聖キリルと聖メトディウス教会 ナチの虐殺
ヴルタヴァ川に架かるカレル橋にある彫像の一つに、聖キリルと聖メトディウス像がある。スラヴ語訳の聖書を完成させ、キリスト教をモラヴィア地方に広めた功績者で、聖ヴィート教会のムハのステンドグラスにも描かれている。
その2人を祀った教会が、現代建築の典型ともいえるダンシングビル近くの坂道にひっそりと建っている。
道路沿いの壁を見ると、いくつもの砲弾の跡が残り、その上方に弔いの銘板が据えてあった。
一見すると、特にどうということもない普通の教会。だが、この教会は約70年前のある事件の現場として脚光を浴びることとなった。
1939年、第二次世界大戦の最中、ナチスドイツがチェコに侵攻、支配下に置いた。ヒトラーは金髪の野獣と呼ばれるラインハルト・ハイドリッヒを副総督としてチェコに送り込む。彼は即、戒厳令を出してチェコ首相を死刑にするとともに圧政を敷いた。
これに対して、チェコの亡命政府は7人の特攻兵を送りこんで、ハイドリッヒの暗殺を実行した。1942年の6月10日のことだった。
7人は、この教会の地下に隠れた。しかし、ナチの追及は苛烈を極めた。
ついに6月18日、800人ものナチ部隊がこの地下に突入し、7人全員が惨殺される結果となった。
ナチの“復讐”はそれだけでは終わらなかった。彼らをかくまった教会修道士やユダヤ人らを殺害したうえ、実行者の出身地であるリディツェ村など5つの村を襲い、成人男子全員を射殺、女子供は強制収容所に送ってしまう。総勢1万3千人の虐殺劇だった。 その犠牲者たちの名前が教会前の小さな広場の碑に刻まれている。
地下の現場には7人の像や写真などが公開されていた。
中には当時の新聞なども掲示されており、アメリカ海軍長官F・D・ノックスの言葉も掲載されていた。彼は「我々の子供たちが私たちに、なぜこの戦争を遂行したかを問うたならば、我々はリディツェ村の物語を、彼らに語ることになるだろう」と話している。
訪れる人は少なかったが、たまたま一緒になった家族は、関係者なのだろうか、地下室で長い長い黙とうを捧げていた。
この事件は後に「暗殺」「暁の7人」などの映画にもなったが、私はこの旅の準備中に初めて知った。日本ではあまり知られていないことではないだろうか。
ナチの狂気が吹き荒れた時代から約70年の歳月が経過しても、この地下室には、まだ濃密な憎悪の匂いが立ち込めていた。
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