プラハ 街歩き

チェコ最後の夕、そして旅立ちの朝

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 カレル橋を渡り切ったとき、チェコ初日に見た勝利の女神・ニケ像にもう一度会いたくなってルドルフィルムのある広場に向かった。

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 19世紀後半に出来た比較的新しい建物だが、ルネサンス様式を踏まえており、周囲にもしっかりなじんでいる。この玄関の両側にニケは建っている。

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 その像越しに西を見ると、遠くに聖ミクラーシュ教会の塔が見えた。

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 教会のクーポラ、鐘楼などを浮かび上がらせて、夕陽が静かに沈んで行こうとしている。

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 ルドルフィヌムの玄関前に座って、しばらくはその光景を眺めていた。そのうち、無意識に「遠き 山に 日は落ちて・・・」という歌詞が浮かんできた。まさにドヴォルザーク(ドヴォジャーク)の交響曲「新世界より」のイメージにぴったりの瞬間だった。

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 それもそのはず、目の前にはドヴォジャークの肖像が建っている。ここはドヴォジャークホールのある音楽堂なのだから。

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 日が沈み、ミクラーシュ教会の背景の空も柔らかいピンク色に変わって行く。

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 聖ヴィート大聖堂もゆっくりと夕闇に溶けだした。

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 次第にブルーの世界が支配し始める。カレル橋に戻りながら、川のさざ波に合わせて、今度はスメタナの交響詩「我が祖国」のメロディを口ずさんだ。

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 暮れなずむプラハをゆっくりと歩きながら、ここで出会ったさまざまな歴史の痕跡やたくましく生きる人たちを、思い出していた。

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 そして旅立ちの朝、荷物をまとめてちょっとだけカレル橋に出向いた。初めは曇り空だったが、見る間に雲が途切れて行く。

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 その後に、ふんわりとピンクの明かりが広がった。

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 今日もプラハはさわやかな朝を迎える。滞在中見事に予想を裏切って暖かい日差しを注ぎ続けてくれた“プラハの春”に、心からの感謝を込めて、覚えたてのチェコ語を呟いてみた。「ジェクユ ヴァーム(ありがとう)」。

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 カレル橋の入り口・クレメンティヌムの屋上にある彫像たちの姿は、赤みを帯びた東の空を背景に、神々が楽しい語らいをする光景のように見えた。

 さようならチェコ、またいつか来る日まで。

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スメタナ博物館、カレル橋の石像

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 明日は帰国という日の午後、もう一度プラハの風景を目に焼きつけておきたいと、街歩きに出かけた。

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 春の陽光の中で清らかに輝き

 明るく 音高く 厳かに まろやかで 楚々とした 

 あの青春の乙女のような姿を

 または 黄昏時のプラハへ注ぎこむ 限りなく明るく 誇らしげなプラハの

 灯を映して 繻子のような ブロケード織りのような 

 燃えるような輝きを見せるその姿を

 すべての景観をしのぐ景観 美の中の美 プラハの空や宮殿 庭園

 この地の美しい景観のすべてを伴った 

 プラハ全体の中でも最高の魅力を

    カレル・チャペックは彼の著書の中で、ヴルタヴァ川をこのように記している。

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 スタートはやはりヴルタヴァ川岸。カレル橋のたもとには大きなスメタナの像のあるスメタナ博物館がある。

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 1863年から6年間、実際に彼が住んでいた建物だ。壁面にはスグフラットの装飾が施されている。

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 高台に上り、カレル橋を見下ろす。この写真では橋の中央付近の奥の建物がスメタナ博物館だ。

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 俯瞰すると沢山の橋が見える。手前のカレル橋から、チェコ軍団橋、イラーセク橋、パラツキー橋と続いている。

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 旧市街地側の橋塔がそびえる。結局この塔には上らないでしまった。



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 丘を下ってマラーストラナ側のカフカ記念館横から川岸に出た。今度はカレル橋を見上げる感じだ。

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 橋の上には30体の石像が並ぶ。この写真は、手前が聖ノルベルト、ヴァーツラフ、ジギスムント像、奥が聖ボルジャ・フランシスコ像。双方が何か話し合っているような和やかな風景に見えてしまう。

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 こちらは手前が聖ヤン・ナポムツキー像、奥が聖ルドミラとヴァーツラフ像。ネポムツキー像は一番人気。唯一のブロンズ像になっている。

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 カレル橋に入った。とても美しいポーズをとっている聖ヴィート・ヴィトウス像。

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 このように似顔絵や音楽の演奏など商売も盛んで、いつもにぎわっている。

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 聖フランシスコ・ザビエル像がこれ。夜明けの撮影時にはこの像の付近に居た時間が最も長かった。お世話になりました、ザビエルさん。

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 橋の上の像の中でも最も美しい表情をしていた聖アンナ、聖母とみどり児像。

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 一番旧市街側に建つブロンズの十字架像。この橋が出来た当時は橋の上で公開処刑が行われた。罪人はこの十字架に最期の祈りを捧げてこの世を去って行った。 つまり、以前はこの橋もかなり血なまぐさい場所だったわけだ。




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プラハ旧市街地で中世の夜を味わう

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 プラハの街並みにはどこか中世の香りが漂う。まして、細い三日月の昇る夜はより一層濃厚に中世を感じてしまいそうだ。そんな空間を求めて夜の街に出かけた。

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 市民会館のある共和国広場に出ると、ホテル・ゴールデン・ストーンのビルが早くからライトアップを始めた。

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 そのビルの西側奥には旧市街広場にそびえるティーン教会の尖塔がシルエットとなって小さく見えている。

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 ヴァーツラフ広場に通じる通りもうっすらと夕暮れの装いだ。丸い街灯が良い雰囲気。

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 でも、市民会館は屋根の部分が少しポッと明るくなったくらいで、全体的には暗いまま。今日はライトアップはないようだ。

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 ホテル側の通り上空は美しいブルーに染まり出している。

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 市民会館隣の火薬塔も、ライトアップはなさそう。それで、ここでの撮影は諦めて、旧市街広場に向かう。

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 ホテルパジーシュ横では、見事にアズーリに染まった空に出会えた。

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 広場の裏側に来た時、ちょうどティーン教会の尖塔とほぼ同じ高さに三日月が輝いていた。こんな光景を、何世紀も前のチェコ人たちも見ていたのだろう。

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 広場に入って、表側から見たティーン教会。中央の壁面にはマリア像が白く輝いている。

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 西側にはミクラーシュ教会。

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 その教会と競い合うようにヤン・フス像が、今しがたすっくと立ち上がったばかりのように凛々しく前を向いている。まさにここは15世紀の世界。

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 向かい側に建つ旧市庁舎を包むかのように、ちょうど薄雲がたなびいて、嵐の前の静けさ、といった風情になった。

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 この広場には何度も来たのに、名物の時計を撮っていなかったことに気付いて、1枚だけ。

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 カレル橋側からの旧市街広場入口付近で、市庁舎、ティーン教会の両方が1枚の写真に収まる定番ポイントでシャッターを押した。名残惜しさに、ここの前にあった出店でホットワインを買い、いつまでもこの光景を見つめ続けていた、この夜広場に居たたった一人の日本人が私だった。

 


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マサリク堤防沿いの建築群 壁面装飾

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 午後になると、春の太陽は急速に南西の空に傾き始める。そんな時間帯にヴルタヴァ川沿いに建ち並ぶマサリク通りを眺めると、まるで壁面に金箔をはったかのようにキラキラと輝きを増して行く。そんな建築群を散歩がてら観察に出かけた。

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 この通りは国民劇場から始まるが、その向かい側224番地に建つ館は、旧東ドイツ大使館。今はゲーテ・インスティチュートというドイツ語の学校になっている。

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 入口のガラス面や扉の装飾も凝っている。

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 屋上には黄金の太陽、翼を広げた鷲もいて、賑やかだ。

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 236番地の黄色いビル中央壁面には「いざ出陣」と張りつめた表情の戦士が張り付き、足元には町の様子を描いた壁画が飾られている。

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 その隣の玄関には大皿?を抱えた2人の子供が向かい合って立つ。

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 234番地、鳥の家と呼ばれる館にはあちこちに鳥があしらわれている。

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 その玄関のフクロウが、最も象徴的。

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 238番地は玄関両側に上半身裸のうつむく労働者が、労働の真っ最中だ。

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 248番地は、この通りでも最も有名なフラホル合唱団の館。3階壁面の4体の彫像が一番目立つが、もう少し近寄って見よう。

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 アール・ヌーヴォー調の壁面装飾がたっぷり施されている。下面に黒い3つの鉄板のようなものが見えるが、これはスメタナなどプラハの代表的音楽家の肖像だ。

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 そして、入口に描かれた七色の鳥の羽根の装飾。見事な装飾に見入ってしまった。

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 少しへこんだ通りの建物にあった女性像。堂に入ったポーズなど、もう少し埃を拭いたら見事な像なのだろうが、汚れ具合がちょっと残念だ。

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 小さな広場に面した角の建物はご覧のように彫像のオンパレード。

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 少しアップしてみると、こんな具合。ここの先には以前紹介したポストモダンのダンシングビルが建っている。

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 国民劇場まで引き返して、その向かいにある「カフェ・スラヴィア」に入った。この大きなビルの1階。滞在中、この通りを走る17番トラムを何度も利用し、その度に一度は入って見ようと思っていたカフェだ。

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 ウイークデイの午後とあって、何やら商談をするビジネスマン、買い物帰りの母娘、ゆったりと新聞を読む紳士など客層はさまざま。春江一也唯一の秀作「プラハの春」でも主役のカテリーナと豪介がこのカフェで語り合う場面が描かれている。国民劇場の隣りとあって演劇の場面を映した写真があちこちの壁に貼られてあり、ヴルタヴァ川の流れを眺めながらゆったりとひと時を過ごすには格好の場所だった。

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ヴァーツラフ広場 プラハの春と崩壊、ビロード革命

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 今日は8月20日。43年前のこの日、世界の歴史に刻まれる、ある事件が起きた。その現場はプラハ・ヴァーツラフ広場。

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 ヴァーツラフ広場は、華やかな演劇の舞台のように目の前に広がっていた。

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 両側に建ち並ぶ宮殿とみまごう建築群に挟まれた縦長の広場は、750mの先に国立博物館が偉容を見せる。1348年に造られたこの広場は、チェコを揺るがす様々な歴史的事件を見つめてきた。

 1968年、共産主義時代のチェコで民主的改革を唱えたドプチェク政権は、検閲廃止、集合・結社の自由など人間の顔をした社会主義を進めようとした。しかし、これをソ連への反抗とみなしたワルシャワ条約機構軍は、このヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、チェコ全土を制圧した。「プラハの春」がもろくも崩壊した瞬間だ。そのソ連侵攻が43年前の8月20日だった。P3075114


 その時、市民たちは非武装での抵抗を続けたが、圧倒的な武力の前には空しかった。ただ、チェコ人が言葉の民であることを象徴するこんなエピソードがある。侵攻に対して、市民たちの抵抗は戦車の兵士たちに語りかけることで説得を試みた。そんな中、「反革命分子の一斉摘発」(ソ連の意向に反する人間狩り)の情報が流れると、一夜にして街路名、番地、アパート名などの標識や文字が一斉に撤去された。地理に疎い外国人たちの摘発を極力遅らせるための非暴力の抵抗だ。そして、この広場への「自動車進入禁止」の標識が「戦車侵入禁止」に替えられ、残った標識は「モスクワへ1800キロ」だけだったという。したたかな国民性を表わす話だ。

 こうした記録は、先日まで恵比寿の東京都写真美術館で開かれていたジョセフ・クーデルカの写真展「INVASION PRAGUE 68」でも見ることが出来た。

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 広場の一角に小さな碑が作られている。武力侵攻に抗議して焼身自殺した若者の記念碑だ。

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 青年の名前は大学生ヤン・パラフとヤン・ザイーツの二人だ。パラフは遺書に「絶望の8月を忘れるな」と書いた。

 また、ドプチェクを始めとした改革派は大使から医師まで公職追放され、掃除人夫に身をやつした。その当時の様子を克明に描いたのがミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」だ。これはフィリッピカウフマン監督によって映画化されたが、当時のヴァーツラフ広場の実写が使われている。

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 不屈の精神は脈々と受け継がれ、1989年11月には、一滴の血も流さないビロード革命によって共産主義政権は崩壊、この広場を30万人の市民が埋めつくした。この像は聖ヴァーツラフ。

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 その市民たちの前で、新大統領に就任することになるヴァーツラフ・ハヴェルが高らかに勝利を宣言した。ハヴェルは軍人でも政治家でさえなく、当時は劇作家だった。

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 そんな広場で一際目につくのが、ホテル・エウローパ。

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 屋上部分には浮かぶように立つ女性たちの像、半円形に仕切られたスペースにはHOTELの文字が入り、至る所にアールヌーヴォーの装飾が施されている。

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 繋がっているHOTEL MERANの壁面にも天国の自然を表現したという優雅な装飾が広がる。ちょうど陽を浴びる時間帯だったので鮮明な姿を見ることが出来た。

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 その少し南にある「ペテルカ館」は、建築家ヤン・コチュラの最初の本格作品だ。プラハのアール・ヌーヴォーの中でも指折りの名建築。

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 最上階の窓に素晴らしい群像が据えられ、その下の階の彫刻と共に劇的空間を見事に演出している。コチュラは次第に合理主義建築に移行して行くが、この建物は装飾的要素を盛り込んで、初期の傑作として評価されている。今はこのビルにH&Mの店が入っていた。

 そんな訳で、ヴァーツラフ広場は今、市民たちの集いの場になっている。

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パリ通りの壁面装飾下 プラハのアールヌーヴォー

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  96番地「ヴィーナスの競演」

 

 螺旋階段のビルの隣りの玄関。フクロウを挟んで向かい合った豊満な2人のヴィーナスが、お互いに自分のスタイルを競い合っているようだ。壁には花模様がちりばめられ、角には母子像の絵画も飾られて、建物全体が輝いている。以前はこの建物は娼婦の館だったとのことだ。

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 68番地「メリクール像」

  このビル屋上には商業の神様・メリクール像が手を挙げている。まるでこれから空へ飛び出すかのような軽やかな姿が印象的。ここはグッチの店が入っていた。

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 同「ダンスはまかせて」

 天を仰ぎながら、今にも踊り出しそうな2人の女性。間もなく本番を控えたダンサー達のようにうきうきした雰囲気が漂う。

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 旧市街広場のビル群

 ここからはもうパリ通りの終点・旧市街広場になる。その向かって一番左のビルから。

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 パリ通り角「苦役に耐える」

 先ほどの女性たちとは全く反対に、厳しい労役中といった彫刻。でも、いつかはこの苦しみから抜け出していつかは我々の理想とする社会を、と内に闘志を秘めて耐えているイメージが伝わってくる。

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 夜に見ると、なおさらそんな苦しみのイメージが増幅する。

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 934番地「秘密の発覚」

 隣のビルには2階バルコニーで、何かを指摘するように指さす女性と、たじろぐ女性。今まで隠していた秘密が暴露された瞬間の劇的な場面に見える。

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 チェコ通産省ビル「勝利を我らに」

 先ほどの旧市街広場写真の左から3番目のビル。アオルヌーヴォーの華麗な装飾が素晴らしい。屋上の兵士は高らかに勝利を宣言しているかのようだ。

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 2階部分の中央には王冠が備えられ、甕を持つ2人の天使が祝福している。

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 カプローヴァ通り16番地「プラハの人魚」

 両手を軽く上げ、両サイドに合計10匹の鯉に囲まれた像は、まるで水辺に浮かぶプラハの人魚のようだ。

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 1067番地「健やかに育て 我が子よ」

 ルネサンス期などの母子像とは全く違う、かなり現代的な構図の母子像だ。

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 ビルコーヴァ通り132番地「5人の労働者」

 ビルコーヴァ通りを市民会館側に進むと、労働者たちが腕を組んで待ち受ける。レンガ色の建物だけにいかにも日焼けした労働者風だ。

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 カフカの生家

 カプローヴァ通りに入る角にはフランツ・カフカの生家があった。城、変身など不条理の小説で有名だ。今はここが博物館になっている。

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 すぐ近くにはカフェ・カフカも。

出来るだけ建物の順序に説明したつもりだが、番地の数字はかなり不規則に付けられており、完全に正確でない部分もあるのはお許しください。装飾の名称は、姿の印象などから勝手につけたもので、一般的に決まった名称はありません。なお、「プラハのアールヌーヴォー」(田中充子著)を参考にしました。

 

 ふと気づいたら、13日にアクセス数10万件を突破していました。最近は1日200件を超える日もよくあります。本当に読者の皆様に感謝です。

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パリ通りの壁面装飾 上

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 プラハで最も魅力的な通りの一つは、旧市街広場からチェコ橋につながるパジースカ(パリ)通りだろう。その街並み散策に出かけた。

 この通りはプラハの都市大規模再開発によって生まれた新しい道だ。この地区はユダヤ人たちの居住区を塀で取り囲んだ閉鎖的なゲットーだった。だが、その中でも豊かな層は快適な別の場所に引っ越し、そこに移住した低所得のチェコ人と残された貧しいユダヤ人のスラム化した状況が続いていた。そんな中、1891年の産業博覧会開催などで意識に目覚めた国が、スラムクリアランス法を制定して、スラム解消の再開発に乗り出した。

 19世紀半ば、オスマン知事によって都市改造に着手したパリ、城壁撤去を機にリンク通りを造ったウイーン。それらの都市にわずかに遅れたが、内容は抜本的なものだった。この地区に約600軒あった建物は高さを揃えた83軒のビルに整理され、10本の直線道路が造られた。その際、建築様式はアール・ヌーヴォーが採用された。この頃ヨーロッパではアール・ヌーヴォーは衰退の兆しを見せていたが、プラハではそれに様々な別様式も加味し、意匠を凝らした百花繚乱の街並みが形成されて行った。

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126番地 「王と王妃」
 

さあ、そんな街を、チェコ橋そばのインターコンチネンタルホテル側から歩きだした。いろいろな姿をした像たちには勝手にタイトルを付けて遊んでみよう。126番地のビルにはこんなレリーフが。君臨する王夫妻が幸せそうに互いを見つめ合っている。

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 同「隙あらば・・・」

 だが、その下の階では、家臣と思われる男が隙あらば謀反でも起こそうかといった風情で街を見下ろす。

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 同「私は中立」

 その中間にいる壁の女性は、馬耳東風。私は政治には無関心・・とでも言いそうな気楽なムード。

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 シロカー通り角「ロシア生まれの娘たち」

 荷物を背負った2人の娘。1人はつぼを手に、もう1人は肩に載せている。この2人はビルのオーナーの娘で、ロシアで生まれたのだそうだ。このビルは今プラダの店になっている。

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 130番地「見返り美人」

 菱川師宣の浮世絵のチェコ版。振り返る女性のレリーフ。ただし、こちらは大胆な格好。

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 97番地「聖イジーの竜退治」

 ビル4階角で槍を振り上げる戦士は聖イジー。伝説に基づくエピソードで、聖ヴィート大聖堂横の庭にも同様の像があった。このビルには面白い顔が集まっている。

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 同「俺たちは知っている」

 2階部分には深刻な顔をした男たちが額を寄せ合っている。「沢山の困ったことを、俺たちは知ってしまった」

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 同「神よ助けたまえ」

 なんとか今の事態を立て直さねば。神よ我々にお恵みを!

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 同「偵察中」

 玄関入口では兵士たちが中をうかがう感じ。中には何があるのだろうか。じゃあ、中に入って見ようか。

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 同「輝ける螺旋階段」

 入って見ると、階段好きの私としては歓声を上げたくなるような素晴らしい螺旋階段があった。管理人の叔父さんに撮影の許可を求めると、あっさりOKが出た。

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 螺旋のグラデーション、上から差し込む光の明暗の具合など、素晴らしい。有難うと、礼を述べると、叔父さんは「それはよかった」と、私の肩をたたきながら一緒に喜んでくれるなど、とてもフレンドリーな人だった。

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ホテル装飾、カフカの肖像

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  午後は市民会館付近の街歩きを再開した。会館のすぐ裏側に回ると、「ホテル・パジーシュ(パリ)」がある。正面入り口を縁取る装飾は、他に類をみないほどのファンタジックなものだ。まず、色彩の鮮やかさ。青と緑を基調とした配色は、まるで宮殿を飾るようなあでやかさ。よく見ると、これは絵の具で描いたものではなく、モザイクだった。道理でいつまでも退色しないわけだ。

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 広い通りに面した最上階付近の壁には中世の貴族の絵が3枚はめ込まれている(向かって左の建物。絵を狙って摂るのを忘れていました)。こちらの角はすっきりとしたスタイルが心地よい。国の文化財に指定されている建物だ。

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  作家フラバルは自分の小説の中でこのホテルについて「頭からひっくり返るほど美しい」と書いた。

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 すこし東側にある「ホテル・ツェントラル」も、小さいながらピリッとインパクトの効いたビルだ。

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 2階に女性の顔のレリーフがあり、その頭付近から伸びた木の枝が冠になっている。玄関屋根のアーチもしゃれている。

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 入口にはアールヌーボー風の植物の浮き彫りがあしらわれていた。

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 さらに東に進むと、第一次世界大戦の帰還兵のために設立されたチェコスロバキア義勇軍銀行ビルがある。

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 設立の趣旨に沿って彫られたのであろう、2階部分の義勇軍兵士たちの群像が4か所に配置されている。ヤン・シュトゥルサ作。

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 上半身をクローズアップした造形は迫力十分。その上部には兵士たちを暖かく迎える市民たちの模様も。

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 ガスマスクをした兵士の姿もあり、時代を反映したものとなっている。

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 入口もアール・デコ風。といってもどこか土臭さを残しているところがチェコらしい。現在はチェコ商業銀行になっている。

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 もう一か所、「ホテル・オールドタウン」ロビーに入った。このビルにはかつてフランツ・カフカが勤務していたチェコ保険会社が入っていた。つまり、1900年代前半に彼が毎日通っていた場所だ。ロビーにカフカの像が置かれていると聞いていたので、「写真を撮らせてほしい」とフロントにお願いすると、快く承諾してくれた。

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 ロビー奥に、頭だけの小さな像がひっそりと置かれていた。

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 が、その脇から伸びている階段の鉄製手すりが、カフカを包み込むようにしてらせん状に上昇している。そのコラボが、何ともいえぬ調和を感じさせてくれた。

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 礼を言って帰ろうとしたら、フロントの女性が呼び止めた。何かと思ったら、プラハにあるカフカの記念館など、カフカゆかりの場所を記したパンフレットをプレゼントしてくれた。こんな、ちょっとした心遣いに触れると、旅が思い出深いものになって行く。



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プラハのアールヌーボー 市民会館、火薬塔

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 プラハ本駅から市民会館までは10分も歩けば到着する。まず目につくのは装飾に満ちたファザードだ。

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 黄色を基調とした明るい色調が華やかさを演出する。ここは歴代の王が住む宮廷があった場所だが、取り壊された後、1911年に今の市民会館が建造された。歴史的建築物があふれるプラハの街では比較的新しい。ここもオズワルド・ポリーフカとバルシャネークの共同設計によるアールヌーボーの館だ。

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 正面バルコニーの半円形の壁面には「プラハへの敬意」と題されたスラヴの民話がモザイクで描かれた(カレル・シュピテル作)。またアーチ状に「プラハに栄光あれ 時の流れをものともせず すべての紆余曲折に耐えてきたように」とチェコ語で刻まれている。チェコが積み重ねてきた忍耐の歴史を改めて思い浮かべさせるとともに、言葉の民として、言葉で語り継ぐチェコ民族の伝統が、ここにも表れているようだ。

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 このバルコニーの奥が市長室になっており、ムハの作品が飾られているはずだが、ガイドツアーでないと入れず、今回は見送った。

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 各所に配置された彫刻の大半はシャウロンの作。手の込んだ作品に仕上がっている。

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 いくつものカーブの組み合わせが面白い。

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 エントランスで振り返ると、ここにステンドグラスが使われていることに気付いた。

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 正面入り口のドアも魅力的な曲線で構成されている。この時は中でモジリアニ展を開催していたらしく、右下にポスターが見えている。この奥にはスメタナホールがある。有名なプラハの春音楽祭は、スメタナの命日である5月12日に、彼の代表作である「我が祖国」の演奏がここで行われて、祭りの幕が開けられる。

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 少し遅めの昼食は、同会館入り口左側のカフェ「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」という舌をかみそうな名前の店にした。会館内にはいくつものレストランやカフェがあるが、ここが一番リーズナブルな値段だったため。でもアール・ヌーボーの装飾がなされ、ゴージャスな雰囲気。客層も様々な国籍が入り混じって大賑わいだった。

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 また、助かったのは支払いにチェココルナだけではなくてユーロも使えるということだった。チェコ滞在はそれほど長くないので両替は最小限にしていたので、これは有難かった。チェコがEUに加盟したのは2004年だが、通貨は依然としてコルナのまま。まだ当分ユーロになるという見通しはないそうだ。カフェの壁にはこんな女性の浮き彫りも飾ってあった。

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 隣にある黒い建物は1475年完成の火薬塔。かつては城壁を守る門の一つだったが、17世紀に火薬庫として転用され、その名前が残った。市民会館と並ぶと、その年代の差が実感できる。

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 最後に夜景を一枚。後日、夜の街歩きをした時の模様を掲載する際に、改めて紹介しよう。

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プラハ本駅 アールヌーボーの空間

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 少し歩き疲れたので、市民会館までトラムで移動しようと思った。ところが、乗ったトラムの路線番号を確かめなかったため、市民会館とは違う方向に行き、鉄道駅近くに来てしまった。それなら到着日にちゃんと見ていなかったプラハ本駅をゆっくり見ようと下車した。

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 ヨゼフ・ファンタ設計のこの駅舎は、1,2階は近代的に改装されているが、3階は全く趣を異にしたアールヌーボーの丸天井が出迎えてくれる。

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 壁面から飛び出している立体的な彫刻像が。上部に「1918」の数字が見える。この年は第一次世界大戦にハプスブルク帝国が敗戦して帝国が崩壊、それに伴ってチェコの独立が宣言された年だ。

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 このようなムハ風の女性を描いたポスターも展示されてあった。このスペースはカフェになっており、装飾は素晴らしいが、着席する椅子が少なく照明も暗めで、あまり居心地はよさそうに見えない。それでここでのお茶はパスした。

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 すぐ横からプラットホームに出られる。ウイーンやドイツ、ポーランドの都市などほとんどすべての国際電車はここから出発する。屋根付きで哀愁を感じさせる場所だ。

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  外に出て見ると、壁の沢山の顔が並んでいる。これはおとなし目の女性の顔。

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 こちらは憂いを含んだ表情が印象的。

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 かと思えば、こんな怒りの表情をあらわにした像も。

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 2つ上の像とかなり似ているが、微妙に違う。瞑想中といったところかも。

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 事務棟入口にあったのは、上から覆いかぶさるかのように見下ろす女性像2体。

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 この2人もまた、なんとも哲学的な表情で、忘れ難いイメージを見る側に植え付ける像だった。このような群像が、乗降客がほとんど行き来しない駅の裏側部分にあるというのは、もったいない気がする。

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 群像のある壁面の前はこのような自動車道になっていた。さあ、改めて市民会館に向かおう。


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