国を貫いて、水運の重要航路として機能してきた。「文明の生成は異なる文化の遭遇によって触発されるものだ」(アーノルド・トインビー)との指摘の通りに、ハプスブルクの百花繚乱は、ヨーロッパのゲルマン、スラヴ、ラテンの三大文化が、ドナウを介して相互に触発され、融合された結果生み出されたものなのだろう。
新装オープンした船着き場からは、ブダペストやブラチスラヴァへの定期船が当たり前のように運行されていた。
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