プラハ 建築

マサリク堤防沿いの建築群 壁面装飾

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 午後になると、春の太陽は急速に南西の空に傾き始める。そんな時間帯にヴルタヴァ川沿いに建ち並ぶマサリク通りを眺めると、まるで壁面に金箔をはったかのようにキラキラと輝きを増して行く。そんな建築群を散歩がてら観察に出かけた。

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 この通りは国民劇場から始まるが、その向かい側224番地に建つ館は、旧東ドイツ大使館。今はゲーテ・インスティチュートというドイツ語の学校になっている。

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 入口のガラス面や扉の装飾も凝っている。

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 屋上には黄金の太陽、翼を広げた鷲もいて、賑やかだ。

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 236番地の黄色いビル中央壁面には「いざ出陣」と張りつめた表情の戦士が張り付き、足元には町の様子を描いた壁画が飾られている。

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 その隣の玄関には大皿?を抱えた2人の子供が向かい合って立つ。

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 234番地、鳥の家と呼ばれる館にはあちこちに鳥があしらわれている。

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 その玄関のフクロウが、最も象徴的。

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 238番地は玄関両側に上半身裸のうつむく労働者が、労働の真っ最中だ。

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 248番地は、この通りでも最も有名なフラホル合唱団の館。3階壁面の4体の彫像が一番目立つが、もう少し近寄って見よう。

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 アール・ヌーヴォー調の壁面装飾がたっぷり施されている。下面に黒い3つの鉄板のようなものが見えるが、これはスメタナなどプラハの代表的音楽家の肖像だ。

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 そして、入口に描かれた七色の鳥の羽根の装飾。見事な装飾に見入ってしまった。

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 少しへこんだ通りの建物にあった女性像。堂に入ったポーズなど、もう少し埃を拭いたら見事な像なのだろうが、汚れ具合がちょっと残念だ。

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 小さな広場に面した角の建物はご覧のように彫像のオンパレード。

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 少しアップしてみると、こんな具合。ここの先には以前紹介したポストモダンのダンシングビルが建っている。

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 国民劇場まで引き返して、その向かいにある「カフェ・スラヴィア」に入った。この大きなビルの1階。滞在中、この通りを走る17番トラムを何度も利用し、その度に一度は入って見ようと思っていたカフェだ。

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 ウイークデイの午後とあって、何やら商談をするビジネスマン、買い物帰りの母娘、ゆったりと新聞を読む紳士など客層はさまざま。春江一也唯一の秀作「プラハの春」でも主役のカテリーナと豪介がこのカフェで語り合う場面が描かれている。国民劇場の隣りとあって演劇の場面を映した写真があちこちの壁に貼られてあり、ヴルタヴァ川の流れを眺めながらゆったりとひと時を過ごすには格好の場所だった。

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ヴァーツラフ広場 プラハの春と崩壊、ビロード革命

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 今日は8月20日。43年前のこの日、世界の歴史に刻まれる、ある事件が起きた。その現場はプラハ・ヴァーツラフ広場。

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 ヴァーツラフ広場は、華やかな演劇の舞台のように目の前に広がっていた。

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 両側に建ち並ぶ宮殿とみまごう建築群に挟まれた縦長の広場は、750mの先に国立博物館が偉容を見せる。1348年に造られたこの広場は、チェコを揺るがす様々な歴史的事件を見つめてきた。

 1968年、共産主義時代のチェコで民主的改革を唱えたドプチェク政権は、検閲廃止、集合・結社の自由など人間の顔をした社会主義を進めようとした。しかし、これをソ連への反抗とみなしたワルシャワ条約機構軍は、このヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、チェコ全土を制圧した。「プラハの春」がもろくも崩壊した瞬間だ。そのソ連侵攻が43年前の8月20日だった。P3075114


 その時、市民たちは非武装での抵抗を続けたが、圧倒的な武力の前には空しかった。ただ、チェコ人が言葉の民であることを象徴するこんなエピソードがある。侵攻に対して、市民たちの抵抗は戦車の兵士たちに語りかけることで説得を試みた。そんな中、「反革命分子の一斉摘発」(ソ連の意向に反する人間狩り)の情報が流れると、一夜にして街路名、番地、アパート名などの標識や文字が一斉に撤去された。地理に疎い外国人たちの摘発を極力遅らせるための非暴力の抵抗だ。そして、この広場への「自動車進入禁止」の標識が「戦車侵入禁止」に替えられ、残った標識は「モスクワへ1800キロ」だけだったという。したたかな国民性を表わす話だ。

 こうした記録は、先日まで恵比寿の東京都写真美術館で開かれていたジョセフ・クーデルカの写真展「INVASION PRAGUE 68」でも見ることが出来た。

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 広場の一角に小さな碑が作られている。武力侵攻に抗議して焼身自殺した若者の記念碑だ。

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 青年の名前は大学生ヤン・パラフとヤン・ザイーツの二人だ。パラフは遺書に「絶望の8月を忘れるな」と書いた。

 また、ドプチェクを始めとした改革派は大使から医師まで公職追放され、掃除人夫に身をやつした。その当時の様子を克明に描いたのがミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」だ。これはフィリッピカウフマン監督によって映画化されたが、当時のヴァーツラフ広場の実写が使われている。

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 不屈の精神は脈々と受け継がれ、1989年11月には、一滴の血も流さないビロード革命によって共産主義政権は崩壊、この広場を30万人の市民が埋めつくした。この像は聖ヴァーツラフ。

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 その市民たちの前で、新大統領に就任することになるヴァーツラフ・ハヴェルが高らかに勝利を宣言した。ハヴェルは軍人でも政治家でさえなく、当時は劇作家だった。

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 そんな広場で一際目につくのが、ホテル・エウローパ。

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 屋上部分には浮かぶように立つ女性たちの像、半円形に仕切られたスペースにはHOTELの文字が入り、至る所にアールヌーヴォーの装飾が施されている。

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 繋がっているHOTEL MERANの壁面にも天国の自然を表現したという優雅な装飾が広がる。ちょうど陽を浴びる時間帯だったので鮮明な姿を見ることが出来た。

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 その少し南にある「ペテルカ館」は、建築家ヤン・コチュラの最初の本格作品だ。プラハのアール・ヌーヴォーの中でも指折りの名建築。

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 最上階の窓に素晴らしい群像が据えられ、その下の階の彫刻と共に劇的空間を見事に演出している。コチュラは次第に合理主義建築に移行して行くが、この建物は装飾的要素を盛り込んで、初期の傑作として評価されている。今はこのビルにH&Mの店が入っていた。

 そんな訳で、ヴァーツラフ広場は今、市民たちの集いの場になっている。

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パリ通りの壁面装飾 上

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 プラハで最も魅力的な通りの一つは、旧市街広場からチェコ橋につながるパジースカ(パリ)通りだろう。その街並み散策に出かけた。

 この通りはプラハの都市大規模再開発によって生まれた新しい道だ。この地区はユダヤ人たちの居住区を塀で取り囲んだ閉鎖的なゲットーだった。だが、その中でも豊かな層は快適な別の場所に引っ越し、そこに移住した低所得のチェコ人と残された貧しいユダヤ人のスラム化した状況が続いていた。そんな中、1891年の産業博覧会開催などで意識に目覚めた国が、スラムクリアランス法を制定して、スラム解消の再開発に乗り出した。

 19世紀半ば、オスマン知事によって都市改造に着手したパリ、城壁撤去を機にリンク通りを造ったウイーン。それらの都市にわずかに遅れたが、内容は抜本的なものだった。この地区に約600軒あった建物は高さを揃えた83軒のビルに整理され、10本の直線道路が造られた。その際、建築様式はアール・ヌーヴォーが採用された。この頃ヨーロッパではアール・ヌーヴォーは衰退の兆しを見せていたが、プラハではそれに様々な別様式も加味し、意匠を凝らした百花繚乱の街並みが形成されて行った。

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126番地 「王と王妃」
 

さあ、そんな街を、チェコ橋そばのインターコンチネンタルホテル側から歩きだした。いろいろな姿をした像たちには勝手にタイトルを付けて遊んでみよう。126番地のビルにはこんなレリーフが。君臨する王夫妻が幸せそうに互いを見つめ合っている。

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 同「隙あらば・・・」

 だが、その下の階では、家臣と思われる男が隙あらば謀反でも起こそうかといった風情で街を見下ろす。

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 同「私は中立」

 その中間にいる壁の女性は、馬耳東風。私は政治には無関心・・とでも言いそうな気楽なムード。

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 シロカー通り角「ロシア生まれの娘たち」

 荷物を背負った2人の娘。1人はつぼを手に、もう1人は肩に載せている。この2人はビルのオーナーの娘で、ロシアで生まれたのだそうだ。このビルは今プラダの店になっている。

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 130番地「見返り美人」

 菱川師宣の浮世絵のチェコ版。振り返る女性のレリーフ。ただし、こちらは大胆な格好。

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 97番地「聖イジーの竜退治」

 ビル4階角で槍を振り上げる戦士は聖イジー。伝説に基づくエピソードで、聖ヴィート大聖堂横の庭にも同様の像があった。このビルには面白い顔が集まっている。

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 同「俺たちは知っている」

 2階部分には深刻な顔をした男たちが額を寄せ合っている。「沢山の困ったことを、俺たちは知ってしまった」

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 同「神よ助けたまえ」

 なんとか今の事態を立て直さねば。神よ我々にお恵みを!

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 同「偵察中」

 玄関入口では兵士たちが中をうかがう感じ。中には何があるのだろうか。じゃあ、中に入って見ようか。

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 同「輝ける螺旋階段」

 入って見ると、階段好きの私としては歓声を上げたくなるような素晴らしい螺旋階段があった。管理人の叔父さんに撮影の許可を求めると、あっさりOKが出た。

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 螺旋のグラデーション、上から差し込む光の明暗の具合など、素晴らしい。有難うと、礼を述べると、叔父さんは「それはよかった」と、私の肩をたたきながら一緒に喜んでくれるなど、とてもフレンドリーな人だった。

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ホテル装飾、カフカの肖像

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  午後は市民会館付近の街歩きを再開した。会館のすぐ裏側に回ると、「ホテル・パジーシュ(パリ)」がある。正面入り口を縁取る装飾は、他に類をみないほどのファンタジックなものだ。まず、色彩の鮮やかさ。青と緑を基調とした配色は、まるで宮殿を飾るようなあでやかさ。よく見ると、これは絵の具で描いたものではなく、モザイクだった。道理でいつまでも退色しないわけだ。

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 広い通りに面した最上階付近の壁には中世の貴族の絵が3枚はめ込まれている(向かって左の建物。絵を狙って摂るのを忘れていました)。こちらの角はすっきりとしたスタイルが心地よい。国の文化財に指定されている建物だ。

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  作家フラバルは自分の小説の中でこのホテルについて「頭からひっくり返るほど美しい」と書いた。

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 すこし東側にある「ホテル・ツェントラル」も、小さいながらピリッとインパクトの効いたビルだ。

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 2階に女性の顔のレリーフがあり、その頭付近から伸びた木の枝が冠になっている。玄関屋根のアーチもしゃれている。

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 入口にはアールヌーボー風の植物の浮き彫りがあしらわれていた。

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 さらに東に進むと、第一次世界大戦の帰還兵のために設立されたチェコスロバキア義勇軍銀行ビルがある。

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 設立の趣旨に沿って彫られたのであろう、2階部分の義勇軍兵士たちの群像が4か所に配置されている。ヤン・シュトゥルサ作。

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 上半身をクローズアップした造形は迫力十分。その上部には兵士たちを暖かく迎える市民たちの模様も。

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 ガスマスクをした兵士の姿もあり、時代を反映したものとなっている。

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 入口もアール・デコ風。といってもどこか土臭さを残しているところがチェコらしい。現在はチェコ商業銀行になっている。

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 もう一か所、「ホテル・オールドタウン」ロビーに入った。このビルにはかつてフランツ・カフカが勤務していたチェコ保険会社が入っていた。つまり、1900年代前半に彼が毎日通っていた場所だ。ロビーにカフカの像が置かれていると聞いていたので、「写真を撮らせてほしい」とフロントにお願いすると、快く承諾してくれた。

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 ロビー奥に、頭だけの小さな像がひっそりと置かれていた。

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 が、その脇から伸びている階段の鉄製手すりが、カフカを包み込むようにしてらせん状に上昇している。そのコラボが、何ともいえぬ調和を感じさせてくれた。

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 礼を言って帰ろうとしたら、フロントの女性が呼び止めた。何かと思ったら、プラハにあるカフカの記念館など、カフカゆかりの場所を記したパンフレットをプレゼントしてくれた。こんな、ちょっとした心遣いに触れると、旅が思い出深いものになって行く。



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キュビズム・黒い聖母の家、現代建築

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 プラハには伝統的な建物だけでなく、世界でも珍しい建築様式のものを目にすることが出来る。例えばこんな超現代的なビル。ダンシングビルと呼ばれる。ダンスをしているような姿に見えることからそう名付けられたそうだが、一見すると、地震で破壊されたようにも見えてしまう。

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 また、世界でもここだけというキュビズムの建築も存在する。20世紀、新しい芸術運動としてブームとなり、絵画の世界ではピカソやブラックなどによって一大センセーションを巻き起こしたが、建築分野でそれが実践されたのはチェコだけだった。代表的なものの一つが市民会館の近くにある黒い聖母の家。ヨゼフ・ゴチャールによって完成したのが1912年、市民会館完成の翌年だ。

 外観はそれほど奇異な感じは受けないが、よく見ると異なった大きな箱を重ねたような造りで、斜めのラインを立体的に組み合わせて独特の姿を形成している。

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 建物の名称は、キュビズムとは無関係で、北側角に飾られている黒い聖母に由来している。

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 この建物で最もインパクトがあるのが、キュビズム博物館になっている上階に昇る階段のフォルムだ。

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 下から見上げると、緩やかな弧を描くような曲線だが、

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 上から見下ろすと、龍が荒々しく体を渦巻状にして迫ってくるかのような迫力が感じられる。

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 そんな変幻自在な形の面白さを堪能することが出来た。

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 一階ではキュビズムの日用品を売っていた。これはコーヒーカップセット。

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 角ばった灰皿。

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 宝石箱。この建物の2階にはグランドカフェ・オルエントというカフェも営業している。

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 とてもわかりやすいキュビズムの建物としては、プラハ南部・ヴィシェフラド地区にあるリプシナ通りの邸宅がある。これも1912-13年の建築。幾何学的構成の具合はこちらの方がよくわかる。

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 ちょうどここに住んでいる人が買い物か何かから帰ってくるところだった。

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 そして、この現代建築。ヴルタヴァ川岸、イラーセク橋のたもとに建つダンシングビルは、1992-96年に保険会社ビルとして造られた。最上階には高級レストランも入っているという。

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 ちょっと川の方を見ていて、こちらに目を戻したら、トラムが通り過ぎようとしており、一瞬この車両がビルにぶつかってゆがんだのでは、という錯覚にとらわれた。建築時にもかなり議論となったようだが、今でも街に完全になじんでいるかどうかは、論議の分かれるところだろう。

 

 こうした近代建築だけでなく、バロック、ゴシックも含めた建築群で埋め尽くされたプラハの街について、プラハ出身の詩人ライナー・マリア・リルケは「建築という巨大な抒情詩の街」と評している。

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