ラ・ロトンドでーモディリアニとジャンヌの物語⑦
晩秋の午後、ラ・ロトンドでカフェ・クレームを飲みながら外を通る人たちを眺めている。
ちょうどすぐ横にモディリアニの描いた絵が架かっている。ジャンヌ・エビュテルヌ。
そう、まっすぐ前を見つめる、強い意志を感じさせる、しかもちゃんと黒い眼のある肖像画だ。これは、モディリアニと出会った直後の姿だろうか。清楚で混じり気のない純粋さで人を信じることの出来た年代のようにも見える。
モディリアニと恋に落ち、愛する人に見つめられて自らの姿を描かれることの喜び。印象深いあの髪を結んだ写真のように、人を拒絶するような厳しさはない。強く、しかし受容の心を感じさせる視線でもある。
やがてモディリアニの子を宿し、生み、さらに2番目の子を授かろうとしながら、夫の死のわずか2日後に自ら生命を断つという悲劇的な生涯の終わりを迎えた。出会いから死までわずか数年の間のことだった。
画学校にも通っていたジャンヌ。その才能も決して侮れぬものだったはずなのに、選んだのは生きて画家の道を歩むことではなく、愛する夫のいなくなったこの世との決別だった。
このロトンドは、モンマルトルから移ってきた芸術家の拠点として栄えた。モディリアニはここで客の似顔絵を描き、フジタはこの店のカウンターでモデルを踊らせたこともあった。芸術家たちとその卵たちが集い、描き、語り、騒いで時を過ごした。そんな時間がこの空間に凝縮し、今も残り香が香っているかのようだ。向かいには、ヘミングウエイらアメリカ系の文化人たちが集まったル・ドームが見える。
犬を連れた、もう80歳にもなろうかという老婦人が、すんなりと窓際の席に座る。若いきりっとしたウエイターはさも当然のように「マダーム」と、オーダーを問いかける。日常の風景だろうが、それが、パリ、ロトンドだからこそ、しっくりと収まっている。
「だれとだれが初めて出会ったのは、この店だった」などというエピソードがいくつも転がっている店。
11月の平日の午後でも、次々と人が行き来するエトランゼの空間。そういえば、モディリアニ、フジタ、ピカソ、シャガール・・・。その多くが他国から移り住んだ異邦人たちだ。そこに刺激と感性の飛躍を夢見て集まった気鋭の若者たちが、新たな文化を創り上げるための熟成の場として、この店もまた機能していたことだろう。
今もそんな場となっているかどうかは知らない。ただ、何か赤いビロードに囲まれた空間でほろ苦いカフェを口にする時、一種の興奮状態に人を誘う作用があることは確かだろう。
モディリアニとジャンヌの短かった生涯をトレースしてパリの街を歩いてきた。その悲劇性ゆえに、二人の物語は画商たちとその関係者によって、より一層ドラマチックに飾り立てられ、彼の絵の値段を吊り上げる手段として利用されたことは否めない。
だが、そうした側面を踏まえたうえでも、二人の辿った20世紀初頭のストーリーは、それから100年を経過してもなお、やはり忘れ難く、深い印象を我々の胸に刻み込んでやまない。(終)
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