フランス・パリ 芸術

サロメとショパンの手 ギュスターヴ・モロー美術館とパリ市立ロマン主義美術館

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 オペラ座から北に向かって10分も歩けば、ロシュフーコー通りの右側にギュスターヴ・モロー美術館があります。象徴主義の旗手、神秘的な絵画で知られる世紀末の画家です。

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 この建物はモローが1898年に死去するまでここに住み、死後はその作品と共に国に寄贈されました。これを受けてフランス政府は5年後、国立としては初めての個人美術館として開館したものです。

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 美術館の目玉は、この「出現」。中央に出現した光り輝く首は洗礼者ヨハネ。それを指差すのはサロメです。

 物語をおさらいすると、紀元前の世界に溯ります。時の王、ヘロデ王はある催しの席で自分の2番目の妻の連れ子・サロメの踊りを鑑賞します。その美しい舞いに対して「何でもお前の好きなものをプレゼントしよう」と話します。サロメは母ヘロデヤと何事か話した後、「ヨハネの首が欲しい」と申し出ました。王はあまり気が進まなかったが、一旦言い出した以上後に引けず、ヨハネを殺してしまうという、新約聖書に掲載されている物語です。サロメ悪女説の源となっている話ですね。

 しかし、本当の悪女はサロメではなく、母親のヘロデヤなんですね。ヘロデヤは別の男性と結婚していました。しかし、その男性の出世の見込みが薄いとわかるや、ヘロデ王に言い寄り、不倫の末王にも離婚させて王女の地位に収まりました。それに対してヨハネは「よくないことだ」と厳しく批判します。ヨハネとは、キリストに洗礼を施した高僧で、民衆の支持も集めていました。かねがねヨハネを疎ましく感じていたヘロデヤは、サロメの踊りに対する報奨の話が出た時、サロメに「ヨハネの首をもらいなさい」とそそのかしたのです。

 まあ、そんな運命を背負わされたサロメとヨハネの“出会い”を、象徴的に描いた作品ですね。

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 この美術館のもう一つの見どころは、階段。3階から4階に通じる階段ですが、この見事な螺旋模様は必見です。

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 しかも、周りを絵画に囲まれており、作品の一部とさえ見えてしまいます。

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 それもそのはず、モロー自身が注文して造らせたものです。

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 階段を上る途中で横の壁に架かる絵を撮ったものです。モローは「目に見えるもの、手に触れられるものは信じない。心に感じられるものだけを信じます」と語り、神話や聖書の題材からセレクトしたテーマを描き続けました。

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 ここは書斎兼寝室。オープン当初は非公開の場所でしたが、開館100年を機に最近になって公開されました。ちょっと狭いスペースに見えますよね。

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 同じような部屋ですが、こちらは全く違う建物の内部です。モロー美術館から数分北へ行くと、市立ロマン主義美術館という建物があります。19世紀の画家アリ・シェフェールが住んでいた建物。ロマン主義の人たちのサロン的な場所となっており、ヴィクトル・ユゴー、リストなどが出入りしていたそうです。特に親交のあったジョルジュ・サンドのゆかりの品が多くコレクションされています。この部屋の鏡にもサンドの肖像画がかかっていますね。

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 サンドといえばショパン。ここにはショパンの石膏の手形が陳列されています。思ったより小さめな手です。

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 それと比べると、上にあるサンドの腕のほうが心なしか逞しく思えてしまいます。男勝りの才女というイメージが強いからでしょうか。

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 屋敷の主であるシェフェールの作品もご覧下さい。彼が絵を教えていたオルレアン家の子息と結婚したジョインヴィッレ夫人。

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 マダム・ソフィーの肖像画。上の絵と同じ人かと思いましたが、パンフレットを見ると、別人とのこと。

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 この美術館の良いところは、まず入場料が無料であること。入り口で入場券を発行してもらう必要がありますが、金は掛かりません。次に、中心地から近いのに、とても静かな環境にあること。さらに、庭にはカフェが開設されており、ゆったりと時間を過ごすことが出来ます。と、書いていながら、私の行った日にはこんな家族連れが席を占領してしまっており、とても賑やかでした。そんな日もあります。



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シャガールの天井画 実は天井にもパリの風景が広がっていた

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階段を上ってたどり着いたホールに入ろうとすると、ドアが開かない。「どうして?」。係員が近づいてきて「今舞台を使用中なので、30分後に開ける」とのこと。ホワイエ周辺に戻ったりしながら時間をつぶし、改めてホールへ。

 今度はドアを開けてくれたが、1つのボックス席だけの開放となり、10数人の見学客はすし詰め状態となってしまいました。押し合い寸前ながらどうにか立ち位置を決めて上を見上げると、シャガールの天井画がどーんと目に飛び込んできます。

この天井画は1964年、時の文化大臣アンドレ・マルローがシャガールに依頼して製作されたもの。つまり、この絵はオペラ座完成から89年後に取り付けられたものです。タイトルは「夢の花束」

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 中心部に吊り下げられているシャンデリアは、重さ7トン、金メッキのブロンズとクリスタルで造られています。贅沢!

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   絵画部分を詳し目に見てみましょう。シャガールは絵画全体を5つの色に区分して、各区画に著名な音楽家とその作品の様子を描きこみ、さらにパリの代表的な風景をちりばめました。この赤の区画はラヴェルとストラヴィンスキーの区画です。

 ただ、クラシックには全く疎いので、絵を見ても何の音楽の様子を描いているのかは、私にはわかりません。詳しい方はどうぞ独自に解明してください。ただ、風景だけは私にもわかります。真ん中にエッフェル塔がそびえていますね。左下はパンテオンかも。

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 青の区画はムソルグスキーとモーツアルト。左端に半分だけ見えるのが魔笛でしょうか。シャガールらしく女性たちが空を飛んでいます。

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 白の区画。赤い建物はまさにオペラ座ですね。その上空をタイトル通りに花束を持った天使が飛んでいます。ここはラモーとドビュッシーの区画です。

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 緑の区画はベルリオーズとワーグナー。中心に凱旋門、その後ろにコンコルド広場が広がっています。

 もう一つ、黄色のチャイコフスキーとアダンの区画がありますが、狭い席で移動できず、シャンデリアに隠れて見ることが出来ませんでした。

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 シャガールはこの天井画の完成式で「この場所にちょうど鏡を置いたように、下の舞台で俳優や音楽家が創り出す盛り沢山の夢を映し出したいと思った」と語っています。こうして、半世紀経ってもシャガールの夢の花束は、優雅に観客の頭上で舞い続けています。

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 客席は5層に分かれ重厚な趣に満ち溢れています。

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 舞台では、この日の夜に行われるバレエ公演の準備最中です。

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 天井画近くにはブロンズの彫刻も華やかに据え付けられてありました。

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 帰りがけに寄った売店には、トゥーシューズが今にも踊り出しそう。

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 こちらは違う種類の靴ですね。

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 バレリーナの格好をしたランプシェードも。

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 最後にエトワールの写真を。オペラ・ガルニエは新しくオペラ・バスチーユが出来たことによって、現在ではバレエ公演を中心とした劇場になっています。そのオペラ座バレエ団のトップとして活躍するのがエトワール(フランス語で星の意)です。現在オペラ座のバレリーナは154人ですが、エトワールの称号を与えられた人はわずか17人しかいません。

 この人はアニエス・ルテスチュ。バレエに詳しい友人に教えてもらいました。16歳でオペラ座バレエ団に入団、1993年にルドルフ・ヌレエフ演出の白鳥の湖でエトワールに任命されました。

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 エトワールを選任する芸術監督のブリジット・ルフェーブルによると「彼女は自分自身のリズムを持つ貴重な踊り手」とのこと。2年前に公開された映画「パリオペラ座のすべて」にも出演していたそうです。

今は衣装のデザインも手掛けているそうです。それにしても、美人ですねえ。

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パリに光と風を!  オペラ・ガルニエとオスマン大改造

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 今回はパリ・オペラ座、オペラ・ガルニエの紹介ですが、その前に当時の時代背景を振り返ってみましょう。

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 19世紀半ばのパリは、今では想像もできないくらいの不衛生な街だった。セーヌ川に汚物が流され、生ゴミも通りに溢れた。日当たりは悪く、中には街中で豚を放し飼いにしているところさえあって、コレラなどの疫病が蔓延するという惨状だった。

 こうした状態を見かねたセーヌ県知事オスマンは、ナポレオン3世の同意を得て大規模な都市再開発に乗り出す。そのテーマは「パリに光と風を」。無計画に建てられていた住宅の区画整理をして中心部に幹線道路と広場を造る。上下水道を整備し、衛生状態を改善する。建物の高さを一定に保ち、景観を一新する。--こうした改造によって、今の凱旋門からの12本の大通りや主要建築物の更新がなされた。

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 中でも、中心となる広場の核として計画されたのが文化の殿堂・オペラ座だった。1860年のコンペで選ばれたのが、当時35歳のシャルル・ガルニエ。斬新な建築物が着工された。しかし普仏戦争の勃発や資金難などに見舞われ、完成・開場したのは15年後の1875年。すでにその年には、発注者のナポレオン3世はこの世にはいなくなっていた。

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 それでは正面から見て行きましょう。屋根の上にある金色の像は「ハーモニー」の寓意像。その上に見えるのが、竪琴を捧げる音楽の神アポロンです。

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 正面ファザードにもう少し近寄って見ると、7人の人物が並んでいます。この写真だと左がベートーヴェン、右がモーツアルト。つまり偉大な音楽家たちの像です。意外にこの人物群には気付かないのですが、こんな場所での小さな発見もうれしいものです。

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 さあ、中に入りましょう。自由見学は9ユーロで、午前10時から午後5時まで開放されています。入ってすぐに圧倒されるのが、大階段。白い大理石で造られた階段は、一瞬自分が劇の主人公になったかのような高揚感を味わえます。

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 中央階段を上って行くと、光のブーケを持った2体の女性像が出迎えてくれます。

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 広々と開かれた大階段は見事。モーパッサンは、ガラ公演の夜を次のように描写しています。「有名な大階段一杯に妖精の世界が立ち上る。王女のような着飾った婦人たちの列が絶え間なく続き、その首と耳にはダイヤモンドが光を放ち、長いドレスのすそが階段をなめて行く」。

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 天窓の周りには音楽の寓意画が描かれ、ロウソクの光が全体を柔らかく照らしています。

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 正面玄関側の2階にあるのがホワイエと呼ばれる大広間です。壁には金箔が張られ、10個のシャンデリアが広間全体に吊り下げられたネオバロック様式で床もピカピカ。この豪華さはヴェルサイユ宮殿の鏡の間よりも凄いくらいです。

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 天井画は音楽の神アポロンと学芸の神ミューズたちが舞い踊っています。

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 シャンデリアと天井画のコラボに加えて、双子柱がさらに立体感を増す効果を出しています。

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 朝10時のオープンと同時に入館したせいか見学者はそれほど多くなく、ゆったりと豪華さを堪能できました。

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 このホワイエの横にあるベランダに出るとこのようにオペラ広場が真下に見えます。パリ大改造によって造られた、光と風が存分に行きわたる空間です。

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 ファザードの向かって右側にあるガルボーの群像彫刻「ダンス」。今は実物はオルセー美術館に納められ、ここにあるのはレプリカです。

次回は自由見学の目玉シャガールの天井画を見て見ましょう。

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ルーブル美術館のある風景  内から外から

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 パリの街を見下ろすと、美しい風景が広がりますが、中でもセーヌ川沿いに一段と豪華な宮殿が認めることが出来ます。それがルーブル美術館のあるルーブル宮殿です。

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 通常は地下鉄駅のあるリヴォリ通り側から美術館敷地に入りますが、今回は逆のセーヌ川方面のカルーゼル橋を渡って入りました。その入り口にはこんな立派な彫刻が飾られてありました。モンパルナス方面からモンマルトルまで行く路線バス95番に乗れば、バスに乗ったままこの入口を入り、敷地内を通過して行きます。地下鉄との共通切符で乗れます。

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 敷地に入るとすぐ、カルーゼルの凱旋門が目に入ります。

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 ドゥノン翼側からリシュリュー翼を見ると、こんな風にピラミッドが2つ重なった形になります。美術館の総合入口となる大ピラミッドは有名ですが、その周りに3つの小さなピラミッドがあるのは、意外に気付かない人も多いようです。高さ21m、底辺面積33平方mの大ピラミッドは完成当時は景観論争が巻き起こりましたが、今では定着したようですね。

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 リシュリュー翼にはカリアティード(女像柱)が刻まれています。ピラミッドとのコラボもちょと面白い。

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 アップしてみました。とても上品な女像ですね。

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 エスカレーターに乗って美術館に入ります。

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 ここには階段もあります。もともとは12世紀に造られた城塞だったルーブルですが、今ではこんなモダンな螺旋階段が客を迎えてくれます。

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 館内に入ってドゥノン翼1階で野球選手発見! と思ったらヒュドラを退治するヘラクレス像でした。

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 2階に上がる階段。こちらはクラシックな感じ。踊り場の半円形のレリーフはチェッリーニ作「フォンテンブローのニンフ」。フィレンツェ・シニョーリア広場ロッジアにある、生首を持ったペルセウス像も彼の作品でしたね。

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 階段を上がって、サモトラケのニケ像が奥に見える部屋にはダヴィッドの大作「ナポレオン1世の戴冠」があります。この絵の前もいつも人だかりがしています。この宮殿が正式に美術館になったのは1789年のフランス革命以後で、ナポレオンによって一時は「ナポレオン美術館」と命名されたこともありました。ルーブルの歴史の中で、ナポレオンは欠かすことのできない人物です。

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 あちこち見て回っているうちに、外はすっかり暗くなっていました。シュリー翼3階からの見晴らしです。遠く中央付近にライトアップされているのがカルーゼル凱旋門。左奥にはエッフェル塔も光っています。

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 ルーブルは英仏100年戦争によって英国軍が占領した時代は牢獄に使われたりしました。その後1546年、フランソワ1世がルネサンス風に新築して大変革が行われましたが、その当時の姿が残っているのが、ここカリアティードの間。女像柱が素晴らしい。

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 閉館時間になってしまいました。ピラミッドから外に出るとき撮ったガラス越しのリシュリュー翼。雰囲気ありますよね。

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 外に出て、見上げる角度でもう一度。昼の建物とはまた違った風格が漂っていました。

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ルーブル美術館の美女たちベスト10 ② 独断と偏見編

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 ルーブルの美女シリーズの2回目は、個人的にいいと思った「独断と偏見」で選ぶベスト10です。

 1位 フランソワ1世の聖家族  ラファエロ (1518年作)

 やはり個人編でもラファエロは欠かせません。彼の聖母子像は数多く描かれましたが、この絵の輝く衣、それにも増してまぶしいほどの肌をした聖母に出会える作品です。この絵はフランソワ1世の家族を描いたわけではなく、当時のローマ教皇レオ10世がフランス王フランソワに贈った絵ということで、こんな名前がつけられています。ラファエロ晩年の作ですが、彩色などは弟子がアシストしたと言われています。

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 アップしてみると、聖母の優しさが際立ちますね。ラファエロの聖母では、このほかフィレンツェ・パラティーナ美術館の「小椅子の聖母」、ウイーン・美術史美術館の「牧場の聖母」が私的トップ3になります。

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 2位 娘ジュリーを抱く自画像 ヴィジェ・ルブラン (1786年)

 何とも美しい母親です。ヴィジェ・ルブランは18世紀の女流画家。マリー・アントワネットの肖像画を引き受けて一躍画壇のスターになりましたが、1789年のフランス革命でアントワネットは命を落とし、彼女も外国を転々とする流浪の画家になってしまいます。この絵は、その革命の3年前、彼女が31歳の時の作品です。ラファエロの聖母子像に影響を受けており、そういえば角度を変えれば小椅子の聖母に似ていませんか。彼女の肖像画は、モデルの姿を肯定的な感受性で表現する画家だったと思います。

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 3位 フィレンツェの婦人 デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(1450~60年)

 額を大きく開けた髪型と洗練された表情で、じっと前を見つめる婦人の胸像です。ルネッサンスという世界の先端を行く芸術革命が進行していたフィレンツェの、知性的女性を代表する風貌なのではないでしょうか。ただ、ガラスケースに入っており、光線の関係で正面からの写真が撮れなかったのが心残りです。

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 作者のデジデリオは、ドナテッロに続く彫刻家で、繊細で知的な作風で知られています。この作品は木彫です。日本の木彫の代表的作家、舟越桂さんが「この像になら、彫刻相手に恋することだってできる、と思った」と語っています。

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 4位 若い婦人に贈り物をするヴィーナスと三美神 ボッティチェリ (1483~85年頃)

 待望のボッティチェリがやっと登場しました。とても好きな画家なのですが、やはり特別な作品はフィレンツェにありますから、ルーブルに限定するとタイミングが難しい。このフレスコ画は、フィレンツェ郊外のレンミ荘にあったもの。1873年、漆喰の下から発見されましたが、かなり傷んでおり、この絵でもヴィーナスの顔付近が剥がれてしまっています。同荘の所有者トルナブオーニ家の結婚を祝して描かれたらしく、右の赤い服を着た花嫁ジョヴァンナにヴィーナスから贈り物が渡される場面です。

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 ただ、個人的にはヴィーナスや花嫁より、後ろに控えている三美神の方が魅かれます。特にこのアップ画面の右の女性、彼の代表作「ヴィーナスの誕生」に見られる憂いを帯びた表情が、ここにもありますよね。

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 5位 無原罪の聖母と6人の人々 ムリーリョ (1665年)

 無原罪のお宿りという、キリストだけではなく母マリアもまた原罪なしに生まれてきたというテーマを、絵画において確立した代表的な画家です。それだけに何枚もこのテーマで作品を描いていますが、どれも清楚で限りなく慈愛にあふれた聖母が印象的です。これはセビリアのサンタマリア・デ・ラ・ブランカ聖堂の再開に伴って製作されたものです。

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 6位 花を持つ少女 ヘンリー・レイバーン (1798~1800年)

 この絵は全く予備知識なしで、ルーブルで初めてであった作品です。閉館時間が迫って早足で回り出した頃に出会い、何と愛らしい少女がいるのかと、立ち止まってしまいました。花を抱え、かすかに微笑んだ表情は無垢な美しさに満ちています。作者はスコットランドの画家で40代の時期の作品だということはわかりましたが、詳しい背景までは調べきれませんでした。

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 7位 神妻カロママ像 エジプト (紀元前850年頃)

 神妻というのはエジプト帝国の守護神・アメン神の妻として生涯処女のまま神なる夫に奉仕する役割を負った女性。ブロンズに金銀の象嵌が施された華やかな像です。しかも高貴なたたずまいで、表情も素晴らしい。忘れ難い美女でした。

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 8位 エステルの失神  ヴェロネーゼ (1570年代)

 これは旧約聖書のエピソードの1つです。ペルシャの王は妃にユダヤ人のエステルを選びました。しかしユダヤ民族を憎むある重臣が民族を滅亡させる陰謀をたくらみました。これを止めるために王にその陰謀を告げようと思いましたが、王への直訴は死罪に相当する時代でした。でも、エステルはまさに決死の覚悟を決め、一世一代の勝負服を着て直訴に及びます。それが成功して王は重臣を逮捕、エステルには無罪を告げます。この時、緊張の糸が切れたエステルは王の前で安心のあまり失神してしまいました。その瞬間をヴェロネーゼは見事に描いていますね。

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 9位 三美神像 ギリシャ時代 (紀元前2~1世紀)

 カリアティード(女像柱)の間に飾られている三美神の像です。三美神とは、愛欲、純潔、美を表わすと考えられました。愛欲と純潔とは対立する性質ですよね。でも美によって和解し、バランスを取りながら生きているとされるそうです。いずれにせよ、女性のフォルムは紀元前の時代から美しいものだったんですね。

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 10位 アタラの埋葬 アンヌ・ルイ・ジロデ (1824年)

 シャトー・ブリアンの小説「アタラ」の1場面を描いたものです。キリスト教信者として立てた、処女を守るという誓いと、若いインディアン、シャクタスへの愛との間で心が引き裂かれ自殺した女性がアタラです。悲しみに沈むシャクタス青年と修道士がアタラを埋葬しようとしています。

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 強い明暗のコントラストはカラバッチョを連想させる感じですが、死んだアタラの表情には耽美主義的な雰囲気も漂います。いずれにしても光を当てられたこの女性の美しい横顔は見事です。

 こんなわけで、独断と偏見編は知名度編とはかなり違った形にしました。もちろん人によってラインナップは千差万別でしょう。ご意見は承りますが、非難中傷の類はどうかご容赦を願いますよ。

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ルーブル美術館の美女たちベスト10 ① 知名度編

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 今回はちょっと気楽にルーブル美術館に住む美女探しをしてみましょう。ただし、ただ単に美女といっても館内には世界中の美女が集まっている状態なので、まず一回目は超有名スターたちのベスト10を極力客観的に選んでみました。

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 1位 モナ・リザ  レオナルド・ダ・ヴィンチ(製作年 1503~6年)

 何といっても絵画界では世界一のスーパースター。説明の必要もないと思います。描かれたのはダ・ヴィンチがフィレンツェ滞在時代。彼がフランス国王に招かれてフランスに行った時に持参していたものです。ヴァザーリは彼の「ルネサンス画人伝」の中で、「この絵はすべての作家、いかなる才人をも戦慄させ、恐れさせてしまうだろう」と絶賛しています。実はこの絵が1度だけフィレンツェに戻ってきたことがあります。それは1911年に発生したモナ・リザ盗難事件。犯人がフィレンツェの骨董店に持ち込んで発覚しました。その時が約400年ぶりの里帰りということになったわけです。フランスに戻される時、わずか1か月だけイタリアで展示会が催されました。

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ルーブルの展示場所の前はこんな具合。私は夜間開館を利用して午後6時過ぎに入館したのですが、それでもここの前だけは全く人垣が途切れませんでした。そんな訳で写真もちゃんと撮れませんでした。

 盗難以外にルーブルから外に出たことが3回だけあります。1回は第二次世界大戦時に空襲から逃れるための疎開。2回目はアメリカのワシントンギャラリー、メトロポリタン美術館での展覧会、そして1974年の東京国立博物館での展覧会です。もうこれからは館外に出る可能性はほとんどないでしょう。

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 2位 ミロのヴィーナス (紀元前2世紀後半)

 これもまた超有名なお方。1820年にギリシャ・メロス島で発見された人類の宝。ギリシャ神話の愛の女神アフロディーテを表現したものです。メロス島はフランス語でミロと呼ぶためにミロのヴィーナスとされていますが、出自を考えればメロスのアフロディーテと呼ぶのが正解でしょうかね。これも日本に来たことがありますね。

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 美術の本などでは前からしか見られないでしょうから、バックショットをお見せしましょう。お尻の割れ目!はヘレニズム期のエロスの特徴なのだそうです。

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 3位 聖母子と幼き洗礼者ヨハネ(美しき女庭師) ラファエロ(1507年)

 聖母の画家と言われるラファエロの作品の中でも3本の指に入る有名な聖母を描いた作品です。ふくよかで美しい聖母とあどけないキリストの組み合わせに、洗礼者ヨハネを配して、三角形の安定した構図が完成しています。ここで、母子が直接目と目を合わせているという例はとても珍しいですよ。

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 4位 岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ヴィンチ (1483~86年)

 本来なら1画家1作品にとどめたいのですが、ダヴィンチに関してはそうも行きません。なぜ岩窟なのか、なぜ天使が左のヨハネを指差しているのか、キリストの出した2本指は何なのか、など謎だらけの絵画は長年にわたって論議の的になってきました。これだけの話題性のあるものを外すわけにはいきませんし、「美女」と言うテーマでも、ここの聖母の美しさは比類ないですよね。

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 5位 グランド・オダリスク アングル (1814年)

 オダリスクとはハーレムの女を意味する言葉。アングルはフランス古典派の巨匠ですが、何とまあすごい胴長の女性でしょうか。ある評論家は「この絵の女は脊椎が3本多い」と評論したそうです。それに表情にはどうも優しさ、親しさが感じられない。でもどこか魅力的なんですね。アングル自身は「真実ということについて言えば、私はほんの少しそれを超えるほうが好きです」と語ったとのこと。この絵も真実を超えているんですね。

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 6位 ガブリエル・デストレとその姉妹 フォンテーヌブロー派 (1594年頃)

 作者不明なのにとても有名なこの絵。右がフランス王アンリ4世の愛人ガブリエル・デステレ、その乳首をつまんでいるのが妹のビヤール公爵夫人とされています。アンリ4世には当時正妻のマルグリットがいましたが彼女は子供に恵まれませんでした、そんな時ガブリエルが懐妊、王の初子を宿したという寓意として乳首をつまみ、ガブリエルは左手に婚約指輪をちらつかせるという形が描かれたそうです。ただ、ガブリエルは正妻の地位を得る前に、わずか28歳という若さで急死してしまいます。

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 7位 マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸 ルーベンス(1621~25年)

 この絵はマリー・ド・メディシスの生涯を描いた24枚の大作のうちの1枚。マリーはフィレンツェのメディチ家からフランスに嫁入りした王妃ですが、その相手というのが先ほどのアンリ4世です。最初の妻マルグリットと別れ、ガブリエルが急死した後、メディチ家の財産目当てにマリーと政略結婚したのですが、この王も間もなく死亡、幼い息子を王としたマリーが政治に口出しをしだして、後日息子との確執が起こるといった、波乱万丈の生涯でした。そんなマリーの人生を絢爛豪華に描いたルーベンスの作品群はものすごい迫力です。女性たちの姿も迫力十分!

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 8位 いかさま師 ラトゥール (1635年)

 本来は一般的な美人という範疇には入らないのでしょうが、何とも憎々しげなダチョウ卵顔の女性のインパクトはタダならぬ強烈さです。ラトゥールの真作は約40点といわれ、大半が光と闇の中に浮かび上がる人物画ですが、とても珍しい、明るい光の中の絵がこれです。

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 こうしてアップしてみると、一層この女が憎たらしくなりませんか?それが又凄いところで、忘れられなくなります。数年前日本で開かれたラトゥール展で、上野の西洋美術館前の大きなポスターがこの絵でした。

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 9位 真珠の女 コロー (1868年頃)

 タイトルは真珠の女なんですが、この絵のどこにも真珠などはありません。一説には女性の額にあるものが真珠と誤解されたというのですが、これは草の冠の影です。コローは風景画の大家ですが、数少ない人物画でもずば抜けた才能を発揮しています。この絵を見れば見るほど今回1位に掲げたモナ・リザのポーズにそっくりなのが分かりますよね。偉大な天才、ダ・ヴィンチへのオマージュなのでしょうか。

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 10位 鏡の前の女  ティツィアーノ (1512~15年)

 この回の締めはヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品です。これは彼の20代半ばという初期の作品で、まだ師匠ジョルジョーネの影響がありますね。でも妖艶な女性像を数多く残した画家の才能が随所に見られると思います。このすぐ後にヴェネツィア・フラーリ教会の祭壇画「聖母被昇天」を完成させて「画家の中の画家」としての地位を上りつめて行くのですが、そんな話はまた後日、させてもらいたいと思います。

 次回は独断と偏見で選ぶ美女編です。

 


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